小さな季節のテーブル ~ワンテーブルレストランと1組のお客様~

物書き赤べこ

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第1話 シェフ×ホール

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 とある田舎町の外れ、舗装もされていない細い道を抜けた先に、
 そのレストラン「小さな季節」はある。

 看板はなく、建物も古い山小屋のようだ。初めて訪れた者は、
 ここが本当に営業している飲食店だとは思わないだろう。

 だが――ドアを開けた者だけが知る。
 ここが「一日一組限定」の完全予約レストランだということを。

 厨房に立つのは、井口凪(いぐち・なぎ)、四十歳。
 白衣はいつも清潔だが、真新しいものではない。長年の仕事が染み込んだような柔らかさがある。
 彼は料理以外のことを語るのを、ほとんど好まない。

 包丁を握る手は静かで、無駄がない。
 今、彼が刻んでいるのは、朝露を含んだ森採れの根菜――人参、蕪、少量の菊芋。
 音は規則正しく、まるで刻む行為そのものが思考であるかのようだった。

 ホールでは、高木あかねがテーブルを整えている。三十歳。
 柔らかな物腰と、客の感情の揺らぎに気づく鋭さを併せ持つ女性だ。
 カトラリーの位置を微調整し、窓際の席にだけ小さなキャンドルを置く。

「今日のお客様ご予約二名様でしたね」

 彼女の声に、凪は短く頷く。

「男女だったな。再会か……でも目的は食事じゃないようだ」

 それだけで、あかねには十分だった。

 この店を訪れる客は、料理を食べに来るのではない。
 何かを決めるために来る。
 
 そして、凪はその“理由”に応じて、料理を組み立てる。

 午後六時。
 ドアベルが、控えめに鳴った。

 客は三十代後半ほどの男女だった。
 二人は並んで座るが、視線は交わらない。
 空気には、言葉にできない緊張が漂っている。

 最初に運ばれたのは前菜。
 鶏のブイヨンで煮含めた根菜の温製サラダだ。

 凪は、朝からじっくり取ったブイヨンを使う。
 鶏ガラに、玉ねぎ、セロリ、ローリエ。火は決して強くしない。
 沸かさず、揺らがせる。時間をかけて旨味だけを引き出す。

 根菜は大きめに切り、歯応えを残す。
 仕上げに少量の発酵バターと、森で採れたハーブ――ほのかに甘い香りの葉。

 一口食べた瞬間、客の肩がわずかに緩む。

「……懐かしい味だね」

 男性の呟きに、女性が驚いたように顔を上げる。

 次に出されたスープは、玉ねぎのポタージュ。
 飴色になるまで炒めた玉ねぎを、裏ごしし、クリームは最小限。
 甘さはあるが、重くない。喉を通ると、胸の奥に温度が残る。

 会話は少しずつ、だが確実に増えていった。

 メインは、二人で取り分ける仔羊のロースト。
 低温でじっくり火を入れ、表面だけを強火で焼き締める。
 添えられたソースは、赤ワインとワイルドベリーを煮詰めたものだが、酸味を強めにしてある。

 ナイフを入れると、肉汁が静かに滲む。
 二人は自然と、同時に皿へ手を伸ばした。

 食事の終盤、言葉が止まる。
 だが沈黙は、最初のものとは違っていた。

 最後のデザートは、焼き林檎と蜂蜜のソルベ。
 甘さは控えめで、後味にほのかな苦味が残る。

「……私たち、ここで終わりにしよう」

 女性の声は震えていたが、迷いはなかった。

 男性はしばらく黙り、それから深く頷く。

「ちゃんと話せて、よかった」

 会計を終え、二人は別々に店を出た。

 ドアが閉まった後、あかねが小さく息をつく。

「お二人は距離を決められたみたいですね」

 凪は洗い終えた鍋を伏せながら言う。

「満腹は人を正直にするからな」

 店の灯りが落ち、森に静けさが戻る。

 明日、この場所を必要とするのは、どんな理由を持つ客だろうか。
 レストランは、今日も何も語らず、ただ待っている。
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