BORDER LINE

橘 薫

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流砂の如く

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 閉じた瞼に光を感じ、わたしはうっすらと目を開けた。起き抜けのぼんやりとした頭で、昨晩のことを思い出す。

 嫉妬と独占欲を丸出しにした将吾さんに執拗に愛された。
 果てることのない彼に翻弄され、意識を失うように眠ってしまったのか。

 ドアの向こうから声が聞こえてくる。将吾さんだ。すでに起きて、誰かと電話しているのだろうか。
 わたしは起き上がり、リビングのドアを開けた。将吾さんはわたしに背中を向けている。

「ああ、お蔭でなんとかなったよ、ありがとう。ちょっと予定外だったけどサプライズはできたから。うん、それについては大丈夫」

 将吾さんの声が明るい。わたしが後ろにいることに気がついていない。

「それで、七海はもう会社辞めさせるから、週明けに退職願出させるよ。もし上司が電話するっていったら、オレの電話番号教えて。七海の携帯は解約するから」

 頭が一瞬でクリアになる。会社を辞めさせる、スマートフォンを解約するってどういうことなのか。その場に立ち尽くしていると、電話を終えた将吾さんが振り向いた。

「七海、おはよう」
 将吾さんはほほえむと手を伸ばし、わたしの頬に触れた。
「朝飯食べる? 簡単なものだけど用意してあるよ」
「……ありがとう」
「顔色悪いな。今日はゆっくり休んでれば? 朝飯ベッドルームに持ってくよ」

 わたしは仕方なしにベッドに戻った。なんとなく怠い。微熱があるのか、起き抜けというだけでなく、ぼんやりとしてしまう。

 布団をかぶり昨晩のことを反すうする。将也さんとの記憶を上書きするように、将吾さんに抱かれてしまった。自ら望んだこととはいえ、胸の奥がきりきりと痛む。

「七海、そこ置くから布団どかして」
 将吾さんが朝食を乗せたトレイを持って寝室に入ってきた。布団を寄せてできたスペースにそのトレイを置くと、将吾さんはシャツの胸ポケットから体温計を出した。

「食べ終わったらチェストの上に置いといて。ちょっと出かけるけど、帰ったら片付けるから、七海は何もしなくていいよ。後、体温測っといて」
「どこ行くの」
「色々用事済ませてくる。帰りになにか七海が好きそうなもの買ってくるよ」

 将吾さんが頬に、そして唇に軽くキスをする。その様子からは、昨日のことを気にしていないように感じられた。

 将吾さんが出かけ、運んでもらった朝ごはんを食べると、強い眠気に襲われた。正直、休ませてもらえるのはありがたかった。頭が重く、考えをまとめることもできなかったからだ。
 わたしはトレイをチェストに置くと、布団をかぶって目を閉じた。

 将吾さんはわたしを許してくれたのだろうか。帰ってきたら、聞かなければならない。もし許してくれたなら、わたし自身もまた、将吾さんとの未来を受け入れなければ。

 何度かうとうとしているうちに、いつの間にか寝入ってしまった。額に当たるひんやりとした手の感触で、目が覚めた。

「顔色、朝よりは良さそうだ」
 将吾さんはベッドサイドに腰かけると、紙を出してきた。
「七海、後でこれにサインしておいて。やっぱり先に入籍してさ、結婚式と新婚旅行はゆっくりやろう」

 わたしは出された紙をまじまじと見た。保証人欄とわたしの名前以外の必要事項はすでに記入済みの婚姻届だった。

「将吾さん、どういうこと」
「どういうことって、婚姻届そろそろ出しておこうと思ってさ。
 もともと結婚前提での同棲だし、お互いの両親に挨拶もした。いつ婚姻届出してもおかしくないだろう、それとも」
 将吾さんの目が暗く光る。
「やっぱり……兄貴か」

 目の奥の光に、なぜだか恐怖を感じた。わたしは将也さんに連絡しなければと思い立ち、スマートフォンを探した。けれども、家に帰ったときにいつも置く定位置にも、バッグの中にも見つからなかった。

「将吾さん、私のスマホは?」
「さっきショップに持っていって解約した」
「なんでそんな、勝手に」
「SIMカードは取ってあるから大丈夫。たださ、最新の機種が品薄で、手元に来るまで数日かかるって」

 将吾さんが何を考えているのか。
 まるで目に見えない何かでゆっくりと周りを囲まれ、追い詰められているようだ。
 わたしは強い不安を感じた。頭がずきずきと痛む。

「……頭痛いから横になってるね」
 ベッドに横になり、考えを巡らせる。とにかく、誰かに連絡して助けを請わなければ。

 実家に電話したら心配をかける。月曜になれば出社するのだから、誰かに状況を説明して、助けてもらおう。そして、将也さんに連絡しなければ。

 そこまで考えて、将吾さんが町谷くんに電話で話していた内容を思い出した。会社を辞めさせる、週明けに退職願を送る、と言っていた。

 ぞくりと寒気が走った。将吾さんは今、わたしの意思に関係なく物事を進めようとしている。それはまるで、自分の邪魔をするものはすべて排除する、と決めているかのようだった。

 こんこん、とドアがノックされ、慌てて息を潜める。
「具合、どう? 何か飲む?」
 部屋に入ってきた将吾さんの声は、いつもと変わらずに優しい。
「あ、うん。白湯飲みたい」
「白湯ね、了解」
 将吾さんの手がわたしの額に当てられる。

「熱、上がってきたかな。顔、熱いね。もう一回測っといて」
 体温計を手渡され、脇の下に挟む。体温は38度あった。

 「横になったほうがいい。七海は平熱が低いから、きついだろ」
 言われるままに横になると、布団の上から優しくぽんぽんと叩かれた。
「おやすみ」
 将吾さんはわたしの額にそっとキスすると、寝室から出て行った。

 翌朝目が覚めたときには、熱はすっかり下がっていた。隣を見ると、いつの間にベッドに入ったのか将吾さんが眠っていた。

 将吾さんを起こさないように、そっとベッドから下りる。
 将吾さんが起きたら、話し合いたい。わたしのことを許してくれたのか。なぜ急に婚姻届を用意したのか、携帯を解約したのか。漏れ聞いた「会社を辞めさせる」とはどういうことなのか。
 ひとつひとつの疑問をちゃんと解決しないと、前に進めない。

 シャワーを浴びてコーヒーを淹れ、パンを焼こうとして、ストックがないことに気がついた。近くのパン屋は、確かもう開いているはずだ。
 着替え、トートバッグに財布と鍵を入れる。無意識でスマートフォンを探し、将吾さんが解約したことを思い出した。

 静かにスリッポンを履き、玄関の鍵を開けた。カチャリ、という音がやけに響いてどきりとした。寝室からはなんの音もしない。わたしは深く息を吐くと、ドアノブに手をかけた。

「どこ行くの」
 後ろからの声に心臓が飛び出そうなほど驚いた。振り返ると、眠そうな顔の将吾さんが立っていた。
「こんな時間に買い物?」
「パンなかったから、買いに行こうと思って」
「オレも行く。ちょっと待ってて」
「大丈夫だよ、もう熱下がったし」
「一人で出かけさせたくない」

 将吾さんの目が暗く光る。静かな独占欲がひたひたと寄せてくるのを感じて、みぞおちが冷えていく。
「ちょっとパン買いに行くだけだよ」
「わかってる」
「わかってないよ」

 ほんの少しの間でも離れたくない、という思いが「愛」をベースにしているなら、この状況もほほえましく感じられたかもしれない。

 けれども、将吾さんの目には不安や怒り、そして嫉妬と独占欲があるのだ。
「将吾さん、すぐ帰ってくるから大丈夫だってば」
「ダメだ。服着るから待ってて」
 将吾さんの語気の強さに思わず怯む。将吾さんはわたしを許していない。それを感じて、心の底から恐怖がじわじわと湧いてきた。
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