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第9章 バルサックの野望編

91話 ゲームの時間

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 一方。
 魔王軍はゆっくりと、しかし確実に封印の地を目指していた。
 人の立ち入らない森や谷を行軍し、街道は夜に駆け抜ける。時間はかかってしまううが、退魔師に気配を察知されぬよう、万全の態勢で進軍を続けていた。

 ほとんどが騎兵か歩兵で構成されている軍のなかに、1つだけ――小さな荷車が奔っていた。粗末な幌が風に揺れ、時折なかの鉄格子が顔を覗かせる。その鉄格子に顔を押し付ける少年の姿があった。

 ――ルーク・バルサックである。

「あーあ。ある意味ゲーム通りの展開だよ」

 ルーク・バルサックは、肩を落とした。
 かちゃり、と手首を縛る鎖の音が、やけに耳についた。愛用の両手剣も弓矢も取り上げられ、手榴弾の類もすべて没収されていた。

「水と食料は与えてくれるし、封印の地に着くまで生きていられるとは思うけど……シャルロッテちゃんがいないからなぁ……」

 そのまま途方に暮れる。
 魔王軍に捕縛され、封印の地まで連れて行かれるというのは、魔族の娘と恋仲になったときに発生する展開だ。禁断の恋が発覚し、王女と一緒に輸送される。
 王女と協力して脱出を図り、その間に、恋仲になった魔族が「ルークは魔王様を復活させるのは、ライモン・バルサックの企てた罠だ」と進軍を止めさせるのだ。

 しかし――恋仲になった魔族の娘はいない。
 それどころか、一緒に捕まっているはずの王女は話が通じる状態ではなかった。


 カトリーヌ王女は変わり果てていた。
 王国1番と持てはやされた顔は崩れ、見る影もない。歯が数本抜け落ち、ぶつぶつと意味のない言葉を呟く姿は、どこか憐れに思える。
 きっと、牢番に「彼女あれが王女だ」と指摘されなければ、気づくことはできなかっただろう。

「あの……カトリーヌ王女様?」

 勇気を振り絞り、再度――声をかけてみたが、王女はルークの方を見もしない。あらぬ方向を見つめながら、譫言うわごとを呟き続けている。
 これは、無理もない。少なくとも、ゲームの王女は、ここまで酷い怪我をしていなかった。蝶よ花よと大切に育てられた王女にとって、乱暴に扱われたことは精神的な打撃だったのだろう。

「ごめん、王女様……僕の責任だ」

 ルークは酷く惨めな気持ちになった。もし、あの段階でリクの変装に気がつくことが出来ていれば、ここまで事態は悪化しなかったかもしれないのだ。
 後悔しても遅いことは重々承知だった。だけど、自分のふがいなさに胸が締め付けられる。謝るくらいなら、彼女の状態を悪化させないための対策を練らなければならない――のだが、生憎、今のルークに残された作戦はないに等しい。

「……シャルロッテちゃんの代わりってことで、リク姉に真実を話そうかな? でも、絶対に信じて貰えなそうだし……いや、そもそも、僕の話を聞いてくれないか」

 鉄格子に背を向け、がっくりと屈みこんだ。
 ルークは項垂れたまま床の一点を見つめると、物思いに耽る。
 ここから出るための作戦がないこともなかった。けれど、それはゲームで主人公ルークが実践した作戦ではなく、自分の完全オリジナル案だ。上手くいく保証はどこにもない。
 成功するか分からない。
 そんな大博打に身を投じる勇気が、なかなか踏み出せない。

「あーあ、どうしたらいいんだろう……あっ、でも、安心してください! カトリーヌ王女は、僕が護りきりますんで!!」

 結果は分かっていたとしても、ルークは懲りずにカトリーヌに呼びかけた。案の定、カトリーヌはルークの方を見向きもしない。分かりきっていたこととはいえ、少し気分が落ち込んだ。

 魔族が進む足音よりも、車輪の音が強く響く。
 その音に耳を傾けること数時間が経過しただろうか。幌の合間から差し込む光が、徐々に赤味を帯びていく。もうすぐ、今日が終わってしまう。
 あと、何日で――魔王封印の地「黄昏の谷」に到着してしまうのだろうか?

 ルークが悩んでいた、その時だった。

『やぁ、元気にしているかな?』

 聞き覚えのある声が、上から降ってきた。
 ルークが慌てて顔を上げてみると、そこには死神が佇んでいた。黒い翼を羽ばたかせながら、得意げな表情を浮かべている。

「ちょっ、こんなところに現れたら不味いって!」

 ルークは慌てて幌の向こう側を指さす。
 今、この瞬間も、ルークたちが逃げないように警備する魔族がいるはずなのだ。その魔族に見つかったが最後、事態が混乱するのは明白だ。
 しかし、死神はルークの不安を笑い飛ばした。

「あぁ、安心して。視えないような位置に立ってるから。
 それよりも、君は――彼女のこと、どう思ってるの? それを聞きに来たんだ」

 死神は枯れ枝のような指で王女を差した。
 王女は不審人物死神が現れたというのに、なにも反応を示さない。虚ろな瞳には、もう誰も映っていなかった。

「……僕のせいで、彼女の人生が壊れたんだ。
 だから、最後まで……責任は取るよ」

 たとえ、一生――彼女が元のカトリーヌ王女に戻らなかったとしても、傍に居続ける。
 たとえ、自分の声が届かないとしても、出来る限り話しかけ続けよう。
 それが、彼女にできる贖罪だと信じて――。 

「たぶん、無理だよ。だって、このまま立ち直るわけがないじゃないか」
「そんなの、決めつけるなよ。 奇跡が起きるかもしれないじゃないか!」

 死神のにんまりとした胡散臭い表情を睨みつけると、彼から距離を取る。
 ルークは、綺麗な言葉を並べて、契約者を絶望に叩き落とすセールスマンの姿と、死神の姿が重なって見えた気がした。

「お前、僕の魂を奪うつもりだろ?」
「奪うとは失礼な。魂は、願いの代金として頂くだけさ」
「同じことじゃないか」

 ルークは少し身を構えた。
 この絶望的不利な状況下で、死神が現れたことに対して危険意識を抱く。きっと、この状況を打破するための契約を結ぼうとしてくるのだろう。

「契約して、王女を元に戻したいとは思わないの?
 だって、王女あれがああなったのは、元をただせば君の責任じゃないか?」
「それは……そうだけど……」

 死神の言う通り。
 カトリーヌ王女がああなってしまった原因は、元をただせば自分にある。
 それに責任を感じているのは事実だし、本音を言えば、死神の提案に乗りたかった。事実、このままルークがつきっきりで傍に居続けたところで、カトリーヌが回復するとは思えない。それこそ、奇跡か魔法でも起きない限り、ありえないだろう。だから、彼女が元に戻ることが出来るのであれば、喜んで魂を差し出す。
 だが、それでも首を縦に振ることはできない。
 ルークは死神を見据えると、はっきり断言した。

「でも、僕は……他にも責任をとらないといけない人がいるから」

 胸を強くつかみ、瞼を閉じた。
 彼の脳裏に浮かぶのは、最初に運命を狂わせてしまった姉リク・バルサックの姿だった。
 暗い海の底へ落ちていく恐怖は計り知れないし、家族全員に見捨てられた痛みは分からない。そのあと、どれだけ辛い思いをしてきたのか想像できなかった。
 彼女リクと気持ちを共有することは不可能だ。だけど、もし――あの場で「ゲームではそんなことがなかったから」とか「リクは可愛くないからハーレムに加えなくても平気」とか「そもそも、ゲームでリク姉は使えないから不必要」とか、そんな自分中心な考えは捨てて、少しでも手を差し伸べていたら――違う未来結果を迎えることが出来たかもしれない。

「ゲームの時間は終わったんだ。
 リク姉の未来を変えたのは僕。セレスちゃんやレベッカ、クルミ、マリーたちを殺したのは、僕も同然なんだ。
 前にも言ったと思うけど、僕は――リク姉に許してもらえないと思うけど、償わないといけない。それまでは、この魂を誰にもあげられないや」

 ルークは、ゆっくり目を開ける。 
 ルークの言葉が理解できないのか、死神は不思議そうに首を傾げていた。

「ふーん……君たち姉弟って、本当に理解できないや。
 どうして、そろいもそろって自分の魂を差し出そうとしないんだろうね。願いを叶えてしまえば、なにもかも簡単に進むのに」
「姉弟? それって、僕と……リク姉のこと? それとも、ラク姉?」

 ルークが聞き返すと、死神は口の前に指を置いた。

「さぁ、誰のことでしょうか? 知りたいなら、魂を頂戴よ」

 死神は悪戯っぽく笑った。
 ルークは死神を凝視しながら、死神の意図を探る。
 死神がわざわざ「君たち姉弟きょうだい」と口にした。それは、リクかラクに契約を迫り、断られたことを示している。だが、どうして、わざわざ姉のところへ契約を迫りにいったのだろうか? 
 ルークは少し考えを巡らせ、1つの結論に達する。
 
「……ちょっと待って。もしかしてだけど……」

 彼が、ルークの元に来たのは魂を奪うため。
 ルークの記憶が正しければ、死神は「ルークの魂が美味そうだから」と表現していたはずだ。正確に表現すれば、ルークの前世日本人の魂を差しての言葉であり、それが死神の好物と考えても不自然ではないだろう。
 つまり、この推論が正しければ――

「リク姉かラク姉にも、魂が2つあるの?」
「君は、どっちにあると思うの?」
「……リク姉」

 曲がりなりにも、ラクとは10年以上過ごしてきた。
 ルークにとって、ラクは姉であり、研究者であり、そして攻略対象だった。彼女の行動を観察し、把握しながらゲームの攻略通りに、そして、たまに前世の記憶を頼りに「こんなもの、作って欲しいなー」と頼んだ。
 もし、ラクも転生者なら、ゲームの攻略通りに彼女の心を虜にできなかっただろう。
 それに、ルークが頼んだ発明品以外、ラク自身が生み出す発明品はゲームに酷似していた。もし、彼女も転生者ならば、もっと前世のアレンジを加えた発明品を生み出していたことだろう。

 となると、消去法で1人しかいない。

「リク姉も日本人だったの?」
「さぁ? そんなこと、興味ないや」

 死神は帽子を被った。
 どこからともなく取り出したステッキを握りしめ、陽気に笑いかけてくる。

「でも、大丈夫だよ……ルーク・バルサック」

 その笑みは、今まで見たどの笑顔よりも――歪んだ愉びに満ちていた。
 
「だって、まだゲームは続いているんだから」

 その言葉は、ねっとりとした響きだった。
 言葉が形を持ったかのように、ルークの身体に纏わりつく。ルークは真綿で首を締め付けられるような、そんな不快感を覚えた。

「そんなこと、ないよ。
 だって、シャルロッテちゃんはいないし、王女様は壊れちゃったし、リク姉が軍を率いてるし」
「ああ。君は知らないんだね。それでは、特別に教えてあげようか」

 死神はルークの耳元に唇を近づけると、か細い声で真実を告げた。

「リクは罷免された。いま率いているのは、レーヴェン・アドラーだ」
「……えっ?」

 ルークの身体が、冷水を浴びせらたかのようにすくんだ。
 死神の言葉が意味する内容、そこから派生されるゲームの展開未来が、瞬時に脳裏に広がっていく。

「レーヴェン・アドラーが、魔王軍を率いている? リク姉じゃなくて? シャルロッテちゃんも、いないのに!?」

 ルークは否定して欲しくて、言葉をまくし立てた。しかし、死神は不敵な笑みを浮かべたまま首を横に振らない。右手でステッキを楽しそうに叩きながら、底意地の悪い視線を向けてくる。

「シャルロッテが死んだからこそだ。君なら、分かるだろう? これから、なにが起きるのか」 

 ルークは死神に応えることが出来なかった。
 否、答えられなかった。その未来が実現することを想像した途端、地獄の針山の上に素足で座っているような恐怖に駆られた。

 レーヴェン・アドラーが率いる魔王軍。
 それが、魔王封印の地「黄昏の谷」へ向かっている。
 シャルロッテが幽閉され、ルークが封印の地へ連行されるときに発生するストーリーだ。
 1つでも選択肢を間違えたら、バッドエンドの超弩級のクリア難易度。
 前世のルークは何十回となく挑み、クリアできたのは2,3回程度……攻略サイトを視ながらでないと、クリア不可能とまで言われた危険な佳境クライマックスが待ち受けている。

 文字通り――世界が崩壊する・・・・・・・バッドエンドが。


「ゲームの時間は終わっていない。
 魂を差し出したくないほどの野望をお持ちなら、最期まで演じ続けなよ――主人公ルーク・バルサックさん!」




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バルサックの野望編、終了です。
次回から最終章に突入します。
最後まで「バルサック戦記-片翼のリクと白銀のルークー」の応援、よろしくお願いします。

※3月10日以降、書籍化のため1章~3章がダイジェストに差し替えます。
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