ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第1章 宿り木ホテルと季節の人々

第13話 昼の女と夜の女と焦がしミカンと

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厨房の奥、まだ誰もいない朝の仕込み場に、奏の低い独り言が響く。

「……“焦がし蜜柑のラビオリ”か。
 この香りは大人が喜ぶかもしれないな」

薄いシート状のパスタに自家製の柑橘ペーストを包み、
ソースには蜂蜜を軽くキャラメリゼしてミカンのリキュールで風味をだした。
焦がしの苦味と蜜の甘み、そしてミカンの風味が
まるで“昼と夜”の境界線みたいに共存していた。

結がのぞき込みながら笑う。

「こういう味って雰囲気変わりますよね。
 ……夜食べるのか、昼食べるのか」

「少しエロい味だから昼よりは夜の方だな」

奏が答えると、結は頬を赤くする。

「そ、それは……ちょっと…ノーコメントで…」

奏は意味がわからず首を傾げるが、
結はなぜか包丁を握ったまま俯いた。

その夜――
ホテルのバー舞の登場で空気が変わる。

昼の作業着が嘘のように、
夜の舞は黒いドレスに身を包み、
肩から落ちる髪は月明かりを吸い込んで艶めいていた。

カウンターに頬杖をつきながら、
舞は薄く笑う。

「奏の新メニューが出るって聞いたわ。
 ……味見、楽しみにしてたのよ」

その声が甘くて低く、
正面にいた江藤が思わず背筋を伸ばす。

「舞さん……その、声が反則です」

「夜はいつもこの声よ?」

指先でグラスをくるりと回した瞬間、
ほんのり柑橘の香りが立ち昇る。

舞の手には、奏の料理を合わせて生まれた
“焦がし蜜柑のサイドカー” があった。

「あなたの料理の香りに合わせてみたの。
 蜜柑を焦がすのって、こんなに色っぽいのね」

完全に狙い撃ちの言い方だった。
奏は無言で、新メニューのラビオリの皿を置く。

隣で結は少しイライラした表情で奏と舞を見ていた

舞はフォークを手にし、
柑橘のラビオリを口に含む。

……瞬間、表情が変わる。

夜の顔のまま、
しかし昼の鋭さがうっすら混じるような、
危うい表情だった。

「……苦味が、生きてる。
 甘さの奥に、静かに闇と光があるわね」

奏が口を開こうとした時、
舞が長い睫毛を伏せて囁いた。

「これは……夜の私の味ね。」

結が思わず吹く。

「昼の舞さんのイメージじゃないっすね」

舞は笑う。

「昼の私は、壊れたものを直すロボットだからね」

その言い方は妙に儚くて、
夜の照明に照らされた肩のラインが、心を揺らす。

奏は思わず言ってしまう。

「……でも、夜の舞も誰かの何かを治してるんじゃないか」

舞は動きを止め、
ゆっくりと視線を奏に向ける。

「……ふふ。
 そんなことを言われたのは初めてね」

その瞬間、厨房から電話が鳴り響いた。

「はい、バーカウンターの舞です、どうしたの?」
「配管、また水漏れだ!」
「サーバールームが危ない!」

バーの照明の中、舞は一瞬だけ目を閉じた。
次に開いた時――

そこには“昼の鋭さ”と“夜の色気”が同居する、
危険なほど美しい表情があった。

「……仕方ないわね。行ってくる」

ハイヒールのまま、
背中のファスナーが光るドレスのまま、
舞はカウンターを離れた。

「ちょ、舞さん!?その服で行くんですか!?滑るって!その美脚で転んだら怪我しますよ!」
「大丈夫……道を開けて結ちゃん悪いんだけど店番よろしく!!」
「えっ!!っちょっと店番って!!」
舞の一言に、結はあたふたしていた。

奏は咄嗟に、
“焦がし蜜柑のラビオリ”の皿を持って付いていく。

「……何で料理持ってくるのよ」
「差し入れだ」
「現場に差し入れする料理人がどこにいるのよ……」

しかし舞は否定しながらも、
ほのかに嬉しそうだった。

サーバールームは、床に水が広がり、
配線が危険なほど近くまで濡れていた。

スタッフが騒ぎ、警報がピーピー鳴る中――

舞はドレスの裾を片手でつまみ上げ、
もう片方の手で工具箱を抱えてしゃがむ。

その仕草がいちいち色っぽく、
結がそわそわする。

「……舞なんか……映画みたいだな…」

配管のつなぎ目を見つけた舞は、
ハイヒールのまま床をすべらせて体勢を整える。

「……ここね。泣いてるのは」

「泣いてるっていうのか……」
「だって、そう聞こえるのよ。
  壊れたところって、泣いてる音がするじゃない」

そう言って、レンチをぐっと締める。

水が止まり、警報の音が弱まっていく。

舞は少し息をつき、
奏が差し出したラビオリを受け取る。

「……はいはい、差し入れね」

そして一口。

その瞬間――
舞の体から緊張がふっと抜けた。

目を閉じ、唇の端が上がる。

「……この香り、夜の私が好きなやつだわ。
 昼じゃないわね」

「そんなに違うのか」
「ええ。
  昼の私は“直す”だけ。
  でも夜の私は……“味わえる”のよ」

そう言いながら、
舞は奏の胸元をあえて指で軽く突いた。

「だから、夜にこの私を出すの。わかった?」

「……そ、そうなのか」

舞は気にも留めず、ラビオリを飲み込んだ後、
くっと顎を上げて言った。

「ひと仕事終わりの一口って、
 どうしてこんなに……甘いのかしらね」

照明に濡れた艶やかな肌。
揺れる髪。
ドレスの黒と口元の蜜柑の香り。

その瞬間、
“昼と夜の境界の女”田町舞は――
スタッフ全員を黙らせるほど、
完璧に美しかった。

その日の
バーの照明が落ちる頃、奏は舞に声をかける。

「この……ラビオリ。
 お前のために作ったみたいな味だった」

舞はグラスを拭きながら、
ちらりと視線を流す。

「言っておくけど、私のためになる料理なんて、
 そう簡単に作れないわよ?」

「そうか」

「そうよ」

しばし沈黙。

舞は微笑み、
指先で奏の腕を軽くつまむ。

「でも――
 あの味は、悪くなかったわ。
 ……夜の私にはね」

それは
“昼でも夜でもない”、
素顔の舞の声だった。

第14話「子供たちとホテル鬼ごっことお子様ランチと」につづく
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