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しおりを挟む縄のれんを払うと、止まり木の隅に一人いる柴田がガラス戸から見えた。戸を開けると、
「いらっしゃいっ!」
店主らしき威勢のいい声と共に、純香を認めた柴田が手を上げて合図した。
「来てくれてありがとう」
頭を下げた。
「どうしたんですか? そんなに酔っ払って。お嬢ちゃんが心配しま――」
そこまで言って、純香はアッと思った。娘がいることは柴田から聞かされていない事実だった。
「……あれっ、娘がいること言ったっけ」
虚ろな目を向けた。
「あ、いえ、一度一緒のところを見掛けたことがあったから」
店主の置いたおしぼりで手を拭きながら、純香は慌てて話を作った。
「なんだ、声掛けてくれりゃいいのに」
「……遠くだったので」
「実はね、娘はいるが、女房はいない。バツイチって奴だ」
「……そうだったんですか」
純香は納得した。
「チューハイでも飲まない?」
「いえ、あまり飲めないから」
「じゃ、梅酒ならいいだろ?」
「……ええ。じゃ、少し」
「オヤジ! 梅酒!」
小さな店は混んでいた。騒然とした中で、柴田は大きな声を出した。
「はいよっ!」
店主も元気な返事をした。
「レディの来るようなとこじゃなくて悪かったね」
「いいえ」
「この辺ろくな店がないから」
グラスに口をつけた。
「何かあったんですか? 今夜」
「……いや。君の歓迎会をしてないと思って」
「そんなこと」
「今度、桜木町まで出て、何かうまいもんでも食べよう」
「いいですよ、そんな」
「いいじゃないか。歓迎会をしたいんだ」
「ありがとうございます」
「はいっ、お待ち」
店主が純香の前にグラスを置いた。
「では、いただきます」
純香がグラスを持った。柴田はそれに自分のグラスを当てると、
「よろしく」
と言ってニコッとした。
「よろしくお願いします」
笑った目を柴田の視線に合わせると、純香はすぐにその目を逸らした。
「……森さん、ご両親は?」
突然のその問いに、純香はギクッとした。
「……亡くなりました。……二人とも」
純香は俯いた。
「……そうか。寂しいな、それじゃ」
「でも、好きな仕事をしてますし、そんなに寂しくありません」
「俺も、父を三年前に、母を去年亡くした。女房と別れたのが五年前。母が娘の面倒を見てくれたから助かったけど……」
「……」
純香は静かにグラスを傾けた。
「男手一つじゃ、何かと心配で。女らしく育ってくれりゃいいが」
「大丈夫ですよ。しっかりしたお嬢ちゃんみたいだったし」
「そう? ありがとう」
柴田は満面に笑みを浮かべた。
「あいつが初潮を迎えるまでには再婚しないとな」
その話の内容と、あの、「行ってらっしゃい」の声から、小学五、六年だと、その顔も知らない娘の年齢を推測した。
「社長はモテるでしょうから、再婚話は沢山ありますよ。きっと」
「モテやしないさ。好きな女からは好かれないし。それが世の常かな」
「そんなこと……」
「じゃ、聞くが、君はどうだ?」
「えっ? 何が」
咄嗟に柴田を視た。
「俺のこと、好きか?」
目を伏せた純香の横顔を柴田が見つめていた。“酒が入ると真実が出る”純香は、そんな諺を浮かべていた。
「……そんなこと、まだ知り合ったばかりで、好きとか嫌いとか……」
「当然だな。すまない、野暮なことを聞いた」
柴田は一気に飲み干すと、氷の音を立てた。
「さて、帰るか。悪かったね、呼び出して」
「いいえ」
「じゃ、帰ろ」
腰を上げた。
「オヤジ! おあいそ」
「はいよっ!」
純香は、少しふらついている柴田の後を行くと、先に外に出た。勘定を終えた柴田が出てくると、戸を閉めてやった。
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