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しおりを挟む野球帽とサングラスで顔を隠すと、萌絵の目を盗んでは、足繁く由布子のアパートに通った。
由布子は萌絵や尚美と違って、清楚で清潔感があった。
「ごめんなさい。こんなものしか作れなくて」
大鉢に盛った肉じゃがをテーブルの真ん中に置きながら、由布子は謙虚にそう言った。
「わおぅ、うまそう」
読んでいた週刊誌を置くと、箸置きに載った塗り箸を持った。
「熱いわよ、気をつけて」
「フーフーフー」
俺はじゃがいもを突っつくと、大袈裟に息を吹きかけた。
「うふふ……」
「アッチッチ。……ん?うめぇ」
「よかったぁ」
由布子は嬉しそうに、目を細めた。
二つ三つ年下の由布子の肉体は、まだ熟す前の林檎のように酸味を含んでいたが、却ってその方が、俺好みの味に育てる楽しみができると思った。
自然消滅のように萌絵のマンションに足が遠退いたが、萌絵からの催促はなかった。……さすが、人気作詞家だ。「たかが駆け出しの歌手の恋愛沙汰などに興味などないわ」そんな萌絵のプライドが聞こえてきそうだ。
いよいよ、由布子との結婚を真剣に考え始めた。やはり、萌絵には一言伝えるべきだろう。……さて、「分かったわ。その代わり、もうあなたの歌は書かないから」そんな台詞を覚悟するか。
チャイムを鳴らした俺を迎えた萌絵は、化粧っ気がない蒼白い顔で、泣き明かしたかのような腫れぼったい目を潤ませていた。そこには、高飛車でも高慢ちきでもない、俺の知らない萌絵が居た。それを目の当たりにして、俺は一瞬言葉を失った。
俺に女の影を察して泣き過ごしていたのだろうか。そう思うと、由布子のことを告げるのは酷だった。知ったら自殺するかもしれない。そんな不安が過った。
ほうれい線に皺を刻んだ、五十近い萌絵を抱きながら、俺は思った。この先、由布子の名を口にすることはないだろうと。そして、二人の女の部屋を行き来するだろうと。
だが、マスコミは、そんな俺の密かな計画を邪魔した。
【スクープ!!『秋色のバラード』の黒木譲に熱愛!?】
結局、萌絵の知るところとなった。だが、萌絵は、そのことを噯気にも出さなかった。人気が落ちるかと危惧していると、萌絵が言った。「あなたは何も心配しないで、私の書く歌を歌っていればいいの。分かった?」と。
果たして、萌絵の言うとおりだった。「あんなに男の色気があるんだもの、女の一人や二人いて当然よ」と、巷間で拾った女性たちの好意的な声が、ワイドショーや週刊誌を賑わせていた。
雨……冷たい雨
君の髪を濡らす
雨……冷たい雨
僕の胸を濡らす
見つめ合う二人
重ねる唇
震える肩
戸惑う指
雨……冷たい雨
二曲目の、『冷たい雨のバラード』もヒットした。
だが、俺の栄光はそこまでだった。
尚美の遺体が、滞納している家賃の催促に来た大家によって発見されたのだ。死後ひと月。それは、俺が萌絵に打ち明けた時期だった。
「――あの日、あなたに教えてもらった尚美のアパートに行くと、あなたの代理で金を持ってきたと言って、部屋に入った」
『随分、気っ風がいいね?あんたもタケシと寝た口かい?』
『……』
『だろうね。じゃなきゃ、あんたに私の話なんかするわけないもんね』
『……』
『別にさ、金が欲しいわけじゃないのよ。タケシに会いたいだけ。ね、タケシに伝えてよ、会いに来ないと、マスコミにばらすって』
「私は首に巻いていたスカーフをほどくと、尚美の背後から忍び寄った。素早く首に巻き付けると、力一杯絞めた。尚美は、短い抵抗の後にぐたっとなって動かなかった。アドレス帳や日記帳の類いを物色すると、逃げ帰った――」
俺の腕を枕にした萌絵の口から真相が語られていた。
「……どうして、そこまで?こんな俺のために」
萌絵の顔を見た。
「勿論、あなたが好きだからよ」
俺に向けたその目は、俺を棄てた母親の、あの時の目に似ていた。
『……もし、母ちゃんが遅くなったら、これでなんか食べな』
翌日、萌絵は城ヶ崎から身を投げた。短い遺書を残して。
〈譲 母さんを許して
あなたが猛だと知ったのは
あなたを愛してしまった後だった〉
完
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