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後編
しおりを挟む大蛇は若者を襲わんばかりの勢いで目前まで来ると、大きな黒い瞳を若者に据えた。
若者が目を凝らすと、それは大蛇ではなく、白い竜であった。
「何奴!」
男とも女とも区別のつかないこもったような声が竜のほうから聞こえた。
「とう、藤吉郎と申す」
藤吉郎と名乗る若者の声は震えていた。
「我が滝に、何用じゃ」
「ね、願いが叶うと聞き……」
「願いだと?……どんな願いだ?」
「母上の病を治して頂きたく――」
「何っ!自分のためではなく、母親のためにここまで来たと申すのか?」
「は、はあ」
「偽りを申すな。自分の欲以外で、ここまで来た者はおらぬ」
「偽りではございませぬ。わたくしは貧しき武士の子。それ故に、薬を手に入れる事もままなりませぬ。……母上の病を治してあげたいのです」
「むむ……強情な。そちの本性を暴いてやろうぞ。いま、そちに向こうて飛ぶ。身をかわす事なくば、そちの願いとやらを叶えてやろう」
「…………」
我が身に起こるであろう災禍に、恐れ戦きながらも、藤吉郎は身を硬直させると、歯を食いしばった。
竜は、天に昇るが如く飛び去ると、蒼天に白き羽衣のように靡いていた。
藤吉郎は天を仰ぎ、ギュッと目を瞑ると、胸元で合掌した。
やがて、疾風のように何かが向かって来る“気”を感じた。だが、固く目を閉じ、更に強く歯を食いしばり、只管、祈り続けた。
ヒューーーーーッ!
途端、風が疾るような音が、藤吉郎の耳元を過ぎて行った。
徐に目を開けると、先刻まで聞こえなかった滝の音が、鼓膜を突き破らんばかりに襲った。
ゴゥオーーー!
辺りを見回すと、竜の姿はなく、百花繚乱の華美なる光景が広がっていた。
「夢を見ていたのであろうか……。いずれにせよ、願いは叶わぬか……」
藤吉郎は肩を落とすと、来た道を戻った。
村に続く、九十九折の山道を下っている時だった。色鮮やかな衣を身に纏った若い女が蹲っていた。
藤吉郎は小走りになると、女の元に急いだ。
「どうなされた」
声をかけた藤吉郎に振り向いた女の容姿は、実に美しかった。
「……足を、……くじいて」
女は、水色の脚絆に巻かれた脛を擦っていた。
「それは難儀な。……よければ、わたくしの背に」
「そのような……」
女は羞じらうように頬を染めた。
「どちらに参られる」
「幻の滝に――」
「駄目じゃ!行かぬほうが身のためじゃ」
「……何ゆえに」
「文字通り、幻の滝だからです。……滝など、どこにもありませぬ」
竜に殺されるやも知れぬと危惧した藤吉郎は、女の身を案じ、嘘をついた。
「…………」
「さあ、わたくしの背に。……道を戻りましょう」
「でも、……はい」
女は菅笠を結び直すと、躊躇いがちに藤吉郎の背に身を置いた。
竜姫伝説には、まだ続きがあった。
愛する男に裏切られた竜姫は、この世に真などない。人間は心を変えるもの。本当の愛も、綺麗な心も、人の世にはない。そう嘆いて幻の滝に身を投げ、命を絶ったと言う。
そして、竜に貌を変え、幻の滝に棲みついていると。
だが、真実の愛と、真の心に出会えたならば、生き返り、人間に戻る事ができると言う。
藤吉郎の背に負われた女の名を、“お竜”と言った。――
完
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