愛と憎しみのバラード

紫 李鳥

文字の大きさ
3 / 3

しおりを挟む
 

 野球帽とサングラスで顔を隠すと、萌絵の目を盗んでは、足繁く由布子のアパートに通った。

 由布子は萌絵や尚美と違って、清楚せいそで清潔感があった。

「ごめんなさい。こんなものしか作れなくて」

 大鉢に盛った肉じゃがをテーブルの真ん中に置きながら、由布子は謙虚にそう言った。

「わおぅ、うまそう」

 読んでいた週刊誌を置くと、箸置きに載った塗り箸を持った。

「熱いわよ、気をつけて」

「フーフーフー」

 俺はじゃがいもを突っつくと、大袈裟に息を吹きかけた。

「うふふ……」

「アッチッチ。……ん?うめぇ」

「よかったぁ」

 由布子は嬉しそうに、目を細めた。


 二つ三つ年下の由布子の肉体は、まだ熟す前の林檎りんごのように酸味を含んでいたが、かえってその方が、俺好みの味に育てる楽しみができると思った。

 自然消滅のように萌絵のマンションに足が遠退いたが、萌絵からの催促はなかった。……さすが、人気作詞家だ。「たかが駆け出しの歌手の恋愛沙汰などに興味などないわ」そんな萌絵のプライドが聞こえてきそうだ。


 いよいよ、由布子との結婚を真剣に考え始めた。やはり、萌絵には一言ひとこと伝えるべきだろう。……さて、「分かったわ。その代わり、もうあなたの歌は書かないから」そんな台詞せりふを覚悟するか。


 チャイムを鳴らした俺を迎えた萌絵は、化粧っ気がない蒼白い顔で、泣き明かしたかのような腫れぼったい目を潤ませていた。そこには、高飛車でも高慢ちきでもない、俺の知らない萌絵が居た。それを目の当たりにして、俺は一瞬言葉を失った。

 俺に女の影を察して泣き過ごしていたのだろうか。そう思うと、由布子のことを告げるのは酷だった。知ったら自殺するかもしれない。そんな不安がよぎった。

 ほうれい線に皺を刻んだ、五十近い萌絵を抱きながら、俺は思った。この先、由布子の名を口にすることはないだろうと。そして、二人の女の部屋を行き来するだろうと。


 だが、マスコミは、そんな俺の密かな計画を邪魔した。

【スクープ!!『秋色のバラード』の黒木譲に熱愛!?】  

 結局、萌絵の知るところとなった。だが、萌絵は、そのことを噯気おくびにも出さなかった。人気が落ちるかと危惧きぐしていると、萌絵が言った。「あなたは何も心配しないで、私の書く歌を歌っていればいいの。分かった?」と。


 果たして、萌絵の言うとおりだった。「あんなに男の色気があるんだもの、女の一人や二人いて当然よ」と、巷間こうかんで拾った女性たちの好意的な声が、ワイドショーや週刊誌をにぎわせていた。




  雨……冷たい雨
  君の髪を濡らす
  雨……冷たい雨
  僕の胸を濡らす
  見つめ合う二人

  重ねる唇
  震える肩
  戸惑う指
  雨……冷たい雨



 二曲目の、『冷たい雨のバラード』もヒットした。 

 
 だが、俺の栄光はそこまでだった。



 尚美の遺体が、滞納している家賃の催促に来た大家によって発見されたのだ。死後ひと月。それは、俺が萌絵に打ち明けた時期だった。


「――あの日、あなたに教えてもらった尚美のアパートに行くと、あなたの代理で金を持ってきたと言って、部屋に入った」




『随分、気っ風がいいね?あんたもタケシと寝た口かい?』

『……』

『だろうね。じゃなきゃ、あんたに私の話なんかするわけないもんね』

『……』

『別にさ、金が欲しいわけじゃないのよ。タケシに会いたいだけ。ね、タケシに伝えてよ、会いに来ないと、マスコミにばらすって』 




「私は首に巻いていたスカーフをほどくと、尚美の背後から忍び寄った。素早く首に巻き付けると、力一杯絞めた。尚美は、短い抵抗の後にぐたっとなって動かなかった。アドレス帳や日記帳のたぐいを物色すると、逃げ帰った――」

 俺の腕を枕にした萌絵の口から真相が語られていた。

「……どうして、そこまで?こんな俺のために」

 萌絵の顔を見た。

「勿論、あなたが好きだからよ」

 俺に向けたその目は、俺を棄てた母親の、あの時の目に似ていた。




『……もし、母ちゃんが遅くなったら、これでなんか食べな』




 翌日、萌絵は城ヶ崎から身を投げた。短い遺書を残して。





〈譲 母さんを許して
 あなたが猛だと知ったのは
 あなたを愛してしまった後だった〉






   完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

処理中です...