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第5章 魔王の冠編

48話 海の青、白い光

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 ルーク・バルサックは、何よりも先に海の蒼さに驚いた。

 小高い丘の上から見下ろすと、難攻不落の城塞都市フェルトが一望できる。人を寄せ付けない鉄壁の城壁の向こうには、橙色の屋根に白い土壁の小さな家々が連なっていた。その更に向こうには、浜辺が見えた。その浜辺は雪が降り積もったように白く、その先には紺碧の海が広がっていた。

 シードル王国の北方の海を訪れたことはあったが、あの暗い海とは異なり、どこまでも淡く透き通っている。例えるのなら、北方の海は前世で訪れた湘南や伊豆の海だ。それに対し、ルークの目の前に広がっている海は、結局一度も行かずに終わった沖縄やハワイのように明るく輝いている。ルークが思わず見惚れていると、隣に佇んでいたラクが「こほん」と咳ばらいをした。

「あっ、ごめん……ラク姉」
「これから戦をするというのに、心構えが足りな過ぎる」
「……分かってるよ」

 「戦」という言葉を聞いた瞬間、海への感動が薄れた。
 いつになく鎧が重たい気がする。もし、これで勝てば名誉挽回することが出来る。ゲームに存在しない戦いだけれども、なんとかこなすしかない。そうしなければ、自分が死んでしまう。もちろん、ゲームの時みたいに蘇生コンティニュー出来るかもしれないけれども、それがないことくらいは分かっていた。もし、あるのだとしたら、セレスやレベッカ、クルミやマリーたちが死んだときに発動していたはずだ。

「……でも、本当に勝てるかな?」

 ルークは、ゲームに存在しない戦いが不安だった。
 ラクと相談してたてた作戦だ。我ながらに自信はあるけれども、それでも負けるのではないかと不安が常に横切っていた。
 もちろん、負けないように努力してきたつもりだ。カルカタでの大敗後、ルークは仲間や部下の育成をし直した。もちろん、自分自身も鍛錬を重ねる。兵法書を読み直し、剣を振るい、前世の知識を整理し直した。だけれども、それだけでは足りない。どうして敗北したのか、自分なりに分析しなければ再び同じような結果になってしまう。

 ルークが考えた末、導き出した結論は「仲間が弱かったから」だった。

 今までは……必ず勝てるはずの戦だった。だけれども、負けてしまった。
 ミューズでも、デルフォイでも、カルカタでも、勝てたはずだ。完璧な布陣を敷いていたはずで、ゲームの攻略情報通りに進めていた。自分は決して悪くない。なのに負けてしまったのは、仲間が弱かったからに決まっている。ルークが前世知識をもって介入したことにより、本来会うべきタイミングより前にあったキャラが多く存在した。例えば、セレスやレベッカはその最たる例だろう。早めに接触し、親密度を高めたり彼女たちのトラウマを解消したりしてしまったから、強くなるきっかけを奪ってしまったのかもしれない。

「そう……僕は、悪くない」

 自分は悪くない。
 ルークは言い聞かせるように呟いた。

 だけれども、本当は分かっていた。根本的な問題は、仲間の弱さではない。だけれども、それを解決する手段が分からなかった。そんなこと、ゲームには出てこなかった。
 ルークは、瞼をぎゅっと閉じる。その途端、カルカタで目の当たりにした「地獄」が蘇り、吐き気がこみあげてきそうになる。あれが、現実なのだ。身体が震える。あの光景こそが戦場であり、自分はあそこで死んだマリー達の分まで生きて、駆け抜けなければならない。今回の戦でも、きっと仲間が死ぬ。兵法書を片っ端から読み解き直し、前世の知識を総動員させながら、仲間を鍛錬させたつもりだった。でも、絶対に何人も死ぬ。それでも、この戦に勝たなくてはいけない。勝つ必要がある。

「大丈夫……僕は、今の僕は、ルーク・バルサックなんだ」

 ルークは、何かに縋り付くように呟く。そして、気を引き締めるように頬を叩くと、再び目を開けた。

「行こう、ラク姉。そろそろ、作戦の効果が出ている頃だから……頼んだよ、ラク姉。ラク姉のタイミングに全てがかかっているんだ」
「分かっている。だが、お前も気を抜くなよ。お前が気を抜くと、また負ける」
「わ、分かってるよ!」

 ルークは、頼りがいがあるのだか分からない姉を一瞥した。ラクは、戦場だというのに呑気だ。まるで、研究が一息ついたときのように煙管を吸っている。でも、ルークは日常と変わらぬラクが……不思議と酷く羨ましかった。





 フェルトの街を治めるエドガー・ゼーリックは、いつにない怒りに駆られていた。
 第一に苛立たせているのは、魔王の冠奪還という重要任務を遂行しているのが成り上がりの小娘……それも汚らわしい人間だということだ。その知らせを聞いたとき、怒りのあまり傍にあった高価な壺を蹴り飛ばしてしまった。シェール島に最も近いのは、フェルトを中心に陣を構えるゼーリックだ。だから、自分が任命されるであろうと踏んでおり、準備もしていた。なのに、人間の小娘が当然のように出立していった。それが、気に入らない。
 
「まったく! シャルロッテ様は何を考えておるのだ!!」

 人間に肩入れするなど、言語道断だ。もちろん、何か考えがあることは知っているし察しが付く。だけれども、感情が抑えきれない。ゼーリックは、忌々しげに城壁を歩いていた。そんな時だ。

「おい、見ろよ。あそこを豚が歩いているぜ?」
「いや、豚じゃねぇよ。猪だ」
「やけに、どったどった歩いてるな……曲芸サーカスの練習か?」

 城壁の下から、ゼーリックを苛立たせる原因のもう1つが聞こえてきた。
 矢が届くか届かないかという絶妙な場所に、退魔師の一軍が陣を構えていた。いや、陣と呼んでよいのだろうか。数人ずつで胡坐あぐらをかき、昼間っから酒を飲んでいる。そして、耐えることなく罵倒を浴びかせてくるのだ。
 じろり、と睨みつけても奴らは怯まない。むしろ、余計嬉々として罵倒を始めるのだ。

「やーい、睨んだ睨んだ!」
「そんなに嫌なら、檻の中に隠れてないで出て来いよ!」
「いや、違う。安全な檻の中にいたいんだよ。負けるのが怖いから」

 ゼーリックは、歯を噛みしめた。
 こんな罵倒に負けて、飛び込んでいくことは絶対にしてはならない。明らかに罠を張っている。戦に出て行ったところを、何かしらの方法で一網打尽にするつもりなのだろう。誘いに乗ってはいけない。ゼーリックは、なんとか自制心を保っていた。怒りに震える見張り達をねぎらいながら、外野の声を聞かないように心掛ける。

「見張り、気にするな。あれは単なる挑発だ。飽きるまでやらせておけばよい」

 ゼーリックは、なんとか見張りにそう告げると、立ち去ろうとした。これ以上、長くこの場所に留まっていては、自分が抑えられそうになかった。しかし……そう簡単に事は進まない。城壁の外側に背を向けた途端、馬鹿にしたような笑い声が湧き上ったのだ。あまりの笑い声に、思わずゼーリックは足を止めてしまう。それが、運の尽きだったのかもしれない。

「あははは、見ろよ、あの指揮官。可愛らしい尻尾を巻いて逃げ帰るんだ」
「くるんとしたちっこい尻尾を丸めて、ママの所に帰るんだと」
「人間怖いよー。黒星つくのが怖いよー。助けて、ままーってか? ガキか、フェルトの大将は」
「ガキだよ、ガキ。女の子以下の弱虫さ!」

 この一言。
 その一言を聞いた瞬間、ぶちっと血管が切れた。

「だれが、人間の小娘より弱虫だと!!?」

 退魔師の兵士が、何気なくかけた罵倒の言葉だったに違いない。決して、特定の誰かのことを言ったわけではないはずだ。分かっていた。ゼーリックには分かっていた。だけれども、一度頭に上った血は抑えることが出来ない。

「戦の支度だ!! すぐに出陣して、あの不埒な退魔師どもを一網打尽にしろ!!」

 あっという間に軍備を整えて、城門を開く。馬にまたがるなんて真似はしない。鍛え抜かれた脚力で戦場を駆け抜ける。ゼーリックたちは、まさに猪のように襲い掛かった。酒を飲んでいた退魔師たちは、「ひぇ、怖い」と嘲笑いを浮かべながら逃げ去っていく。

「逃がすな! 追え、追え!!」

 頭から煙を上げながら、突撃するゼーリック達を止めることは出来ない。ゼーリックは剣を引き抜くと、逃げる退魔師の背中を睨みつけた。彼らには、目の前の敵しか見えていない。目の前の汚らわしい人間てきを殲滅することしか、頭になかった。


 だから、気が付かない。



「はい、これで終わりだ」

 にやりと笑ったラクが、マッチを擦った。 
 そして、導線に火をつける。藁で造られた導線は、あっという間に藁を焦がしていき、その先に続く爆弾に引火した。1つ爆発すれば、瞬く間に次から次へと誘爆を引き起こす。爆弾を連なるように仕込んだ所は、すでに退魔師が逃げ去った後の場所、そして……これからゼーリックたちが足を踏み入れようとする一帯だった。

「なっ、退却しろ!!」

 ゼーリックは、直感的に危険を察知する。
 しかし、ゼーリックの声に覆いかぶさるように、爆風と光が広がっていく。

 後悔の二文字が脳裏を横切った瞬間、エドガー・ゼーリック中将の視界は真っ白に染まった。

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