異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase1 プロローグ的な何か!

船出へようこそ!②

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 それから後のことは、あまり良く覚えていない。抵抗を続けたヴァルターの姿も、連行され行く俺へ声を掛け続けたティアの姿も、ブラウン管越しのテレビ番組のように実感を持たない遠い存在に思えてしまった。
 俺は人を殺して、しかも殺人に使った魔法は実は呪いで、更には正体がミトコンドリアで……とても受け入れる事など出来ない、頭の悪い御伽噺だ。
 悪い状況は続き、俺はこれから異端審問に掛けられる。

「おいミズキ……ミズキ、大丈夫か?」
「は……はい」

 オルドナの声で我に返る。

「疲れているだろうに災難だったな。まさか、こんな僻地まで審問会がやってくるとは……」
「はぁ……」
「ま、怖がる必要は無いさ。お前は幾つかの質問に答えるだけで良い」

 事情を知っているらしいオルドナは、そう言って力強く肩を叩く。俺とオルドナを囲んでいる3人組は、何も言わずに歩を進めた。
 審問というのは裁判で間違いないが、価値観や倫理観の異なる天炎者に対しては、宗教や特定の教えの強要などの無理強いはしないらしい。聞かれるのは世界や国に対してどう思っているかなどの哲学的な問いの他、自分が誰で朝食は何を食べただとかを聞いて、正常な思考であるかどうかを確認するらしい。つまりは心理テストだ、死縛者になり得るかどうかを見定める為の。

「俺に出来るのはここまでだ。気をしっかり持てよ、ヤマシロミズキ」

 もう一度肩を叩くと、そっと離れる。目的の場所へ到着した為だ。
 村にただ一つ存在する聖堂、そこが臨時の異端審問所とされた。オルドナはそこまでの案内と、審問中の教会警備の任に就くらしい。

「ほら、入れ」

 一人の審問官に聖堂へ押し込められた。途端に目に入る白い壁と幾つもの赤い椅子。それらは薄い月明りに照らされ、寂しそうに佇んでいる。その静寂を、4人分の足音が切り裂いていった。

「では審問を開始する」

 先に入室した審問官がアナロイに手を掛けると共に、そう発言した。
 今すぐ始めるのか、座らせてくれてもいいじゃないか──縋るような視線を両脇を固めたままの審問官へ投げかけ──微塵も動揺する様子もなく、

「有罪」
「有罪」

 そう言った。

「有罪に決定。直ちに断罪へ移る」
「は……?」
「私が処刑する、首を差し出せ」
「な……ぐっ!?」

 途端に両腕を拘束され、疑問を投げかける暇もなく、頭から床へ押し付けられた。いや、押し付けるなんて生温いものじゃない、壊れても構わないという程に激しく打ち付けた。
 明滅する視界と霞む世界。そこへ一筋の光が舞い込んだ。眼球だけで見上げた空には、剣身の反り返った歪曲刀を握る審問官の姿。それは先に入室した審問官で間違いない、ローブの中に隠していたのか、それとも聖堂に隠していたのか──形にならない様々な思考が入り乱れるが、ただ一つ確かなことがある。
 これから、俺は殺される。

「何だ……何なんだよ!? この仕打ちは!?」

 現実に絶望して自殺し、呪いと共に生き返って、もう一度死ぬのが運命なのか。

「黙らせろ」
「ぐあっ……!」

 髪を掴まれたかと思うと、すぐさま床へ叩きつけられる。ゆっくり起こされたら直後に降下。何度も、何度も、何度も、何度も、叩きつけられる。歯が、鼻が、眼球が、鈍い音を立てて壊れた。声にならない叫びは、空しくも闇夜へ呑み込まれていく。一呼吸置くと持ち上げられ、鋭利な刃物によって首筋が冷やされた。

「神よ、迷える子羊を救い給え」

 糾弾する言葉も無く、刀を振り上げる音が無慈悲に鳴る。
 あぁ、もういいかな──酷く自然に、そう考えた。
 全ては幻だった、頭の悪い夢だったんだ。
 異世界なんてあるワケないじゃないか。現実に絶望した俺が、夢の中で見る幻想だ。
 鼻の折れた激痛も、ドクドクと流れ出る熱いものも、ただの幻痛。
 ほんの少しだけれど夢を見られたし、暖かさを実感できた。
 もう十分だ、いい加減に目を覚まさなければ。
 ──ふざけるな!
 誰かが叫んだ。

「誰だ……!?」

 轟音を立て、聖堂への扉が開かれる。

「生きてるかミズキ!?」

 その声には聞き覚えがある。オルドナだろうが、名前を呼ぶ気力も体力もない。

「てめぇら騙しやがったな、陛下からはそんな勅命下されていないぞ!」
「先程の警備兵か、貴様には関係ない!」
「そうもいかねぇ、左遷されたとはいえ忠誠を誓った軍人だ! この地の民の命、そして尊厳を守ることこそが仕事だからな!」
「この男には異端の疑いが掛けられた! 更には我らが同胞ではない、貴様の知ったことではなかろう!」
「大事な仲間だ、村を守った勇者だ! それを殺すことが許されると思ってんのか!?」
「治安維持の為に、陛下の為に、流さねばならぬ血があるのだ!」
「問答は不毛だな。オルドナ、そこをどきたまえ」

 新たな声が複数の足音と共に流れ込んだ。どこか気怠げさを纏う声はなおも続き、思考する能力を失た脳内を右から左へ駆け抜けていく。

「イデアル・プトラオム王国クリーゼ十字軍所属、ガリウス・クライノートだ。貴様らこそが陛下の御意思を違えた逆賊、審判されるべき異端者である」
「十字軍……!? 軍の懐刀が何故ここに!?」
「信用出来る筋から情報が入った。いい加減にそのローブを脱いだらどうだ、執行支団シャルフリヒター。介入出来ぬ闘争団に代わり、私直々に断罪する」

 ガチャガチャと奏でられる耳障りな旋律は、誰かが剣を抜いた音だろうか。

「血迷ったか愚か者ォ!」
「我々は軍人としての責務を果たすだけだ」
「貴様も他者に隷属するを良しとする異端者か!? 潔癖や徳義を蔑ろにするだけでは飽き足らず、自由・平等・博愛などというふざけた思想に染め上げられたか!?」
「ふん……踊らされている自覚はあるのだろうな」
「誰かが起たねばならんのだ、誰かが守らねばならんのだ! 我々の祖先が築き上げたこの国を、歴史を、価値観を! 根こそぎ破壊する侵略者の魔の手からな!」
「有無を言わずに撥ねつけず、時には民草の価値観を受け入れることも統治者のつとめ。現に民同士の争いごとは減った、良い薬だと思うが」
「薬も効きすぎれば毒になる! 猛毒に犯される前に処置せねばならん!」
「その道は外道、陛下は喜ばれん」
「覚悟の上!」
「ならば何故、ナツメユリカには手を出さない? 強引に手を出せば全てを敵に回すと知っているからだろうが……貴様らの信念はその程度か」
「……!」
「大人しく天炎者を解放、並びに投降しろ。人間同士で争っている暇は無い」
「くっ……このっ!」

 誰かの激昂が聞こえた瞬間、首が浮いたような感覚に襲われた。
 あぁ、今から断ち切られるんだな。汚い体も、醜い心も、この世界から姿を消すのだ、この世界を認知しなくなるのだ。
 夢は終わる。
 現実で目を覚ますんだ。

「■■■■、■■■■■」

 それでも。
 それでも、あと少しだけ生きてみろと誰かが叫ぶ。

 ──残響の檻に囚われし
 ──其は、高炉を廻す泥人形
 ──胎動せよ、無垢なる辜

 夢ならば好きに生きろ、と誰かが囁く。その声は多分、細胞に潜む寄生虫のものだろう。
 破壊しろ、暴虐の限りを尽くせ、所詮は異世界、NPCと何が違う、男はサンドバッグで女はオナホだ、喋る豚共を好きなだけ屠り、尊厳をぐちゃぐちゃに踏みにじれ──それはそれは真っ黒な感情が胸いっぱいに膨らんでいき、絞りつくした体力の代わりに際限の無い精神を糧として、悪魔がもたらした魔法を発動する。

「なに!?」

 心底驚いたような、情けない声が間近から聞こえた。恐らく、剣を構えていた審問官だろう。

「馬鹿な、揺り戻しだと!?」
「ありえん、一度剣が形成されれば易々とは……!」

 今度は両脇から、ぶつぶつと早口な言葉が耳朶を打つ。
 魔法を発動したのが信じられないのだろう。それもそうか、日に一回だというのに三度目なのだから。しかし、剣を握っている筈なのに感触がない。

「いや、これは好機! 見たか諸君、異端者であることが証明されたぞ! やはり我々は正しかったのだ、さぁ、その剣を向けるべきはこのデス──」

 再び響くのは剣持ちの声。

「とらっ……!?」

 うるさくてうるさくて、その声を聞きたくなくて、いつまでも拘束している2人を掴んで、おおよその方向へと力任せに投げた。短い悲鳴が聞こえたということは、どうやらヒットしたのに間違いない。
 これで終わると思うなよ。
 視界は未だ戻らないが、床でばたつく音から距離と方角は探知できる。そこへ向かってのそのそと足を引き摺り、更なる追撃をかけようと腕を振り上げ──下ろした。

「ぎゃっ!?」

 もう一度。

「ぐはっ!?」

 もう一度。

「……!」

 もう一度。
 拳だなんて生温い、もっと鋭いもので突いてやったら喜んでくれるだろう。あのジャマダハルのような……いや、それは勿体ない。そうだなぁ……あの死縛者のように、巨大な爪だったら喜んでくれるだろうか。それなら鼓動もハッキリと感じられるし、恐怖に引き攣った顔をじっとりと舐めることも可能なんだから。

「や、やめろ……」

 力無い声が聞こえてきた。
 止めて欲しいのか? ならもっと懇願しなきゃ駄目じゃないか。それと……言葉遣いがなってないぞ?

「ハアアアアア……」

 逸る感情を抑える為に、深く、深く、息を吐いた。もっと良い言い回しはないだろうか。“俺は偉いんだ、だって俺だから”とでも言ってやろうか、それとも“アフリカでは1分間に60秒が経過している”が良いだろうか……理解出来ないだろうな。
 じゃあ、理解出来るように教えてあげよう。
 大丈夫、方法は彼らが知っている。この手で撫でてあげれば、すぐに侵入して──

「もういい、よせミズキ!」

 腕が、止まった。誰かに抑えられているようだ。
 それが気に食わないので力付くで振りほどこうと暴れるが、とてつもない執着心があるようで中々離れてくれない。

「くっ……!」
「よすのは貴様だオルドナ。丁度良い、まとめて断罪してくれよう」
「おいおい、切り捨てるつもりかぁ!?」
「既に手遅れだ、下がれ」

 煩わしい喧騒が耳元で続く。
 あぁもう……全部、全部、消えてなくなればいいんだ。彼がいないこの世界なんて、価値が無いも同然なんだから。

「ミズキ!!」

 ようやく蚊を追い払った時、斬れるのではないかと疑うほどに甲高い叫びが聞こえた。

「ティア……?」

 多分そんな名前だったと思うが半信半疑であり、口に出してからあぁ、そんな人間もいたよな、とハッキリ思い出した。俺が闘った理由で、人を殺した理由で、生きる理由で……あれ、本当か? ただのまやかしじゃなかったか?

「もう止めてよ……! お母さんも奪って、ミズキまで奪わないで……!」

 疑問を抱いている間にも、少女の叫びが絶えず突き刺さる。
 誰だ、彼女を泣かせたのは誰だ、見えないから分からないじゃないか、自分から名乗り出ろよ──そんな感情が沸々と湧いてくると共に、彼女に会いたいという願望が芽生えてきた。
 ふらふらと、足が、腕が、動き出した。

「ドコ……?」
「どいて……どいて下さい! ミズキ!」
「その少年は我等血の闘争団が保護している! 下手な真似をしてみろ、戦争が起きるぞ!」
「ドコニイルノ……?」
「ここにいるよ! 心配したよ、すっごく心配したんだよ……!」

 手に、何か暖かいものが触れた。恐らく、その少女のものであろう。

「ごめん……」

 この世界に、神なんていない。
 それでも、女神は微笑んでくれた。

「ミズキ──」

 心の隙間を埋めたかった。
 膝を抱えて泣きたくなかった。

「心配したよ……」
「ごめん……」

 壊れないように、そっと握りしめる。
 理由なんてここにあるじゃないか、生きる理由が。

「俺……行くよ。みんなの迷惑にしかならないから」

 行動の証。
 実らぬならば後悔。
 誰かの為に生きて、そして昇華する。
 その為なら、この罪塗れの体がどうなろうとも。 

「ほぉ……随分と不安定な天秤だな」
「クリーゼ十字軍、ガリウス中尉とお見受けする。執行支団の摘発には感謝するが、ここからは我々の仕事だ」
「分かっているとも、身柄はこちらで預かろう。安心しろ、彼らは法に乗っ取って処罰される」
「…………」
「そう睨むな。私の相手をするよりも、君にはすべきことがあるだろう……いや、君にしか出来ないことかな?」
「くっ……少女よ、そこから離れろ」
「えっ?」
「首輪を締め上げる……これできっと元通りだ、何も心配などいらない。記憶が混濁する可能性が僅かばかりあるがな」


 ☆


 翌日には由梨花が目を覚ました、
 ふらふらと頭を揺らし、最初に発声した言葉は「お腹が空きました」という何とも気の抜けたもの。市へ買い出しに行った親父さんに変わり、ティアが食事を用意した。贅沢に小麦を使った、グリュエルという名のお粥。由梨花は食べ慣れているのか、躊躇うことなくたいらげたそうだ。俺はあまり食べたくない。

 朝餉が終わる頃に村に一つしかない宿へ泊っていたヴァルターを呼び、由梨花にこれまでのいきさつを話した。ティアは気を使って席を外した。体感で20分ほど経過した頃だろうか、ヴァルターの荒んだ声が聞こえる場面があった。厨房で下ごしらえをしている俺の元まで聞こえるほどの大声。
 それが止んだと思ったら俺を呼びにきた。

「少年、ユリカ様がお話があると……」

 消えそうな声で言われるものだから。

「分かりました」

 調理をキリの良いところで済ませ、早足に2階への階段を駆け上がる。心配げに見送るティアに手を振り、何も怖くないさと自分に言い聞かせた。
 振り返ると、ヴァルターの大きな背が、とても小さなものに見えて悔しかった。

「あっ……お早うございます、瑞希」

 由梨花はいつもの仏頂面で出迎えた。変わっているのはその身に纏う民族衣装か。ティアのお下がりらしい。
 破れた学生服は、ティアが作業の合間にちくちくと縫い合わせている。

「あぁ、お早う」

 ベッドから上半身を起こした彼女に挨拶すると、途端に毒を吐く。

「教育がなってませんね……私はお客様ですよ、“お早うございます”と返して下さい」
「ここは宿じゃない、ただの料理店だ!」
「ルームサービスを希望します。以前の羊肉、あれを持って来てください」
「当店ではそのようなサービスを実施しておりません!」

 すっかりいつもの調子だ。
 それが嬉しくて。
 昨日の事件は全部嘘だったんじゃないかって。

「けちですね、いくら払えば良いのですか?」
「お金を積まれようとサービスしません!」
「良いではありませんか、ほら、こちらをどうぞ」
「いらないって……」

 断ってもなお執拗に催促される。

「ほらほら」
「あー……もう」

 突き出された拳の下に手を差し伸べ、重い塊を受け取った。金貨にしては軽い。

「あれ……これ……」

 渡されたのは日本の硬貨。彼女が奪い、一枚はティアにプレゼントしたものだ。

「あなたに返します」
「え……」

 目をぱちくりさせていると、由梨花が口を開いた。

「21グラム……何の数字か知っていますか?」

 以前、聞かれた質問だった。

「いや……」
「学が無いあなたにお教えしましょう。ズバリ、魂の重さです」
「魂?」

 この生真面目な少女が口走る言葉とは思えなかった。

「そんなの信じてるのか?」
「何ですか、この世界にいる時点で人間の常識は通用しませんよ。現に私たちは一度死んでいますし」

 ジト目で睨まれる。

「まあ、信憑性の無い俗説ですが。死後の世界というのも、あまり良いものではありませんね」

 大袈裟に肩をすくめる。
 ここが死後の世界なのか、まったく違う異世界なのかはどうでも良かった。地獄であることに変わりはない。
 それから目を逸らすように窓へ視線を向けた由梨花は、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「話は聞きました。大方の事情は理解して頂けましたか?」

 本題。
 優しすぎる前置き。

「あぁ……」

 罪人が送られる地獄。

「知っての通り魔王討伐というのは嘘です。こうでも言わなければ人は集まってくれません。誰が好き好んで殺人などするのでしょうか……傭兵は集まりますが、天炎者は心の折れやすい弱き人間です。そのようなこと出来るハズがない」

 明確な悪の象徴がいるからこそ、人は勇者になれる。

「殺人……」

 俺はすでに一人、殺してしまった。
 もう普通ではいられない。

「エアレイザーだっけ……強いのか?」
「強いですよ、かなり。そちらに与した天炎者も桁違いに」
「天炎者が率いてるって本当なのか?」
「はぐれ天炎者や死縛者を眷属に従えています。どうしてそれが可能なのかは分かりません。ですが、この世界を崩壊させようと災厄を振りまいているのです、我々が止めなければ」

 宿命だと彼女は言っていた。
 あぁ、その通りだよ。

「あの悪魔が何を考えているかは分かりませんが、これが私たちの選択です。世界に均衡を取り戻させる……その為に生を与えられた、そう信じています」
「悪魔?」
「この地へ人間を堕とした魔女ですよ。えぇ今でも覚えています……ヴァイーゼ・フェイカイトと名乗ったあの売女」
「みんな案内されてるんだな」
「余計な事は教えずに、ですよ。まったく、記憶を消されたあなたのことが正直羨ましい。擦り切れた心に、英雄だアトラクションだという言葉は響きませんから。堕ちるのならどん底まで堕ちた方が気も楽なんですがね」

 そう言って寂し気に笑う。
 空元気であることが丸分かりだ。

「よせよ……」
「すみません。ですが悔いだけはしたくないんです。言えることは、言えるうちに言わなければ後悔しますから」

 表情に陰が差した。
 少しでも傾けば死縛者になる。
 もう傍にいない、誰かのことを想いながら。

「人は変わってしまうものです。いつの間にか声も届かなくなってしまう……21グラムを燃やし尽くすと、私もそうなってしまうのでしょうか」
「え……?」

 由梨花の声に震えが混ざった。
 年齢相応の、か弱い少女の声に。

「あの魔法……確かに呪いではありますが、ここでは魔法とさせてもらいます。あれを発動するごとに、感情が擦り減っていく気がするのです」
「それって、ノーレンみたいに?」
「いえ、彼女は自ら閉じました。彼女の優しさ故なのです、誰も傷つかないように、と」

 友人であった由梨花が言うのだから間違いないだろう。
 なんでだ。
 子供なのは俺だけじゃないか。

「親しい人を作らず、全てを一人で背負う……それが彼女なりに選んだ人生」

 どうして皆、そんなに大人なんだ。

「遠征に出れば、いつ死ぬとも分かりません。突然の別れに誰も悲しまないよう、彼女は壁を作りました」

 何を背負って戦うんだ。

「仲間を守る……その為に」

 贖罪の旅。

「瑞希、手を」

 うつむいてしまった顔を上げると、見たこともない笑顔を浮かべた由梨花がいた。
 差し出された右手に惹かれるように、光を求める蛾のように吸い寄せられる。
 自分でもそんなことをした事実に驚いたが、行動を止めることはできない。
 そっと、手を重ねた。

「暖かい」

 少女の手はひんやりと、凍ってでもいるかのように血の気がない。
 それが悲しくて、両手で、包み込むように温めた。

「あなたは私が守ります、山城瑞希」

 熱は増していく。

「だから……共に旅立ちませんか?」

 それは溢れた。

「そして帰りましょう、この料理店へ」
「うん……」

 みんな、優しすぎる。
 眩しすぎて目が開けられない。

「みっともないですね。顔でも洗ってきたらどうですか?」
「う、うるさいな! 名シーンが台無しだ!」
「顔がぐちゃぐちゃなあなたを視界に入れたくはありません。物理的にぐちゃぐちゃなら面白みもあるのですが」
「物騒なこと言うな!」

 本当に台無しだよ!

「異常なほどの再生力は体験したでしょう? どうでしょう、寝起きの準備運動ということで顔面をタコ殴りというのは面白いと思いませんか?」
「随分と猟奇的な趣味をお持ちで! どうせターゲットは俺だろ!?」
「もちろんですよ。いたいけな少女を殴って何が面白いというのですか。まぁ、そういう異常性癖を持った方もいるにはいるのですがね」
「由梨花をぶん殴るのはさぞかし楽しいだろうな!」
「病み上がりの少女をいたぶるとは、プライドも無いのですか? 正々堂々と打ち負かしてはどうですか? もう一度殺りますか?」
「結構です! 話はもう終わりだな、じゃあな!」

 気恥ずかしくなったワケじゃない、付き合いきれなくなっただけだ。一人で下ごしらえを続けているであろうティアを手伝いに行こう。

「あ、下の階へ行くのなら何か果物を持って来てください。具体的にはリンゴがいいです、あと喉が渇きましたのでシードルも」
「当店はレジ注文のセルフサービスなんですよねえ!」
「レジなんてないじゃないですか……では羊肉も注文しますので、ありがたく持って来て下さい」
「由梨花が食いたいだけじゃねえか、この腹ペコ女!」
「何を怒るのですか、美少女にあ~んする絶好の機会だというのにみすみす見逃すのですか? ヴァルターだったら血涙を流して喜びますよ」
「自称美少女なんてロクでもないヤツしかいないんです!」
「事実を言ったまでです。いいから持って来てください、代金は渡したでしょう?」
「なに?」
「610円分は頂けますよね?」

 そう言って、手にした50円玉をひらひらと見せつける。
 ポケットに突っ込んだ硬貨を確認すると、500円玉1枚、100円玉1枚、10円玉1枚……ティアに渡した5円玉を除いて、もう一枚足りない。

「それも俺のじゃねーか! 返せって!」
「前にも言ったでしょう、この世界では使い物にならないと。一枚くらいいいじゃありませんか」

 少女はクスクスと笑う。
 とても血生臭い運命を受け入れた人とは思えない、無邪気な笑顔。

「はぁ……分かったよ」

 照れてたかもしれない。
 隠すように顔を逸らし、部屋のドアを開ける。

「でもシードルは許さん。大人しく水でも飲んでろ」
「けちですね。いいじゃありませんか今回くらい」
「ダメです、俺がルールなんです。注文はリンゴのすりおろし、水、ミテルフィングゴートのキャベツ煮込みですね。ただいまお持ちします」

 適当にレシピを決め、部屋を後にしようとする。

「あっ、瑞希に聞きたいのですが……ゴートって羊ですよね? ミテルフィングってなんですか?」

 疑問を投げかけられた。本当に注文多いな。
 というか由梨花は知らないのか……俺より長い間ここで生活しているのに。

「立ってるんだよ……」
「はい?」
「中指が立ってるんだよ……羊のクセに」
「中指が立つ? どういう?」
「知らないままのほうがいい。アレを見ると壊したくなるくらいムカつくから」
「はあ……そうですか」

 気が済んだと判断して今度こそ去る。
 きっと、話はまだまだ出来る。したこともない思い出話も、きっと。
 時間は残されていると、確証も無く信じて。

「この命が燃え尽きるまで……どれだけの炎と出会えるでしょうか」


 ☆


 時間は残酷だ。
 何物も抗うことが出来ず、全ての存在に平等に与えられる無常な魔法。
 巻かれた発条はもう戻らない。

「本当に……一人で行っちゃうの?」

 期限のギリギリまで共に過ごした。一通りの調理も出来るようになった。配膳だって一人前だ。それらは全て、思い出として覚えてほしかったから。

「うん。ティアを危険な目に合わせたくない」

 本音だった。
 恥ずかしい話だが、彼女を守れるほどの力があるワケじゃない。シエルは王の力だとかほざいていたが、そんなものが与えられたとは到底思えない……悪魔の戯言だ。

「うっ……でもぉ……」

 少女は弟がいなくなることを悲しんだ。
 隣に立つ父親も、潤んだ瞳を隠しきれていない。

「休日には帰ってくるよ。手紙も毎週書くから……泣かないで、泣き虫なお姉さん」
「なっ……泣いてないもんっ!」

 ぐしぐしと乱暴に目をこすり、真っ赤になった顔を向けられる。
 おかしくて笑ってしまった。

「心配しないで下さいティアさん、私が共にいますから」

 俺の後ろで成り行きを見守っていた由梨花が口を挟む。制服はお世辞にもキレイとは言えなかったが、ティアが徹夜に近い作業の果てに仕上げたのだ、着れないワケがなかった。それに本人も嬉しがっている。ツギハギだらけの制服を。

「ティアさんはここで、彼の帰りを待っていて下さい。、天炎者はみな、居場所がなくなることが一番怖いのです」
「ユっ……ユリカさあん……」
「帰るべき場所がある瑞希は幸せ者です。ねえティアさん……私も、たまに伺ってよろしいでしょうか?」
「うんっ……うんっ! 友達だもんっ!」

 流れる涙を構わずに由梨花へ抱き着く。
 面食らっていた由梨花だが、すぐ柔和な表情となって頭を撫でた。

「ありがとう……ティアさん。私の友達」

 天炎者はみな孤独。
 それを埋めるのは何だろう。
 友情? 愛情?
 いや、きっと。

「ほら、瑞希も」
「え?」

 ぐいっと引っ張られ、3人で輪のように腕を回した。
 暖かい。
 ただ、暖かい。

「必ず帰ってきます、この場所に」

 由梨花は誓う。
 それに俺も、ティアも誓った。
 必ず帰ると、何度も言い聞かせた。
 人として帰ると。

「ユリカ様、馬車の用意が完了しました。いつでも発てます」
「分かりました」

 ゆっくりと輪が解かれる。
 目に映るのは騎士姿のヴァルターと、2頭の馬が引き連れる鉄の車。

「行きましょう、瑞希」
「ああ」

 別れは何度も済ませた。
 ちょっとした心残りはあるが、それは帰って来たときのために残しておこう。
 決意を持って馬車へ向かおうとした俺を、ティアが裾を掴んで引き留めた。

「な……何?」
「あのねっ……ミズキにね、渡したいものがあるのっ……」

 嗚咽まじりに少女は言う。
 父に目配せしたかと思うと、後ろ手に隠した一品を粗雑に押し付けてきた。

「ちょっ!? え……これは?」

 純白の布で覆われた、異様に重い物体。鉄であることは分かる。

「ホントはねっ……もっと別のモノをっ……買うつもりだったんだよ?」

 ティアは不器用に笑顔を作る。
 それを見ていると、嬉しいのか悲しいのか分からない感情が溢れて来て、出来るだけ視界に入れないようにして布を払いのけた。

「これ……ジャマダハル?」

 壊れた剣がそこにあった。
 死縛者との戦闘でヒビが入ったあの剣は、鍛冶屋へ持って行っても『直せるか分からない』と匙を投げられて部屋に置いたままだ。
 じゃあこれは新品?

「うん。ズィーゲルさんに頼んだら買えたの……商人仲間を走り回ったり大変だったらしいけど、間に合って良かったよぉ……」
「そんなお金、俺の為に使わなくても……」
「ミミック魔の討伐報酬だから……二人で稼いだお金……だからぁ!」

 溢れ出した涙を拭う。
 健気な少女が愛おしくて……でも触れられなくて、啼いた。

「ありがとう……ティア」
「うんっ……うんっ!」

 守るために闘う。
 難しいだろうが、出来る気がしてきた。君の為に。

「だから……あの魔法は使わないでね」
「え……」
「ミズキが……怖くなっちゃうから。いつものぶきっちょで、乱暴で、でも優しい……ミズキがいなくなっちゃうみたいでっ!」

 堪え切れず、堤防が決壊した。
 この子はそんなにも自分のことを見てくれていた、ということが嬉しかったんだ。

「弱虫だもんっ……寂しがりだもんっ……怖がりだもんっ! 心配だよぉ……」

 何があっても守ろう。
 強くそう思った。

「ありがとう……」

 もう振り返らない。
 二度と足は止めない。
 誓いを胸に、村人たちが別れの言葉を投げかける中、俺は旅立った。
 平穏な生活との決別。
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