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第5章 魔王の冠編

47話 つながる音

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投稿が遅れました。すみませんでした……
投稿後、一部改訂しました。
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 ポピーは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 大柄の牛のような魔族と狼顔の魔族、そして赤髪の魔族が一斉に睨みつけてくる。特に、どこかで見覚えのあるような赤髪の魔族の目つきが鋭かった。こちらを全く信じていない目をしている。
 最初の一瞬こそ露出の多い芸子の服を着ていることに対する恥ずかしさの方が強かったが、むずかゆい気恥ずかしさなんて目ではない圧迫感に支配される。まるで、針のむしろに立たされているようだ。背中を冷や汗が流れ落ちる。

 この任務に失敗すれば、もうあとはない。

 魔族に降伏した情けない退魔師として、永遠に汚名が語り継がれてしまうだろう。それだけは、ブリュッセルの退魔師として避けなくてはならない。ポピーは、深呼吸をすると弓を構え直す。慣れ親しんだ瓢箪型の楽器を床に置き、抱え込むように弦を握りしめた。自分に集中しろ、集中しろと言い聞かせる。

「これは自慢の芸子でね、とても良い音色を奏でるのですよ」

 セオドールが自分を褒める言葉を吐いている。その言葉に、赤髪の魔族が胡散臭そうに眼を細めた。だけれども、そのような視線を気にしている場合ではない。ポピーはしずしずと頭を下げた。

「ありがとうございます」

 自分は、全身全霊を込めて音を奏でればよい。
 それで、全てが終わり、新しい自分が始まるのだ。ポピーはルークの顔を思い浮かべると、弓を5本の弦の上に置いた。

「それでは……はじめます」

 ぽろん。
 弓で弦を弾けば、その柔らかい音が鳴り響く。誰かが、ほぅっと感嘆の声を漏らしたのが聞こえてきた。自慢ではないが、楽の心得は退魔師の誰よりも上だ。たった一音で、集まる者の心を鷲掴みにする。一度でも聞く者の心をつかんでしまえば、あとは簡単だ。自分の属性を、か細い音に乗せればよい。無防備な耳から侵入した音は、まっすぐと脳へ辿り着く。そして、魔族であれ人間であれ、思考を蕩けさせて深い眠りへと誘うのだ。


 ぽろん、ぽろろん……。


 仮設の天幕に、胸を震わすような切ない旋律が鳴り響く。誰もがここにはいない故郷の、記憶の中の大切な誰かのことに思いを馳せる。どことなく懐かしく、涙を誘うような演奏だ。ポピーが弦を奏でていると、先程まで殺気だっていた空気が徐々に薄まり始めていることに気付いた。それと入れ替わりに、どこからともなく寝息が聞こえ始める。ぽろん、と最後の一音が空に消えて行ったとき、ポピーはようやく顔を上げた。そして、目の前に広がる光景をみて、満足げに笑った。

「や、やった」

 セオドールは盛大に鼾をかいている。牛型の魔族は、大口を開けて寝ている。狼顔の魔族は、こっくりこっくりと転寝うたたねしている。赤髪の魔族も、うつむいたまま微動だにしない。ここに集った誰もが、瞼を堅く閉じている。ポピーは楽器を地面に横たわらせると、ゆっくりと1番強そうな赤髪の魔族に近づいた。そしてポピーは、魔族の腰に差された銀色の剣に手を伸ばす。

「あとは……これで、奴らの首を取れば……」

 すべてが終わる。
 ポピーは剣の柄に手をかけ、引き抜こうとした。その瞬間だった。赤髪の魔族の腕が、蛇のように動き、ポピーの首に巻きついてきたのだ。ポピーは腕を引きはがそうとするが、赤髪の魔族は力を緩めない。それどころか、ますます力を強めて圧迫してくる。

「なっ……ん、で?」

 眠っていたはずの魔族が、どうして眠っていないのだろうか。上手く呼吸が出来ず、口からは荒い息がこぼれる。焦りばかりが募り、考えることが億劫になる。思考が白く染まり始めていた。混乱するポピーとは対照的に、赤髪の魔族は常に冷静な様子だった。

「私、耳が肥えているの。
 いくら上手でも、邪な感情が入っていれば分かるわよ」

 そう呟きながら、首を絞めつけてくる。忌々しげに横目で睨みつけると、赤髪の魔族は憎悪に濡れた目で睨み返してきた。暗い瞳の奥に、黒い炎が燃えている。その眼の恐ろしさに、ポピーは思わず叫びそうになった。しかし、首を絞めつけられているせいだろう。鶏の断末魔みたいな空気こえが、漏れただけだった。

「……これで、終わりね。良い演奏を聴きたかったわ。さよなら、ポピー・ブリュッセル」

 最後の一言を聞いた瞬間、掠れた記憶がポピーの脳裏を横切った。

 幼い頃、集会場に来ていた女の子。いつも、集会場の隅で帽子を深く被って立っていた変わった子だ。女の子の傍には侍女も傍使えも近くにいなかったこともあり、きっと同じ分家の末端なのだと思い込んだ。勇気を振り絞って話しかけると、女の子は少し驚いた顔をして、だけれども嬉しそうに話に応じてくれた。
 退魔師の修行が大変だけど、それでも一流の退魔師になるのだと、2人で意気投合していた。互いの家についておしゃべりし、お菓子を一緒に食べて、遊んだりもした。女の子の要望に応えて、楽器を奏でたこともあった。家族以外で、ポピーの最初の客は女の子だった。女の子は「凄い凄い」と言いながら目を輝かせて、拍手をしてくれた。

 ある日、「室内でも帽子を被るなんて変だよね」と指摘したら「ポピーちゃんが秘密を守るんだったら、理由を教えてあげてもいいよ」と不安げに答えてくれた。もちろん、幼いポピーはすぐに頷いた。女の子が、困ったように笑いながら、だけれども、どこか嬉しそうに帽子を取った時……ポピーは悲鳴を上げて逃げ出してしまったのだ。忌み嫌われる不吉な赤髪が、目の前に現れたのだ。ポピーは一目散に駆け出して、別の知り合いの集団へと飛び込んだ。

 赤髪の女の子を置き去りにして……。
 そう、帽子を握りしめて、涙を浮かべていた彼女の名前は……

「リク……ちゃん?」

 喉が完全に押し潰される直前、辛うじて名前が口から零れ落ちた。
 だけれども、その先の言葉を紡ぐことは出来ない。赤髪の魔族……赤髪の少女の腕は、ポピーの喉を完全に潰していた。ポピーの目から光が失われていく。自分を見下ろす冷え切った視線を感じながら、ポピーは1人後悔に苛まれる。

 ルークよりも、まずは謝らないといけない友達がいた。探し出して、支えてあげないといけない可哀そうな友達がいた。あの後すぐに、愚かな自分の行いを反省していたはずだった。でも、どうして記憶の彼方に忘れ去ってしまっていたのだろう。今、この瞬間まで思い出すことが出来なかったのだろう。疑問が渦を巻く。とにかく言わなくてはならない。薄れゆく意識のなか、ポピーは何とか言葉を伝えようとと懸命に口を開こうとする。
 
(ごめんね、リクちゃん)

 しかし、その言葉が口から出ることはなかった。淡々と首を折られたポピー・ブリュッセルは、静かに息絶えた。





 リクはポピー・ブリュッセルが息絶えたことを確認すると、首から腕を退けた。支えをなくした身体は、どさりと床に崩れ落ちる。首を折られてしまった以上、もう話すことは出来ない。それでも、最後の最後、ポピーの口元が動いたような気がする。リクは、物言わぬ死体をしばらく見下ろした。


「さよなら、ポピー」

 最後に一言口にすると、もう遺体には目をくれなかった。
 すっかり寝入っているアスティやセオドールを一瞥すると、その隣で舟をこいでいるヴルストの頭に拳骨を落した。

「痛ぇっ!!」

 ヴルストは跳ね起きると、両手で頭を抱え込んだ。拳骨を受けた場所を擦りながら、リクを恨めし気に見上げてくる。

「……いきなり殴るなんて酷ぇよ」
「いつまで寝たふりをしているからよ」
「だって仕方ねぇだろ? 俺、音楽なんて興味ねぇんだ。それに、何かあったら嬢ちゃんが何とかするだろ?」

 ヴルストの飄々とした呟きに、リクは眉間にしわを寄せた。面倒な処理をリクに押し付けようとしていたのか、それともリクの力量に任せようとしていたのか。どちらかといえば、前者のような気がするが、別にそれでどうこう攻めるには時間が惜しい。リクはポピーの死体持ち上げ、傍に転がっていた鼾を立てたセオドールを持ち上げる。そして、ヴルストに視線を向けた。

「ついてきなさい、ヴルスト少尉」
「バーカ。言われなくても分かってるよ」

 リクとヴルストは、天幕を出た。
 心地よい潮風が頬を撫でる。岩壁に打ちつける波の音が、一際激しく聞こえてくる。天幕から少し離れた所には、セオドールの配下の退魔師が、主人の帰りを今か今かと待っていた。リクは勢ぞろいしていた退魔師の前に出ると、ポピーとセオドールを足元に放り出した。

「貴方達の企みは、こいつらが全部話したわ。お酒を飲ましたら、イチコロだったの」

 実際には何も聞いていないが、それで十分だった。退魔師たちの表情がさぁっと青ざめ、一斉に跪いた。震えている退魔師もおり、なかなか滑稽な眺めだ。リクはハルバードを片手で弄びながら、笑いをこらえていた。

「それで、貴方達は知っていたのかしら?」
「は、はい。知っていました……」
「セオドール様が自信満々に、魔族どもの首をとってきたら一斉に攻め込むと……上手くいくだろうと思っていましたが、まさかこうなってしまうなんて」

 どうやら、セオドールはポピーを使ってリク達を眠らせた後、悠々と魔王軍に攻め入るつもりだったらしい。

「偽物の降伏だったってわけか」

 ヴルストが、呆れたような声を出す。

「まっ、これで堂々と中の宝物さがせるじゃねぇか」
「そうね……さっさと探して帰還するわよ。……ロップ曹長、そいつら始末しておいて」

 リクは、外で待機していたロップに命令する。
 こんな島、さっさと出てしまいたい。島に打ち付ける荒波の音を聞いていると、どうにも不快な気分になる。リクは軽く合図をすると、ヴルスト含めた数十人の魔族を引き連れて神殿へ入ったのだった。




 シェール島に、荒波が打ち付ける音が響く。
 この音は、不吉の足音か、否か。それは、まだ誰も知らない。


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