蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

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封印された扉

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春の香りが薄れていく頃、怜花宮の庭は静かに緑を深めていた。
茗渓は今日も元気よく、風に揺れる枝葉の音を背に、ひとり小道を辿っていた。

「ふふ、こんなに広いんだから、ちょっとくらい探検しても罰は当たらないよね」

――そう、これはあくまで「気分転換」。
けっして「禁止区域に踏み込んでいる」わけではない。うん、きっと違う。たぶん。

怜花宮の裏手には、細い竹林があった。
春霞のように淡い青竹が並ぶその奥へと、茗渓は足を進めた。

「……あれ?」

風が止み、竹が揺れた隙間から、ひと筋の古道が見えた。
敷き詰められた石畳は苔に覆われており、踏まれた気配すらない。

まるで、長い時間忘れられていたかのように。

「……なにここ。お宝の匂い、というか……隠された何かの予感!」

小声で興奮気味に言いながら、茗渓は古道を慎重に進んでいった。
やがて、竹林を抜けた先に現れたのは――

朽ちかけた門と、黒ずんだ瓦屋根をいただく古びた殿。

「……え? なにあれ、お屋敷? こんなところに……?」

門には蔦が絡み、重たそうな南京錠ががっしりと掛けられている。
その傍らには、まるで石像のように立つ番人の姿。年老いた男で、その瞳は茗渓の方をじっと見ていた。

「ひぃ……!」

思わず情けない声が漏れる。
まるでこの世の者ではないかのような気配に、茗渓は慌てて笑顔を作った。

「ご、ごきげんよう~!あの、ちょっと道に迷っちゃって~!」

番人は無言のまま、一歩も動かず、ただ彼女を睨みつけるように見ていた。

(ダメだこりゃ!完全にアカンやつ!)

茗渓はそそくさと踵を返し、古道を引き返す。
心臓はばくばく、背中には冷や汗。

「なんなのよ、あれ……何かありそうだったのに……!」

竹林を抜け、ようやく怜花宮の庭に戻った時、茗渓はどっとその場に座り込んだ。

「でも、気になる……あの建物。あれが何か、知ってる人いないかな……?」

そう呟いた瞳には、いつものように好奇心と、不思議な使命感が揺れていた。

怜花宮の夕暮れは、柔らかな茜色に染まっていた。
庭先で、茗渓はすやすやと日向ぼっこしていた猫――怜綾を膝に乗せ、穏やかな笑みを浮かべて撫でていた。

「ねぇ、今日ね、すっごいところを見つけたの」

ふと、茗渓の声が静寂を破る。
怜綾は片目だけ開けて、ちらりと彼女を見上げた。
(また何かくだらないことを言うつもりか…)

「竹林の奥、ずっと奥にね、古いお屋敷があったの。門には大きな錠がかかってて、誰も入っちゃいけないみたいな雰囲気でさ。で、番人がいて、すっごく怖くて無愛想だったの!」

怜綾の身体がぴくりと反応した。
(竹林の奥…?まさか、幽燈殿…?)

茗渓は続ける。

「でも、なんだか不思議でさ。空気がぴりっとしてて、誰も入っちゃいけないような。でも、逆に言えば、何か大事なものが隠されてる気がして…。」

怜綾は飛び起きた。

「……!」

まるで獣の本能に突き動かされるように、彼の足がふらつくように地を蹴った。
茗渓の膝から飛び降りると、そのまま庭を駆け出していく。

「ちょ、ちょっと、どうしたの怜綾!?そんなに毛立てて……!」

振り向くこともなく、怜綾は風を裂いて走った。

――幽燈殿。
――冥月之書。
それは呪いの鍵。長い年月、追い求めてきた「解放」の唯一の道。

(まさか……見つからなかった幽燈殿が、怜花宮のすぐ近くに……?)

心臓が激しく打つ。鼓動が煩わしいほどに耳を叩く。

(愚か者め。あれほど隠され、封印されていたのに。よりにもよって、あの女の好奇心で場所を嗅ぎつけるとは……!)

だが、次の瞬間、胸の奥に浮かぶのは別の想いだった。

(……それでも、冥月之書が手に入るのなら、俺は……)

それを見つければ、人として戻れるのかもしれない。
呪いを解き、母の仇を討ち、真実を白日の下に晒すことができるかもしれない。

(いや、戻るのだ。必ず……)

木々の影がゆらめき、夜がすぐそこまで迫っていた。

そしてその時、自分が猫ではなく、人の姿でいなければならないと、怜綾の本能が告げていた。

怜綾の姿が庭の茂みに消えたのを見て、茗渓は慌てて立ち上がった。

「ちょ、ちょっと待って!怜綾、どうしたの急に!?」

慌てて靴を履き、怜綾の後を追う。
だが、猫の身のこなしは人間の想像を遥かに超えていた。竹林の奥、しなやかな身体を木々の間にすり抜けさせ、いつの間にか茗渓の視界からその姿を消す。

「どこ行ったのよ……もー……!」

藪をかき分けながら、茗渓はそれでも懸命に走った。けれど、すでに怜綾は幽燈殿の門前に辿り着いていた。

(……やはり、ここだったか)

月明かりに照らされて浮かび上がる、古びた朱塗りの門。
その扉には重く黒い南京錠、そして見張りの気配はない。だが――

(……これは、ただの扉じゃない)

怜綾は門の前に立ったまま、しばし微動だにしなかった。
ぴんと立つ尻尾、わずかに広がる瞳孔。背筋にぞわりと走る冷気のような感覚が、全身を包んでいた。

(これは結界……結界が張られている。中へ入れば、ただでは済まない)

風もなく、空気は重たく沈んでいるのに、竹林の葉だけがざわめいていた。
怜綾はそっと前足を地面につけ、低く構えながら耳をすませる。

(この場所は、あの雨魘が守っている。あいつの術式……これは強い。中に入るには、解呪の印が必要だ)

と、その時――

「はぁ、はぁ……いた! 怜綾っ!」

背後から、どたばたと茗渓の足音が響いてきた。
その音に、怜綾は反射的にしっぽを立てて振り向く。

(……くっ。来るな、ここはまだ――)

「こんなとこで何してるのよ……うっわ、なんかすごい雰囲気……ここが、さっき言ってた場所……?」

怜綾はすぐに身を翻し、茗渓に近づいてぴたりと足元にまとわりつく。
その小さな体で、彼女の足元を押し、まるで「戻れ」と言っているかのように何度も擦り寄る。

「な、なに? どうしたのよ……なんか変な雰囲気あるけど……」

(今はまだ早い。結界を破る術も、鍵もない。お前まで巻き込むわけにはいかない)

怜綾は鋭く空を見上げた。月はまだ高い。
いずれ夜が満ちる時――その扉を開く鍵が、揃うのかもしれない。

(その時が来るまで、焦るな。まずは、冥月之書を見つけ出すための道を――)

茗渓の袖を引っ掻くようにして、怜綾は竹林の奥から遠ざかるよう導く。
「んもう、何なのよ……!」と文句を言いながらも、渋々ついてくる茗渓。

そして幽燈殿は再び、静寂の闇に沈んだ。
ただそこに、確かに存在する「禁忌」と「呪い」の記憶を封じたまま――。
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