颯に揺られた水仙

煌珞

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颯に揺られた水仙

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 僕は逃げた。
 痛い思いしかしないあの窮屈な場所から。
 僕の一番好きな僕だけの秘密基地。
 僕の一番好きな花が咲くあの秘密基地。

 誰も知らない筈、だ。

 女、の人…………?
 白い髪に金色の目の美しい女性がいた。
 よく見てみるとある事に気付いて声をかけてみる。
「そんな所でどうしたの?怪我してるじゃないか」
「…………人間の少年か。私が視えるのか?」
「うん、見えるよ。手当した方がいいね」
 すると彼女は僕が伸ばした手を振り払う。
「余計な事をするな。どうせ私は直ぐに居なくなる身だ。人間の世話になる必要はない」
「それなら、手当して元気出そ?」
 彼女は驚いた顔をして、直ぐに口元を緩ませた。
「ふっ……。変わった少年だな」
「あはは、そうかなぁ。僕ははやて。君は?」
「私に名などない。あっても人間の少年になど言わん」
「じゃあ、僕が名前をあげる!えっと……」
「いらん。少年、話を進め……」
水仙すいせん!」
「は?」
「君の名前だよ!水仙なんてどうかな?」
「何故その名なんだ?」
「うーん……。僕の一番好きな花に雰囲気が似てるから!」
 彼女は一瞬目を見開いた。
「…………。お前の好きな花が、水仙…なのか?」
「うん!」
 僕がそう答えると彼女は微笑んだ。
「ふっ…。いいだろう、気に入った。新しい私の名だ」
 その笑顔がとても綺麗で、僕は見惚れてしまった。
 これが水仙と僕の出逢いだった。





「すいせーん!!」
「五月蝿い、少年。声が大きい」
「もう、颯って呼んでってば、水仙」
 あれから数日が経った。僕は毎日水仙に会いにここに来ている。
「ねぇ、水仙。お腹空かない?」
「空いたが、なんだ。水を持って来たのか?」
「君はどうしてそう切実に水を欲するのかなぁ。違うよ、はい」
「ん?何だこれは」
「大福だよ」
「大福?大層な名前だな。美味しいのか?」
「美味しいよ。本当に食べた事無いんだ」
 水仙に逢った日、彼女はお腹を空かせていた。大きな音でお腹が鳴ったので、僕は笑った。
『…ふっ、お腹空いたの?』
『ここ数日何も食べていない』
『何か持ってきてあげる。何がいい?』
 そう訊くと、思わぬ答えが返ってきた。

『水』

 …………ん?水?

 いやいやいや。水って。食べ物ですらないじゃん。
 そう言うと水仙はキョトンとした顔をした。
『水以外に食べられるものがあるのか?』
『あるよ。野菜とか果物とか肉とか色々。ていうか水は「食べる」じゃなくて「飲む」だから』
 人間というのはよく分からないな、と彼女は笑った。
 まあ、僕からしたら水仙の方がよっぽど不思議な存在なんだけどね。
 そう思いつつ、横で上機嫌の彼女に目をやる。あまり表情が顔に出ないが、多少、喜んでるなと分かる。
「大福、と言ったか。実に美味だな。少年、水が飲みたい」
「すぐ、水だよ…………。どんだけ水が好きなの」
 溜め息をつきながら、僕は竹筒に入れてきた水を水仙に手渡す。
 僕から受け取ってお礼を言って水仙は水を飲む。すると彼女は思い出したかのように口を開いた。
「そうだ、少年。言い忘れていたが、ここに来るのは水仙が咲く時期だけにしてもらえないか?その時期にしか私はここに来ることが出来ない」
「え?そうなの?分かった、いいよ」
「ありがとう、少年」
「だから、颯って呼んでってば」
 そんなたわいの無い話を水仙が咲く時期に二人で過ごした。

 *

 水仙と出逢ってこんな生活を続けて十年が経ち、僕は十八歳になった。
 彼女は出逢った時と変わらない姿で、水仙が咲く時期に僕のお気に入りのこの場所に現れた。不思議に思ったが、特に気に留めなかった。
「少年、大福あるか?」
「水の次は大福なの?持ってきたけどさ。あと、いい加減名前で呼んでよ、水仙。僕もう十八歳だよ。少年じゃないから」
「じゃあ、青年」
「話聞いてた?」
 そんなたわいの無い会話をしているだけで嬉しくて、幸せで。
 気が付くと僕は彼女を好きになっていた。
 水仙が居たから、今まで逃げていた場所での生活を頑張れたんだ。
「少年、最近上機嫌だな。何かいい事でもあったのか?」
「水仙に会えるだけで嬉しいんだよ、僕は」
「……よくもまあそんな恥ずかしい事をさらりと言えるな」
 水仙はふいっと僕から顔をそらした。少し頬を染めた彼女が一瞬目に入る。
 照れた彼女が愛おしくて笑う。
「水仙可愛い」
「黙れ」
 怒った。顔怖いよ……。でも、そんなところも好きなんだ。
 その後、しばらく水仙と過ごして帰宅すると、義父ちちに声をかけられた。
父さんが死んでこの男と母さんは結婚したのだが、暴言・暴力ばかりを振るう最低の男だった。母さんはそれが嫌になり、僕を捨てて家を出ていった。それからは僕が暴力の対象。それはちょうど水仙に出会う少し前から始まったのだ。
「おい、お前、やたら出かけてるが、女でもできたのかぁ?」
「……義父とうさまには関係ないと思いますが」
「関係あるんだよ…。お前、化物と会ってるな?」
 化け物?まさか、水仙のことを言ってるのか?確かに彼女は人間じゃない。でも、化け物なんかじゃない。
「あの人はそんなんじゃありませんよ」
「へっ、まあいいさ。その女はどうでもいい。俺はなぁ、ハヤテ。あの土地が欲しいのよぉ」
「……っ!?」
 まさか、あの土地欲しさにあの場所を潰すって言うのか!?
 義父は暴力を振るう最低男ではあるが、お金だけはたんまりと持っている。いわゆる富豪だ。だから、土地を欲しがってもおかしくないが、あの土地だけは……。僕と水仙が出逢った、あの場所だけは潰されるわけにはいかない。
 そんな反抗的な目を義父に向けると、彼はケラケラと笑いだした。
「ふはははははっ!ハヤテ、お前がそんな反抗してももう決まったんだ。潰すのは今日なんだからなぁ?」
「……っ!!」
 それを聞いた瞬間、僕は家を飛び出していた。
 水仙……っ!無事でいて……っ!
 あの場所に向かうと、台車がいくつも置いてあり、その台車には土地をならす農具や工具がたくさん乗せられていた。そして、男が五人いた。義父に雇われた男たちだろう。
 僕は男たちに声をかけて、止めに入る。
「や、やめて!この場所に手を出すな!!」
「あぁ?何だこのガキ?」
 拳をぎゅっと握り、僕は男たちを睨みつけた。しかし、後ろから笑いながら声をかけられた。
「くくくっ、ハヤテ、無駄だぜぇ?お前には何もできねぇよ」
 義父だった。あとから来たのだろう。
「義父さま……。いくら貴方でも、ここは潰させない」
「へへっ、できねぇくせにいきがってんじゃねぇよ、糞ガキがぁ!!」
 それからは想像通り、僕は義父たちに立ち上がる力も出ないくらいにボコボコに殴られてしまった。
 それでも、僕は、ここをどく訳にはいかないんだ。
 僕はなんとか膝立ちして、手を広げた。この場所を潰すなと、手を出すなと。
「しつこいなぁ、お前も……っ!!」
 水仙の花と一緒に蹴られそうになったその瞬間、僕の周りが光り輝いて、殴ろうとしてた義父たちが吹き飛ばされた。あまりに驚きすぎて、彼らは「ば、化け物ぉー……っ!」と叫んで逃げていった。
 だけど、そんなこと僕にとってはどうでもいい。
 振り返ると、光を放った手を義父たちのいた所に向けた水仙がいた。
「水、仙……?」
「無事か……?颯………」
 瞬間、彼女は力尽きたように倒れた。
「水仙!」
 僕は彼女をギリギリのところで受け止めた。そして、僕は叫んだ。
「何やってるんだよ!?」
「何…って、お前を、守っただけだ」
「だから何でそんな事……!」
 怒鳴る僕の頬に手を当てながら彼女は力なく笑った。その手はとても冷たくて。
「怒るなよ、颯。私はお前を守りたかったから守っただけだよ。……お前が気にする事無い」
「何で、こんな時にちゃんと名前で呼ぶんだよ……。何で僕なんか守ったんだよ!?」
「理由、が……必要か?」
 コクリと僕は頷いた。すると、水仙は語りだした。その姿はかすかに透すけているような気がした。
「私はな、水仙に宿る精霊なんだ……。だから、水仙が咲くこの時期にしか実体を持つことができないんだ」
 ……だから、僕と会う時、水仙の咲く時期だけって…。
「そして、私のような精霊は霊力がとても弱い…。だから、一度でも力を使えば…もう姿を保てない……」
「それなら、また来年咲く頃に……」
 僕が言い終わる前に彼女が弱々しい声で悲しげに叫んだ。
「会えないんだよ…!…もう、会えないんだ」
「なん、で……?」
「力を使い切ったんだ、私の命が尽きる。当然だ。だから、もう二度と会えないんだよ……。その証拠に私の体、透け始めてるだろ?」
 水仙の体が透けているように見えたのは気のせいじゃなかったようだ。僕は声を荒らげて叫んだ。
「そんなの……そんなの、嫌だよ!!僕は…、僕は君が……っ!!」
 好き、そう言おうとしたのに、唇を水仙のそれで塞がれた。唇が離れたと思ったら、笑顔で告げられた。
「颯、好きだ。大好きだ」
 まさかそんなこと言われるとは思わなくて、僕は一瞬目を見開き、くすっと笑った。その時、自分の目から涙が一筋流れたような気がした。
「馬鹿……。僕に言わせろよ…」
「ははっ…、颯、泣くなよ……」
「な、泣いてないし!」
 なんか悔しくて、今度は僕から口付けてやった。
 顔を真っ赤に染めて、「いきなりは反則だろ!?」と怒る水仙を見て僕は笑った。
「はははっ、好きだよ、水仙」
「……っ!?だ、だから、いきなりは反則だって言ってるじゃないか!!」
 そう言ってる間にも、彼女の体はどんどん透けてキラキラ輝いて消えていく。それは水仙自身も分かっていて、彼女はその綺麗な金色の瞳に涙を溜めて言った。
「もう、お別れか……じゃあな、颯。また逢えるといいな」
 そんな彼女の顔が見たくなくて、消える前に僕の想いを全部伝えた。
「水仙!僕は、君を忘れない!絶対に忘れたりしない!ずっと君が好きだ。だから、笑って?」
 水仙は驚いた顔をして、それから瞳に溜まっていた涙が一筋流れて、僕が見た中で一番綺麗な笑顔を向けた。
「ありがとう、颯」
 そう言って、彼女はこの世界からいなくなった。


 あれから五年、僕は今でもあの場所を訪れている。
 水仙が咲く時期に、水仙と出逢った場所に来て、彼女を思い出す。
 水仙の怒った顔、泣いた顔、意地悪な顔、そして、笑った顔。今でも鮮明に思い出せる。
「ねぇ、水仙。大福、食べるでしょ?」
 くすっと微笑んで、僕はいつも彼女が座っていた場所に彼女が大好きだった大福を置いて、その隣_僕の定位置に座る。
『ああ、食べるに決まっているではないか』
 そう言って隣で笑う彼女が見えた気がした。
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