4 / 8
4
しおりを挟む杏子の家に帰った山根は不機嫌な顔で、山根の大好物を献立にしていた杏子の手料理を不味そうに突っついていた。
「美味しくない?」
杏子がわざとらしく訊いた。
「……不味かったら不味いって言うよ」
そう言いながら、豚なすピーマンの味噌炒めを頬張った。
「じゃ、美味しいのね」
「……後で話がある」
「……何?」
杏子が不安げな顔をした。
「後だ。飯が不味くなる」
夕刊を捲りながら食事をしている山根は、一度も杏子に顔を向けなかった。
――片付けを済ませた杏子は、煙草を吹かしながらテレビを観ている山根の前に正座すると、叱られる時の子供のような表情をした。
「……杏子」
「……」
山根の呼び掛けに顔を上げた。
「……結婚するか」
山根がぽつりと言った。
思いがけない山根の言葉に感極まったのか、杏子は泣きべそをかくと、
「うん」
と返事をして、山根に抱きついた。そして、
「……あなたの子供が欲しい」
と耳元に囁いた。山根は目を閉じると、無言で承知した。高齢出産のリスクは高いが、杏子に子供を授けてやりたかった。――
「俳句の先生の方はどうですか」
ハンドルを握った井川が山根の顔を見た。
「……まだ分からんが、シロとは言い切れん」
「まだ、疑ってるんですか?いくら、森崎が寝惚けてたって男と女の区別はつくでしょ?」
「うむ……。だが、数センチの高さの下駄を履いても小柄と言うことはかなりの小柄と言うことになる。女の線は捨てがたい」
杏子に興味があった山根は、井川には杏子を調べるために近付く、と話していた。
「ミイラ取りがミイラにならないでくださいよ」
井川がからかった。
「……バカ言え。それより、サッちゃんとはどうなってるんだ?」
深入りされたくなかった山根は、話をすり替えた。
「え?……なんか、イマイチなんだよな」
井川が浮かない顔をした。
「どうして?いい子じゃないか。純朴で可愛くて」
「……俳句の先生ぐらい色っぽかったらな」
井川が、憧れている杏子を例に挙げた。
「……二十二、三の子に色気を求めるのは無理だよ」
「……でも、なんか、物足りなくて」
「早く結婚しないと、誰かに盗られるぞ」
「脅かさないでくださいよ」
井川が慌てた。
「ハッハッハッ……」
――「高利貸し強盗事件捜査本部」の指揮を執る山根が、森崎と繋ってしまった杏子に疑いを持ち始めたのは確かだった。だが、仮に杏子が強盗犯だとしても、それを揉み消す方法は幾らでもあった。山根はただ、杏子の賢さの度合を知りたかったのだ。変な言い方だが、ここまで俺達を翻弄し、煙に巻きながら、捕まらずにいる杏子を同志のようにも思えた。
「――森崎氏の供述は二転三転している。就寝中の事件だけに確実性に乏しいのはしょうがないだろ。犯人がなぜ、下駄を履いていたのか。身長を誤魔化すためなのか、それとも、足のサイズを分からないようにするためなのか。いずれにせよ、女の線は捨てがたい。
そこでだ、松本清張の『天城越え』のように、犯人が少年という可能性もある。先入観を捨て、幅広い捜査を頼む。以上!」
「はいっ!」
一同が声を揃えた。
山根は故意に捜査を撹乱した。森崎との接点が判明すれば、必然的に杏子に疑問符が付く。愛する女を他の奴の手に渡すことは決してさせたくなかった。
――山根はマスクの件を思い出すと、独断であることを試してみた。山根が署で待機していると、狙いどおり、森崎から電話がきた。
「へ、変な電話がありました」
森崎は狼狽えていた。
「なんて?」
「犯人を知りたければ、一千万用意しろ、と」
「男?女?」
「男です」
森崎のその返答に、山根はニタッとすると、
「直ぐ行きます」
と言って、受話器を置いた。
――森崎は、訳の分からない顔をしながら、禿頭を摩っていた。
「で、どうするんですか」
ソファに腰を下ろした山根は悠然と煙草を喫んだ。
「どうもこうもないですよ。犯人は警察が捕まえてくれればいい。一千万なんてやる道理がない」
「ごもっともです。電話の声は確かに男でしたか?」
「ええ。間違いありません」
森崎は、「わしの耳は、まだ耄碌しとらんわい」と言いたげに、自信たっぷりに言い切った。すると突然、山根が咳払いをした。途端、
「犯人を知りたければ、一千万用意しろ!」
と、襖の向こうから声がした。魂消た森崎がその声に振り返った。
「……この声だ」
森崎は唖然とした。
「篠原くん、入って」
山根に呼ばれて襖を開けて現れたのは、マスクをした婦人警官だった。森崎は愕然と佇んでいた。
「篠原くん、もう一度頼む」
篠原は頷くと、
「犯人を知りたければ、一千万用意しろ」
と殺した声を出した。森崎は自分の耳を疑っている様子だった。
山根は篠原を帰すと、煙草を一本抜いた。
「いかがですか?あなたが男だと断定したのは紛れもなく女でした。犯人は女だった可能性がある訳です。誰か、心当たりはありませんか」
「……さあ」
「……広田杏子はどうですか」
「えっ?」
森崎がやじろべえのような動きの目をした。
「あなたは彼女にプロポーズしたんでしょ?断られたそうですが。そこまでの経緯で、何か弱みを握られて、その報酬として、金を奪われたんでは?」
山根は当てずっぽうで言ってみた。
「いや、ない」
森崎は邪念を振り払うかのように言い切った。その行為は却って、何かあったことを教えていた。――つまり、杏子の犯行であることが濃厚になった。
これ以上訊いても、森崎からは何も得られないと判断した山根は、そこを後にした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】限界離婚
仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。
「離婚してください」
丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。
丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。
丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。
広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。
出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる