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第1章 ボク、オトコの娘

ボク、オトコの娘

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六月十二日



 目が覚めたのは、陽が南中する前だった。初夏の陽射しが暑苦しく、開け放した窓から風は吹き込んでくるのだが、寝台のリンネルは寝汗で随分湿っていた。寝過ごしたな、とは思ったが、休日で仕事は休みだったので、午前中を寝台の上で消費してしまった事を少し後悔しながら、立ち上がった。洗顔だけを済ませると、着替える前に、窓際で風に当たろうと思った。僕の部屋は四階建ての二階に位置していたが、この村にはごみごみした軒並みは存在せず、二階建てでも珍しい位だったので、そんな窓からの風景でも、それなりに楽しませてくれた。人通りは殆どない。

 不図、視界の隅に人影があるのに気づいた。僕はすぐに窓から身体を乗り出し、下を見た。洗濯したばかりの服やら手拭やらを載せた手編みの籠を左腕に抱え込んだまま、せかせかと、サスティが、肩よりも長いトビ色の髪を風に靡かせながら、歩いているのが見えた。彼女は僕の真下の、建物の影になっている所まで来ると、立ち止まり、大きく息をついた様だった。僕は思わず口許を緩め、部屋の壁に掛けてある鍔の広い麦藁帽子を取り上げると、彼女のその小さな頭目掛けて投げてやった。地面に落ちるだろうと思っていたが、帽子は上手く風にのり、螺旋を描く様に移ろいながら、サスティの頭にすっぽりと嵌った。余程驚いたのだろう、彼女は麦藁帽子の鍔を掴み頭から離すと、凄い勢いで辺りを見回した。僕はそれがあんまり可笑しいので、思わず声を上げて笑ってしまった。それで、彼女はようやっと気付き、僕の方を見上げてきた。

「ルザートね」彼女は少し意地悪い表情で、そう言った。そして麦藁帽子に目を移すと、汗くさあい、と言い、かぶり直した。「有難う、丁度帽子を欲しかった所なの」

 それで僕は彼女に、おはようを言った。

「おはようじゃないでしょ。何時だと思ってるの?」

 僕は微笑した。

「こんな時間に洗濯?」

 彼女はかぶりを振った。

「『樫の盾』のお手伝いをしてるの」

「何かあるの?」

「饗応の準備。もうすぐ、村の殿方達が帰ってくるのよ。知らなかった?」

 知らなかった。

「どういう事?」

「だから、兵役から帰ってくるって事。ルザートも来年でしょ?」

 僕は、成る程ね、とつぶやくと、頷いてやった。

「そうだ」サスティが言った。「暇だったら、後で手伝いに来てくれない? 女手しかないものだから、色々と大変な作業もあるの…」

 僕は特に何も考えずに頷いた。

「『樫の盾』だよね。他に誰が来てるの?」

「わたしと、ファルナとタリタ」

 レネカを合わせて四人か。

「解った。でも、当日の接待は出来ないよ」

 僕の言葉に、サスティは笑った。

「男の人ばかり、二十人くらい来るのよ。そんな所でルザートが接客するのを想像してみてよ」

 確かに、それは気持ちの良いものではなさそうだ。

「それじゃあ、もう少ししたら手伝いに行くよ」

 彼女は、有難う、といって麦藁帽子の鍔を右手で掴みながら微笑むと、踵を返し、陽の中へと再び出て行った。

 僕は部屋に身体を入れると、再び寝台に倒れこんだ。

 僕はこの村に住むようになってまだ一年も経ていないので、そのような男たちとは面識がなかった。国は満十七歳の健康な男子全員に一年間の兵役義務を課していた。然し、二十人とは驚きだ。この小さな村の人口は精々百数十人。僕と同じ年頃の男子の姿は確かに村の中で見かけた記憶はないが、同じ年頃の女子は、知る範囲、というか村の人間のほぼ全員と面識はあるのだが、では、サスティとファルナとタリタの三人だけだった。その理由も後で訊いてみなければならないな、と思いながら、僕は立ち上がるのが億劫で、そのまま暫く風に当たっていた。



 僕が「樫の盾」に向かったのは、教会の鐘が三時を告げた頃だった。陽は正に刺す程に暑く、僕はサスティに貸した帽子の事を思い出しながら、早足で歩いた。もう随分と切っていない長すぎる自分の髪が鬱陶しく、汗で首筋に貼り付くのが気持ち悪かった。

 着くと、入口は開け放してあり、あまりにも明るい屋外に対して、中は真暗に見えた。が、中に足を踏み入れると、採光窓からの光で結構明るい事が解った。料理の下ごしらえをしているのか、室内には良い匂いが漂っていた。

前掛け姿のサスティが、直ぐに僕の到着に気がついた。

「あ、ルザート! いい時に来てくれた」彼女が言った。「今からお酒の樽を運ぶところなの。タリタとファルナが奥で頑張っていると思うから、手伝ってきてあげてね。それから、レネカさんは今、町まで買出しに行ってるから、タリタに、羊肉の鍋を掻き回す様に、って言っておいてね、お願い」

 言いながら彼女は、奥の部屋に向って、僕の背中を両手で押してきた。僕は態と面倒臭そうに反応すると、酒樽の仕舞ってある奥の部屋へと入った。見ると、大きな酒樽を三つ、目の前にして、僕より一つ年上のファルナと、一つ年下のタリタが、どうやって運ぶかを相談していた。彼女等は僕の到着に気付くと、少しだけはしゃいでみせた。

「ねえ」タリタが目を大きくして僕を見つめながら、微妙に笑みを湛え、言った。「樽を運ぶのを手伝いに来てくれたんでしょう?」

 僕は首肯した。そして、サスティが羊の肉の鍋を見て欲しいと言っていた、と告げた。彼女は僕にその場を任せると、早足で調理場の方へ駆けていった。僕はファルナと顔を見合わせると、身長では僕よりも高いと思われる彼女と共に、三つの酒樽を食堂へと運び入れた。この店は宿の方が専門なので食堂は狭く、長四角のテーブルが三つと椅子が十数脚あるだけだった。

 樽を運び終えると、窓の硝子を雑巾で拭きながらサスティが、有難うを行ってきた。僕は、故意につまらなそうに、どういたしまして、と言うと、まだ整理されていない椅子の一つに腰掛けた。

「宴は…」僕がサスティの、窓の上部を拭く為に背伸びをして手を伸ばしている背中に向かって言った。「何時やるの?」

「ええとねぇ」彼女は手を止めずに背中で答えてきた。「今日が十二日だから…十六日かな」

「まだ四日もあるのに準備を始めてるの? 羊の肉なんか、腐っちゃうんじゃないの?」

 僕の言葉に彼女は、レネカさんが仕込んでるから大丈夫、と答えてきた。今日で数時間煮込み、三日間寝かせ、当日もう一度煮込むらしい。

「それじゃあ…」僕が更に訊いた。「二十人っていう人数は? この村にしては、多すぎやしないか?」

 彼女は一寸だけ声に出して笑うと、やはり振り返りもせずに、それはね、と応対してきた。

「他の村や町の人たちもやってくるからなの」

 それで、僕はそれなりに得心が行った。

 樽を運んだ後は、本当に細々した作業ばかりで、僕の手伝える事は殆どないように思われたが、折角来たのだからと、洋杯の数を数えさせられたり、蝋燭の数を数えさせられたりした。どちらも二十に満たなかったが、ファルナは、レネカさんが余分に仕入れてくるから大丈夫、と言った。

 店長のレネカが返ってきたのは、教会の塔の鐘が六回鳴る頃よりも少し経ってからだった。初夏の空は、まだ随分と青みがかっていた。

 彼女は全員に、手伝ってもらって有難う、と礼を言うと、内容物で膨らんだリンネルの袋を二つ程調理場へ運んでいった。そして、夕飯を御馳走してくれる事になった。

 僕等は五人で、食堂のテーブルの内一つに腰掛けた。テーブルは六人掛けだったが、女性ばかりなので、なんとなく広く感じた。

 レネカは、試食だと言って、鍋の羊の一部を大きく切り取って皿に盛った物を出してくれた。女性ばかりの食卓には似つかわしくない程の大きさで、どうやら僕がその大半を平らげる使命を負っているらしかった。レネカはまた、僕とファルナで運んだ樽の栓を抜くと、少しずつ洋酒を振舞ってくれた。そうして僕等は五人で、ささやかな食卓を囲んだ。

 僕以外が女性である事もあって、あまり合う話題は展開されなかった。ので、僕は食べる事に専念した。レネカが洋酒を二杯目以降まで許したので、特に量を飲める体質ではないのだが、適度に酔い、気分が良くなってしまった。

「ああっ」サスティが僕の方を見て小さく叫んだ。「ルザートの顔ってば、真赤!」

 僕は自分の頬の温度を感じながら、無駄な程の笑みを浮かべ、うるさいなあ、と返してやった。レネカに、もう飲まない方がいいわ、と心配された。

「酔ってるんだったら…」ファルナが言った。「あれをやってくれない?」

「あれって?」僕がかぶりを振る前に、サスティが僕の方を向き、訊いて来た。「何?」

 僕は、ファルナが、皆の前で僕の特技を披露するように促しているのだと理解できた。僕は年上の彼女に頼まれて、以前に一度だけ、彼女一人の前でだけ、その特技を見せた事があった。何とも馬鹿みたいな特技なのだが…。つまり、僕は、女性の声で歌を唄う事が出来るのだ。所謂、裏声を利用した発声法というのであろうが…兎に角、僕にはそれが出来た。否、裏声で綺麗に歌唱する事が大抵の男子には可能であることくらい、僕は識っていた。自分は少しだけ特別なのだ。僕は毎年、冬頃に悪い風邪に侵され、酷い堰に悩まされ喉を痛めるのだが、ある年、堰が三ヶ月も止まらなかった。その所為で相当喉をやられ、堰が止まりかけた頃には、喉に現れた切り傷から血が出てくるようにさえなった。その後、僕の声は一ヶ月程まともではなかった。変化が起こったのは、声が戻ってきてからだった。妙に高い声まで普通に出せるのだ。以前なら裏返る程の音域でも、地声で発声が可能になった。そして自分で色々試してみた結果、地声と裏声の音域が重なり、実に途切れなく低音から高音へと移行出来るようになったのだ。そしてこれが、ファルナにしか聴かせた事はないが、女声で歌唱するという僕の特技に成った。

 タリタが、聴きたい聴きたい、と、サスティと一緒になってはしゃいだ。僕はほろ酔いだったので、少しだけ、やってもいいかな、という気になった。レネカの方を向くと、彼女は微笑して頷いた。

「私も、見てみたいなあ」

 レネカが言った。

「でも、あれをやると、女の子に嫌われる様で厭なんですよ」

 僕が言うと、レネカは、丁度いいじゃない、と返してきた。

 それで、僕は故意に観念したようにして、椅子から立ち上がってみせた。すると、四人の女性は拍手してくれた。少し気分が良かった。

 僕は全員の顔を見渡した。皆、興味に満ちた眼差しだった。僕はサスティに、何を唄って欲しいか訊ねた。彼女は、「遠い音楽」を唄って、と言った。僕は頷くと、咳払いをしてみせ、脚でリズムをとりながら、唄い始めた。酒を入れたばかりの喉だったが、かなり調子良く発声でき、娘達は静かに聴いてはいたものの、驚きを隠せない様だった。僕は出来るだけ視点を遠くに置くことにして、周辺視野のみで彼女等の表情を伺った。

 唄い終えると、皆、拍手をしてくれた。そしてサスティが、すごい、どうしてそんな事が出来るの、と騒いだ。独身のレネカが、惚れるかも、と戯言を言った。タリタが、もう一度他の歌でやって、とせがんできたが、断る事にした。

 夜、虫の鳴き声の涼しい夜道、サスティと並んで住所へと帰った。彼女は僕の特技の披露に未だ興奮さめやらぬ様子で、仕切りに喉仏に手を当ててきたり、大きく口を開けさせてきたりした。

 別れ際サスティは、また聴かせてね、と言った。





 六月十三日



 翌朝、僕は部屋の入口の戸を誰かが激しく叩く音で目を覚ました。僕は上体を起こすと、まだ状況を把握出来ていなかったが、とりあえず煩くて苛立ち、少し大きめの声で、今行くから静かにしてくれ、と叫んでしまった。僕は目を擦りながら髪と服を申し訳程度に正すと、木製の扉の把手を回し、開けてやった。そこには、険しい表情で佇むサスティが居た。

「起こしてごめんなさい。でも、早く来て!」

 彼女は言うと、僕の腕を掴んできた。

「どうしたんだい?」

「タリタがね…」彼女は少し肩で息をしている様だった。「町までお使いに行っていたんだけれど、馬に蹴飛ばされちゃったの!」

 なんだって?

「タリタは無事なの?」

 彼女は首肯した。

「けれど、酷いみたい。脚を蹴られちゃったの。馬車がね…」

 彼女が話すのを、僕は、まあいい、と制した。

「兎に角、早く案内してくれよ。彼女、今一人なんだろ?」

 彼女は頷いた。それで、僕等は出来るだけ速く町へと続く国道を駆けた。僕はもっと速く走れたが、サスティに合わせた。

 タリタは意外とすぐに見つかった。国道の周りは全て草原で、非常に見渡しのいい所だった。彼女は路傍の大きな石に腰掛け、痛い痛い、と泣いていた。が、僕等が駆け寄ると、目に溜まった涙を拭い、太陽を背に逆光線で影絵の様に見えているだろう僕等の方を見上げてきた。

 患部は一目で解った。右足の脛だった。非常に赤く腫れ上がり、微妙に変形していた。

「折れてるな…」

 僕が呟くように言うと、タリタの心配そうな眼差しが、僕の患部を見つめる視点の周辺視野に映った。

「もう、治らないのかなぁ…」

 涙声でタリタは言った。僕はそれで彼女の方を向くと、どんな馬車馬に蹴られたのか、馬車は何処へ行ったのか、を訊ねた。馬は小型で、蹴る心算で彼女の脚を折った訳ではなかったらしかったが、馬車自体は逃げていってしまったと言う。タリタに気付かない筈はあるまい…。

「取り敢えず…」僕は心配そうなサスティの方を見上げた。「固定して、医者に連れて行かないと…」

 僕は、草原と国道とを隔てている木製の柵の横木を一本捩り取ると、タリタのスカートを適当に捲り上げ、患部に当ててやった。触られて彼女は痛そうにしていたが、歯を食いしばって堪えいるのが解った。僕はそれから、彼女の脚と木とを固定する物を探した。が、見つからなかった。僕はサスティを見上げた。

「何か、長い紐の様な物はないかな」

 僕の言葉に、サスティは、あ、あるよ、と返答し、自分の上衣と下衣の繋がった服の腰部を締めているリボンの様な長い少し幅のある布をほどくと、提供してくれた。拘束を失った彼女の服は、風に引っかかって大きく棚引き、まるで寝間着の様だった。

 僕はタリタに出来るだけ苦痛を与えないように気をつけながら患部を固定すると、サスティに手伝って貰い、背中に負ぶった。そして振動を与えないようにして、ゆっくりと町の医者の所まで運んでやった。

 医者の診察によると、外見程に大した怪我ではない、という事だった。然し、骨折をしていて歩くのが儘ならないので、暫くは入院しなくてはならない、と言われた。医者は、出来るだけ早く親を連れてきてやるように、と告げた。そして、完治するには半年くらいはかかる、とも。

 僕とサスティは、何となく安堵して、然し彼女を負傷させた馬車に対しての怒りを覚えながら、村への道を並んで歩いた。向かい風に彼女のトビ色の長い髪と拘束を失った服とが靡き、なんだか可笑しかった。

「早くタリタの両親に伝えないと…」

 サスティが深刻そうな面持ちで呟いた。僕は適当に少し頷いた。僕等は歩いていたが、彼女は随分と早足だったので、合わせるのが大変だった。

「ところでさ…」僕が彼女の横顔に向けて言った。「今度の宴の事だけど…」彼女は立ち止まろうとも、こちらに顔を向けようともしなかった。「タリタは接客出来ないだろ? となると、どうするの? 人数は、三人で足りるの?」

 ここまで言うと、サスティは急に立ち止まった。そして、僕の方を凄い速度で振り向くと、大きな目を更に大きく見開き、ああ、と小さく叫んだ。

「そうだったんだ…どうしよう。二十人に対して三人は少なすぎるよねぇ…。四人でぎりぎりだったのにな…」

 少しだけ、彼女は自分の右手の掌を傾げた頬に当てて悩む様な仕草を見せると、すぐにまた前を向き、急ぎ足で歩き始めた。僕は彼女に歩調を合わせた。

「足りないんだったらさ」僕が彼女に言った。「僕がタリタの分を接客しようか?」

 僕が言い終わるか終わらないかの内に、駄目よ、と彼女は言った。

「『樫の盾』は年頃の男の人たちで埋め尽くされるのよ。想像してみてよ」

 まあ、以前にも想像した通り、気持ち悪い…。

「それじゃあ、他に頼める人は?」

 彼女は目を閉じながらかぶりを振った。まあ、人口が百人一寸の村だから、仕方あるまい。

 それから、随分僕等は黙ったまま歩き続けた。彼女はずっと深刻そうな表情を崩さなかった。

 村がそろそろ見えてくる、という頃だった。彼女は急に何かを思いついた様に、薄く笑顔を作ると、立ち止まり、僕の方を、見てきた。僕は、どき、とした。

「やっぱり」彼女が言った。「ルザートに手伝って貰うことにする」

 僕は反射神経で、どういう事、と訊ねていた。が、彼女はそれを全く無視した様に微笑むと、手を伸ばし、僕の伸びすぎた後ろ髪に当て、戯れに梳ってきた。

「髪も丁度いいくらいに長いし…。金紅色の綺麗な髪だしね」言って、彼女は、今度は僕の声帯の部分をもう片方の手で触ってきた。「変な特技だってあるし」

 僕には彼女の言いたい事がなんとなく予想ついた。が、故意に気付かないふりをして、だからどういう事なの、と訊いた。

「えぇ」彼女は満面で笑いながら悪戯っぽく声をだした。「顔立ちだって女の子みたいだし、肌の色も白いし」

 ここで、僕は初めて彼女の言いたい事に気付く振りをした。苦笑してやった。

「そこまでして、手伝いが必要なのか?」

 僕の言葉に、彼女は大きく数回頷いた。

「ね? いいでしょ? だって、ルザートって身長だって男の子の平均より少し低いくらいでしょ? ファルナよりも低いよね。絶対にばれないよ」

 そういう問題ではないと思うのだが…。

 僕は彼女に着替え前の皺だらけの袖を掴まれながら、成すがままにされる事にした。



 僕は、村に戻るなり、直ぐに「樫の盾」の二階に連れて行かれた。サスティは勘定台に居るレネカに、ちょっと部屋を貸してね、と言っただけで、僕をレネカの部屋に連れ込んだ。二階には五つの部屋があったが、そのうちの一つがレネカの住居になっていた。今までに入った事はなかったが。

 サスティに引っ張られて、僕は鏡台前の椅子に座らされた。彼女は僕に、部屋を眺める余裕をくれなかった。ただ、落ち着いた雰囲気の部屋である事は解った。

「ファルナにも手伝って貰えればいいんだけれど」サスティは僕の肩に頭を寄せ、鏡に映った僕と眼を合わせながら言った。「始めよう! 可愛い女の子にしてあげるね」

 彼女は早速、鏡台に取り付けられた抽斗を開けると、中から化粧道具を取り出した。僕には全く未知の物だった。サスティが化粧をしているのを僕は殆ど見た事がなかったが、やはり女の子だけあって、手つきは慣れたものだった。

「服はこのままでいいの?」

 僕が訊いた。

「なんで? そんな訳ないでしょ?」

「だったらさ、化粧は着替えた後にした方がいいんじゃないの?」

 僕の言葉に、彼女は、そうだったぁ、と軽く叫ぶと、レネカの洋服箪笥の扉を開き、漁り始めた。体型的には、確かにレネカと僕は似ているかもしれない。

 暫くして、彼女が箪笥から離れたので、服を選り終えたのだと思ったが、そうではなく、僕に向かって、一寸まっててね、と言うと、一階へと降りていってしまった。

 僕はレネカの部屋に一人残され、なんだか手持ち無沙汰だった。立ち上がり、装飾品などを鑑賞してレネカの趣味を窺おうかとも思ったが、なんだか野暮な気もして、やめることにした。

 やがて階段を忙しげに上ってくる足音が聞こえてきた。一人だけじゃないな…。

 扉が大きく開かれると、サスティがファルナを連れて入ってきた。僕はそっちの方を向いたが、特に驚く様にはしなかった。

 ファルナは僕の方を向くと、少しだけ笑って見せた。そして、綺麗にしてあげるわ、と言うと、サスティと共に洋服箪笥を再び漁り始めた。

 僕は二人が服を出したり仕舞ったりしている様子を、口許を緩めながら眺めていた。どれがいいかな、あ、これがいいよ、みたいな彼女等のあまりにも女の子らしい会話が、なんとも微笑ましかった。

 やがて二人は僕の前に立つと、誇らしげに選び終えた服を広げてみせた。それは、サスティの着ている服に似た物だった。薄い水色の上衣と下衣のスカートとが繋がった服で、首周りや袖や裾に、装飾として薄いピンクのリボンが通してあった。他にも二人は、先程サスティがタリタの為に外してくれた腰部を締める幅のある薄い赤色のリボンの様な物と、実際に髪を結う物と思われる少し濃い赤のリボンとを選んでいた。本当にこんな物を僕に着ろと言うのか…?

「さあ!」サスティが服を僕に押し付けて、言った。「着て!」

 僕は故意に鼻白む様にしてみせた。そして、サスティから服を受け取った。

「解ったよ…」僕が言った。「着替えるから、一寸出て行ってくれよ」

「一人で着られるの?」

 ファルナがサスティに向けていった。言われた彼女は、僕の方に問いかける様に目を向けてきた。僕は、駄目そうだったら声をかけるよ、と答えた。が、サスティは許さなかった。

「だめ、やっぱり、わたし達が着替えさせてあげるの」サスティが言った。僕は、本当に嫌になってきた。「さあ! 脱いで!」

 脱いでって…おいおい。

 僕が自分の服を脱ごうとするのを遮る様に、サスティの手が襟に伸びて来、僕はあっという間に上半身を裸にされてしまった。彼女は下も脱ぐようにいってきたが、流石にそれをする訳にはいかず、どうせスカート状になった服なのだから後から脱ぐ、と言って、収まった。

 僕はサスティとファルナに手伝ってもらって、彼女等の用意した服を着た。レネカの服は、確かに僕にぴったりだった。僕は、腰をリボンで締める前に、ズボンを脱いだ。下衣となるスカートの丈は膝くらいだったが、なんだかひらひらして落ち着かない感じだった。

 サスティは一度僕から離れ、少し遠い所から僕の全体を眺めてきた。そして、少し驚いた様に目を見開いてみせると、何も言わずにすぐに寄ってきて、服の腰部をリボンでぐるぐると締めてくれた。それからファルナが、湯で湿らせた布で顔や首筋を拭くと、伸びすぎた金紅色の髪を梳ってくれた。そして、赤いリボンで髪を結い、剃刀と泡を使って無駄毛を処理した。毛を剃った後の脚などは、スカートから生えているのが本当に女性の物のようで、自分でもなんだか気味が悪いくらいだった。

 後は化粧をするだけの様だったが、二人は今の状態で一旦手を止め、僕を直立させ、少し遠くから眺めてきた。二人とも笑うのかな、と思ったが、僕の意に反して、驚く様な素振りを見せた。僕は視線に居た堪れなくなって、故意に笑顔を作った。

「どうしたんだよ…二人とも」

 僕が小さく言うと、ファルナが我に返ったように、すごい…と呟いた。

「どうしよう…」サスティがファルナと顔を見合わせて言った。

「こんなに似合うなんて思わなかった」

「でもこれなら…」ファルナはサスティから僕へと視線を移動させながら言った。「タリタの代わりも出来るわ…」

 暫く沈黙があった。

「ねえ、ちょっと、くるっと廻ってみせて」

 サスティが言った。僕は表情を真剣な物に戻すと、言われた通りに、片足で一回転してみせた。僕の回転に合わせて、下衣のスカートや結われた髪が、滑らかな軌道を描いた。

「私よりも綺麗かも…」ファルナが呟く様に言った。「お化粧してなくったって…」

 二人は再び顔を見合わせると、気分を落ち着かせる様に咳払いをし、小さく溜息をつき、僕を座らせた。そして抽斗から化粧道具を取り出すと、僕に化粧を施した…。

 鏡を見て、自分でも驚いてしまった。そこには確かに、一人の年頃の女の子がいた…。僕は顔を色んな方向に傾けてみたり、髪の毛を触ってみたりしてみた。女の子だ…。

 僕の様子を見て、二人は、レネカさんに見せてみよう、と言った。それで、僕は二人に連れられて一階に下りて言った。レネカはまだ僕がタリタの代わりをする事を知らないのではないかと思ったが、サスティが、もう知らせてある、と言った。

 階段を抜け食堂に出ると、勘定台に肘をついていたレネカが、少し目を大きくして、わお、と呟いた。そして立ち上がると、僕の目の前までやってきた。

「…本当に…」彼女は少し首を傾いで、覗き込む様に僕と視線を合わせてきた。「ルザートなの?」

 僕は、やはり笑いもしないレネカの眼差しにたじろぎながら、頷いてやった。彼女もまた、溜息を一つついた。

「女の子みたいな顔してるとは思ってたけれど、こんなに可愛くなるとは思わなかったわ」

 サスティとファルナに向かって、彼女は言った。二人は頷いた。

「タリタの代わり、出来るよね…」

 サスティが呟く様に、全員に向かって言った。レネカとファルナは同時に頷いた。が、僕は不意に気がついた。

「タリタの事なんだけれど…」僕の言葉に、三人は僕の方を向いてきた。「親には知らせたの? 彼女の事」

「ああ! 忘れてたあ!」

 サスティが叫ぶ様に反応した。それにレネカが、早く行ってあげないとね、と応対した。

「丁度いいわ」ファルナが言った。「ルザートが、その格好のままでタリタの両親の所へ行って、知らせてあげればいい」

 何て事を思いつくんだ。

「それいいね」サスティが言った。「いいでしょ?」

 彼女は僕に、ねだる様な眼差しを向けてきた。それで、頷いてしまった。サスティは笑った。

 彼女は早速僕の腕を掴むと、引っ張った。それを見たレネカが、一寸待って、と制してきた。

「まず、声を出す練習をしないとね。貴方の得意な所でしょう? それに、名前を訊ねられたらどうするの? この村の住民という訳にはいかないでしょう?」

 言われたサスティが大きく頷いた。

「ねえ、ちょっと女の子の声で話してみて」

 僕はすぐに、厭だよ、と断った。恥ずかしく思ったからだ。

「大丈夫」ファルナが言った。「今はどうみても女の子なんだから。男の人の声で話してる方が気味悪いわ」

 反論出来なかった。それで、僕は声が裏返らない様に注意して、女の子の声で話してみる事にした。

「どう? こんな感じか?」

「だめ。言葉遣いも女の子じゃなきゃ」

 サスティが言った。僕は一つ間をおいてから、頷いた。

「これならいい?」

 サスティは満足したように、うん、いいよ、と言った。

「見事なものね」レネカが薄笑みを浮かべながら言った。「今の貴方を男だと言う人がいたら、その人の方が可笑しいわ」

 僕は彼女に、からかわないで下さいよ、と言った。

「名前はどうしよう?」

 サスティが言った。

「凝る必要は無いんじゃない? 普通に、ルザートの女性名を使えばいいと思う」

「そうかあ。となると…」サスティが僕の方を見て、口許を緩めた儘言った。「ラセラ、ね」

 僕は苦笑を隠し得なかった。娘の名前まで付けられて…。まったく。

 名前が決まると、すぐにタリタの家へ行く事となった。大人数で行くのは可笑しいので、行くのは僕とサスティだけだった。出しなに、ファルナが、どうなったか後で教えてね、と声を掛けてきた。了解を言ったのは、サスティだった。

 「樫の盾」からタリタの家までは、直ぐだった。並んで歩きながらサスティが、貴方は今はラセラなんだからね、とか、女の子の話し方に注意しなきゃだめだよ、とか、僕っていったら笑うよ、とか、色々注意してきた。僕は微妙に緊張してしまい、それどころではなかったが、彼女の言う事くらいなら気をつけられる自信があった。

 やがて、タリタの家の戸口に立った。一緒に言ってくれるのだと思ったのに、サスティは、頑張ってね、と言って、物陰に隠れてしまった。どうしろと言うんだよ…。

 僕はどきどきしながら、扉を叩いたものか時間を掛けて迷ったが、サスティが自分を見ている事を解っていたので、深呼吸で心に風を送ると勇気を奮い起こし、意を決して扉を叩いた。

 中から、はあい、という声がして、扉が開けられた。出てきたのは、タリタの母親だった。僕は勿論このまだ若い母親と顔見知りであったが、今は自分は町からやってきた娘である風に振舞わなくてはならないのだった。幸い、彼女は僕の顔をきょとんとして見つめているだけで、僕が本当はルザートである事には気付いていないらしい。

「何? なにか御用かしら?」

 タリタの母親が訊いてきた。僕は母親に向けた視点の周辺視野に、サスティの隠れている場所を確認しながら、答えた。

「あ、あの…」

 少し声が裏返ったか…。

「貴女は…どなた…?」

「あ、あたしは…」あたし!「ラセラといいます。あの…サスティの友人で、隣町からやって来たんですけれども…国道の途中で、お宅のラセラさんが怪我なさってるのを見つけたので…」

 母親は眉間に皺を寄せた。

「タリタが怪我を?」

 僕は首肯した。

「一応、町のお医者様の所で診て貰っています。大したことはないとおっしゃっていましたけれど、脚を骨折してしまっている様なので…」

「解ったわ」母親は、深刻な表情で返してきた。「すぐに行きます。ええと、貴女は…」

「ラセラです」

「知らせてくれて有難う、ラセラさん。帰ったら、お礼をしますね」

 僕は彼女の言葉に、とんでもありません、早くタリタの所に行ってあげてください、とだけ答えた。母親は少し頭を下げると、出かける準備をするのか、家の中に引っ込んでしまった。僕は扉が閉まってからも暫く立ち尽くしていたが、やがて背中からくすくすと笑う声が聞こえてきたので、振り向いた。そこには、満面の笑みのサスティがいた。

「えへへ!」サスティが声に出して笑った。「いいんだあ! とっても上手だったよ。『あたし』だって! 可笑しいんだあ!」

 僕は頬を染めた。

「うるさいなあ。『わたし』じゃあ、男だとばれると思ったんだよ」

「あっ! 頬っぺたが赤くなってる。可愛い!」

 まったく…もう!

 僕等は並んで歩いて「樫の盾」に帰った。帰り道、サスティは笑いっぱなしだった。

ファルナとレネカは、成功した事を告げると、女性らしくはしゃいでみせた。僕はなんだか恥ずかしかった…。





六月十四日~十五日



宴の日まではまだ二日もあったが、僕はファルナに勧められて、娘らしい立ち居振る舞いや言葉遣いを練習する事になった。女の子の格好に慣れる事も重要だという事になり、昼からの仕事も、女装したままですることになった。この仕事というのは実は鍛冶手伝いで、結構体力を必要とし、仕事中は化粧こそしなかったが、年頃の娘が力仕事をしている光景は傍からは奇妙に見えるに違いない。所謂親方には、きちんとサスティが説明をし、認めてもらったのだが、彼自身も仕事をしながら幾度となく僕の方を向くのが見て取れた。いっそ、皿洗いの仕事にでも変えるべきだろうか、と、本気で悩んでしまった。

 声については、例の特技もあり、特に文句のつくものではなかった。言葉遣いに就いても問題は無いようで、自称が「あたし」であることなどは、ひどくサスティの気に入ったらしい。ただ、歩き方や作法に多少男っぽさが見て取れるらしく、小さい歩幅で歩く事や、髪を掻き揚げる仕草を色々とサスティに指導された。始めは僕はあんまり乗り気ではなかったが、一人で村を女装の儘で歩いたり、レネカに頼まれて町まで手編みの籠を下げて買物に出たりする内に、周りが自分の事を本当に女だと思っている事に厭でも気付き、なんだか面白くなってきた。

 たったの二日間の訓練だったが、一度もルザートに戻る事なく過ごした為もあって、自分でも随分女の子っぽく振舞える様になったな、と思える位になった。宴は明日だが、そこにやってくる二十人程の男達が僕の事を娘だと勘違いするだろう事は、なかなか気持ちのいい事だと感じた。

 緊張はあったが、十五日の夕方には、もうすっかり女の子だね、とサスティに言われた。





 六月十六日



 宴は夕方からという事で、僕等は四人、準備に終われた。女装をするのが今日で終わりだと思うとなんだか寂しいような気がしていたが、日が沈むにつれ、そんな思いは消え去る位に忙しくなった。

 僕等は、羊の肉を切り分け、テーブルを拭き、燭台を立て蝋燭を刺し、または油を注ぎ、皿を並べ、料理をテーブルに置き、洋杯をならべ、樽の位置を変え、パンを用意し、食器を皿の前に並べ、その他色々、とにかく沢山の準備をした。

 大方の準備が終わった頃には、もう既に数人の男達が入口の前で何やら談義していた。

 僕とサスティとファルナは、レネカだけを食堂に残し、二階のレネカの部屋へと入ると、手早く化粧直しをした。それと、女の子であるのに胸がないのは、年頃の男達から見れば可笑しいのではないか、と言う事になり、僕は胸の部分に女性用のコルセットの様な下着をつけさせられ、そこに綿を詰められた。それから前掛けをすると、また一階の食堂へと降りて行き、レネカの了解を得てから、もう随分集まった男達を食堂の中へと案内した。気のいい男達ばかりの様で、入る時に僕等に対しての挨拶を忘れなかった。レネカやファルナやサスティは彼等の内の幾人かと面識がある様だったので、愛想を振りまいて挨拶を返していたが、僕は彼等とは初対面だったので、鼻白んでしまった。が、村出身の男自体は全体の四半分くらいの様だったので、彼等は特に分け隔てなく、挨拶をしてくれた。

 陽が頭を完全に隠した頃には、もう男達は全て勢揃いしていた。後は、村長を待つだけだった。

 僕等は、無論天井のランプは既に付けられていて室内は充分明るかったのだが、手許を照らす為にも、テーブルの上の蝋燭や油に灯を点けて廻った。それから鍋で今まで煮込まれていた野菜のスープを皿に注ぎ出してやると、洋杯に樽の果実酒を注いでやった。彼等は皆礼儀を辨えているようで、誰も勝手に料理や酒に手をつけるでもなく、物静かに村長の到着を待った。

 村長は、村の人間の中でも可也の高齢の部類に属す人間で、気立ての良い人柄ではあったが、歩行に関して多少の難があり、開け放された入口から杖を突いて入ってきた時には、直ぐに一番近くにいた男に支えられ、テーブルの席の一つについた。立った儘は辛いという事で、彼は座ったままで、兵役から戻ってきたばかりの男達を労う辞を幾らか述べた。そして、彼が乾杯の音頭をとった。

 その後は、本当に忙しいものだった。今まで静かだった男達が急に騒ぎ出し、物凄い勢いで料理を平らげ、酒を干した。その為、僕等は、特に僕は、自分の格好に気を使う暇さえないくらいで、パンを籠に盛ったり、洋杯を男達から受け取ったり、スープを注いでやったりして、調理場と食堂とを行ったり来たりした。初夏の暑さに汗が幾らも流れたが、特に化粧が崩れる程ではなかった。こんな事を気遣わなくてはならない女性というものは、結構不便だな、と思いながら料理を運び続け、男達が満足した頃には、もうパンの籠も鍋も殆ど空になっていた。酒の樽だけがまだ健在で、料理のなくなった男達は、洋酒だけを呷っていた。それで、テーブルの上の食器や皿を片付けて布巾で拭いてやると、男達は兵役の頃の思い出や、そこで知り合った連中の故郷の話なんかを語り始めた。

 やる事がなくなって、僕は急に手持ち無沙汰になった。レネカが調理場で皿を洗っていたので、それを手伝おうと思った。が、レネカは断ってきた。その代わりに、テーブルに入って男の子達の話に華を添えてやって、と、横目で僕を悪戯っぽく見ながら、言ってきた。僕は、どき、としたが、自分は今は女の子なのだ、と言い聞かせ、食堂に戻っていった。見ると、ファルナもサスティも、それぞれ別のテーブルに着き、男達と何やら話をしていた。三つあるテーブルの一つだけが、六人の男のみで占められていて、彼等は僕が調理場から出てくるや否や、手招きをして、椅子を差し出してきた。僕は一瞬躊躇ったが、故意に微笑んで見せ、そこに座った。どの男も皆体格がしっかりとしており、その中に居て僕は、ますます娘の様に見えるに違いない。

 彼等は僕に、まず、一杯の洋酒を勧めてきた。僕は自分の前に出された洋杯に片手を掛け、上目遣いで興味深そうに僕を凝視する六人の男達を見渡した。僕が長い間飲まずに微笑していると、男の内の一人が、お酒は苦手かな、と訊いて来た。

「ううん。そんな事ない。ちょっとだけならね」

答えて、僕は杯を呷った。一息で干してしまったので、男達は嬉しそうに歓声をあげた。一人の男が僕に二杯目を用意してくれたが、もう飲む事を強要はしてこなかった。僕は、酔う事で地がでないだろうか、と心配になった。

 彼等は、何も喋らずに僕の方ばかりを見ていた。特に下心があるような視線ではなく、なにやら珍しい物を見ているようだった。全員気持ちのいい者だったので、特に悪い気はしなかったが、視線がくすぐったく、幾度か小さく声に出して微笑んだ。

「どうしたの?」

 僕は余裕を持って、言った。すると、男達は笑った。

「ごめんごめん」さっき、酒は苦手かと訊いて来た男が言った。「僕達って、兵役帰りだろ? だから、君みたいな綺麗で若い娘が珍しいのさ」

 娘ねえ…。

「兵役は…」僕が、その男に視線を合わせて、でも全員に聴き届く様に、言った。「辛かった? どんな事をしたの?」

 訊かれて、その男は手に片付けた筈のフォークを持ち、掲げ、言った。

「勿論、剣さ! 君みたいな娘を護る為にね!」

 気障な言葉に、周りの男達が大きく声をたてて笑いながら、その男の背中や肩を叩いた。

 僕は段々その場の雰囲気に慣れ始め、ほろ酔い程度に洋杯に唇を濡らしながら、男達の語る兵役の話に耳を傾け、微笑んだ。とりとめのない話が随分と続いたが、飽きる事はなかった。

 やがて、六人の中で、誰が一番兵役の訓練を怠らなかったか、という話題になった。それで彼等はテーブルの上を適当に片付けると、腕相撲の勝ち抜きをする事になった。

「勝者への報酬は?」

「勿論、ラセラの接吻!」

「馬鹿野郎!」接吻の賞を希望してきた男の頭を、フォークを掲げた先刻の男が軽く叩いた。「ごめんね」男は僕に向かっていった。「こいつ、酔ってるんだよ」

 初夏の気だるさの所為か、場の雰囲気の所為か、酒の所為か、僕は何となく、彼等を可愛いと思ってしまった。それで、微笑んでやると、了解してやった。

「いいわよ」僕が言った。「優勝した人には、接吻してあげる」

 なかなか面白そうだと思ったのだ。

 僕の言葉に、男達は予想通りに歓声をあげた。フォークの男は、微笑しながらも心配そうに、いいのか、と訊いて来た。が、僕は男だし、別の意味でも面白いと思ったので、何の躊躇いもなく頷いてやった。少しだけサスティの方に目をやったが、彼女もこっちの様子をみて面白がっている様だった。ただ、僕が彼等の希望を受け入れてやる事で、他のテーブルでも同じようにサスティとファルナが接吻を要求されてしまうのではないだろうかと懸念したが、そのくらいの辨えを男達は持っているらしく、特に問題はなさそうだった。

 男達は物凄い勢いで、僕の接吻! を巡る、壮絶な腕相撲を始めた。皆威勢良く叫んでは膂力を試した様だったが、勝負はあっというまに決まってしまった。勝者は、あのフォークの男だった。僕はなんだかどきどきした。

 彼は僕に、本当にいいのかい、と訊いて来た。僕は、あんまりふしだらな娘に見られたら不味いだろうか、と思ったが、彼の他の五人を圧倒するのに気分をよくしたのか、爽快だったので、快く首肯してやった。彼はそれで、一瞬目をそらして狼狽してしまった様だが、他の男達に囃されると、恐らく故意にだろう、厭々そうに席を立った。僕も彼に合わせて、微笑みながら席をたち、彼の傍に寄った。食堂にいる全員の視線が、僕等に集まった。サスティは相変わらず笑っている。気付くと、レネカも勘定台に肘を突きながら、此方を向いて薄笑みを湛えていた。

 僕と男は、テーブル間の少しだけ広い場所に立つと、歩を進め、お互いの距離を縮めていった。僕は本当にどきどきしてしまった。今、僕は女なのだ。年頃の男に唇を奪われる初心な、年頃の娘なのだ…。

 始めは躊躇っていた男だったが、僕等の間が接吻の可能なくらいに縮まると、やおら両手を僕の首筋に当て、後ろ髪辺りを愛撫してきた。僕等は互いに、深く見詰め合った。よく見ると、男の顔はよく整っており、凛々しかった。僕よりも拳二つ分くらい背が高く、周りからは、間違いなく一人の男と一人の女に見えている筈だ。

 やがて、僕の首筋に当てられた彼の両手に力が入った。そしてその手は僕の背中あたりに廻され、僕は彼の方に引き寄せられた。僕は体勢を保つためにも、彼の腕の中から、彼の両肩に両手をついて、肘を折りたたんで彼の胸に納まった。厭ではなかった。辺りが急に静まり返った。

 彼の吐息が僕の髪を微かに揺らした。

 僕等は、互いに誘い合う様に顔を近づけ、接吻をした。彼の厚い唇は、柔らかだった。僕は目を閉じていたが、口紅が二人の唇の間でぬるぬると遊ぶのが解った。なんだか、蛭の様だった。僕等は同時に一瞬だけ薄らと目を開くと、再び目を閉じ、少しだけ唇を開き、互いに舌を入れ、舐めあった。二人とも、唾液の粘性が強くなっていた。なんだか変な気分だった。

 暫くして、僕等は唇も手も離した。途端に、辺りは歓声を上げた。彼は呆然として僕の顔を見詰めていた。彼の唇に、赤く紅が付いていた。僕は故意に上目遣いをし、はにかむような仕草をしてみせ、席に戻った。彼はそれでも暫く立ち尽くしていたが、やがて我に返った様に唇を拭い、苦笑すると、僕の向かいの席に戻った。

 サスティなんかも苦笑いしているのではないかと思ったが、声を出すのを堪える様に、くすくすと笑っているだけだった。



 夜中。男達が皆帰ってしまった後、僕等は片付けに追われた。テーブルを拭き、皿を洗い、蝋燭を始末し、残飯を処理した。四人では結構忙しかったが、何故か僕と接吻した男だけは、仲間にそうするように言われたのか、何も言わずに一人だけ残って、僕等を手伝ってくれた。この時初めて、僕は彼の名前がラッズであると知った。

 ラッズは、片付けが終わると、僕の方を少しだけ見詰めてから薄く笑うと、レネカに挨拶をして、闇の中に消えていってしまった。

 村中が寝静まって、虫だけが涼しく鳴く頃になって、僕はようやっと化粧と服から解放された。特に窮屈は感じていない積りではあったが、やはり自分の服が一番馴染んだ。サスティは僕がもう女装をしない事を、何故か、少し残念に思っていたが、微笑だけで彼女を宥める事が出来た。

 それから僕等は四人で、遅い夕食をとった。レネカは、ご苦労さま、と言いながら、奥の酒蔵部屋から特別上等な洋酒を持ってくると、少しずつ洋杯に注いでくれた。さっきの酔いは、もう覚めていた。

「巧くいってよかった」サスティが言った。「ありがとね、ルザート」

 僕は微笑しながら横目に彼女を見、小さく頷いた。

「でも」僕が言った。「男と接吻させられるなんて、聞いてなかったけれどな」

 皆が声をたてて笑った。

「彼、貴方を見て呆然としてたわよ」ファルナが言った。「本当に貴方に惚れちゃったんじゃないの?」

 彼女の言葉に僕は、ぎくっ、とした。

「ええ? 男の人を誘惑しちゃったの?」

 サスティが、戯れに言った。

「本当に好きになっちゃったのかもよ、彼」レネカが、パンを千切りながら上目遣いに僕の方を見、少し口許を緩めて言った。「もし貴方の事を追いかけてきたら、どうするの?」

 どうするって言われても…。

「そんなの!」サスティが小さく叫んで言った。「また、ルザートに女装してもらうのよ」

 おいおい…。

「大丈夫さ」僕は苦笑しながら言った。「兵役で戻って来た者は、皆町へ出て行ってしまう筈なんだから」自分に言い聞かせる様だった。「大丈夫さ…」






今回のテーマ曲はコチラ↓↓↓

「ボク、オトコの娘」

ニコニコ動画:http://www.nicovideo.jp/watch/sm27589109

youtube:https://youtu.be/ABInHkSauEg
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