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第5章 魔王の冠編
46話 こうして旗が翻る
しおりを挟むポピー・ブリュッセルは、まもなく始まる戦いに一縷の望みをかけていた。
他の囚人たち同様、ここで手柄を立てれば罪が取り消しになるかもしれない。取り消しにならなかったとしても、刑期が短縮されるかもしれないのだ。ポピーは自分の武器を握りしめ、自分に武運が訪れることを祈っていた。
「ポピー・ブリュッセル。至急来いと神殿長の命令だ」
だから、文官に呼び出された時……ひどく落胆した。
愛しくて危なっかしいルークが、自ら神殿に見舞いに来てくれるわけがない。それならば、自分から出向くしかない。その千載一遇の場を手に入れる機会だったというのに、希望が指と指の隙間から崩れ落ちていく。もう少し元の位が高ければ、逆らうことが出来たかもしれない。しかし、向こうは自分を管理する立場である。分家の末端であるポピーごときが、逆らえる相手ではない。
「……はい」
ポピーは、しぶしぶと従った。
武器を抱え、重い足取りでセオドールの元へ向かう。ポピーが執務室に辿り着くと、セオドールは窓の外を眺めていた。鎧も纏っておらず、帯剣もしていない。とてもではないが、現在進行形で戦に巻き込まれている神殿の長には思えなかった。ポピーが己の目を疑っていると、セオドールは少しだけ顔をポピーの方へ傾けた。
「来たな」
「はい。……それで、用件はなんでしょうか?」
「うむ、至極簡単な話だ。なに、降伏した後の和解の席での話なのだがな……」
「なっ!?」
セオドールの発言に、ポピーは絶句した。
よりにもよって、目の前の男は戦を最初から放棄している。負けることを前提にして、敵である魔族に無様にも白旗を振り上げようとしているのだ。それは、もっとも退魔師の誇りを穢す行いだ。ポピー身体は怒りで震えた。思わず武器に手が伸びると、セオドールは慌てるなと言わんばかりに手を上げる。
「まぁまぁ考えてみろ。数があまりにも違いすぎる。囚人といっても、せいぜい数十人だ。たかがそれだけの退魔師で、あれを倒せるわけがない。それに、ここから見えたが……敵には一騎当千の赤髪の魔族もいる。とてもではないが、正面から戦って勝てるわけがない」
「だから……降伏すると? 我ら退魔師が、魔族に心を売るのですか!?」
ポピーが語尾を強めると、セオドールはにやりと笑った。
「だからこそ、策を用いるのだ」
「策?」
ポピーが尋ねると、うむっとセオドールは頷いた。くるりと窓に背を向けて、ポピーに歩み寄ってきた。外で繰り広げられている戦の音が、どこか遠くで聞こえた。
「降伏、というより和解に持ち込む。なに、奴らも何かわけあってここを攻めてきたはずだ。ならば、その条件を受け入れれば……必然的に和解になる」
「まぁ、そうでしょうけど……それでは、和解の席で毒を盛るのですか?……いいえ、違いますね」
ポピーは自分でそう言っておきながら、違うと否定する。
魔族も馬鹿ではないだろう。敵地で出された食べ物を、躊躇うことなく食べる馬鹿がには思えない。そのような馬鹿だったら、もっと早くに滅ぼしているはずだ。多少なりとも知恵の回る生命体を毒殺しようとするならば、もう少し工夫する必要があるに違いない。
「うむ。実は、その宴席でポピー・ブリュッセル……お前に楽を奏でて欲しい。こちらの有利になる楽を、な」
「……なるほど。そういうことですか」
ポピーは合点がいった。ようやく自分が呼ばれた理由が分かり、納得する。ポピーは、ゆっくりと自分の武器……楽器ケースを撫でた。
「確か、お前の属性は、眠り……属性をのせて楽器を奏でれば、魔族は誰でも眠りに落ちる」
「しかし……これは属性です。人間も眠りに落せますよ」
「構わん。要はお前が眠らなければ良い。敵が眠りこけている間に、首を落せばよいではないか」
セオドールや宴席に参加している退魔師たちは、魔族たちと一緒に眠りこけてしまうだろう。しかし、楽器を奏でている張本人は眠らない。全員が深い眠りに落ちた後、ゆっくりと1人1人魔族の首を刈り取って行けばよい。長がつぶれれば、魔族はあっという間に統率力をなくす。そうなれば、あとは簡単だ。船で逃げるであろう魔族を、艦隊で沈めればよい。
「ようは、こちらを鼓舞する楽を奏でろ。野蛮な魔族を眠らせ、一気に首を刈り取って勢いを削ぐ」
「強い敵が減れば、こちら側の士気も上がるということですね。……分かりました」
「故に、お前には退魔師としてではなく、芸子として参加してもらう。着替えて来い」
「はい」
普段ならば、このような命令を聞き入れたくもない。しかし、今回ばかりは違った。
ここに攻めてくるような意欲のある魔族の首を、自分の手で手に入れることが出来る。刑罰短縮も夢ではない。もしかしたら、数日間外泊の許可を手に入れることが出来るかもしれない。
「待っててね、ルーク」
愛しい人。
ブリュッセル一族の末端に過ぎないポピーにも、対等に接してくれる大切な人。でも、どこか視野や自分がずれていて、壊れてしまいそうな危うい人。それを支えて、少しでも良い方向へ歩む手伝いをしたい。その夢が、少しずつだけど見えてきた。
ポピーは、意気揚々と衣裳部屋へ向かうのだった。
※
一方、神殿前で繰り広げられる戦いは苛烈を極めていた。
退魔術で強化された剣や槍が振り降ろされ、炎が飛び交い、強烈な風が舞う。しかし、それに怯む魔族はいない。リクを先頭に小柄ですばしっこい兵士が突破し、その後にヴルストやアスティといった重量系の攻撃を得意とする魔族が続く。頬を焼くような炎など気にしないし、舞い散る血も気にならない。
「どいつもこいつも、それで本気なのかしら?」
ただただ手の中のハルバードを回し、舞うように退魔師を刻んでいく。徐々に、退魔師の中でも「あの赤い魔族は危険だ」という意識が芽生えたのか、リクが近づくと避けようとする退魔師がちらほら現れ始める。
「くそ……この赤髪め!」
しかし、それでも誰もがしり込みするわけではない。
神殿から出ることを夢見る退魔師は、リクの胴体ほどもある巨大な剣を握りしめると駆け出した。あまりにも重そうな剣を持っているにもかかわらず、その速さは何も装備していない人間並み、いや、それ以上だった。あっいう間にリクに密着した退魔師は、腹の底から声を張り上げた。
「これで、終わりだ!」
リク目掛けて、重厚な剣が振り降ろされる。しかし、その剣は空振りに終わった。先程までリクがいたはずの場所には、誰もいない。リクは半歩横に飛び跳ねると、その退魔師の後ろに回り込んでいた。
「えっ?」
「遅いわ」
リクは細く笑むと、迷うことなくハルバードを振り降ろす。空を割いたハルバードは鋭い音とともに、退魔師を二つに割った。あまりにもあっさりとした幕引きだった。それを一目見た退魔師たちは、さすがに何か思うことがあったのだろう。リクの周りにいた退魔師が、一瞬動きを止める。それを見逃すリクではない。
「ほら、止まってるわよ」
「ぐわぁっ!!」
固まった退魔師相手に、リクは何も躊躇うことなくハルバードを薙ぎ払う。退魔師の首が、一気に5,6個地面に転がり落ちた。それを見て、他の退魔師も我に返ったのだろう。神殿の方へ後ずさりする退魔師が何人か見受けられる。リクは、じろりと退魔師たちを睨みつけた。
「さぁ、次は誰?」
「ひっ、怯むな!!」
そう叫びながら槍を握りしめる退魔師がいる一方で、こんな声も聞こえてきた。
「いや、止めい、止めい!!」
神殿の方から、叫び声が近づいてくる。
白旗を掲げた人間が、こちらへ駆け寄ってきた。一際豪勢な槍の上で、白い旗が高らかに翻る。戦おうとしていた退魔師たちは、ぽかんと口を開けていた。
「私は神殿長、セオドール・ベルナールだ。シェール島退魔師神殿は、現時点をもって降伏を宣言する」
「降伏?」
神殿長と名乗った人間は、いそいそとリクに近づいてきた。その眼には、畏怖の色が見え隠れしている。どうやら、命欲しさに降伏するらしい。白い旗が翻るさまを見ながら、リクは内心呆れかえった。なんて俗物な人間なのだろう。最後まで戦い抜こうとする気概がまるで感じられなかった。
「……どうして降伏するの?」
ハルバードを構えたまま、リクは尋ねてみることにした。すると、セオドールは声を震わせながら、それでもリクをしっかり見つめて答えた。
「魔族は、いままでここをずっと攻めてこなかった。今になって攻めてくるということは、この島に魔族が必要とする何かがあるということ。それさえ渡せば、無駄に大切な仲間を殺す必要はないと考えた」
「……なるほどね」
リクはつまらなそうに呟いた。
どうやら退魔師の命を見逃せば、「魔王の冠」を明け渡してくれるらしい。ここに来た目的は、これで果たせそうだ。だけれども、リクの心情からすれば退魔師は皆殺しにしなければ気がすまない。少し悩んだ末、リクは斜め後ろを振り返る。そこには、ヴルストが剣を握りしめて立っている。
「どう思う、ヴルスト少尉?」
リクは、ヴルストに魔族側としての一般論を尋ねる。
この状況で白旗を上げた退魔師を皆殺しにするべきか、それとも向こうの申し出を受け入れるべきか。リクの問いかけに、ヴルストは面倒くさそうに口を開いた。
「まぁ……なんつーか、例の冠を手に入れれば任務は成功だ。それに、白旗あげた敵を殺すってのは気持ち良いことじゃねぇ」
「そうね……でも、ただの命乞いよ」
「そうかもしれねぇな。だけどな、降参した腰抜けを斬っているほど、俺たちは暇じゃねぇだろ?」
ヴルストに言われて、リクは少し考え込む。
先日、デルフォイで命乞いした退魔師の姿が脳裏を横切る。赤ん坊がいると、家族がいると嘆いた往生際の悪い退魔師がいた。負けると分かった途端、戦いを放棄する情けない退魔師だ。あの時は、逃げ出した退魔師は1人だけだった。だから、あっさり殺せた。もちろん、目の前にいる退魔師も簡単に殺せる。だけれども、何十人、何百人といる退魔師を1人ずつ殺すには時間がかかるし、その度に抵抗される。それで、大切な兵が死んでしまうかもしれない。
……それは避けなくてはならない事態だ。
リクは、渋々頷いた。
「分かったわ。条件を飲んでくれたら皆殺しを避けるわ」
「はっ、その条件とは?」
セオドールの顔が輝いた。リクは淡々と目的を述べる。
「ここに秘蔵されている『魔王の冠』を渡しなさい」
「ま、魔王の冠……ですか?」
セオドールの顔から輝きが消えて、困惑の色が浮かぶ。その瞬間、セオドールの喉元にハルバードを突き付けた。斧の先端がセオドールの喉の皮膚を薄く斬る。つぅっと血が滲みだしていた。
「あるの? ないの?」
「そ、その魔王の冠なる品か分かりませんが、ここには退魔師神殿に代々伝わる宝物が幾つもあります。探すには時間がかかるかと……」
「ならすぐに探しなさい」
「はっ、はい!! ほら、お前……すぐに探し出せ!!」
セオドールは甲高い悲鳴のような声で、退魔師たちに命令した。退魔師たちは尻に火が付いたように神殿へ飛び帰っていく。それを確認すると、リクはハルバードを退けた。
「あのぅ……探すのに時間がかかると思いますので、どうでしょうか? 外も寒いですし、中でお茶でもお出ししましょう」
セオドールが、おどおどと打診してくる。今は身体を動かし、ほかほかとしていた。しかし、このまま身体を動かさないで待っていたら……確かに潮風と春の肌寒さとで風邪をひきかねない。
善意だと考えれば、断るのも悪い。しかし、相手は先程降伏したばかりの退魔師だ。のこのこ出向いて行ったら罠だった、なんて話はお笑い草だ。
「ならば、ここに天幕を張ることを許してくれるかしら? 貴方と一緒に、こちらが用意したお茶でも飲んで報告を待ちましょう」
ならば、セオドールを人質にとって陣を構えた方が良い。いつ裏切るか分からない敵を信用するわけにはいかなかった。セオドールは一瞬、何か悩んだ顔を浮かべたが、すぐに了承した。
「分かりました。ただ、退魔師神殿の宝物は多くて……探すのに時間がかかります。お茶の手慰みに、芸子を呼びましょう」
「……構わないわ」
芸子など興味もないが、別に何かしてくるようならば叩き斬ればよいだけだ。
設置した天幕の中で、毒の心配のない菓子をつまむ。セオドールは口が達者らしく、菓子をつまみながら様々な話題を振りかけてきた。
「ところで、貴女は物凄くお強い様子で……魔族の名門の出なのでしょうか?」
「いいえ、拾われた者です」
「そうですか……いや、若そうなのに非常に優れているのですね。私の息子も王都にいるのですが、これまた点で駄目でしてね……まったく、情ないものです。養子でもとるべきか、どうするべきか」
「……」
ちらり、とヴルストとロップがリクを見てきたが、リクは何も答えなかった。そのうちに、セオドールの話は別の話題へと変わっていく。質問には当たり障りない程度に答え、答える気がないことは黙って何も言わない。その繰り返しを続けること一刻程……天幕の向こうに誰かが到着したらしい。
「誰?」
「はい、ポピーと申します。……セオドール様に言われて、楽を奏に参りました」
「来たか、入りなさい」
セオドールの呼びかけで、ポピーと呼ばれた芸子が姿を見せる。
全体的に大人しく、戦いの気配などまるでしない芸子だった。服に視線を走らせてみたが、武器を隠し持っている気配はない。どうやら、本当の芸子らしい。清楚な感じの芸子は、少し大きめな弦楽器を手にしている。竿か何かで弾くタイプの弦楽器を慣れた手つきで前に置くと、しずしずとリク達に頭を下げる。そして、か細い声でこう言うのだった。
「それでは……これから曲を奏でさせてもらいます」
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