トキノクサリ

ぼを

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人形山 -1-

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「チャドの首都は『ンジャメナ』だよ」
 僕は、腰に手を当てて得意げな表情で僕を見下ろすウミに向かって、そう言った。途端、ウミは口許を緩めると、悔しそうな素振りをしながら、僕の肩を拳骨で数回叩いてきた。僕は思わず、それを両手で防ぐ仕草をした。
「もう! ユウくんの意地悪! そんなの知らないよ」
「いやいや、『ん』で始まる言葉がある以上、僕は負けていない。続けなきゃ。だから、次は『な』だ」
「タンザニアには『ンゴロンゴロ』という地域があるよ」アメリは図書委員だ。「だから、ウミは仕返しができるかもよ」
「離島の高校に通う生徒が話すには随分と国際的な会話だな」
 野辺が半ば呆れたように言い放った。初夏の下校時間。

 島に高校は一つだけしかない。生徒は全学年で百人弱。つまり、志望すれば全員が受かる。反面、色々なヤツがいる。勉強なんかからっきしのスポーツ人間がいるかと思えば、宇宙人クラスの天才がいたりする。ここでは、多様性が確保されている。小学校の人員配置で、そのまま高校に進学してしまったかのようなイメージだ。僕は、高校進学と共に、この春、この島にやってきた。


 亡くなった父によると、僕は元々、この島で生まれた人間らしい。幼少期に陸…この島の住民は、本土の事を「おか」と呼んでいる…に引っ越してしまった為、殆ど何も覚えていない。父は大学の研究員か何かで、この島に地質調査に来ていた。何を調べていたのかについて、僕は興味がなかったので、その頃の詳しいことを聞いていないが、島には人形山という活火山があって、珍しい標本を採取できるからとか、そんな理由だったのではないかと思う。そのまま数年間を島で過ごしたが、研究員や講師の仕事で貰える給料では自分自身が口に糊するのがやっとだったので、教員免許を取得し、島の学校で教員になった。教員になった後も、自身の趣味だったのか、地質調査は続けていたという。母と結婚したのは教員になった後だと聞いている。母はこの島出身の女性だったが、体が弱く、僕を産んでからは殆ど寝たきりの状況だった。特に肺が良くなくって、僕が物心ついたかつかないかくらいのタイミングで亡くなってしまった。父はそれをきっかけに、島を出る事にしたらしい。
 僕は小学校、中学校時代を比較的都会で過ごした。だから、僕自身はこの島に戻りたいとか、そういった未練は一切なかった。父は、母を亡くした記憶から逃れる為だろうか、僕に対して島のことを積極的に話す事はなかったし、折々のタイミングで、あの島には絶対に戻ってはいけない、と忠告をした。だから、母の墓参りにも行った覚えがない。
 今回、僕が島に戻ってくる事になったのは、そんな父も若くして亡くなってしまい、唯一の身寄りとなる母方の祖母が、ここに一人で住んでいるからだ。

 頑なに戻る事を拒んだ父に対して、僕は、この島がとても好きだ。そりゃあ、陸と比較すれば、買い物する場所は少ないし、遊ぶところはないし、店はすぐに閉まってしまうし、ネット通販は離島価格がかかるしで不便だけれど、人はおおらかで気さく。景観は抜群にいいのに、何故か観光地化されていないので、旅館もなければ土産屋もない。つまり、外部からの人の出入りが殆どない。産業としては漁業が盛んだが、みんなあくせく働いていないのに豊かだ。詳しくは知らないが、過去の島の住民が、国家事業にかかわる大きな功績を残したとかで、地方交付税交付金…みたいなものを、多く貰えているらしい。

 ウミと出会ったのは、入学してすぐだった。他の島の生徒たちと同じタイミングで高校進学をしているのだけれど、当然、僕以外はみんな互いに顔見知り。つまり、僕は完全に浮いた存在だった。陸から来た人間に対し、どう接するべきかに戸惑う生徒たちを尻目に、真っ先に声をかけてくれたのが、ウミだった。不思議な感覚だった。ウミは、まるで以前から僕の事を知っていたかのように、話しかけてくれたのだ。僕はこの島にいた時分の記憶がなかったので、たとえ幼少期に出会っていたとして、同い年のウミだけがそれを覚えている、とは思えなかった。もしかすると、僕の祖母から、島出身の人間だと聞かされていたのかもしれないな。
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