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騎士学校編
49 身代わり令息
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ペレアス王国王都でも、郊外に建つ王立シャルロット学園と併設の騎士学校は、都会の喧騒から離れ、緑鮮やかな植栽の中に静かに佇んでいる。その異様なほど高い生垣の向こうに、微かに光の粒子が舞うのが見えたような気がした。
巨大な転移魔法陣が光の粒子となって消える――。そこ――学園の裏庭には、消えた魔法陣の代わりに二十人ほどの少年達の姿があった。たった今、転移魔法で地方から送られてきた貴族令息たちだ。彼らは皆、騎士学校に入る新入生なのだ。ただ、新入生たちに喜びの色はない。疲れきって濁った瞳で、地をあるいは何もないところを見つめているだけだ。無論、言葉を発する者もいない。彼らをひと言で表すなら、そう――例えば、囚人、だろうか。
与えられた寮に押し込められた少年たちは、皆すぐに狭くて固い寝台に身を横たえた。それほどまでに彼らは疲れきっていたのだ。魔力を大幅に消耗して。
「サアラ、サアラ、大丈夫?」
寝台にごろんと倒れこんだ私を、ティナが心配そうにのぞきこんできた。
「ん…大丈夫、でも少し休ませて」
ごめんティナ。今はこんな受け答えさえ億劫になるほど疲れてるんだ。魔力が足りない…。
私はここでは、イントゥリーグ伯爵令息レナード、ということになっている。護送車、もとい罠付馬車から出られず――縄を抜けての物理での脱出も、頑丈な鍵に阻まれた――数日間かけて街道を運ばれた私が連れてこられたのは、エレイン。そこには、私の他にも家紋の入った馬車――貴族の馬車に乗った少年たちが集まっていて。ローブを纏った怪しげな男によって、半ば無理矢理転移魔法陣の上に立たされた私と少年達は、男の詠唱で発動した転移魔法によって、ここまで運ばれてきたのだ。
護送の間は、水もろくに与えられなかったし、食事も出なかった。さらに、あの転移魔法陣は、私たちの魔力を吸い上げて発動したため、私は体力魔力ともにヘロヘロというわけだ。
ああ、私がイントゥリーグ伯爵令息にされてるとか、意味がわからない?私はね、本物の伯爵令息の身代わりにされたんだよ。ここからは私の推測になるけど……
イントゥリーグ伯爵は、息子(※失踪したというのは作り話)をここ=騎士学校へやるのがどうしても嫌だった。だから、息子を国外に逃がして、替え玉を代わりに行かせたのだ。そう考えたら、イントゥリーグ伯爵が南の領地からわざわざモルゲンに出てきたことがしっくりくる。彼がモルゲンに来たのは、アルスィル帝国に開けた湾の港から本物の息子さんを逃がすため。そして、息子さんと年が近くて容姿が似ており、且つ、貴族令息にしてもバレない程度の礼儀と教養のある人間を仕入れ、身代わりに騎士学校に差し出すため。
そして、親が人さらいに手を染めてまで子供を寄越したくないと思うこの騎士学校、絶対ろくなところじゃない。たぶん…私みたいに身代わりにされた少年は他にもいるんじゃないかな。エレインで、私を拉致したイントゥリーグ伯爵の手下の他にも、ローブの男にお金の袋を渡している人間がいたし、そういうことも横行しているんだと思う。
うぅ~、ベッド固っ!カビ臭っ!
はっきり言う。辺境ド田舎ウィリス村の我が家のベッドの方が数段寝心地がいいよ…
真夜中、やっと魔力が回復した私は、耐えきれず、水魔法でシーツを濡らして高温でジュワッと蒸発させた。即席スチームアイロン――これでノミ&ダニは駆除できたかな。朝起きて全身が痒いなんて真っ平だ。
「…おまえも身代わりか?」
どうやら私の他にも起きていた少年がいたらしい。ベッドの上段から声が問いかけてきた。急いで声変わりの魔法で声を男に変える。
「まあね、アンタは?」
問い返せば、「俺もだ」と答がある。
「つーか、ここにいる奴らの半分くらいはニセモノだ」
「そっか。なあ、ここってそんなにろくでもないところなのか?」
「ああ。にしても、身代わりに事欠いて女を寄越すとか、世も末だな」
今魔法で声変えたろ、と言われて私は思わず身を固くした。何でわかったのよ。カリスタさんに、見破れないから安心して使えると言われたのに。
無言になったのを警戒と捉えたのか、上段から苦笑交じりの声が降ってくる。
「すまんすまん、バラす気はないからそう毛を逆立てるな。俺はここではクィンシー・フォン・ランスロットだ。中身はしがない平民だけどな。アンタは?」
「ここではレナード・フォン・イントゥリーグ。私も平民だよ。で?ここ、そんなにヤバいの?」
バレてるなら取り繕っても仕方がない。声はそのままに、口調だけ素に戻すと、カラカラと笑い混じりに窘められた。
「おいおい、ここで素を出すのはやめとけよ。騎士学校は鬱屈した野郎の牢獄だぜ?若い女がいるってわかったら、死んだ方がマシな目に遭…ん?」
クィンシーが皆まで言う前に、ひやりとした冷気が肌を撫でた。見れば、寝台の前に、冷たい目で上段を見上げるティナがいる。ああ、禁句だったみたい。
「おまえ…ひょっとして使い魔飼ってる?」
誤魔化すような咳払いをして、クィンシーが恐々と尋ねてきた。
使い魔とは、人間が契約して従属させた魔物のこと。契約というのは、人間の名付けを魔物が受け入れると成立する。私なら、村にいる十体のエリンギマンズがこれにあたるね。けどティナは、名前をつけたけど、私もティナに名前をもらっているし……こういう場合はどういう契約にあたるのかは不明だ。
「まあ、ね。下品な話が嫌いなんだ」
曖昧に言葉を濁しておいた。
男をやっていて困るのは、常日頃から下ネタにガンガン晒されること。村では、お目付役がいたのでそこまでではなかったけど、一歩外に出ると、お下品な会話でも付きあわざるを得なかったり、ついこの間など、幼女を愛でる奴隷オークションにも強制参加させられたし。アレには懲りたので、使い魔(※架空)が潔癖症ということにしておこうかな。
クィンシーからの忠告では、ここではあまり魔法を使わない方がいいとのこと。
「俺らが集められたのは、燃料にするためだ。使える、と思われたら二度と帰れないぞ」
この騎士学校は、戦争で使える兵士を育成する施設だ。つまり…
「徴兵ってことか」
一般に、平民より貴族の方が魔力が高いと言われている。だから、魔力が高く戦闘に適した人材を、王国は定期的に国内の貴族から募っているという。
「ま、ここに送られて来るのは子爵以下の子息と、伯爵の三男以下……穀潰しだな」
と、クィンシーはせせら笑った。
「ま、それも度重なると貴族にも嫡男以外に差し出す息子がいなくなる。身代わりの出番ってワケだ」
…なるほど。この国、騎士もジリ貧に陥っているようだ。
◆◆◆
一方。モルゲン領では――
「そうか……。なら、サイラスは王都へ連れて行かれたのだろう」
屋敷の執務室にて、部下の報告を聞いたダライアスは嘆息混じりに呟いた。まんまと一杯食わされた。イントゥリーグ伯は数週間も前から、モルゲン領内に人を遣り、息子の替え玉に相応しい少年を物色していたという。間違いなくサイラスは王都へ、あの悪名高い騎士学校へ連れて行かれたのだ。
「追わせますか?」
気遣わしげに尋ねてくる腹心を、「いいや」とダライアスは止めた。
「この程度でくたばる小僧ではあるまい。このまま王都に潜伏させる」
ブルーノを王都へ遣る。準備を、とダライアスは腹心に命じた。
「あやつが不在の間は、わしがメリクリウス商会の舵取りを行う。そう、村に伝えておけ」
「ブルーノ様にお任せした居留地とのやり取りはいかがいたしましょう」
「ザカリーがいる。他の仕事はわしが引き継ぐ」
「ハハッ!」
腹心を送り出し、ダライアスは急ぎ手紙をしたためはじめた。
◆◆◆
騎士学校へやってきた翌朝。記念すべき第一回目の授業が行われるという練兵場へ、他の少年たちとぞろぞろと歩きながら、クィンシー――日の下で見た彼は、煮詰めたカラメルのような艶やかな茶色の髪をふわりと流した、背が高くひょろりとした少年だった――が己の服をつまみ上げた。
「これが制服だ?薄くて貴婦人の下着みたいだ。透けないか心配じゃないか?レナード」
……朝っぱらからセクハラかよ。軽薄そうな目は、私の顔ではなくサラシで潰した胸元を見ている。クィンシーも例に漏れず、下ネタが大好きなようだ。面倒くさい奴と知り合ったものである。私は無視して、クィンシーの横をさっさと通り過ぎた。
練兵場に集められたのは、ほぼ昨日一緒に来た面子だった。全体で三十人くらいだろうか。私は昨日一緒ではなかった少年を見つけると、ササッと彼に近づいた。
「よっ。授業って何するんだ?」
実はそんなことより、ご飯がいつなのかを知りたい…のだが、とりあえず会話の糸口になりそうな話題を振ったのだ。話しかけられた少年――ボサボサした鳶色の髪のポッチャリ系男子は、チラと私を振り返るとジットリした目で言った。
「何期待してるんだか知らないけど。楽しいことは一切しないよ?魔力搾り取って、その後はひたすら剣の鍛錬だよ」
教官は僕たちを魔力切れにさせて、魔力を底上げさせたいんだよ、とポッチャリ彼は教えてくれた。
「え?魔力切れになると、魔力が底上げされるのか?」
そうなのか?
「あー、うん。個人差はあるらしいけど…」
対して「そんなことも知らないのか」という顔のポッチャリ彼。あ、名前なに?
「僕?ネイサン・フォン・ルリジュール。君、人に名前聞くときは最初に自分が名乗るんだよ。あと、低位の者が高位の者に話しかけるのもタブーね、」
面倒くさそうにしつつも、ネイサンは親切に教えてくれた。ちなみに彼は子爵令息で、身代わりではなく本物とのこと。
「俺はレナード。イントゥリーグ伯爵の息子擬きの平民だよ。いろいろ教えてくれてサンキューな。ついでにもう一個聞きたいんだけど…」
まだなんかあるのか、という顔のポッチャリ彼改めネイサンに、私は臆することなく尋ねた。
「ここ、ご飯出るの?」
◆◆◆
魔力切れでフウフウ言いながら、私は今模擬剣で素振りをさせられている。なんちゅう鬼畜な授業だよ。授業の初めに、巨大な水晶玉――日本で占い師のオバチャンが持ってるヤツの超巨大版――を出してきて、その前にヒゲ教官が登場していきなり、私たちに魔法攻撃をしてきたのだ。で、咄嗟に結界魔法を発動したら魔力を全部持っていかれたと…。教官の稚拙が過ぎる策略にやられた自分のアホさ加減に眩暈がする。いや、ホントに魔力切れで眩暈もするんだけどね。
「…ハァ」
ため息をひとつ吐いて、私は辺りに目をやった。皆、不服そうに剣を振っている。特に『本物』君たちの目には怒りさえ見受けられる。そりゃそうか。剣を振るい、槍を振り回すのは平民出身の雑兵のやること、貴族はもっぱら魔法で戦うもの、という意識が強いのだ。あの戦乙女のモデルたる王妃サマが、魔法で敵兵を圧倒するらしいからね。『本物』君たちにとって、剣の鍛錬は屈辱でしかないんだろう。
それはそうと、早くこんなところから出ないといけない。剣の鍛錬をさせる、ということは戦場へ連れて行かれる可能性が高いことに他ならない。前線に放り込まれ、後方からエレインにいたようなデタラメに強い軍隊に追い立てられたら……死ぬ未来しかない。剣を振りながら、私はいかに脱出するかを考えるのだった。
巨大な転移魔法陣が光の粒子となって消える――。そこ――学園の裏庭には、消えた魔法陣の代わりに二十人ほどの少年達の姿があった。たった今、転移魔法で地方から送られてきた貴族令息たちだ。彼らは皆、騎士学校に入る新入生なのだ。ただ、新入生たちに喜びの色はない。疲れきって濁った瞳で、地をあるいは何もないところを見つめているだけだ。無論、言葉を発する者もいない。彼らをひと言で表すなら、そう――例えば、囚人、だろうか。
与えられた寮に押し込められた少年たちは、皆すぐに狭くて固い寝台に身を横たえた。それほどまでに彼らは疲れきっていたのだ。魔力を大幅に消耗して。
「サアラ、サアラ、大丈夫?」
寝台にごろんと倒れこんだ私を、ティナが心配そうにのぞきこんできた。
「ん…大丈夫、でも少し休ませて」
ごめんティナ。今はこんな受け答えさえ億劫になるほど疲れてるんだ。魔力が足りない…。
私はここでは、イントゥリーグ伯爵令息レナード、ということになっている。護送車、もとい罠付馬車から出られず――縄を抜けての物理での脱出も、頑丈な鍵に阻まれた――数日間かけて街道を運ばれた私が連れてこられたのは、エレイン。そこには、私の他にも家紋の入った馬車――貴族の馬車に乗った少年たちが集まっていて。ローブを纏った怪しげな男によって、半ば無理矢理転移魔法陣の上に立たされた私と少年達は、男の詠唱で発動した転移魔法によって、ここまで運ばれてきたのだ。
護送の間は、水もろくに与えられなかったし、食事も出なかった。さらに、あの転移魔法陣は、私たちの魔力を吸い上げて発動したため、私は体力魔力ともにヘロヘロというわけだ。
ああ、私がイントゥリーグ伯爵令息にされてるとか、意味がわからない?私はね、本物の伯爵令息の身代わりにされたんだよ。ここからは私の推測になるけど……
イントゥリーグ伯爵は、息子(※失踪したというのは作り話)をここ=騎士学校へやるのがどうしても嫌だった。だから、息子を国外に逃がして、替え玉を代わりに行かせたのだ。そう考えたら、イントゥリーグ伯爵が南の領地からわざわざモルゲンに出てきたことがしっくりくる。彼がモルゲンに来たのは、アルスィル帝国に開けた湾の港から本物の息子さんを逃がすため。そして、息子さんと年が近くて容姿が似ており、且つ、貴族令息にしてもバレない程度の礼儀と教養のある人間を仕入れ、身代わりに騎士学校に差し出すため。
そして、親が人さらいに手を染めてまで子供を寄越したくないと思うこの騎士学校、絶対ろくなところじゃない。たぶん…私みたいに身代わりにされた少年は他にもいるんじゃないかな。エレインで、私を拉致したイントゥリーグ伯爵の手下の他にも、ローブの男にお金の袋を渡している人間がいたし、そういうことも横行しているんだと思う。
うぅ~、ベッド固っ!カビ臭っ!
はっきり言う。辺境ド田舎ウィリス村の我が家のベッドの方が数段寝心地がいいよ…
真夜中、やっと魔力が回復した私は、耐えきれず、水魔法でシーツを濡らして高温でジュワッと蒸発させた。即席スチームアイロン――これでノミ&ダニは駆除できたかな。朝起きて全身が痒いなんて真っ平だ。
「…おまえも身代わりか?」
どうやら私の他にも起きていた少年がいたらしい。ベッドの上段から声が問いかけてきた。急いで声変わりの魔法で声を男に変える。
「まあね、アンタは?」
問い返せば、「俺もだ」と答がある。
「つーか、ここにいる奴らの半分くらいはニセモノだ」
「そっか。なあ、ここってそんなにろくでもないところなのか?」
「ああ。にしても、身代わりに事欠いて女を寄越すとか、世も末だな」
今魔法で声変えたろ、と言われて私は思わず身を固くした。何でわかったのよ。カリスタさんに、見破れないから安心して使えると言われたのに。
無言になったのを警戒と捉えたのか、上段から苦笑交じりの声が降ってくる。
「すまんすまん、バラす気はないからそう毛を逆立てるな。俺はここではクィンシー・フォン・ランスロットだ。中身はしがない平民だけどな。アンタは?」
「ここではレナード・フォン・イントゥリーグ。私も平民だよ。で?ここ、そんなにヤバいの?」
バレてるなら取り繕っても仕方がない。声はそのままに、口調だけ素に戻すと、カラカラと笑い混じりに窘められた。
「おいおい、ここで素を出すのはやめとけよ。騎士学校は鬱屈した野郎の牢獄だぜ?若い女がいるってわかったら、死んだ方がマシな目に遭…ん?」
クィンシーが皆まで言う前に、ひやりとした冷気が肌を撫でた。見れば、寝台の前に、冷たい目で上段を見上げるティナがいる。ああ、禁句だったみたい。
「おまえ…ひょっとして使い魔飼ってる?」
誤魔化すような咳払いをして、クィンシーが恐々と尋ねてきた。
使い魔とは、人間が契約して従属させた魔物のこと。契約というのは、人間の名付けを魔物が受け入れると成立する。私なら、村にいる十体のエリンギマンズがこれにあたるね。けどティナは、名前をつけたけど、私もティナに名前をもらっているし……こういう場合はどういう契約にあたるのかは不明だ。
「まあ、ね。下品な話が嫌いなんだ」
曖昧に言葉を濁しておいた。
男をやっていて困るのは、常日頃から下ネタにガンガン晒されること。村では、お目付役がいたのでそこまでではなかったけど、一歩外に出ると、お下品な会話でも付きあわざるを得なかったり、ついこの間など、幼女を愛でる奴隷オークションにも強制参加させられたし。アレには懲りたので、使い魔(※架空)が潔癖症ということにしておこうかな。
クィンシーからの忠告では、ここではあまり魔法を使わない方がいいとのこと。
「俺らが集められたのは、燃料にするためだ。使える、と思われたら二度と帰れないぞ」
この騎士学校は、戦争で使える兵士を育成する施設だ。つまり…
「徴兵ってことか」
一般に、平民より貴族の方が魔力が高いと言われている。だから、魔力が高く戦闘に適した人材を、王国は定期的に国内の貴族から募っているという。
「ま、ここに送られて来るのは子爵以下の子息と、伯爵の三男以下……穀潰しだな」
と、クィンシーはせせら笑った。
「ま、それも度重なると貴族にも嫡男以外に差し出す息子がいなくなる。身代わりの出番ってワケだ」
…なるほど。この国、騎士もジリ貧に陥っているようだ。
◆◆◆
一方。モルゲン領では――
「そうか……。なら、サイラスは王都へ連れて行かれたのだろう」
屋敷の執務室にて、部下の報告を聞いたダライアスは嘆息混じりに呟いた。まんまと一杯食わされた。イントゥリーグ伯は数週間も前から、モルゲン領内に人を遣り、息子の替え玉に相応しい少年を物色していたという。間違いなくサイラスは王都へ、あの悪名高い騎士学校へ連れて行かれたのだ。
「追わせますか?」
気遣わしげに尋ねてくる腹心を、「いいや」とダライアスは止めた。
「この程度でくたばる小僧ではあるまい。このまま王都に潜伏させる」
ブルーノを王都へ遣る。準備を、とダライアスは腹心に命じた。
「あやつが不在の間は、わしがメリクリウス商会の舵取りを行う。そう、村に伝えておけ」
「ブルーノ様にお任せした居留地とのやり取りはいかがいたしましょう」
「ザカリーがいる。他の仕事はわしが引き継ぐ」
「ハハッ!」
腹心を送り出し、ダライアスは急ぎ手紙をしたためはじめた。
◆◆◆
騎士学校へやってきた翌朝。記念すべき第一回目の授業が行われるという練兵場へ、他の少年たちとぞろぞろと歩きながら、クィンシー――日の下で見た彼は、煮詰めたカラメルのような艶やかな茶色の髪をふわりと流した、背が高くひょろりとした少年だった――が己の服をつまみ上げた。
「これが制服だ?薄くて貴婦人の下着みたいだ。透けないか心配じゃないか?レナード」
……朝っぱらからセクハラかよ。軽薄そうな目は、私の顔ではなくサラシで潰した胸元を見ている。クィンシーも例に漏れず、下ネタが大好きなようだ。面倒くさい奴と知り合ったものである。私は無視して、クィンシーの横をさっさと通り過ぎた。
練兵場に集められたのは、ほぼ昨日一緒に来た面子だった。全体で三十人くらいだろうか。私は昨日一緒ではなかった少年を見つけると、ササッと彼に近づいた。
「よっ。授業って何するんだ?」
実はそんなことより、ご飯がいつなのかを知りたい…のだが、とりあえず会話の糸口になりそうな話題を振ったのだ。話しかけられた少年――ボサボサした鳶色の髪のポッチャリ系男子は、チラと私を振り返るとジットリした目で言った。
「何期待してるんだか知らないけど。楽しいことは一切しないよ?魔力搾り取って、その後はひたすら剣の鍛錬だよ」
教官は僕たちを魔力切れにさせて、魔力を底上げさせたいんだよ、とポッチャリ彼は教えてくれた。
「え?魔力切れになると、魔力が底上げされるのか?」
そうなのか?
「あー、うん。個人差はあるらしいけど…」
対して「そんなことも知らないのか」という顔のポッチャリ彼。あ、名前なに?
「僕?ネイサン・フォン・ルリジュール。君、人に名前聞くときは最初に自分が名乗るんだよ。あと、低位の者が高位の者に話しかけるのもタブーね、」
面倒くさそうにしつつも、ネイサンは親切に教えてくれた。ちなみに彼は子爵令息で、身代わりではなく本物とのこと。
「俺はレナード。イントゥリーグ伯爵の息子擬きの平民だよ。いろいろ教えてくれてサンキューな。ついでにもう一個聞きたいんだけど…」
まだなんかあるのか、という顔のポッチャリ彼改めネイサンに、私は臆することなく尋ねた。
「ここ、ご飯出るの?」
◆◆◆
魔力切れでフウフウ言いながら、私は今模擬剣で素振りをさせられている。なんちゅう鬼畜な授業だよ。授業の初めに、巨大な水晶玉――日本で占い師のオバチャンが持ってるヤツの超巨大版――を出してきて、その前にヒゲ教官が登場していきなり、私たちに魔法攻撃をしてきたのだ。で、咄嗟に結界魔法を発動したら魔力を全部持っていかれたと…。教官の稚拙が過ぎる策略にやられた自分のアホさ加減に眩暈がする。いや、ホントに魔力切れで眩暈もするんだけどね。
「…ハァ」
ため息をひとつ吐いて、私は辺りに目をやった。皆、不服そうに剣を振っている。特に『本物』君たちの目には怒りさえ見受けられる。そりゃそうか。剣を振るい、槍を振り回すのは平民出身の雑兵のやること、貴族はもっぱら魔法で戦うもの、という意識が強いのだ。あの戦乙女のモデルたる王妃サマが、魔法で敵兵を圧倒するらしいからね。『本物』君たちにとって、剣の鍛錬は屈辱でしかないんだろう。
それはそうと、早くこんなところから出ないといけない。剣の鍛錬をさせる、ということは戦場へ連れて行かれる可能性が高いことに他ならない。前線に放り込まれ、後方からエレインにいたようなデタラメに強い軍隊に追い立てられたら……死ぬ未来しかない。剣を振りながら、私はいかに脱出するかを考えるのだった。
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