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呪いの黒猫、失われた真実
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──これは、まだ世界がやわらかく、ぬくもりに包まれていた頃の記憶。
怜綾は母・怜芽と共に、静かに、けれど確かに幸福な日々を過ごしていた。花の香る庭を走り回り、風の音に耳を澄ませ、母の膝に頭を乗せて昔話を聞きながら眠りにつく。そんなささやかな日々が、彼にとって世界のすべてだった。
怜芽は聡明で、気品にあふれた女性だった。先帝の寵愛を一時期受けながらも、他妃を蹴落とすような野心を持たず、常に静かに笑っていた。その姿は、怜綾の心の中で女神のように輝いていた。
だが──。
その穏やかな時間は、ある日、音を立てて崩れた。
「母上が謀反を企てたと……? そんなはずがない!」
そう叫んだ幼い怜綾の声は、宮中の誰にも届かなかった。告発者の名は明かされず、証拠も曖昧なまま、怜芽はただ“疑いのある者”として冷宮へ追いやられた。先帝は何かを察していたのか、それとも他に守るべきものがあったのか──母の無実を訴える怜綾に対して、わずかに視線を逸らしただけだった。
それでも、怜芽は怜綾と共に冷宮で慎ましく暮らし続けた。花はなくとも、灯りがなくとも、母と子は互いに寄り添って夜を越えた。やがて、怜綾も成長し、文と武の才を示し始めていた。
「母上、必ず……私がこの手であなたをここから出します」
そう誓った夜の翌日だった。
怜綾が本殿に呼び出され、ほんのひととき冷宮を離れたその隙に、悲劇は訪れた。
──母は、首を紐で絞められ、冷たくなっていた。
「これは……自害ではない。母上は……母上は、そんな人じゃない……!」
呆然と立ち尽くした怜綾は、誰よりも早く“何かがおかしい”と気づいた。人知れず動き始め、独自に調査を進める。そして、ついに真実へと辿り着く。
──母を陥れたのは、高妃。
怜綾が幼い頃から親しみ、笑顔で髪を撫でてくれた女が、裏では母を冷宮送りにし、密かに命を奪うよう命じた黒幕だったのだ。なぜ? なぜそんなことを……?
(高妃は、先帝の寵愛を一心に得た母上が疎ましかったのか? それとも……)
憎しみは、怜綾の中で静かに渦巻いた。信じていたものに裏切られた痛みは、心の奥深くをひび割れさせた。
だが、それを証明するには、証人も記録も──何一つ足りない。
「ならば……せめて、真実を先帝に伝えなければ……!」
怜綾は、怒りと悔しさを握りしめながら、再び本殿を訪れる。だが、先帝は彼の言葉に耳を傾けなかった。
「……そなたは、不吉な子だ」
その言葉に、心が凍りついた。
次に現れたのは、黒い装束を纏い、影のように立つひとりの男──
「雨魘(うえん)と申します。陛下の命により、そなたの命運を占うために参りました」
柔らかく笑うその顔には、どこか禍々しさがあった。冷たい手が怜綾の額に触れた刹那──
世界は音を失った。
「……これで、お前は声を失い、姿も失う。人の形を捨て、獣の身に堕ちよ。月夜の光のみが、かつての姿を映すだろう」
──それが、呪いだった。
気づけば、自らの手は小さく、柔らかく、毛に覆われていた。姿は──黒猫。
叫ぶことも、訴えることもできず、怜綾はその日から、すべてを失った。
冷宮の隅で、一人、月を見上げる。
(なぜ……どうして、私は……)
夜空に浮かぶ聖なる月だけが、彼の嘆きに静かに寄り添っていた。
怜花宮の庭に、静けさが降りていた。
月明かりは白銀のヴェールとなって地面を照らし、風のない夜、葉の擦れる音すら聞こえない。
怜綾は人の姿で縁側に腰掛け、庭の先に浮かぶ月を見上げていた。
濡れたような長髪が肩を越え、袖の端から覗く指は細く白い。
「……母上」
ぽつりと呟く声は、誰にも届かない。
ただ、夜空の彼方に浮かぶ月だけがその名を聞いていた。
かつて、あの光の下で、母・怜芽と肩を寄せ合って見上げた空。
甘く優しいぬくもりも、涼しげに微笑む声も、今はただ脳裏の中にだけ残っている。
月は何も答えてはくれない。
怜綾は手を膝に置き、肩を落とした。
「……呪いが解けたところで、母上はもう……」
(それでも、解きたい。せめて……あの日の真実を、この身で明かしたい)
――そのとき、
石畳を踏みしめる足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには黒の衣を纏った一人の男。
忠臣・天馬が、深夜にもかかわらず怜花宮へと現れたのだった。
「……お久しゅうございます、怜綾様」
「天馬……どうして、こんな時間に……」
怜綾の問いに、天馬は膝をつき、顔を伏せた。
「ついに……呪いを解く手がかりを見つけました」
怜綾の瞳が、月のようにわずかに揺れる。
「……!」
「――《冥月之書》。それは、古の時代に禁忌とされ、後宮の奥深くに封印された、呪詛と解呪のすべてが記された禁書です。」
「冥月之書……」
「ただし――」
天馬の声が低くなる。
「その書は、幽燈殿という場所に封印されているそうです。ですが、幽燈殿は後宮のどこにあるのか記録もなく、噂も断たれ、存在すら“禁じられた真実”として闇に葬られております。」
怜綾は立ち上がり、庭の先を見やった。
遠く、竹林の向こう――何かを感じるように。
「……見つけなければならない、何としても」
(たとえ呪いを解けずとも、このままでは終われない)
「はい……必ず見つけましょう。私は何よりも、貴方様が本来の姿で、笑える日を望んでおります」
天馬は深く頭を垂れた。
怜綾は小さく息を吐くと、再び夜空を見上げた。
今夜の月も、聖なる光を放っている。
(冥月之書……その書に、全てが記されているというのなら――)
月の光が、彼の銀の瞳を照らした。
その光の中、かつて失われた時間の音が、静かに鳴りはじめていた。
怜綾は母・怜芽と共に、静かに、けれど確かに幸福な日々を過ごしていた。花の香る庭を走り回り、風の音に耳を澄ませ、母の膝に頭を乗せて昔話を聞きながら眠りにつく。そんなささやかな日々が、彼にとって世界のすべてだった。
怜芽は聡明で、気品にあふれた女性だった。先帝の寵愛を一時期受けながらも、他妃を蹴落とすような野心を持たず、常に静かに笑っていた。その姿は、怜綾の心の中で女神のように輝いていた。
だが──。
その穏やかな時間は、ある日、音を立てて崩れた。
「母上が謀反を企てたと……? そんなはずがない!」
そう叫んだ幼い怜綾の声は、宮中の誰にも届かなかった。告発者の名は明かされず、証拠も曖昧なまま、怜芽はただ“疑いのある者”として冷宮へ追いやられた。先帝は何かを察していたのか、それとも他に守るべきものがあったのか──母の無実を訴える怜綾に対して、わずかに視線を逸らしただけだった。
それでも、怜芽は怜綾と共に冷宮で慎ましく暮らし続けた。花はなくとも、灯りがなくとも、母と子は互いに寄り添って夜を越えた。やがて、怜綾も成長し、文と武の才を示し始めていた。
「母上、必ず……私がこの手であなたをここから出します」
そう誓った夜の翌日だった。
怜綾が本殿に呼び出され、ほんのひととき冷宮を離れたその隙に、悲劇は訪れた。
──母は、首を紐で絞められ、冷たくなっていた。
「これは……自害ではない。母上は……母上は、そんな人じゃない……!」
呆然と立ち尽くした怜綾は、誰よりも早く“何かがおかしい”と気づいた。人知れず動き始め、独自に調査を進める。そして、ついに真実へと辿り着く。
──母を陥れたのは、高妃。
怜綾が幼い頃から親しみ、笑顔で髪を撫でてくれた女が、裏では母を冷宮送りにし、密かに命を奪うよう命じた黒幕だったのだ。なぜ? なぜそんなことを……?
(高妃は、先帝の寵愛を一心に得た母上が疎ましかったのか? それとも……)
憎しみは、怜綾の中で静かに渦巻いた。信じていたものに裏切られた痛みは、心の奥深くをひび割れさせた。
だが、それを証明するには、証人も記録も──何一つ足りない。
「ならば……せめて、真実を先帝に伝えなければ……!」
怜綾は、怒りと悔しさを握りしめながら、再び本殿を訪れる。だが、先帝は彼の言葉に耳を傾けなかった。
「……そなたは、不吉な子だ」
その言葉に、心が凍りついた。
次に現れたのは、黒い装束を纏い、影のように立つひとりの男──
「雨魘(うえん)と申します。陛下の命により、そなたの命運を占うために参りました」
柔らかく笑うその顔には、どこか禍々しさがあった。冷たい手が怜綾の額に触れた刹那──
世界は音を失った。
「……これで、お前は声を失い、姿も失う。人の形を捨て、獣の身に堕ちよ。月夜の光のみが、かつての姿を映すだろう」
──それが、呪いだった。
気づけば、自らの手は小さく、柔らかく、毛に覆われていた。姿は──黒猫。
叫ぶことも、訴えることもできず、怜綾はその日から、すべてを失った。
冷宮の隅で、一人、月を見上げる。
(なぜ……どうして、私は……)
夜空に浮かぶ聖なる月だけが、彼の嘆きに静かに寄り添っていた。
怜花宮の庭に、静けさが降りていた。
月明かりは白銀のヴェールとなって地面を照らし、風のない夜、葉の擦れる音すら聞こえない。
怜綾は人の姿で縁側に腰掛け、庭の先に浮かぶ月を見上げていた。
濡れたような長髪が肩を越え、袖の端から覗く指は細く白い。
「……母上」
ぽつりと呟く声は、誰にも届かない。
ただ、夜空の彼方に浮かぶ月だけがその名を聞いていた。
かつて、あの光の下で、母・怜芽と肩を寄せ合って見上げた空。
甘く優しいぬくもりも、涼しげに微笑む声も、今はただ脳裏の中にだけ残っている。
月は何も答えてはくれない。
怜綾は手を膝に置き、肩を落とした。
「……呪いが解けたところで、母上はもう……」
(それでも、解きたい。せめて……あの日の真実を、この身で明かしたい)
――そのとき、
石畳を踏みしめる足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには黒の衣を纏った一人の男。
忠臣・天馬が、深夜にもかかわらず怜花宮へと現れたのだった。
「……お久しゅうございます、怜綾様」
「天馬……どうして、こんな時間に……」
怜綾の問いに、天馬は膝をつき、顔を伏せた。
「ついに……呪いを解く手がかりを見つけました」
怜綾の瞳が、月のようにわずかに揺れる。
「……!」
「――《冥月之書》。それは、古の時代に禁忌とされ、後宮の奥深くに封印された、呪詛と解呪のすべてが記された禁書です。」
「冥月之書……」
「ただし――」
天馬の声が低くなる。
「その書は、幽燈殿という場所に封印されているそうです。ですが、幽燈殿は後宮のどこにあるのか記録もなく、噂も断たれ、存在すら“禁じられた真実”として闇に葬られております。」
怜綾は立ち上がり、庭の先を見やった。
遠く、竹林の向こう――何かを感じるように。
「……見つけなければならない、何としても」
(たとえ呪いを解けずとも、このままでは終われない)
「はい……必ず見つけましょう。私は何よりも、貴方様が本来の姿で、笑える日を望んでおります」
天馬は深く頭を垂れた。
怜綾は小さく息を吐くと、再び夜空を見上げた。
今夜の月も、聖なる光を放っている。
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