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第四計画
もともと嫌われていたので4
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回廊を夢中で歩き東翼に当てがわれた部屋へと向かう。いつもアレクの部屋で過ごして、滅多に帰らない部屋だ。
いつの間にか俯いて歩いていたせいで、人とぶつかってよろける。
「無礼な」
慇懃で高圧的な物言いにジュリアは廊下の端に寄ってお辞儀をする。
「失礼いたしました」
「……お前は誰だ」
男と目が合って、記憶が仮面舞踏会の夜と繋がった。栗毛色の髪、瞼の腫れた目尻の垂れた目、不機嫌そうに山の形を描いた口。
あの夜の男がそこにいる。
震えそうになる声を抑えて、ジュリアは丁寧に答えた。
「ジュリア・マルヴァーンと申します」
「マルヴァーン一族か。なぜここにいる」
それはこちらの台詞だった。仮面舞踏会でヒューバートを値踏みしていた男がなぜここに。
おまけにマルヴァーン家を知っているような口ぶりだ。
「その蜂蜜色の髪も、見覚えがある」
心臓が口から出そうなほど打っている。
「お前、私と寝た事があるか」
気分の悪さに真っ青になって首を横に振った。
「そうか……」
男はジュリアが仮面舞踏会の夜にいたとは思っていないらしい。
早く彼の前から逃げ出したくて辺りを見渡すが、見通しのいい回廊には人気は無い。
「今夜、寝所に来い」
頭を殴られた様にショックを受ける。何を言っているのか理解するのに数秒かかった。寝所で何をするのか、どう考えても一つしか思いつかない。
どこかに連れ込まれでもしたら逃げられない焦りに手の中に汗をかく。
「お久しぶりです」
中庭の方から鍵十字が刺繍されている赤い法衣を身に付けた男がゆっくりと歩いてきた。衣装からして枢機卿だろうが若い。
ブルネットで眼鏡をかけた枢機卿は優し気な風貌で、ジュリアに微笑みかけた後、男に恭しく頭を下げた。
「王太子殿下」
「王太子、殿下……?」
この男が王太子ならばアレクの兄だ。髪の色くらいしか似ていない。枢機卿はなんとか気丈に立っているジュリアを後ろに庇うように立ってくれてほっとした。
「部屋を出られていたのですか」
「宮にいることの何が悪い」
「何も。ただこの方はアレク様の婚約者です」
「……」
王太子がジュリアを頭からつま先まで舐め回すように眺めた。ねっとりと絡みつく視線は、鎖骨辺りで止まった。
寝所になど絶対に行きたくないと、ジュリアは身を固くする。
「あれの婚約者……。面倒だな」
鼻を鳴らしてあっさり去っていく後姿を、枢機卿の後ろからジュリアはほっとして見た。
仮面舞踏会で人を売ろうと話をしていたのが王太子だったとは考えたくもない。
ジュリアは自分の記憶違いだと思い込もうとする。
第一、身体が弱いはずの王太子が、あんな催しに参加できるはずがない。
「ありがとうございました」
王太子が廊下の曲がり角で姿を消したところでジュリアは枢機卿に礼をいう。
「礼には及びません。お一人のようなので、部屋まで送りましょう」
断ろうと思ったがまた王太子がやってくるかと怖くて、ジュリアは素直に受けいれた。
「ありがとうございます」
二人で並んで歩く間は会話も無かったが、部屋までつくと扉の前で立ち止まった枢機卿は口を開いた。
「お疲れのようですので今日はゆっくりとお休みになるといいです」
「そうします」
急に厳しさを増した枢機卿の目がジュリアを刺す。
「あれでも王太子、他に広めないと、お約束頂けますか」
「……もちろんですわ」
返事をしたジュリアは逃げるように部屋に滑り込み後ろ手に扉を閉めた。疲れが身体にどっと圧し掛かってくる。
短時間にいろいろなことがありすぎて頭が混乱している。
王太子のことも怖いが、アレクのことはそれ以上にショックを感じていた。
……殿下には、想う方がいらっしゃる。
庭師はジュリアのことを、アレクが7年も想い続けた女性と勘違いしていたようだった。
彼の想い人も王宮のどこかであの林檎ジャムを食べているのだろう。
もしかすれば、愛人という立場にしかなれない身分なのかもしれない。
「私が、いろいろと良かったのね」
達観は切ない溜息となって口から漏れた。
ずっと田舎にこもっていて世間知らずで、ハリーの命を救ってくれた恩を感じていて、夫の愛が無くても国の事を考えそうな、ちょうどいい娘。
おまけにヒューバートの恩まで着せることができた。
結婚式がつつがなく終われば、彼はその人と蜜月を取り戻すのだろうか。国の事をしっかり考えているというアレクは、妃と愛人に求めるものをしっかり分けている。
素晴らしく辻褄があって、ジュリアはふっと自嘲気味に笑う。
「しっかりするのよ、ジュリア」
こんなに落ち込むなんて自分らしくない、と太腿を叩いて叱咤する。両親が亡くなった時も、ハリーが戦争に行った時も、時間はいつでも立ち直る猶予をくれた。
「味方は何も人だけではないわ」
太陽の光、風、草木、全てが味方だった。
でも今日はだけは。王太子の存在も、枢機卿の厳しい目も、アレクのことも全部忘れたい。
ピンっとシーツが張られた冷たい寝台に潜り込むと、ジュリアは落ちるように寝入った。
いつの間にか俯いて歩いていたせいで、人とぶつかってよろける。
「無礼な」
慇懃で高圧的な物言いにジュリアは廊下の端に寄ってお辞儀をする。
「失礼いたしました」
「……お前は誰だ」
男と目が合って、記憶が仮面舞踏会の夜と繋がった。栗毛色の髪、瞼の腫れた目尻の垂れた目、不機嫌そうに山の形を描いた口。
あの夜の男がそこにいる。
震えそうになる声を抑えて、ジュリアは丁寧に答えた。
「ジュリア・マルヴァーンと申します」
「マルヴァーン一族か。なぜここにいる」
それはこちらの台詞だった。仮面舞踏会でヒューバートを値踏みしていた男がなぜここに。
おまけにマルヴァーン家を知っているような口ぶりだ。
「その蜂蜜色の髪も、見覚えがある」
心臓が口から出そうなほど打っている。
「お前、私と寝た事があるか」
気分の悪さに真っ青になって首を横に振った。
「そうか……」
男はジュリアが仮面舞踏会の夜にいたとは思っていないらしい。
早く彼の前から逃げ出したくて辺りを見渡すが、見通しのいい回廊には人気は無い。
「今夜、寝所に来い」
頭を殴られた様にショックを受ける。何を言っているのか理解するのに数秒かかった。寝所で何をするのか、どう考えても一つしか思いつかない。
どこかに連れ込まれでもしたら逃げられない焦りに手の中に汗をかく。
「お久しぶりです」
中庭の方から鍵十字が刺繍されている赤い法衣を身に付けた男がゆっくりと歩いてきた。衣装からして枢機卿だろうが若い。
ブルネットで眼鏡をかけた枢機卿は優し気な風貌で、ジュリアに微笑みかけた後、男に恭しく頭を下げた。
「王太子殿下」
「王太子、殿下……?」
この男が王太子ならばアレクの兄だ。髪の色くらいしか似ていない。枢機卿はなんとか気丈に立っているジュリアを後ろに庇うように立ってくれてほっとした。
「部屋を出られていたのですか」
「宮にいることの何が悪い」
「何も。ただこの方はアレク様の婚約者です」
「……」
王太子がジュリアを頭からつま先まで舐め回すように眺めた。ねっとりと絡みつく視線は、鎖骨辺りで止まった。
寝所になど絶対に行きたくないと、ジュリアは身を固くする。
「あれの婚約者……。面倒だな」
鼻を鳴らしてあっさり去っていく後姿を、枢機卿の後ろからジュリアはほっとして見た。
仮面舞踏会で人を売ろうと話をしていたのが王太子だったとは考えたくもない。
ジュリアは自分の記憶違いだと思い込もうとする。
第一、身体が弱いはずの王太子が、あんな催しに参加できるはずがない。
「ありがとうございました」
王太子が廊下の曲がり角で姿を消したところでジュリアは枢機卿に礼をいう。
「礼には及びません。お一人のようなので、部屋まで送りましょう」
断ろうと思ったがまた王太子がやってくるかと怖くて、ジュリアは素直に受けいれた。
「ありがとうございます」
二人で並んで歩く間は会話も無かったが、部屋までつくと扉の前で立ち止まった枢機卿は口を開いた。
「お疲れのようですので今日はゆっくりとお休みになるといいです」
「そうします」
急に厳しさを増した枢機卿の目がジュリアを刺す。
「あれでも王太子、他に広めないと、お約束頂けますか」
「……もちろんですわ」
返事をしたジュリアは逃げるように部屋に滑り込み後ろ手に扉を閉めた。疲れが身体にどっと圧し掛かってくる。
短時間にいろいろなことがありすぎて頭が混乱している。
王太子のことも怖いが、アレクのことはそれ以上にショックを感じていた。
……殿下には、想う方がいらっしゃる。
庭師はジュリアのことを、アレクが7年も想い続けた女性と勘違いしていたようだった。
彼の想い人も王宮のどこかであの林檎ジャムを食べているのだろう。
もしかすれば、愛人という立場にしかなれない身分なのかもしれない。
「私が、いろいろと良かったのね」
達観は切ない溜息となって口から漏れた。
ずっと田舎にこもっていて世間知らずで、ハリーの命を救ってくれた恩を感じていて、夫の愛が無くても国の事を考えそうな、ちょうどいい娘。
おまけにヒューバートの恩まで着せることができた。
結婚式がつつがなく終われば、彼はその人と蜜月を取り戻すのだろうか。国の事をしっかり考えているというアレクは、妃と愛人に求めるものをしっかり分けている。
素晴らしく辻褄があって、ジュリアはふっと自嘲気味に笑う。
「しっかりするのよ、ジュリア」
こんなに落ち込むなんて自分らしくない、と太腿を叩いて叱咤する。両親が亡くなった時も、ハリーが戦争に行った時も、時間はいつでも立ち直る猶予をくれた。
「味方は何も人だけではないわ」
太陽の光、風、草木、全てが味方だった。
でも今日はだけは。王太子の存在も、枢機卿の厳しい目も、アレクのことも全部忘れたい。
ピンっとシーツが張られた冷たい寝台に潜り込むと、ジュリアは落ちるように寝入った。
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