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魔法学園編

91 黒竜

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影から出た私の目に映ったのは――
ギラついた目の王子サマが、友を屠るところで。
「いやあぁぁぁぁ!!!」
アナベル様が絶叫の後にパタリと倒れて。
「ハッ…ハハッ…ハハハハッ!!!」
無数の氷の刃を飛ばすイカレた男の哄笑――
理性を保ってなどいられなかった。
「サアラ?!おい…!」
アルの静止は半ばで聞こえなくなった。

身体が軽い。
魔力が漲ってくる。
意識の片隅で、これは異常だと警鐘が鳴るけど…

ハチから飛び降り、地を蹴る。まっすぐ、標的に向かって奔れば、風のように景色が流れていく。跳躍し、嗤う男の横顔目がけ、短刀を振り下ろす。

ガキン!

異様な光を宿した瞳が、結界に短刀を突き立てる私を見た。

怖くなどない。それに…

「その程度で…!」

結界に突き立てる刃に魔力を注ぎ込む。ピキピキッと空間に亀裂が入り、私は皹の入った見えない壁を蹴破り、結界内に飛びこんだ。

殺す…!

しかし、振り下ろした短刀は、見る間に氷に覆われる――ライオネルの魔法だ。氷は、短刀だけで無く、私の右手をも侵そうと迫ってくる。

負けない…!私は…!!

左手が疼くような痛みを訴えるが。

「《放電スパーク》!」
結界内に、いくつもの雷が這い、火花を散らす。

コロス!!

短刀を覆う氷が砕け散り、真っ黒な稲妻を纏った刃が、吸いこまれるように標的に向かって。

「?!」

あと少し、という時点で強い衝撃に身体ごと真横に吹き飛ばされた。脆くなった結界を突き抜け、地を転がる私の目が捉えたのは、王国兵とは少しデザインの違う鎧を纏った集団――魔術師団。確か、この国の主力部隊だとかいう…

けれど、そんなことはどうでもよかった。

立ちあがった私は、近づいてくる集団をぎっと睨みつけた。
「邪魔するなら、アンタたちも…」
短刀を持ち直し、己の魔力を纏わせた。
相手は数十人。私一人で突っ込んでも不利だね。
恐ろしく冷静な頭脳が、邪魔者を黙らせる算段をたて、素早く魔力を練る。瞼に浮かべた怪物は、不思議と細部までリアルで……
もう左手の痛みは気にならなかった。

◆◆◆

赤々と燃える森を後ろに、黒く巨大な影が頭をもたげた。漆黒の鱗に被われた長い体躯が蜷局を巻き、冴え冴えとした水色の眼が地に佇む兵を睥睨した。
「なんてものを…」
魔の森に竜はいないって、アイツ言ってなかったか。何だ、アレ。
呆然とするアルフレッドだったが、視界の端にあの幼女を見つけて、駆け寄った。
「サアラは?!サアラはどうなってる?!」
魔獣の檻の前で、魔術師団と竜が魔法の応酬をしている。竜の頭上には、いつの間にできたのか黒雲が渦を巻き、細い雷がチカチカと瞬いている。
「……。」
虚ろな目の幼女が無言で指さしたのは、怪獣映画のワンシーンのようになっている檻の前。
「あそこかよ」
嘆息したアルフレッドは、次に傍らに座りこんでいる黒い馬の魔物――ハチに目をやった。
「乗せてくれるか?」
念のため声をかけたが、案の定威嚇された。鼻息荒く呻り声をあげるハチの前に、アルフレッドはしゃがみこんだ。
「おまえの主を助けたいんだ。おまえなら、影から…下から近づける」
あの修羅場に、並の馬なら怯えて突っ込めないだろう。
「あのままだと、魔力が尽き次第、魔術師団にサアラが捕まる。頼むから…護りたいんだ、彼女を」
振り仰いだ黒竜は、未だ数多の雷を纏っているが。冷静に見ればわかる。黒竜と魔術師団の温度差が。
先程から、魔術師団は小さな斑に別れて、距離を取りながら黒竜を様々な方角から何度も攻撃し、その度に黒竜は大きな攻撃をやり返しているが。戦い慣れた魔術師団は、幻惑や目眩ましを上手く使ってそれらを躱しているのだ。

疲れさせている。

あんなデカい竜だが、操っているのは一人の人間。魔力の消耗を考えれば、あのバカみたいに魔力を纏う竜を長く維持することは不可能だ。
「サアラの魔力が尽きたら危険だ。魔の森の魔力は、無限じゃないんだろう?」
幼女とハチを代わる代わる見て、説得する。
「頼む!俺をあそこに連れて行ってくれ。必ず、アイツを取り戻すと約束する」
言葉を尽くして馬と幼女に頭を下げてしばらく。ヒヒン、と妙に馬らしい鼻息が聞こえて、馬の方が身を起こした。
「連れていくだけだって」
幼女が通訳した。
「ありがとう。感謝する」
表情を和ませたのは一瞬、すぐに鋭い眼差しでアルフレッドはハチに跨がった。

◆◆◆

「ギッ、ギギッギッ」
影に潜ったハチを見送るティナの横に、蛾の従魔が舞い降りた。
「ん。まあ、なるようになるよ」
「ギギッ?」
無表情に答えるティナを、丸顔が不思議そうに見上げる。
「ん…サアラは好きよ?アイツがどうでもいいってこと」
「ギッ」
「気まぐれだよ、そういう気分だったの」
何だかんだ言っておませな従魔だ。ティナは珍しく言い訳をして、黙ってサアラのいる方向を見つめた。

◆◆◆

ハチは約束通り、黒竜の真下まで送ってくれた。頭上を飛び交う攻撃をかいくぐり、アルフレッドは、漆黒の竜の真下にいるであろうサアラを捜した。しかし、見当たらない。
(どこだ…?)
従魔がここだというのだ。間違いなく近くにいるはずだ。素早く辺りを見回し、飛んできた攻撃を躱して、背が竜にぶつかった。
「ん…?」
奇妙な感覚を覚えたアルフレッドは、もう一度竜の身体に触れ…
「まさか…中か?!」
竜に触れたとき、サアラに触れたときと同じ魔力を微かに感じたのだ。彼女自身の温かな魔力を。なら…
「《聖なる光よ》」
少年の時、腕に刻まれた呪印に魔力を流す。強引だが、竜の『中』にいるサアラに近づくために、に穴を開ける。
「《闇を照らし、邪を祓いたまえ!》」
淡く白む浄化魔法に照らされた黒い鱗から、靄のように色が抜け落ちたかと思うと、ピリピリと乾いた音を立てて、色の抜けた鱗が砕け散った。

オオオオォォォン

くぐもった咆哮をあげ、巨大な竜がその身をく捩る。同時に、いくつもの細い雷が雨のように降り注ぎ、己を傷つけた元凶を叩こうとする。
「サアラ!!俺だ!!」
穴を開けた竜の体内は、新月の夜より暗い闇。まるで見通せない。
(なんて冷たくて、強い魔力だ…それに、)
はっきりと目視できるほど強力な魔力など初めてだ。いくつもの真っ黒な細い繊維が束のように結びつき、脈動する――しなやかで強靭な筋繊維がごとく。しかし、その幾千もの黒い糸の中に、微かだが『彼女』の気配が混じる。
(この向こうに…!)
意を決して闇に身を捻じ込み、アルフレッドは強健な黒い魔力に、光魔法を纏わせた腕を差しこんだ。木の根のように硬い感触のそれをかき分け、力づくで前へ進む。頼りなるのは、微かに感じる彼女の柔らかな気配のみ。冷たい闇の中にある、温かな生気――
「サアラ!!」
魔力の樹海へ声を張りあげる。少し、近づいた。
(くそっ…!この魔力は魔の森のか?!)
全身を刺す寒気。アルフレッドの体温を根刮ぎ奪っていくような凶悪な冷たさ。子供の頃に飛びこんだ湖の比じゃない。ここに長く留まるのは危険だ。アルフレッド自身も、サアラも。
「サアラ!!返事しろ!!」
早く、見つけなければ…!進まなければ…!なのに、ここでは方向すらはっきりしない。
ままならない空間に、焦りだけが募っていく。何か…もっと確かな手がかりさえあれば!
「!」
突如、どおん、と空間が揺れた。遠くに竜の咆哮が聞こえてくる。
(マズい。魔術師団が…!)
竜が、斃される。サアラが!
「サアラ!!」
黒の樹海が、軋むような怪しげな音を立てる。視界を埋める黒の向こうに、一瞬茶色いものが見え隠れした。
「サアラ!!」
必死に樹海をかき分け、前へ身を乗り出し…
「サアラ!いた!」
まるで闇に搦め捕られたような、彼女の茶色い髪を見つけた。堅く彼女を捕らえる魔力を無我夢中で払いのけ、真っ黒な闇に両腕を差しこみ、中の身体を抱えて引き寄せた。澱のような闇から掬い上げた彼女の身体は冷たく、青白い顔の瞼は重く落ちて、まるで死人のよう。彼女を取り戻した直後、また空間が軋むように揺れた。ギシギシと怪しげな音を立てて、強靭だった魔力の束が解けてゆく。
(そうか…本体を失ったから)
竜が消滅する。
「ハチ!ハチ、いるかー!?」
叫べばどこからともなく、黒い馬が現れて、サアラを抱えたアルフレッドの襟首を咥えた。そのまま影に潜ると同時に、地上では竜の残像が消え失せた。

◆◆◆

緩やかに身体が落ちてゆく――

誰かに抱かれているような不思議な浮遊感が身を包む。広がるのは、水底のように静謐な紺青の世界――

ここはどこだろう。

私はどうなったんだろう。

思考はつかみ所の無い靄のようで――

顔の横を小さくて透明な気泡が、一列になって遥か上へと上っていった。


さざ波は流れに揺蕩う水の精霊たち
すべての流れは曲がりくねった小径
水の宮殿へと連れてゆくの
私の宮殿はね
流れに護られ 湖の底深く
火と土と風の大三角
その只中に在るのです


鈴を振るような、知らない声が響いてくる。
なんだかうとうとしてきて、私はまた目を閉じた。
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