秘密のアルバイト

春日井駿

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5.キャンバス

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 美由紀の唇から絞り出された、ほとんど吐息に近い承諾の言葉を合図にしたかのように、矢切愛生は素早く行動を開始した。その動きには一切の躊躇いがなく、まるでこれから行われる全ての手筈が、遥か昔から決定されていたかのように滑らかだった。彼女はまず、豪奢な天蓋付きベッドのシーツを一度剥がし、代わりにどこからか持ってきたビニール製の大きな防水シートを広げてマットレスを覆っていく。ガサガサという無機質な音が、美由紀の鼓膜を不快に刺激した。自分の選択が、シーツを汚すほどの何かを引き起こすのだと、その無言の準備が雄弁に物語っていた。
 続いて愛生は、ベッドの四隅、重厚な木彫りの柱に、鈍い銀色に光る金属製の枷を取り付けていく。ガチャリ、ガチャリと、一つずつ錠が下りるたびに、美由紀の心臓が冷たい手で掴まれたかのように収縮した。手錠が二つ、足枷が二つ。それはまるで、これから屠殺される獣を拘束するための祭壇を設えているかのようだった。
「さあ、こちらへ」
 全ての準備が整ったところで、愛生は無表情のまま、しかしどこか芝居がかった恭しい仕草で美由紀をベッドへと誘う。抗う術もなく、意思を奪われた人形のように、美由紀はその白い祭壇へと歩み寄った。
 愛生は美由紀の腕を取り、仰向けに寝かせると、その手首を冷たい手錠にはめ込む。もう片方の手首も、そして両足首も、次々と枷に繋がれていった。
 枷に繋がれた手足は、ベッドの四隅に向かって容赦なく引き伸ばされる。愛生は美由紀の体が最も伸展し、まるで磔にされたかのように四肢がピンと張り詰める角度まで、鎖の長さを慎重に調整した。関節がきしみ、筋肉が悲鳴を上げる。身じろぎ一つできない完璧な拘束。もはや自分の体でありながら、自分の意思では指一本動かすことすら叶わない。
「では、織姫様。準備が整いました」
 愛生は満足げに頷くと、主である織姫に深く一礼し、部屋の隅へと静かに後退した。その視線は、これから始まるであろう主の愉悦の儀式を見守る、忠実な観客のそれだった。
 部屋の主役は、再び櫻坂織姫へと移る。彼女は、拘束されて身動きできない美由紀の姿を、まるで極上の芸術品を鑑賞するかのように、ゆっくりと眺めていた。タンクトップとホットパンツという、肌の露出が多い服装はそのままだったが、手足を限界まで広げられて固定された体勢は、ただそこに横たわっているだけの時とは比較にならないほどの羞恥心を美由紀に与えた。特に、無防備に晒された脇の下と、大きく開かれた脚の付け根が、熱いほどの屈辱となって意識に焼き付く。緊張と恐怖から噴き出した汗が、脇の下をじっとりと湿らせていた。
「素晴らしいわ」
 織姫はうっとりとした声で呟くと、ゆっくりとベッドに近づき、その汗ばんだ美由紀の脇に指を這わせた。ひんやりとした指先が、熱を持った肌の上を滑る。びくり、と美由紀の体が震えたが、拘束されているため逃れることはできない。織姫はその反応を楽しむかのように、くつくつと喉の奥で笑いながら、指先で円を描くように、あるいは産毛を一本一本確かめるかのように、執拗に脇の下を弄んだ。
 その指は次に、くぼんだ臍へと移り、その小さな窪みをゆっくりと探る。さらに胸の先端を服の上から軽くつまみ、最後に固く閉じられた股間のすぐそば、ホットパンツの布地の上をなぞった。美由紀の体は、その一つ一つの愛撫に、恐怖と屈辱で強張っていく。それは快感などとはほど遠い、精神を削り取るような凌辱だった。
「さて、と」
 ひとしきり美由紀の体を指先で堪能した後、織姫はすっと立ち上がると、愛生が傍らに用意していたワゴンへと目を向けた。ワゴンの上段には、銀色のトレイが置かれ、その上には様々な形状の刃物が、まるで外科手術の道具のように整然と並べられていた。その光景を目にした瞬間、美由紀の全身から血の気が引いていく。
 そこに並んでいたのは、尋常な家庭には決して存在しないであろう刃物のコレクションだった。鋭利な先端が冷たく光るメス。果物を切るにはあまりに無骨なナイフ。事務用品であるはずのカッターナイフは、その刃が新品のものに替えられている。木材を切り刻むための細い糸鋸。そして、手紙の封を切るための優雅なペーパーナイフまで。用途も大きさもバラバラなそれらが、今、ただ一つの目的のために集められている。それは、自分の体を傷つける、という目的だ。
(間違っていた……選択を、間違えたんだ)
後悔の念が、黒い津波のように美由紀の心に押し寄せる。母親のため、その一心でこの扉を叩いた。しかし、目の前に広がる光景は、自分の想像を遥かに超えた狂気の世界だった。これはアルバイトなどではない。これは、人間の尊厳を対価に、快楽を貪るための儀式だ。
「い?いや、や、やめて!お願い」
 織姫は美由紀の懇願を嘲笑うように、その刃物の列を吟味するかの如く、ゆっくりと指でなぞっていく。どの獲物で最初の傷を刻むべきか、心底楽しそうに悩んでいるのが、その横顔から伝わってきた。美由紀はただただ懇願するしかなかった。
 長い、永遠にも感じられる沈黙の後、織姫はふっと息を吐き、一本のメスを手に取った。最もシンプルで、最も医療的に、そして最も人を傷つけることに特化した形状の刃物。彼女はそのメスを手に取ると、ワゴンの上に置かれた消毒用アルコールの瓶を開け、脱脂綿に浸したそれで、メスの刃を丁寧に拭き清めた。ツンとしたアルコールの匂いが、死の匂いのように美由紀の鼻腔を突く。
 消毒を終えた織姫は、再び美由紀のもとへと歩み寄る。その足音一つ一つが、断頭台への階段を上る音のように、美由紀の心臓に重く響いた。いよいよ、その時が来る。
「どこがいいかしら」
 織姫は独り言のように呟きながら、メスの冷たい先端を、美由紀の肌にそっと触れさせた。最初は頬。柔らかな皮膚の上を、刃が滑る。次に、か細い首筋へ。頸動脈がどくどくと脈打つのが、メスを持つ織姫の指先にまで伝わってくるかのようだった。
 タンクトップの襟元からメスを滑り込ませ、鎖骨の窪みをなぞり、胸の谷間をゆっくりと下っていく。膨らみの上で円を描き、そして腹部へ。さらに下腹部、ホットパンツの縁に沿って、太腿の付け根へと至る。
 メスは傷一つつけずに、ただ肌の表面を滑るだけだった。
 しかし、その冷たい感触と、いつ皮膚が裂かれるか分からないという恐怖は、実際に切られるよりもなお、美由紀の精神を苛んだ。メスはしなやかな太腿を上り下りし、膝の皿を回り、すねの骨に沿って足首まで下りていく。そして、くすぐったさと恐怖が入り混じる足の裏をなぞり、一本一本の足指の間を丁寧に滑っていく。
 今度は腕だ。手の甲から指先へ、そして手のひら、手首の内側。最も皮膚が薄く、血管が浮き出ている前腕部を、メスはまるで恋人のように優しく撫でる。肘の内側、二の腕の柔らかな部分、そして最後は、拘束されて無防備に晒された、汗ばむ脇の下へ。メスが全身を巡るこの旅は、織姫にとっては極上の娯楽であり、美由紀にとっては地獄のような凌遅刑だった。
「ふふっ……どこもかしこも、綺麗ね」
 全身をくまなく検分し終えた織姫は、満足そうに微笑むと、ついにメスの動きを一点で止めた。それは、美由紀の左の二の腕の、内側の最も柔らかい部分だった。
「決めたわ。最初は、ここ」
 宣言すると同時に、織姫はメスの先端を、その白い肌にぐっと押し当てた。まだ切ってはいない。ただ、肌の弾力を楽しむかのように、ゆっくりと、しかし確実に力を加えていく。メスの鋭い先端が、皮膚に白い点を穿ち、徐々に、徐々にめり込んでいく。人間の皮膚というものは、かくも頑丈なものか。美由紀の体は恐怖で硬直し、息もできずに、ただ自分の肌がへこんでいく様を見つめるしかなかった。
 ぷつり。
 何かが弾けるような、微かな、それでいて決定的な音がした。ついに、メスの先端が皮膚の抵抗を破り、その下の肉へと到達したのだ。
「きゃっ……!」
 痛みそのものよりも、皮膚が破られたという事実に、美由紀は金切り声にもならない、小さな悲鳴を上げた。
 だが、織姫はそんな声など聞こえていないかのように、表情一つ変えない。むしろ、その口元には愉悦の笑みが深く刻まれている。彼女は少しも躊躇うことなく、肉に埋まったメスを、すっと横に滑らせた。
 ざり、と肉が裂ける生々しい感触が、メスを通して織姫の指に伝わる。そして、美由紀の腕にも、焼けるような痛みが走った。五センチほどだろうか。織姫は一直線に肌を切り裂くと、そこで動きを止め、ゆっくりとメスを肌から引き抜いた。
 切り口から、ぷくりと血の玉が盛り上がる。それはすぐに重力に従って、一筋の真っ赤な線となり、白い肌を伝って流れ落ち始めた。その光景は、あまりにおぞましく、そしてどこか官能的でさえあった。
 織姫は、その流れる血を恍惚とした表情で見つめると、おもむろに自身の人差し指を伸ばし、滴り落ちる血の筋をそっと拭った。そして、真っ赤に染まった指先を、ためらうことなく自らの口元へと運び、ゆっくりと口に含んだ。
「……んっ」
 目を閉じ、その味を全身で吟味するかのように、しばし恍惚の表情を浮かべる。やがてゆっくりと目を開けた彼女の顔には、これまでのどの瞬間にも見られなかった、満面の、少女のような無邪気な笑みが広がっていた。

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