竜姫伝説の滝

紫 李鳥

文字の大きさ
2 / 2

後編

しおりを挟む
 


 大蛇は若者を襲わんばかりの勢いで目前まで来ると、大きな黒い瞳を若者に据えた。

 若者が目を凝らすと、それは大蛇ではなく、白い竜であった。

「何奴!」

 男とも女とも区別のつかないこもったような声が竜のほうから聞こえた。

「とう、藤吉郎と申す」

 藤吉郎と名乗る若者の声は震えていた。

「我が滝に、何用じゃ」

「ね、願いが叶うと聞き……」

「願いだと?……どんな願いだ?」

「母上の病を治して頂きたく――」

「何っ!自分のためではなく、母親のためにここまで来たと申すのか?」

「は、はあ」

「偽りを申すな。自分の欲以外で、ここまで来た者はおらぬ」

「偽りではございませぬ。わたくしは貧しき武士の子。それ故に、薬を手に入れる事もままなりませぬ。……母上の病を治してあげたいのです」

「むむ……強情な。そちの本性を暴いてやろうぞ。いま、そちに向こうて飛ぶ。身をかわす事なくば、そちの願いとやらを叶えてやろう」

「…………」

 我が身に起こるであろう災禍に、恐れおののきながらも、藤吉郎は身を硬直させると、歯を食いしばった。

 竜は、天に昇るが如く飛び去ると、蒼天に白き羽衣のようになびいていた。

 藤吉郎は天を仰ぎ、ギュッと目をつむると、胸元で合掌した。



 やがて、疾風のように何かが向かって来る“気”を感じた。だが、固く目を閉じ、更に強く歯を食いしばり、只管ひたすら、祈り続けた。




ヒューーーーーッ!

 途端、風がはしるような音が、藤吉郎の耳元を過ぎて行った。


 おもむろに目を開けると、先刻まで聞こえなかった滝の音が、鼓膜を突き破らんばかりに襲った。


ゴゥオーーー!

 辺りを見回すと、竜の姿はなく、百花繚乱の華美なる光景が広がっていた。

「夢を見ていたのであろうか……。いずれにせよ、願いは叶わぬか……」

 藤吉郎は肩を落とすと、来た道を戻った。



 村に続く、九十九折つづらおりの山道を下っている時だった。色鮮やかな衣を身にまとった若い女がうずくまっていた。

 藤吉郎は小走りになると、女の元に急いだ。

「どうなされた」

 声をかけた藤吉郎に振り向いた女の容姿は、実に美しかった。

「……足を、……くじいて」

 女は、水色の脚絆きゃはんに巻かれたすねを擦っていた。

「それは難儀な。……よければ、わたくしの背に」

「そのような……」

 女はじらうように頬を染めた。

「どちらに参られる」

「幻の滝に――」

「駄目じゃ!行かぬほうが身のためじゃ」

「……何ゆえに」

「文字通り、幻の滝だからです。……滝など、どこにもありませぬ」

 竜に殺されるやも知れぬと危惧きぐした藤吉郎は、女の身を案じ、嘘をついた。

「…………」

「さあ、わたくしの背に。……道を戻りましょう」

「でも、……はい」

 女は菅笠を結び直すと、躊躇ためらいがちに藤吉郎の背に身を置いた。



 竜姫伝説には、まだ続きがあった。

 愛する男に裏切られた竜姫は、この世に真などない。人間は心を変えるもの。本当の愛も、綺麗な心も、人の世にはない。そう嘆いて幻の滝に身を投げ、命を絶ったと言う。

 そして、竜にかたちを変え、幻の滝に棲みついていると。

 だが、真実の愛と、真の心に出会えたならば、生き返り、人間に戻る事ができると言う。




 藤吉郎の背に負われた女の名を、“お竜”と言った。――




   完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...