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第9章 バルサックの野望編
89話 真偽の審議
しおりを挟む魔王城。
魔王軍が封印の地を目指し、出立してから数時間後のことだ。
ヴルスト・アステロイドは、上着のポケットに手を突っ込みながら廊下を歩いていた。かつん、かつん、と床を蹴る音だけが、誰もいない廊下に響き渡っている。すれ違う魔族は誰もいない。
当然である。
ほとんどの魔族は、出払ってしまっているのだから――。
「ったく、なんで俺がこんなことを――ん?」
廊下を曲がったとき、目的の部屋の前に誰かがいることに気づいた。
ウサギ耳の兵士が佇んでいた。まるで、部屋を守護するかのように立ち塞がっている。ヴルストは少し首をかしげた。
「あー、ロップじゃねぇか。お前、待機組じゃねぇだろ?」
ヴルストが話しかけると、ロップは戸惑ったように目を逸らした。
「ヴ、ヴルスト大尉こそ、どうして城に残っているんですか?」
「バーカ、決まってんだろ。お守りだよ、嬢ちゃんの」
ヴルストは扉に目を向けた。
そこは、謹慎中のリク・バルサックに与えられた部屋だった。
きっと、レーヴェンに自分を叩きのめされ、現在進行形で落ち込んでいる――否、「落ち込んでいる」なんて可愛い表現ですむ症状なら良い。ヴルストの予想では、そろそろ部屋を抜け出し、魔王軍を追いかけようと企む頃合いだった。
「あの嬢ちゃんのことだ。ヤンデレこじらせて、暴走する姿が目に浮かぶぜ」
ヴルストは疲れたように息を吐く。彼の脳裏には、リクの「私を置いて行った中将を、絶対に許さない」や「ルーク・バルサックを殺すのは、私をおいて他にいない」などという想いをこじらせる姿が、ありありと浮かびあがっていた。
「んで、抜け出さないように見張りに来たんだよ。ほら、そこを退け」
「リク少将は、絶対に抜け出さないと思いますよ。だから、僕一人で見張りは大丈夫です」
ヴルストが退けとばかりに手を払ったが、ロップは扉の前から動かない。ヴルストは少し眉をあげた。ロップは、かなり気の弱い兵士だ。少なくとも上官に逆らっている姿を一度も見たことがない。上官の指示通りに動き、必ず任務を成功させる。それが、彼の長所だった。
「その見張り、誰に言われてやってんだ?」
ヴルストの階級は大尉。対して、ロップは曹長。
階級も軍人として務めあげてきた年数も、ヴルストの方が遥かに上である。ロップが逆らうということは、それより上の誰かが命令していることになるのだが、該当する魔族に心当たりがなかった。
「申し訳ありません。誰にも言うな、って……」
「誰にも言うな、か」
ヴルストは爪で軽く頬を掻いた。
「実はな、俺も見張りを頼まれてる。レーヴェン隊長から、じきじきに」
「中将からですか?」
「あぁ。そんで、嬢ちゃんの件に関しては一任されてる」
彼が告げると、ロップの顔は瞬く間に青ざめた。
ヴルストは目を細める。ロップに見張りを命令したのは、中将以下の魔族にちがいない。そうでなければ、堂々と「それでも、話すことはできません」という態度を貫くはずだ。しかし、彼の態度は一変した。つまり、中将より下の魔族が命令してきたことなのだろう。
「だから、もう一度聞くぜ。
その見張り、誰に言われてやってんだ?」
一歩、さらに詰め寄る。
ロップの表情が、ますます青ざめる。あと一押しで、彼を陥落することができるはずだ。しかし――
「ごめんなさい、無理です」
ロップは血の気が退いた唇を固く結び、命令を拒否した。細い足を小鹿のように震わせているが、彼の意志は揺るがない。むしろ、柔らかそうな瞳には強い光が宿っている。その双眸を目にした途端、ヴルストはロップが誰の命令を受けて留まっているのかを悟った。
「はぁ……わかった、よく分かったぜ。誰に命令されたのか」
ヴルストは長く息を吐く。
そして、次の瞬間だった。ヴルストの拳がロップに向けて放たれる。体格差は歴然。まともに受けたら、立てるかどうかすら怪しい一撃だ。しかし、ロップは正面から受け止める。
「っくはっ!」
渾身の拳が、ストレートに胸に突き刺さる。
ロップの口から血飛沫と空気が押し出された。
「そこまで頑なに口を閉ざすってことは、嬢ちゃんの命令なんだろ?
なおさら、ここは通してもらうぜ?」
ヴルストは拳を引き抜いた。
手加減したとはいえ、急所を貫いている。純粋な戦闘経験のないロップには、あまりにも手痛い攻撃だっただろう。事実、ロップの身体は前に倒れはじめていた。
「悪ぃな、ロップ。
ったく、あの馬鹿娘。こいつに見張らせて、部屋でなにを――っ!?」
刹那。
ヴルストの目が見開いた。
ヴルストの腕をロップがつかみかかってきたのだ。ロップの全体重をかけたような抑え込んでくる力に、脳内で警鐘が鳴る。払い除けようと腕を振れば、ロップは反動を利用して跳躍する。
「すみません、大尉っ!!」
ロップの右膝蹴りが、ヴルストの顔面に炸裂した。
山や谷を駆け抜け、時として戦場を奔る馬に並走する。ロップの伝令兵として鍛え上げられた脚力は、骨まで響く渾身の一撃へと変貌する。脳が揺れる衝撃に、ぐにゃりと視界が歪んだ。
「――ッ、バーカ! 謝るのはな――」
だがしかし。ここで終わる男ではない。
鼻を蹴りあげた右膝を抱え込み、そのまま壁に叩き付けるように投げ飛ばす。
ロップは、まさかここまで早く反撃に転じてくるとは想像していなかったのだろう。受け身をとることが出来ず、石壁に背中から打ち付けられた。
「――勝ってからにしろってんだっ!!」
ロップは、そのまま床に倒れ込む。
それでも、彼の瞳から闘志の色は消えない。地面を掻き毟るように手をつくと、自慢の脚力で床を蹴る。唇から血を流しながら、鬼気迫る表情で接近してきた。
「それは、こっちの台詞です――ッ!!」
そのまま、滑り込むように足払いをかける。
ヴルストは軽く跳ねて躱す。だが、それはロップの計算通りだったのだろう。ロップは滑り込んだ体勢のまま、右拳を下から突き出した。
「バーカ、甘いんだよ!!」
ヴルストは彼の拳を弾くと、ロップの顎に左肘を勢いよく喰らわせた。この一撃で、再びロップは床に転がった。痛みで蹲っているが、まだ闘気を燃やしている。そんな彼を一瞥すると、そのままドアを蹴り破った。ドアは派手な音と共に開け放つと、牢獄のように殺風景な部屋が広がっている。
最低限の家具しか置いていない寂しげな部屋。ヴルストは所用で彼女の部屋を訪れるたびに、酷く虚しい気持ちになったものだ。
その部屋の主は、どこにもいない。
「っち、抜け出した後だったか」
床に散らばった黒い羽を拾い上げながら、悪態をついた。
ベッドは空っぽ。衣装箪笥すらない部屋には、隠れることのできるスペースなど存在しない。生活感のない部屋には、黒い羽だけが散りばめられている。
「しっかし、なんなんだ……この羽は?」
無論、リクには鳥の羽を収集する趣味はない。「趣味は鍛練だ」なんて声高に宣言する女子力皆無の娘である。
それでは、この見慣れぬ羽は何の意味があるのだろうか。
黒い羽をはやす魔族は、魔王軍内に大勢存在する。しかし、この羽の主を見かけた記憶はなかった。しかも、この羽には臭いが存在しない。いくら鼻をひくつかせたところで、この部屋に漂っているのはリク・バルサックのものだけだった。
不気味さのあまり、背中に冷たい刃物を突き付けられたような感覚が奔る。
リク・バルサックは、黒い羽の主と部屋で何があったのか。
どうして、この部屋から抜け出したのか。
「――ッ、考えるのはあとだ! それで……嬢ちゃんの行き先は?」
ヴルストは頭を掻くと、駄目元でロップに視線を向ける。
ロップは石壁に身体を預けたまま、身動きをとろうとしない。ただ悔しそうに歯を噛みしめ、忌々しげにヴルストを睨みつけている。そして、ようやく――
「……知りません」
聞き取りにくい、かすれた声で答えた。
おそらく、彼は行き先を知っていたところでヴルストには教えないだろう。ヴルスト自身、逆の立場であれば命が尽きようとも場所を口外しなかったにちがいない。
「……はぁ。まっ、見当はついているからな」
ヴルストは窓を開け放った。
部屋から外にでた痕跡がないのであれば、ここから脱走したのだろう。窓から顔を覗かせ、地面を見下ろしてみた。高さにして6階。だが、真下には木が生い茂っている。かなりの葉が色づき、落ちてしまっているものの、上手く枝に着地すれば落下の衝撃を緩和することが出来るに違いない。
事実、目を凝らしてみれば、木の枝がいくつか不自然に折れていた。おそらく、ここから飛び降りたのだろう。
「嬢ちゃんの馬はなくなってねぇから、徒歩であとを追いかけたか? それとも、どこかで調達したってことも考えられるな……まぁいい。とにかく、追いかけるか」
幸いなことに、まだ臭いの残滓が残っていた。
雨が降る気配はなく、急げば臭いを頼りに追いつくことが出来るだろう。
「おら、ロップ。さっさと起き上がれ。ここで見張りを続けねぇといけないんだろ?」
「……えっ?」
ロップは少し驚いたような声を上げた。そんな彼を尻目に、ヴルストは窓枠に飛び乗った。前方から風が吹きつけ、ふわりとマントが翻る。
「バーカ! 嬢ちゃんが命令違反でいなくなったーなんて知られてみろ? それこそ、嬢ちゃんと敵対する連中が、ここぞとばかりに蹴落としにかかってくるだろ。
それに……
オレは、お守りを任されてるからな」
リクの教育係を任されて10年。
その任が解かれたことはなく、いまなお命令は継続されている。たとえ、任が解かれていたとしても、弟子の不始末は師匠の責任だ。ならば、殴ってでも連れ戻しに行かなければならないだろう。
「そんじゃ、こっちは頼んだぜ……嬢ちゃんの片腕さんよぉ!」
ヴルストは覚悟を胸に、窓枠を勢いよく蹴り飛ばした。
※
一方。
王都のバルサック邸では、戦いの幕が落とされていた。
ハルバードがライモンの胴体を切断しようと唸りを上げる。鞭状の剣が攻撃の勢いを削ぎ、弧を描きながら少女の首を狙った。
容赦、手加減、そのような言葉は一切存在しない。
実の娘だろうが、それは一度捨てた娘――ライモン・バルサックが殺し損ねた娘だ。剣に乗るのは純粋な殺意のみ。リク・バルサックの無防備な首をめがけて牙をむく。
「甘いわよ、お父様」
しかし。
リクは涼しげな顔のまま、その攻撃を弾き返した。
苦悶の表情すら浮かぶことなく、ハルバードを軽々と操る。
「甘いのは君だよ、リク」
だが、ライモンも負けてはいない。
けろりとした表情のまま、最初の場所から一歩も動くことなく鞭を振っていた。
リクの急速に接近してくる攻撃を弾き飛ばし、いなし、反撃に転ずる。素人が視れば、瞬く間に攻守が逆転する激しい戦いが繰り広げているように見えるだろうが、実際のところ、まだ互いに本気を出しているとは言い難かった。
「どうしたんだい、リク?
この間より、技の精度が落ちてるよ? 腕を一本失ったからかな」
「お父様こそ、少し緩んでいるわ。
もう少しで魔族を一網打尽できるから、気が抜けてるのかしら?」
「はて、なんのことやら」
口元に微笑を浮かべながら、軽い調子で言葉を交わす。
お互い、まだ本気を出していないことは重々承知。ライモン・バルサックは、リクの攻撃に合わせるように力を調整し、リク自身はライモンから「とある言葉」を引き出すために、攻撃の手を若干緩めてハルバードを扱っていた。
「魔王復活の生贄は揃ったわ。
封印の解除に必要な王家の血もいるし、私たちは退魔師の血も手中に収めたわ。これで、バルサックはおしまいなのに……こんなところで、のんびり朝食をとってて良いのかしら?」
リクには、1つの疑問が渦巻いていた。
死神の言う通り、退魔師が封印の地に罠をしかけていたとしても、封印の解除に必要な駒は揃っている。ここでのんびりと朝食をとり、退魔戦記を執筆している暇などないはずだ。
むしろ、総力を挙げて魔族の行動を阻止しに動く必要がある。
「なるほど、リク……君は、封印の真意が知りたいのかな?」
ライモンは、くすりと笑う。
「ええ。
これ以上、不確定な情報に振り回されるわけにはいかないの」
リクの人生は、ずっと情報に振り回されてきた。
幼い頃……誤った情報のせいで、ベルナールの退魔師たちの奇襲を受けた。
クルミが裏切っているという情報がつかめなかったせいで、生死を彷徨いかけた。
魔王の冠なんてあるかどうか分からない宝に振り回されて、あやうく隊を全滅させるところだった。
そして、今回も。
レーヴェン・アドラーの真意を聞こうともしなかったせいで、片翼への夢が閉ざされかけている。
「答えてもらうわ、ライモン・バルサック」
だから、リクはここを訪れた。
1つは、己の復讐を果たすため。そして――
「封印解除には、本当にバルサックの血が必要なの?」
2つ目は、死神の言葉の真意を確かめるために。
本当に、封印を解くためにはバルサックの血が必要なのか。
もし、必要なのだとしたら、とっくに、ライモン・バルサックが魔王の復活を阻止するために動いても不思議ではないはずだ。
しかし、どうして動く気配を見せないのか。
「決まってるよ、失敗作」
ライモンは眼を蛇のように細めると、不敵な笑みを浮かべた。
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