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第一章 孵卵
第六話 烙印 6 1-6-3/4 16
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「どうユミ? ちゃんと結べてる?」
「……おしいなぁ」
251日目の朝、ユミはいつものようにキリのタスキを確認していた。
背中に作られた蝶結びの輪の1つが異常に小さい。これではちょっとした弾みで解けてしまう。
直してやろうとタスキに伸ばしかけた手を止める。
「キリ」
いつにも増して真剣な口調だ。
「これからは、キリも教えていかないといけないんだよ」
「……ごめんなさい」
「ほら、待っててあげるから自分でやってみて」
キリも親としての自覚が芽生えたのだろうか。一瞬だけ曇らせた顔をぶるぶると振り、きっと口を締めた。
一度タスキを解いてしまい、再びくるくるっと両腕に巻いていく。そして最後に背中できゅっと結び目を作る。
「どう?」
「……よくできました!」
ユミはにこっと笑う。頭を撫でるのは、考えてやめた。
それでも森に出るときは手を繋ぐ。
繋ぎ方はあの鴛鴦の誓いを立てた夜、鹿と対峙した時と同じ様式だ。――ユミはこれを鴛鴦繋ぎと呼んでいた。
足取りは軽かった。キリはユミに合わせ、いつもより歩幅を広げることを意識した。
昨晩命を奪った覚悟が2人に力を与えているのだろう。
どのくらい歩いただろうか。そろそろ腹も空いてきたという頃、ふとキリが立ち止まる。
「このあたり、怖くないかも」
「そう? じゃあ」
ユミは手を離す。
「うん。大丈夫そう」
こんなことはこれまでも幾度もあった。
ユミには感じ取れない森の脅威をキリが探知する。そして近くに村があるのではないかと期待してぐるりと歩く。
いつものような小さな隙間であれば、キリの顔はすぐに歪み始める。それを察してユミはすぐ手を取りにかかる。
ユミはこの工程がかわいそうだとは感じていたが、手を引かれてばかりのキリが役に立てる絶好の機会でもあった。
しかし、この日はいつもと違った。しばらく歩いてもキリの顔が歪まない。
離れて歩く2人の間に期待感が高まっていく。
「ユミ、あっち!」
不意にキリが駆け出した。その行く手には広間のようなものが見える。
ふらふらになりながらも、ラシノに足を踏み入れた夜の記憶がよみがえる。
「ちょっとまってよぉ」
本気で走ればキリの方が速いようだ。全く、鴦と子を置いていくとは何事か。
木々の並びが途切れたあたりで、キリは立ち止まっていた。ユミもそれに追いつく。
「ここがウラヤ?」
キリの問いにユミは気を悪くしてしまう。ウラヤはこんな寂れた村じゃない。
人の姿は見えないが、でこぼこした地面には何軒か茅葺屋根が立っている。
しかしどれもボロボロで、屋根の茅がささくれだっている。あばら家、という言葉が似合いそうだ。
腹も減っていたし、あわよくばおこぼれをもらえないかとも思っていたが期待は薄い。
いや、あわよくばでは駄目なのだ。貪欲に生に縋りつく覚悟を持たなければならない。昨晩そう気づいたはずだ。
「ユミ?」
ユミは一番手前に位置していた一軒に向かってずんずんと歩いていく。キリもそれに続いた。
家の前まで来て覚悟を決める。
「ごめんくださーい」
どんどんどん、と戸を叩く。ユミの力でも、これ以上叩いたら壊れてしまうのでは、と思うぐらい戸は朽ちている。
「ごめんくださーい」
どんどんどん。キリも声を合わせる。
……返事は無いようだ。
「いないのかな?」
「……次、いくよ」
まだ、家はある。すなわち、まだできることがある。
できることがあるうちは、手足を動かし続けるまでだ。
次の乞食先に目星をつけるため、先ほど叩いた戸に背を向けようとした時だった。
ユミの首根っこが何者かによって拘束された。
「ぐっ……」
「ユミ!?」
呻くユミを見上げると、その背後に大男が立っていた。
その頭の後ろには日輪が位置しており、逆光のため男の顔が視認できない。
そのままユミをどこかへ連れて行こうとする。
その光景に驚きはしたが、キリの体は自然と動いた。
「待て!」
発声と同時に、男の裾を掴む。
「……男は足りている」
大男は重くぼそっと呟くと、振り向きざまにキリの顔面を殴り飛ばした。
キリは後方へ吹っ飛び、尻もちをつく。
「キリ!?」
もがきながら辛うじてその様子を目の当たりにしたユミは、とっさに手を伸ばす。
ユミもキリも、まだその状況に理解が追い付いていなかった。
鴦が拘束され、鴛が殴られたという状況に。
「ユミ……」
力なく呟いたキリは伸ばされた手を掴もうとするが、その距離はあまりにも遠い。おまけに尻もちをついた状態だ。
キリは腰につけていたがま口からドングリを取り、握りしめた。父親からもらった大切ながま口であるが、特に入れる物もなかったため適当に拾い集めていたものだ。
投げつけてやろうと男の方へ眼を向ける。男との距離関係が変わったことでその全貌が明らかとなった。
黒を基調とした男の着物はところどころほつれ、劣悪な環境で過ごしてきたことが伺える。
イチカで暮らしてきたキリの衣服の方がよっぽど状態が良い。
キリの視線がやがて男の顔へ注がれる。そして気づく。
「おまえっ……!」
キリの全身の毛が逆立つ。
「よくもっ……!」
忘れるはずがない。
「よくも父さんを!」
「……おしいなぁ」
251日目の朝、ユミはいつものようにキリのタスキを確認していた。
背中に作られた蝶結びの輪の1つが異常に小さい。これではちょっとした弾みで解けてしまう。
直してやろうとタスキに伸ばしかけた手を止める。
「キリ」
いつにも増して真剣な口調だ。
「これからは、キリも教えていかないといけないんだよ」
「……ごめんなさい」
「ほら、待っててあげるから自分でやってみて」
キリも親としての自覚が芽生えたのだろうか。一瞬だけ曇らせた顔をぶるぶると振り、きっと口を締めた。
一度タスキを解いてしまい、再びくるくるっと両腕に巻いていく。そして最後に背中できゅっと結び目を作る。
「どう?」
「……よくできました!」
ユミはにこっと笑う。頭を撫でるのは、考えてやめた。
それでも森に出るときは手を繋ぐ。
繋ぎ方はあの鴛鴦の誓いを立てた夜、鹿と対峙した時と同じ様式だ。――ユミはこれを鴛鴦繋ぎと呼んでいた。
足取りは軽かった。キリはユミに合わせ、いつもより歩幅を広げることを意識した。
昨晩命を奪った覚悟が2人に力を与えているのだろう。
どのくらい歩いただろうか。そろそろ腹も空いてきたという頃、ふとキリが立ち止まる。
「このあたり、怖くないかも」
「そう? じゃあ」
ユミは手を離す。
「うん。大丈夫そう」
こんなことはこれまでも幾度もあった。
ユミには感じ取れない森の脅威をキリが探知する。そして近くに村があるのではないかと期待してぐるりと歩く。
いつものような小さな隙間であれば、キリの顔はすぐに歪み始める。それを察してユミはすぐ手を取りにかかる。
ユミはこの工程がかわいそうだとは感じていたが、手を引かれてばかりのキリが役に立てる絶好の機会でもあった。
しかし、この日はいつもと違った。しばらく歩いてもキリの顔が歪まない。
離れて歩く2人の間に期待感が高まっていく。
「ユミ、あっち!」
不意にキリが駆け出した。その行く手には広間のようなものが見える。
ふらふらになりながらも、ラシノに足を踏み入れた夜の記憶がよみがえる。
「ちょっとまってよぉ」
本気で走ればキリの方が速いようだ。全く、鴦と子を置いていくとは何事か。
木々の並びが途切れたあたりで、キリは立ち止まっていた。ユミもそれに追いつく。
「ここがウラヤ?」
キリの問いにユミは気を悪くしてしまう。ウラヤはこんな寂れた村じゃない。
人の姿は見えないが、でこぼこした地面には何軒か茅葺屋根が立っている。
しかしどれもボロボロで、屋根の茅がささくれだっている。あばら家、という言葉が似合いそうだ。
腹も減っていたし、あわよくばおこぼれをもらえないかとも思っていたが期待は薄い。
いや、あわよくばでは駄目なのだ。貪欲に生に縋りつく覚悟を持たなければならない。昨晩そう気づいたはずだ。
「ユミ?」
ユミは一番手前に位置していた一軒に向かってずんずんと歩いていく。キリもそれに続いた。
家の前まで来て覚悟を決める。
「ごめんくださーい」
どんどんどん、と戸を叩く。ユミの力でも、これ以上叩いたら壊れてしまうのでは、と思うぐらい戸は朽ちている。
「ごめんくださーい」
どんどんどん。キリも声を合わせる。
……返事は無いようだ。
「いないのかな?」
「……次、いくよ」
まだ、家はある。すなわち、まだできることがある。
できることがあるうちは、手足を動かし続けるまでだ。
次の乞食先に目星をつけるため、先ほど叩いた戸に背を向けようとした時だった。
ユミの首根っこが何者かによって拘束された。
「ぐっ……」
「ユミ!?」
呻くユミを見上げると、その背後に大男が立っていた。
その頭の後ろには日輪が位置しており、逆光のため男の顔が視認できない。
そのままユミをどこかへ連れて行こうとする。
その光景に驚きはしたが、キリの体は自然と動いた。
「待て!」
発声と同時に、男の裾を掴む。
「……男は足りている」
大男は重くぼそっと呟くと、振り向きざまにキリの顔面を殴り飛ばした。
キリは後方へ吹っ飛び、尻もちをつく。
「キリ!?」
もがきながら辛うじてその様子を目の当たりにしたユミは、とっさに手を伸ばす。
ユミもキリも、まだその状況に理解が追い付いていなかった。
鴦が拘束され、鴛が殴られたという状況に。
「ユミ……」
力なく呟いたキリは伸ばされた手を掴もうとするが、その距離はあまりにも遠い。おまけに尻もちをついた状態だ。
キリは腰につけていたがま口からドングリを取り、握りしめた。父親からもらった大切ながま口であるが、特に入れる物もなかったため適当に拾い集めていたものだ。
投げつけてやろうと男の方へ眼を向ける。男との距離関係が変わったことでその全貌が明らかとなった。
黒を基調とした男の着物はところどころほつれ、劣悪な環境で過ごしてきたことが伺える。
イチカで暮らしてきたキリの衣服の方がよっぽど状態が良い。
キリの視線がやがて男の顔へ注がれる。そして気づく。
「おまえっ……!」
キリの全身の毛が逆立つ。
「よくもっ……!」
忘れるはずがない。
「よくも父さんを!」
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