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建国~対列強~編

195 どうしよう

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人間が混じった子――

「え…あ、あの…私…まさか…」
努めて冷静に喋ろうとしたのに、カタカタと声が震える。だって…だって…
「腹の子を一番に報告しに来たのだろう。加護はかけておいた。これで人間混じりとはいえ、柔な子にはなるまい」
魔王様の声に、告げられた言葉に、氷に身を貫かれたかのような衝撃を覚える。じわりと視界がぼやけたのは、感情が揺さぶられているからだ。

まさか…妊娠してしまった、とか。

「どうしよう…」
零れた呟きと一緒に、ぽたぽたと透明な滴が床を濡らす。

どうしよう…どうしよう…どうしよう…

今が踏ん張り時なのに。
私はまだまだ働かなきゃいけないのに。
まだ、ウィリスは辺境の弱小国なのに。

好きな人アルとの間に宿った命に対して私が抱いたのは、絶望にも近い感情だった。足元の地面が消え失せたかのような不安、次いで焦燥。そして…言いようもない悲しみだった…。

◆◆◆

結局、事実を受け入れられないまま、私は魔王城で目を覚ました。頭が目覚めると始まる、「どうしよう」の無限ループ。
思い当たることは、ある。アルスィル皇帝(先代)の企みでアルと戦った後、なんでか彼がキラキラと格好よく見えて、くっついていたくて……ガードもゆるゆるだった。そんなメロメロ状態且つ避妊の意志も技術もなし……無事で済むわけがない。
(うあぁぁぁ…)

どうしよう…どうしよう…どうしよう…

ゲシュタルト崩壊を起こしそうな「どうしよう」から逃れるように、私はウィリスへと帰還した。
「サイラス、体調不良はいいのかい?」
家に入ると、父さんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「父さん…」
途方に暮れて見上げた顔。優しい父さんは、「顔色が悪いし、むくんでいるように見えるぞ」と、眉を下げた。
「父さん…アルは?」
「知らないよ」
彼の話題を出した途端、父さんの声が冷えたのをはっきりと感じた。嗚呼…やっぱり。父さんは、アルを、私の好きな人を認めてはくれないんだ…。
「サイラス?」
呼びとめた声に、振り返らずに「仕事」、とだけ答えた。

暗鬱とした気分のまま執務室に入ると、「マ~スタ~!」、とキノコが足にしがみついてきた。
「マ~スタ~!遊んでくれよぉ!」
いつものようにワガママを言うエリンギの傘をひと撫でして、私は山積みになった書類の確認を始めた。しばらくすると、ノックに続いてフリッツが顔を出した。
「よお。腹風邪は平気か?」
私を案ずる声に、短く「疲れただけみたい」と返す。…税額の報告、ペレアスの領主たちからの手紙、それから…

貴族令嬢の姿絵。

「これ…」
山の中から、それらは何枚も姿を現した。ペレアスだけじゃない、帝国やグワルフの令嬢のものもある。いずれも、サイラス・ウィリスとの婚姻を打診するものだ。こめかみがツキツキする。
「ああ…それなぁ。これでもだいぶ減らしたんだ。そこにあるのは、とりあえず見合いだけでも受けた方がいいと判断した分だよ」
私の眉間の皺を見てとったフリッツが苦笑する。確かに…この令嬢たちの出身領はいずれもウチが品物をやり取りしている領だ。無碍にはできない、か…。
「まあ、そんなにげっそりするなって。女のおまえとどうこうなるなんて無理なんだからさ。『お友達』になればいいんだよ」
「……うん」
とは言っても、相手はサイラスと結婚する気満々なのだ。昨日の痴女事件で女の恐ろしさを実感したばかり。気に病んだって仕方ないよ。
「……ストレス」
身体の変化の原因を知ってしまったせいだろうか。倦怠感も吐き気も耐えられないほどじゃないけど、消えないんだ。そんな中で、無駄に気を遣って男を演じるお茶会という名のお見合い。鬱でしかない。
「とりあえず…スケジュールを調整して、挨拶くらいはしようか」
忙しさを理由に挨拶程度に留めれば、相手の顔を潰さず、こちらも義理立てできる。うん…そうしよう。
「…わかった。でもサイラス、本当に身体は平気なのか?顔色悪いぞ?」
…まあ、疲れてはいるし。昨日は結局、「どうしよう」のゲシュタルト崩壊で眠れなかったし。
「ちょっと…疲れすぎて目が冴えちゃってね。眠れなかったんだ」
言い訳みたいにそう言う。フリッツにも、身体のことは言えない。だって、言ったって困らせるだけだ。現に『男』の私に縁談がわんさか来ているし、私はこれらを上手く利用しながら、国の舵取りをしなきゃいけない……『男』として。女の事情とか、考える余地はないのだ。
(私は…王配。国を支える『男』なんだ…)
ともすれば泣き出しそうになる己に言いきかせる。身体の変化は、もうどうしようもない。魔王様が加護をくれたから、堕胎もできない。先に、進むしかないんだ。先のことは、後で考えよう。ともかく、迂闊に倒れないように、バレないように…。
そんなこんなで、俯いたまま書類を片づけ約束していた会談をこなし…
「サイラス、アルフレッド様がいらしたわ」
オフィーリアから、彼の来訪を告げられた。

◆◆◆

アルと会うのは、モルゲンの高級宿だ。父さんのことがあってか、アルはウィリスを避けている風がある。
波風を立てないためだとは、わかっている。思うことがないわけではないけど。
「サアラ、」
現れた私に、アルは緑玉の瞳を柔らかく細めた。伸ばされた手が腰を優しく抱き寄せ、私はつい、彼の胸に頬を寄せ……慌てて離れた。いかん…男装中だった。
「アル、今日は」
何の用?と聞こうとして。
「話したいことがあるんだ」
アルの台詞に問いかけを呑み込んだ。
「サアラ、俺たち――ひと組の男女としての将来を考えたんだ」
よりにもよって。今、その話題を?
表情を強張らせる私には気づかずに、アルは話を続ける。
「皇帝陛下から許しが出た。サアラに、メドラウドに連なる貴族の家名を名乗っていいと」
「……え?」
モルゲン・ウィリス王国王配の私が、メドラウドに連なる家名を名乗る――それ、は…
目を見開いたまま固まる私に、アルは……
「家名があれば、俺とサアラの身分差はなくなる…!誰にも文句は言われない!」
心底嬉しそうに、そう言った。でも…

…ダメだよ、アル…。

確かにその家名の力は大きいよ?強力な後ろ盾になるだろう。でも…
メドラウドに連なる家名を貰ったら、私はメドラウドの『分家』、ひいてはアルスィル皇帝の『眷属』になってしまう。それはつまり…これから生まれでくる私の子――次代のモルゲン・ウィリスの王がそうなるわけで。それじゃ近い将来、この国が帝国に呑み込まれてしまわない?
どう断ろうかと思案する私は、両手を包まれてハッと我にかえった。目の前には、真剣な色を湛えた緑玉の双眸がある。
「サアラ、どうか俺の隣に立ってくれないか。帝国貴族の称号なら、メドラウド公爵夫人にも遜色ない。だから…俺と正式に結婚してほしい」
プロポーズだよ…どうしよう。嬉しくないはずがない……のに。どうして私は喜べないんだろう。
「王配をやめろとは言わない。兼任すればいいと思うんだ」
そりゃ、アルの妻の時だけ『サアラ』なり『マリー』と名乗って、同時に『サイラス』として王配を続投すること自体はできるだろう。でもそれじゃ……結局最初の懸念に戻ってくるのだ。メドラウドの家に妻として入れば、私は『女』なのだ。所詮、この世界では『女』は『男』の言いなりだから。モルゲン・ウィリスの政治にメドラウド…ひいては帝国の意志が色濃く反映されることは間違いない。だから、やっぱり…
「サアラ?」
怪訝な顔をする恋人に、私は毅然とした顔を向けられただろうか。ともすれば震えそうな唇を開いて、私は告げた。
「アル…私は男だよ?」
男が男と結婚する……ましてや公爵夫人になれるわけがないじゃないか。
「な…!」
アルの双眸が驚愕に見開かれる。
「この話は、聞かなかったことにするからッ」
それだけ言って、私は身を翻した。

◆◆◆

ハチに乗って、ウィリスの家に帰ってきた私は、ベッドに倒れこんだ。
「…フッ、ウウッ」
一人になった途端、情けなくも嗚咽が漏れ、喉を震わせる。

嗚呼…アルを振ってしまった。

きっと怒っただろう。彼にしてみれば、苦労して私のために許可をもぎ取ってきたのだから。多分…話を持ちかけたのはアルなんだ。皇帝ではない。アルは、他人からぶら下げられた餌に食いつくような不用心はしないから。勝手にいろいろ勘ぐって、プロポーズを無碍にした女を彼はどう思うだろう…。
「…急がなきゃ」
知らず声が出ていた。
私の迂闊な言動で、ないとは思うけどメドラウドとの良好な関係に皹が入ってしまったのなら。爵位も称号もなくても、磐石な地位と平和を、大国だろうが手出しできない国の礎を作るために。えぐえぐと泣いてる暇はないんだ。今は、ただ。今は、やるべきことを――
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