トキノクサリ

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鳥居祜 -4-

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 手袋について、手始めにネットショップを確認した。さすがに種類は豊富だったが、残念ながら島外退避状態のこの島への配送は、現在は行っていないようだった。定期船の本数も減っている上、人の行き来はできない状態になっているから、買うとしたら町の衣料品店とかに行くしかない。となると、手袋の商品種類は限られるし、大抵、誰かと同じ物になってしまう。陸にいる委員長にお願いして買ってもらって、定期船で送ってもらう、という手はあるかもしれないけれど…。

 ウミの着替えの手伝いで、僕より遅れて帰宅した祖母に、手袋が買える店が他に島にないかを訊いてみた。
「手袋? まだそんな時期じゃないだろうに」
 祖母は訝った。そりゃそうだ。僕は、理由を伝える事にした。
「来月、ウミが誕生日みたいなんだよね。それで、あの軍手じゃ可哀想だから、少しくらいはオシャレな手袋を贈ろうかと思ってさ」
「ウミちゃんにねえ。それはいいかもしれないけれど…今時分は陸に買い物に行くこともできないから、年頃の女の子が欲しがるような手袋はちょっと手に入らないかもしれないね」
 そうか…。
「じゃあ、手袋は諦めるか…」
「あんた、それは諦めが早いってもんじゃないか?」祖母が言った。「なければ、自分で作ればいいよ」
 え? 手袋を?
「それって、自分で編むってこと」
 祖母は微笑すると、頷いた。
「教えてあげるから、やってみな。ウミちゃんの事だから、下手に小洒落た手袋なんかより、喜ぶよ」
 確かに、そうかもしれないけれど…編み物ってそんな簡単にできる物じゃないよね。でも、確かに祖母は以前、編み物や刺繍に傾倒していた。

 祖母は押入れの中から何やら箱を取り出すと、居間のテーブルの上に置き、開けた。繊維質の独特な匂いがした。中には、様々な色や種類の毛糸の玉なんかが沢山入っていた。
「初心者に手袋は難しいから、ミトンタイプがいいだろうね」
 祖母が言った。
「ミトンか…指を八本省略できるしね。でも、左右を対称に作らなきゃいけないだろ?」
「普通の手袋ならそうだけれど、ミトンなら全く同じで大丈夫だよ。全体を最後に、くるっと回してやれば、左用にも右用にもなるからね」
 そうなんだ。じゃあ、全く同じ物を二つ作ればいいってことか。なんかできそうな気がしてきた。

 僕はてっきり、漫画やテレビなんかで見る、あの長い菜箸のような木の棒を二本つかって編んでいく物だと思ったが、祖母が差し出して来たのは、それよりもずっと小さなサイズの、先っぽが釣り針みたいに反り返った樹脂製の編み棒を、一本だけだった。こんなので編めるの?
「かぎ針編みなら、初めてでもそこそこ編めるよ。ミトン手袋なら、慣れれば三時間から四時間くらいで一双編める。初心者だから、その倍から三倍くらい見積もって置けば大丈夫かね」

 祖母は、まず毛糸の色を決める様に僕に指示した。八号を選べ、と言われたけれど、見た目では何も解らなかったので、気にせずに色だけを見て選ぶ事にした。ウミに似合う色…か。ウミのイメージカラーは何だろう。元気で明るい女の子だから、ビビッドな青とかのイメージはあるけれど、普段使いは難しいだろうし…あの白い肌に合わせるなら、パステル調の方がいいんだろうか…。解らん。かといってピンクというのも安易な気がする。
 結局僕は、淡い、白に近いベージュを選択した。
 それから祖母は、基本となる鎖編み? や、段? の作り方なんかについて解説しながら、実際に編んで見せてくれた。てっきり、手袋の裾の部分から編む物だと思っていたけれど、指の先っぽの部分から編み始めた。不思議な世界だ。祖母は、最終的な段数と、段あたりの編み数について、僕にメモをさせた。それから、親指を出すところについては特殊だから、そこまで編めたら一度見せるように、と言った。祖母は、もの凄い勢いで編んでいく…。

「誰かに編み物を教える事なんて、死ぬまでないと思っていたけれどね」祖母が言った。「まさか、あんたに教える時がくるなんてね」
 僕は苦笑した。
「ウミやアメリだって、婆ちゃんに教わりたいって言うかもしれないんじゃないか?」
「そうだね…。二人がやってみたいと言ってくれたら、そうしようかしらね…」
 僕は、ウミの様子について祖母に訊いてみようと思った。何しろ、ウミの着替えを手伝っている訳だから。
「婆ちゃんから見て、ウミは相変わらずだと思う? なんか、ここのところずっと咳をしてるし、長袖は着てるしで気になってるんだけれど、ウミは平気だって言うんだよね」
「そうねえ…。それは私も気になってるんだけれどね。ウミちゃん、最近、肌を見せないようにしている気がするのね。荒れちゃって恥ずかしいから、とは言うんだけれど」
「じゃあ、婆ちゃんもウミの裸を見てるとか、そういう訳じゃないんだ」
 祖母は頷いた。
「夜になると、あの娘、体が光るじゃない? あれが石の毒の影響だと思うとなんだか不憫でね。人に弱いところを見せない娘だから…」
 そうか、祖母でも、知っている事は同じ程度なのか…。
「じゃあ、婆ちゃんも、燐光石を浄化した巫女がその後も健康に過ごしたか、みたいな事は知らない訳だ…」
「なにしろ、何百年も前の話だからね。年寄だからって、人より多く何かを知っている訳でもないよ。とくにこの島の年寄は何にも知らない。私は、この島を捨てたって、本当はいいと思ってる。あんたの父親がそうだったようにね。けれど、この島はただの島ではないみたい。守り通さなきゃいけない大切な島なんだ、という事は、皆が思ってる。なんでかね。戦前までは観光地だったと、私の両親…つまり、あんたの曽祖父母から聞いてるんだけれど、わたしは戦後生まれだから、その時の事は何も知らない。戦争で島が焼け野原になった、という話は聞いてないけれど、きっと何か事情があったんだろうね」祖母は言葉を切ると、なんだか悲し気な表情で僕を見た。「古杜の神主は、万一、ウミちゃんの体調が悪くなっても、途中でやめる事を許さないと思う。でも、それは古杜家の責任として、この島や伝統を守る必要があるから。あの娘も、あなたやウミちゃんくらいの頃は、コトリ祭で巫女舞踊をしてたし、快活な少女だった。それが、あんなに厳格な神主になるなんてね…。あとは、ウミちゃんの意志次第かしらね。私は、本当は心配で心配でならないのよ」

 僕はその日以来、ウミや他のクラスの皆にばれないように注意しながら、鞄に毛糸と編み棒を忍ばせては、空き時間を見つけて手袋を編んだ。ウミならきっと、僕の編み物がどんなに下手だろうと、喜んでくれるんだろうな。と思うと、返って真剣に丁寧に編まなきゃいけない気がする。これ、逆の立場だったら、ウミは僕に何を編んでくれただろうか。マフラーとか、編んでくれたのかな。
 
 ウミの体調が急変したのは、そのあと、すぐだった。
 僕は、いつも通りエリアを消化し、燐光石をウミの許へと届けた。が、その時は、社の扉を開く前から、明らかに中の様子がおかしいのが解った。嗚咽が聞こえてきたのだ。始め、何か動物でも入れているのかと思った。が、それは苦しそうな呻き声で、明らかにウミの物だった。
 僕は許可を待たずに、扉を開けた。中では、祖母がバケツを支えて座っており、そこに向かって…ウミが四つん這いになり、嘔吐していた。軍手の右腕は、痛いのか、ちゃんと体を支えられず、折り曲げていた。そして、神主はその様子を無表情で眺めていた。僕は、一瞬で背筋が寒くなった。
 駄目だ…いきなりまくし立ててはいけない。冷静に状況を確認するのが先決だ。
「ウミ、さすがに、もう言い訳はできないよ」僕は語気を強めて言った。自分で、声が少し震えているのが解った。「どのくらい悪いんだ? 正直に教えてくれよ」
 それでもウミは、バケツに向けた顔を、僕に向けると、気丈に微笑むのだ。頼むから、その状態で、いつも通りに、お帰り、なんて言ってくれるな。
「ユウくん、お帰り。お疲れ様」
 ウミは肩で息をしていたが、僕に対する笑顔は崩さなかった。
 僕は、手に提げていた燐光石の袋を思わず床に落とした。袋の中から、燐光石が床に散らばった。僕は手を握りしめ、神主を睨みつけた。
「神主さん、もういいよ!」僕は半ば叫ぶように言った。「ウミはどう見ても限界じゃないか! これが燐光石の影響なのか、もっと別の理由なのか解らないけれど、もう続けられないよ! ウミを、解放してやってくれよ」
 僕は感情を抑えられなかったが、神主は冷静で、黙って僕の目を見つめてきた。まるで、人間じゃない。妖怪か物の怪か、何かこの世の物ではないみたいだ。一体、何を考えているんだ? この人は…ウミがこれからどうなるかを知っている…?
「それは、ウミに訊いてください」
 神主は、ゆっくり、しかしはっきりと、そう言った。
「ウミ、何も言うな」僕はウミに向かって言った。「もう、やめにしよう。もうやりたくないだろ? やりたくなければ、首を縦に振ってくれ。頼むから」
 ウミは…縦には振らなかった。
「ごめんね…」ウミが言った。「心配かけちゃってるよね。でも、大丈夫。風邪をこじらせただけだよ…きっと。最後まで、やらなきゃ。ユウくんも、わたしも、ここまで頑張った意味がなくなっちゃうもん」
 そんな…。
 僕は、再度神主の目を、睨んだ。
「せめて、体調が戻るまで中断はできませんか?」
 神主は無表情のまま、かぶりを振った。
「できません」
「何故? 十月末の期限を、ウミの体調を犠牲にしてまで守らなければいけない理由なんてどこにもないじゃないか!」僕は、思わず数回咳き込んだ。冷静に…冷静になるんだ。「じゃあ、ウミの代わりの巫女を立てる、というのは?」
「それもできません。ウミの体力があるうちに、全ての浄化を終わらせます。早ければ早いほど、良い」
 それって…。
「ユウくん、大丈夫だから」ウミが遮った。「お願い、そんなに心配しないで。もう、あとちょっとでお終いでしょ? それまで、わたし、頑張るから…。それに、今週の体調確認の時には、先生にちゃんと診てもらうから」
 僕は、手を強く握りしめ、血が出る程、唇を噛んだ。あとちょっと、と言っても、まだ十エリア程度残っているんだ。まだ、三分の一が残ってる。しかも、燐光石の数が多い山頂付近のエリアだ。もし、ウミの体調変化が燐光石に因るものだとしたら…耐えらないんじゃないのか? 何が体調確認だよ。結局、ウミの、本心かどうかも解らない意志で継続するのなら、体調を管理する意味なんか、ないじゃないか。
「浄化を始めます」神主が言った。「圷さんは、社から退出してください」
 僕は、祖母の方を見た。祖母は、バケツを支えたまま、俯いていた。
 ウミは正座に直ると、僕の方に向かって小さく手を振りながら、笑顔を見せた。

 僕は何も言わず、社を後にした。
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