優しい手に守られたい

水守真子

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重くて、しつこい女に

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 店から出て大通りに出ると亮一はタクシーを捕まえた。亮一が運転手に告げた行き先は家では無かった。
 行き先を聞き取れなかった可南子が、どこに行くのか聞こうとすると、亮一は手袋を外し、すらりとした長い指を唇に当て、落ち着いた仕草で、可南子に黙るように示した。
 暗い車内に繁華街のネオンの光が差し込み、亮一の目に光彩が映(うつ)りこんで流れる。
 光跡(こうせき)が心の中にそのまま入ってきた、そんな気がして、可南子は胸元を押さえた。

「……お寿司、おいしかったです。いつも、ご馳走様です」

 豊かな色彩の輝きは、幸せの裡(うち)にある。
 可南子は膝の上に置いたレザーのバッグを抱いた。

「それは良かった」

 可南子は会話の中の、見過ごしてしまう、非言語のやりとりに意識を向ける。
 亮一の口調に含まれた、悠揚(ゆうよう)とした態度が、車内に僅かな緊張感を落とした。
 どこに連れて行かれるのか、それを待つ緊張は、花が咲くのを待つような期待だと気づく。
 可南子も口を閉じて、金曜日の繁華街の人出を、ゆっくりと進むタクシーの窓から眺めた。





 タクシーが乗りつけたのは、高層ビルの低層階が商業施設の前だった。行きかう人々の多さと、浮き足立った雰囲気が週末を物語っている
 先に降りた亮一に差し出された手を掴んで、タクシーから降りると、可南子は上を見上げる。
 夜といえども、施設の明るい照明により、その頂(いただき)の高さがよくわかった。

「コーヒーを飲んで帰るの?」

 可南子は、ノンアルコールで通した亮一に、施設案内にある有名なコーヒー店の名前を指差す。
 すると、亮一はおかしそうに目を細めて、首を振った。
 なら、どうして家に帰らずにここに来たの。
 そう尋ねる前に、亮一は可南子の手を取った。そのまま自分のコートのポケットの中に導こうとした時、もう片方のポケットからスマートフォンのバイブの音が鳴る。
 亮一がスマートフォンを取り出して画面を見ると、明らかに表情を苛立ちに曇らせた。

「可南子、すまない。この間、話した大学時代の……」

 亮一が珍しく語尾を濁し、可南子は状況を察して「出てください」と、握られた手を自分の方に引いて離した。
 つわりのせいか少し痩せた結衣が、優れない顔色で気丈に振舞い仕事をしているのを、可南子は毎日見ている。
 亮一が電話に出ないことで、結衣に連絡が行くかもしれないと聞いた。心配してくれている結衣を、これ以上煩わせたくないという気持ちはとても強い。

 それでも、先程まで純粋に浮かれていた分、前の彼女からという電話に、可南子の気持ちが沈んだ。
 亮一が電話に出て、微かに、女性の声が漏れ聞こえてきた。全神経をその声に向け、感覚を研ぎ澄まして、聞き取ろうとしてしまう。
 過敏になっている事を思い知り、可南子は俯いて顔に掛かった髪を耳に掛けた。
 冷笑を浮かべている亮一は、それを誰にでもない、自身に向けている気がした。
 
「……金曜日の夜だ。彼女といるに決まってるだろ」

 亮一は無愛想に、だが、はっきりと、決して揺らがない強さで言い切る。その強さにほっとして、同時に胸が痛んだ。
 時間がやけにゆっくりと流れている。
 何かを必死に、早口で言っている女の声が漏れ聞こえてきた。
 想いの強さを感じて、僅かに苦い唾液が、可南子の口の中に分泌される。

 電話の向こうに、一心不乱に亮一に振り向いて欲しいと訴えている人がいる。しかも、十年も前から繋がっている想いだ。時間の長さでは、どうやったって敵わない。
 でも、と思う。

 可南子は、バッグを肩に掛けたまま、亮一の腕の下に手を差し込んだ。亮一が驚いたように脇を浮かして、可南子を見る。その目を、悲しげに見返して、そのまま、亮一の身体に自分を密着させ、唇を引き結んだ。

 せめて、できるだけそばにいたかった。好きな人に目の前で電話をされる、一緒にいるのに一緒にいない、冬の始まりに感じるような、物悲しさを打ち消したかった。
 ふっと視線を感じて、その方向を見ると、通行人にちらちらと見られていた。羞恥に顔が赤らんだが、それでも、身体を離せない。

 亮一を誰にも渡したくないという生々しい感情に、自分は嫌な女になったと感じた。
 同時に、私を選んでほしいという切ない気持ちを、ただの願望にしたくもなかった。

 好きだという気持ちが蒸留されたように、透明感を増すならとても情緒的だと思う。
 けれど、実際は身が沈んでいくような、抜けだせない深みに嵌っていく。

「……彼女にプロポーズをして、承諾を貰った。言ったはずだ。俺は彼女と結婚する」

 可南子は亮一の言葉に縋るように、亮一の身体に回している腕にぎゅっと力をこめる。

「……邪魔をしないでくれ。今から二人で、過ごすんだ」

 女の声は聞こえ続けていたが、亮一は耳からスマートフォンを離して、親指で画面をスライドさせた。
 通話を終わらせたんだと思うと、亮一がさっきまで電話をしていた方の腕で肩を抱きしめられた。
 寒かった背に強い抱擁を受けて、ほっと安堵が顔を出す。

「すまん」
「……二人で、過ごしたいです」

 誰にも邪魔されずに。
 何を言われたのと聞きたい気持ちを押さえ込んで、深く呼吸をし、亮一から身を離そうとすると、背中の腕に阻まれた。
 亮一の心配げな声が、上から落ちてくる。

「怒ってないか」
「……怒ってます」

 自覚した独占欲は棘となって、亮一を引っ掻きそうだと思った。肌に付いた赤い線を引いたような傷を見て、ほっとするのだ。自分の想いは刻めていると。
 そんな歪んだものを、澄んだ気持ちで伝えるのは難しい。

「でも、一緒にいたいです」

 好きな人と、一緒にいられるとは限らない。さっきの電話は、それを如実に表していた。
 蕾のまま、立ち枯れざるをえない気持ちもある。自分は、今、そうじゃないという、幸運の中にいるだけだ。
 その立場を譲りたくないと、自分の中に充ちた、今までとは違う気持ちを覚る。
 亮一に選び続けて欲しい。不安にさせないで欲しい。
 相手への要求が大きくなり、自分でも圧倒される。

「やっぱり、重くて、しつこくなってきたみたいです。私」

 亮一が面倒だと言っていた女像、そのものに。
 可南子は弱く笑った。
 でも、不思議と、心は落ち着いていた。

「それなら、俺の方が格上だ。……結婚が、嫌になってないか」
「今更ですよ。亮一さん」

 可南子は心の中にちゃんとある、明るい気持ちに沿って、力強い腕を背中に感じる幸せのまま笑んだ。
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