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第三章 口舌り
第三十一話 過労 31 3-5-2/3 94
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ユミよりも先に眼を覚ましたのはハコだった。
瞼を開くと、すぐ眼の前に愛しい我が子の顔がある。
「ユミ!? 帰ってたんだ……。お帰り、心配かけたね……」
聞こえてはいないのだろうが、優しく声をかけ、頭をそっと撫でてやる。
実際、疲れただけではあった。原因は仕事の立て込みだ。
仕立て屋での仕事も5年となり、そこで働く周りの人々にも移り変わりがあった。
ハコは新人の教育も任されるようになっていたのだが、そのため自身の仕事へ遅れが生じてしまった。
店の主人はハコの体の事情を把握していたため、無理はしない様に声をかけてくれてはいた。しかし真面目な彼女の性格が災いし、遅くまで作業をする日々を自ら続けてしまう。
ようやく仕事が一段落し、奮発して兎肉でも食べようかと夕市へ繰り出したところで足がもつれ、そのまま意識を失ってしまったのだった。
そして気がついた頃にはこの病室の寝台へ横になっていた。傍には日頃世話になっている医師の姿があり、聞けば娘の恩師が運んでくれたとのことだった。
礼を言わねばと立ち上がろうとしたが、医師からは寝ていなさいと制され、ほのかに甘い茶を飲まされたのだった。
今もまだ、少し体が重い。
ユミの寝顔は何よりも癒しになる。しかしそれと同時に情けない気持ちが押し寄せてくる。
「ごめんね、ユミ。ダメなお母さんで……」
呟くと同時にぽつりと涙が落ちる。
並みの人間より長く生きることは叶わないだろうと自覚はしていた。
娘の仕事を応援してあげようと決意したのはハコ自身だった。たとえユミが鳩になったことがハコのためだったとしても、我が子には自由な意志で羽ばたいてもらいたい。
自身の存在がその足枷になるのではないかと思うと、何のために今を生きているのか分からなくなる。
「おかあさん……。キリ……。大好き……」
寝言を放つユミはとても心地良さそうな顔をしている。
「また、キリ……」
ユミには自覚は無いのだろうが、ハコはその名前を幾度も耳にしていた。それもユミが孵卵を終えて以降の日々の中で。
10日以内に帰ってくると聞かされていたはずの我が子が、壮絶な体験をしたであろうことは容易に想像がつく。
1度目の帰宅時には赤い織物が髪に結い上げられていたはずなのに、2度目に我が家へ迎えた折には、代わりに白い帯が鎮座していたことも不可解だ。
隠し事をしているのは明らかだったが、母親に余計な心配をかけまいと気丈に振舞う我が子を見て、あまり深入りはできないでいた。
「ユミ……。もう……我慢しないで。あなたの好きに生きて……」
切に願うその声がユミの耳に入ったのか、その瞼がぱっちりと開かれる。
赤い瞳に目尻が切れた形。
「やっぱり、お父さんそっくり……」
ユミをその腕に抱いた時から思っていたことだ。叶うことなら3人で暮らしたいと思ったこともあるが、そんな望みはとうに忘れたはずだった。
「お、とうさん?」
ユミは頭を突っ伏したまま聞こえた言葉を繰り返す。少しずつ意識が明瞭になってきたので、はっとしたように顔を上げる。
「お母さん! ごめん、私寝ちゃってた!」
「ふふふ、いいのよユミ。孵卵の監督お疲れ様」
焦るユミにハコは優しく微笑む。
「それで、ミズくんは?」
「うん、ダメだった……」
「そう……」
ユミも疲れているはずだ。気にはなるが、残念そうな表情を浮かべる娘にそれ以上追求できなかった。
「あのね、監督を務めた後はしばらく休暇がもらえるから、お母さんのこと支えて上げられるよ。お給料も入るし、何か欲しいものがあったら言ってね」
「ありがとう、ユミ。……本当に立派になったわね」
そうは言うものの、幼い子供と接するようにハコは娘の頭を撫でた。
「ねえ、私のお父さんって……」
ミズとアサとのことは気がかりであるが、思えばユミも父親に会ったことが無い。これまで気にしないようにもしていたが、今日は先ほど耳にした母親の言葉が妙に引っかかる。
「森で帰らぬ人となった。ユミにはそう伝えていたかしら」
「うん。そうだけど……、お父さんは死んだってことなの?」
首を傾げるユミの頭から手を放し、ハコは真剣な眼を向ける。
「いい加減、ユミには本当のことを話してあげないといけないね」
「本当のこと?」
先ほどまで頭の上にあった母の手を、名残惜しそうに見ながらユミは問いかけた。
「お母さんね。昔、百舌鳥だったの」
瞼を開くと、すぐ眼の前に愛しい我が子の顔がある。
「ユミ!? 帰ってたんだ……。お帰り、心配かけたね……」
聞こえてはいないのだろうが、優しく声をかけ、頭をそっと撫でてやる。
実際、疲れただけではあった。原因は仕事の立て込みだ。
仕立て屋での仕事も5年となり、そこで働く周りの人々にも移り変わりがあった。
ハコは新人の教育も任されるようになっていたのだが、そのため自身の仕事へ遅れが生じてしまった。
店の主人はハコの体の事情を把握していたため、無理はしない様に声をかけてくれてはいた。しかし真面目な彼女の性格が災いし、遅くまで作業をする日々を自ら続けてしまう。
ようやく仕事が一段落し、奮発して兎肉でも食べようかと夕市へ繰り出したところで足がもつれ、そのまま意識を失ってしまったのだった。
そして気がついた頃にはこの病室の寝台へ横になっていた。傍には日頃世話になっている医師の姿があり、聞けば娘の恩師が運んでくれたとのことだった。
礼を言わねばと立ち上がろうとしたが、医師からは寝ていなさいと制され、ほのかに甘い茶を飲まされたのだった。
今もまだ、少し体が重い。
ユミの寝顔は何よりも癒しになる。しかしそれと同時に情けない気持ちが押し寄せてくる。
「ごめんね、ユミ。ダメなお母さんで……」
呟くと同時にぽつりと涙が落ちる。
並みの人間より長く生きることは叶わないだろうと自覚はしていた。
娘の仕事を応援してあげようと決意したのはハコ自身だった。たとえユミが鳩になったことがハコのためだったとしても、我が子には自由な意志で羽ばたいてもらいたい。
自身の存在がその足枷になるのではないかと思うと、何のために今を生きているのか分からなくなる。
「おかあさん……。キリ……。大好き……」
寝言を放つユミはとても心地良さそうな顔をしている。
「また、キリ……」
ユミには自覚は無いのだろうが、ハコはその名前を幾度も耳にしていた。それもユミが孵卵を終えて以降の日々の中で。
10日以内に帰ってくると聞かされていたはずの我が子が、壮絶な体験をしたであろうことは容易に想像がつく。
1度目の帰宅時には赤い織物が髪に結い上げられていたはずなのに、2度目に我が家へ迎えた折には、代わりに白い帯が鎮座していたことも不可解だ。
隠し事をしているのは明らかだったが、母親に余計な心配をかけまいと気丈に振舞う我が子を見て、あまり深入りはできないでいた。
「ユミ……。もう……我慢しないで。あなたの好きに生きて……」
切に願うその声がユミの耳に入ったのか、その瞼がぱっちりと開かれる。
赤い瞳に目尻が切れた形。
「やっぱり、お父さんそっくり……」
ユミをその腕に抱いた時から思っていたことだ。叶うことなら3人で暮らしたいと思ったこともあるが、そんな望みはとうに忘れたはずだった。
「お、とうさん?」
ユミは頭を突っ伏したまま聞こえた言葉を繰り返す。少しずつ意識が明瞭になってきたので、はっとしたように顔を上げる。
「お母さん! ごめん、私寝ちゃってた!」
「ふふふ、いいのよユミ。孵卵の監督お疲れ様」
焦るユミにハコは優しく微笑む。
「それで、ミズくんは?」
「うん、ダメだった……」
「そう……」
ユミも疲れているはずだ。気にはなるが、残念そうな表情を浮かべる娘にそれ以上追求できなかった。
「あのね、監督を務めた後はしばらく休暇がもらえるから、お母さんのこと支えて上げられるよ。お給料も入るし、何か欲しいものがあったら言ってね」
「ありがとう、ユミ。……本当に立派になったわね」
そうは言うものの、幼い子供と接するようにハコは娘の頭を撫でた。
「ねえ、私のお父さんって……」
ミズとアサとのことは気がかりであるが、思えばユミも父親に会ったことが無い。これまで気にしないようにもしていたが、今日は先ほど耳にした母親の言葉が妙に引っかかる。
「森で帰らぬ人となった。ユミにはそう伝えていたかしら」
「うん。そうだけど……、お父さんは死んだってことなの?」
首を傾げるユミの頭から手を放し、ハコは真剣な眼を向ける。
「いい加減、ユミには本当のことを話してあげないといけないね」
「本当のこと?」
先ほどまで頭の上にあった母の手を、名残惜しそうに見ながらユミは問いかけた。
「お母さんね。昔、百舌鳥だったの」
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