世界が終わるという結果論

二神 秀

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CHAPTER.4 旧態依然な灰緑(キュウタイイゼンナハイミドリ)【天体衝突3ヶ月前(冬)】

§ 4ー6  12月24日① 引き出しの鍵

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--東京都港区・駅周辺カフェ--


 正午前の店の中は人で溢れていた。若いカップルや着飾った女性同士が多く、2人用のテーブルに座るのに10分ほど待たされた。淡い黄色やほのかな桃色。クリスマスソングをピアノアレンジしたBGM。わたしがここに来た理由とはそぐわないもので空間が満たされていた。いや、こんな日だからこその行動だったのかもしれない。
 ガラス張りで白と黒を基調とした店内はモダンでありながら清潔感と解放感があり、メニューも女性層を意識したワンプレートのランチメニューやベリーと生クリームのパンケーキ、ボール状の器に入ったカフェラテなどSNS映えするものがずらりと並ぶ。
 案内された席は窓際で輪郭が強い白でかすれる。窓側の席に座り、待ち人が来るまで注文は待ってもらう。テーブルの上には大きめの氷が2つ浮かぶ水の入ったグラスが1つ。カランと氷が解ける音。窓から見える建物の隙間の空には、風で引き延ばさて薄くなった雲がたなびいていた。

 …………

「ごめんね、ずいぶん待たせちゃったよね?」

 急な後ろからの声。久しぶりに聞くその高めの声は、やはり女性らしくよく通る音感を含んでいた。シエナのオレンジ色。喫茶ル・シャ・ブランの先輩であり、颯太の元カノ。成城紗良。
 肩にかかる丸めた毛先、控え目な涙型のイヤリング、ディープレッドの鎖骨がちらつくセーター、ブラウンのスリットが入ったタイトロングスカート、低めの黒いヒール。社会人だからか、TV局という職場の影響か、以前より大人っぽく感じる。

「気にしないでください」とこちらが返答する間に、席に座りハンドバッグを横に置く。「注文はまだだよね? 先に頼んじゃいましょ。お腹ペコペコ」とメニューを手に取ると、すぐに店員を呼ぶ。メニューを指差しながらボロネーゼとアイスティーをオーダーする。「彩ちゃんは何にする?」とうながされ、数種類の果物が入ったフルーツティーを頼んだ。

「久しぶりだよね。いつ以来かなー? 私があの喫茶店を辞めてから会ってないんだから、1年以上ってるのかぁ」

「ホントにお久しぶりです。紗良さん、TV局でバリバリ働いてるんですよね? 匡毅さんや加奈さんから話は聞いてます」

「こんな世の中だからね。報道しなきゃいけないことが山積み。ごめんね、ご飯の時ぐらいしか時間取れなくて」

「いえいえ。そんな忙しいのに時間取ってもらって申し訳ないです。あ、この間のニューヨークの報道見ましたよ」

「ニューヨーク……、ってあれか! 私、目が怖くなかった? 近くで本当に暴動が起きててさ、マジで怖かったのよね。表情も忘れてマイク握ってたんだよー」

 国内・国外問わずにけ回って取材・報道しているらしく、テーブルの上に注文したパスタが並べられても、それを食べながらも話し続けていた。
 カナダでオーロラがー……
 沖縄の海にいるはずのない魚がー……
 ロンドンでイギリス皇太子がー……

「それはすごいですね」「大変だったんですね」と相手の勢いに合わせて相槌あいづちを打つ。気づいたら紗良さんが頼んだパスタの皿は空になっていた。アイスティーで一息ついたところで会話が一旦途切れた。

 今なら。ここで聞かなきゃ!

 そう思いながらタイミングをうかがっていたところを、不意を突かれる。

「颯太くんのこと、でいいんだよね?」

「えっ!」

 急なことで驚きが声と顔に出た。紗良さんもその反応に、やっぱり、と一呼吸する。

「……今日はクリスマス・イブだっけ。ちょうど1年になるのね」

 んーっと背筋を伸ばすように背もたれに背中を当てる。一伸びした後、左ひじをテーブルにつき、指でこめかみを押さえる。

 そして、目線を横にらしながら、彼女はゆっくりとしゃべりだした。



   ♦   ♦   ♦   ♦



(紗良って、絶対男好きだよねー……)

(男の前でわざと上目遣いするしさー……)

(三浦くん、紗良のこと好きみたい……)

(ハァ? 何それ! ホントだったらマジムカつくんだけどー……)

 部活終わりに立ち寄ろうとした教室。入る前に伝わってきた悪口。中学2年生の女の子にとって、親友だと思っていた子たちの自身への陰口は心に影を落とすほどのキズを残した。それからかな、女の子と心の底から笑い合えなくなったのは……


「なぁ、ちょっと俺の部屋で休もうよ」

「えー…………」

「ほら、この時間なら親いないからさぁ。なぁ、いいだろ?」

「別にいいけど……」

 高校時代。思春期も手伝って、恋人といる時間が多かった。サッカー部で人気の勝気かちきなストライカー。バスケ部の長身イケメン。いつもギターを背負っていたヴォーカル。周りの評判や人気が高い人を自然と選んで付き合った。付き合ったというより、告白されて付き合わない理由がなかっただけ。一人はつまらないから……
 でも、いつも同じ別れ方になる。付き合いだした当初は、いい彼氏を演じてくる。優しく心地よくささや甘言かんげん。自分を大きく見せようと得意顔で声を張る自慢話。行動も計画もないが無邪気につづる将来の話。この人ならと信じ、体を許す。
 そこがその恋愛のピーク。純金に見えた金属はメッキ。自分に酔って、メッキでコーティングしていることすら気づかないブリキの人形。自慢する話も無くなり、未来にいた戯言ざれごとを繰り返し、優しさは欲望のための下心に変貌へんぼうしていく。そんな相手に失望し、そう選んだ自分自身も同じなのでは? と思う頃には大学生になっていた。

 アナウンサーになりたい。それは小学生の頃から漠然ばくぜんと思っていた。当時の私には分からなかったが、父が急に家を出て行ったのは、他所よそに女が出来たからだった。
 2人家族になった数日後の夜、あかりのく部屋で母が涙で肩を振るわせる姿を見て、私がお母さんを守らなきゃ、と強く思った。
 それからは家事を手伝い、勉強にはげみ、高校生になるとすぐにファミリーレストランでバイトもした。その甲斐もあり、大学には推薦で奨学金をもらいながら進学することができた。

 母を守る。それとはもう1つ他に、心にかかげるものが、この頃できた。
 それは父のこと。急に家を去った父。好きだった父に私は置いていかれたのではないかと、心の深いところで思い続けていた。
 その父を見返したい。貴方が連れて行かなかった娘は、こんなに立派になったんだから。見る目ないね。こんな娘の父親を辞めるなんてさ! そう悔恨かいこんさせるためにも、メディアに露出の多いアナウンサーという仕事で無理やりにでも立派になった娘の顔を見せつけてやるんだ!
 そんな思いが、気づけばアナウンサーになるという目標への明確な動機づけになっていた。

 そんな心境もあり、大学生になるとバイトを変えた。そこで見つけたのが真ん丸とした白猫がカウンターで眠る喫茶店だった。コーヒー豆をる香り、落ち着いた内装とクラシックのBGM、優しさとこだわりを持って働くスタッフ。常連さんに顔を覚えられる頃には、その場は居心地のよい場所になっていた。
 大学生活も勉学は勿論もちろん、友人関係も距離感をたもち交友を広げ、イベントごとには積極的に参加するようにしていた。
 しかし、異性関係だけは変わらなかった。どうせまた……、そんなことを思いながら告白を受けては、相手に嫌気が刺して別れ、自己嫌悪におちいる。同年代でも年上の社会人でも多少の違いはあれど、至る結果は然程さほど変わらなかった。

 そんなときに喫茶ル・シャ・ブランにバイトで入ってきたのが生田颯太くんだった。最初は、年下で感じのよい男の子という印象でしかなかった。真面目で頑張り屋、でも冗談を言って場をなごませたりして気も使える。いい子が入って来てくれたなーって。
 でも、その印象を変えたのは彩ちゃんが入ってきてから。颯太くんの目が変わった。普段はいつも通りのいきいきとした目をしてる。でも、彩ちゃんがお客様のオーダーを間違えてしまった時、カップを落として割ってしまった時、気持ち良さそうに寝てるモカをでてる時、彼の目は淡く深い芳醇ほうじゅんな感情を宿やどしていた。その瞳を昔見た記憶が確かにある。まだ3人家族だったときに私に向けられた父の瞳。
 失くしたもの。それを目の前にいる男の子が持っていると知ったとき、胸がうずいた。彼との距離が近づけば、私に向けられたその目を見せてくれるかもしれない。それからかな、彼と接するときに目をよく見るようになったのは。
 でも、しばらくしても私を見る目は変わらなかった。それなのに彩ちゃんに向けられるあの目を傍目はために見せられる。目の前にあるのにつかめない陽炎かげろうみたいで、ジレンマがつのっていった。
 だから、あの雨の日。バイト帰りの雨宿り。自動販売機の光が反射する彼の目を見て、我慢しきれずに言っちゃったの。

「ねぇ、颯太くん。私たち付き合ってみよっか?」

 自分から告白したのって初めてだったから、ドキドキした。彼がうなずいてくれたとき、本当に嬉しかった。
 でもね、彩ちゃんには悪いとは思ったんだ……。それでも、私は欲しかったの。失くしたものがどうしても。


 颯太くんと恋人になれて、最初は浮かれてた。やっとあの目を私に向けてくれるってね。2人で出かけて、ご飯を食べて、お酒を呑んで、手をつないで、唇を合わせて、体を重ねて……。良い彼氏をしようと頑張る颯太くんはかわいいとは思ったけど、欲したのはそんなものじゃなかった。でも、時間が必要なことも分かってたから、このときはゆっくりでも近づけていることの高揚感があった。

 付き合いだして2ヵ月ぐらい過ぎた頃かな。バイトの休憩中に匡毅くんから相談されたんだ。彩ちゃんのことが気になるってさ。そのときは特に何も思わなかったの。匡毅くんはしっかりしてて、気のいい奴だけど、彩ちゃんとは付き合えないだろうなぁ、て漠然ばくぜんと思ってたから。
 だから、彩ちゃんと付き合うことになったって聞いたときは驚いちゃった。そして、ハッとした。漠然ばくぜんとした認識にもやがかかっていたのは、自分勝手な欲求によるものなんだって気づいてしまったから。
 欲求と罪悪感の葛藤かっとう。複雑な気分に気が滅入っちゃって……、それに就職のこともあったからバイトを辞めることにしたの。どんな言い訳で正当化しても、心に雲がかかる。それなのに、颯太くんはあの目をしてくれない。それからは、彼と会うことを素直に喜べなくなっていった……

 そこで迎えた去年の今日クリスマス・イブ。ちょっとした悪戯いたずらを実行したの。待ち合わせのカフェに先に行って隠れて、私が待ち合わせの時間になっても現れなかったときの様子をうかがおうってさ。どんな表情をしてくれるのかなって。

 待ち合わせの16時の1時間前に店内の奥の方の席をキープして、帽子と伊達メガネで変装する。ちょっとワクワクしたかな、探偵みたいって。
 30分後に現れた彼。席に着くと、真剣にスマホとにらめっこ。おかげでこちらに気づくことは無さそうで少し安心。
 待ち合わせ時間になるとキョロキョロ見渡す彼。視線の死角になる柱にそっと身を隠す。チラッと見えた彼の目は、望んでいる輝きを宿やどしていなかった。
 10分、20分、30分……。時間の経過と共に増える着信とメッセージ通知と罪悪感。しかし、つどつど見渡すその目を見る度、『違う……』と心で独り言。

 私には向けられないのかもしれない……

 ネガティブな思考は、颯太くんと彩ちゃんへの罪悪感からこぼれ出たよどみがまとわりついた結果だったのだろう。待ち合わせ時間から1時間がつ頃には、いたたまれない想いで胸がめ付けられていた。試すつもりが、気づいたら私が試されてた。

 今更、彼の前に出れない……

 私が映る彼の目が、望んだ輝きを放つことはない……

 そう解かってしまったとき、私はスマホを手に取った。チラッと見た最後の彼の目を見て、決意を行動に移す。

【突然だけど他に好きな人が出来て、その人と今日は過ごすから会えません。これで終わりにしましょう。ごめんなさい】

 ひどいことをした女にお似合いのチープで最低な別れの理由。私を心配する真剣な眼差まなざしと、メッセージを見た後のうなだれた後ろ姿。

 もう彼の前に姿を見せることはできない。

 肩を落とす彼の後ろを通り、誰にも聞こえないようにか細く震えた声でつぶやく。

「ごめんなさい。さようなら、颯太くん……」



   ♦   ♦   ♦   ♦



 白い空。黒い影。昼下がりの摩天楼まてんろう。行き交う人々の優しい色彩が、肌寒さを際経きわだたせる。

「彩ちゃんは……、どうするの?」

 去り際に言われた紗良さんの言葉に返事はできなかった。色の異なる感情が乱気流のように体の内で渦巻いていて、自分でも答える言葉が出てこなかったからだ。「どうするの?」の問いは意地悪で嫉妬が含まれているのが分かる。会いにきた理由を聞かないのを合わせれば、紗良さんが私の心の内を見透かしていたのだろうと複雑な気持ちになる。
 弱さ、怒り、罰、欲求……。ふと当時の傷ついた颯太の顔を思い出す。その顔は私の気持ちを暗い色にさせた。そんなにも紗良さんへの想いが深かったのかと、今でも胸に刺さり続けている棘がズキズキする。

 天体衝突、未曾有みぞうの大災害、人類存亡の危機、世界の終わり……

 でも、こんな事態にならなければ気づかなかったことがある。
 私に与えられた罰があがなわれる象徴としての天体パンドラに、救い以外の想いをいだくなんて……

 ありがとう。

 不謹慎ふきんしんきわまりない感謝。それでも、あの天体は私が望む結果を運んでくれているような気がしてならなかった。
 彩はハッと我に帰る。匡毅のことが脳裏に浮かぶ。
 解っている。解っているけど。開きかけた奥の奥にある引き出しに、震える手をえる。戸惑う腕に力を込めて、取っ手に手をかける……


 駅のホームに電車が停まる。導くように開かれたドア。知らない駅から、行かなきゃならない場所へと繋ぐ非情な金属体。


 胸に帯びた微熱と想いを自覚しながら、一歩をみ出して電車に乗り込んだ。

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