ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第1章 宿り木ホテルと季節の人々

第16話 風邪ひきと看病とおじやと

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 その日、結は朝からどうにもおかしかった。

 厨房にいつもの軽やかな足取りで現れたものの、
 包丁を握る手がふらつき、鼻声で「おはようございます……」
 と言った瞬間、奏はピタッと動きを止めた。

「おい、その声どうした?」

「え、べつに……。ちょっと寝不足なだけです。仕込みやりますね」

 と言いながら玉ねぎに包丁を入れようとした。
 しかし視界が揺れたのか、刃先が危うく左手に流れそうになった。

「待て待て待て待て!!」

 奏はその手をがっちり押さえた。

「分かったから帰って寝ろ」

「大丈夫です……って……っくし!」

「帰れ。寝ろ。以上。」

 普段は温厚な奏が珍しく語気を強めると、結は観念したように目を伏せた。

「じゃあ、ちょっとだけ……仮眠室で……」

 その直後、ふらついて奏に倒れかかる。

 受け止めた奏は、思わず心臓が跳ねるのを感じた。

(こんなに軽かったか……?)

 そのまま結を抱え、仮眠室へ運んだ。

 数時間後
 雪の気配がする夕方。

 仮眠室のドアが開いた瞬間、結はうっすら目を開けた。

「……奏、さん……?」

 奏は湯気の立つ鍋を持ち込んでいた。
 テーブルに置き、蓋を開けると、柚子の香りがふわっと広がる。

「起きたか。熱、少し下がったな」

「これ……?」

「鶏と卵のおじや。胃に優しいやつ。柚子ちょっと入れた」

「……私、今日、仕事……」

「出来るわけないだろバカ」

 結は頬を赤くした。

 熱のせいだけじゃない。

「……あの、奏さん。こういうの、慣れてるんですか」

「は? 風邪の看病? 料理以外はだいたい不慣れだ」

「でも……なんかすごく手際良くて……」

「料理だと思えばいいんだよ」

「……料理?」

 奏は結の枕元にしゃがみ、湯気の立つスプーンを軽くふーっと冷まして差し出す。

「素材の状態が悪い。
 だから余計な刺激は抜く。
 温度はちょい高めで、香りで食欲を戻す。――それだけだ」

「……私、素材なんですか?」

「いいから食え。冷める」

「……はい」

 一口食べる。卵のやわらかさ、鶏の旨味、柚子の爽やかさがふんわり広がり、弱った体にするりと入っていく。

「……おいしい……」

「そりゃよかった」

 結が涙ぐんでいるのを見て、奏は慌てた。

「ちょ、なんで泣いてんだよ」

「わからないです……でも……なんか……あったかくて……」

 奏は視線を落とし、小さく咳払いした。

「……まぁ、たまには甘やかされとけ。」

「……」

「食べ終わったら寝ろよ、何かあったら声かけろ俺が朝までいてやる」

「えっ、でも……」

「料理人は夜更かしに慣れてんだ。心配すんな」

 結は布団に潜りながら、弱い声で続けた。

「……奏さんって……たまに、ずるいくらい優しいですよね」

「は?」

「なんでもないです……」

「はいはい。寝ろ」

 その穏やかな声に、結はまた胸がくすぐったくなった。

「……おやすみなさい、奏さん」

「おう。おやすみ」

 鍋の残りを混ぜながら、奏はぽつりと思った。

(いつもは騒がしいくせに……静かになると逆に困るな)

 その夜、窓の外では小さな雪が降り始めていた。

 ホテル・リトルフォレストの一室に、優しい温度だけが静かに灯り続けた。


 翌朝。

 リトルフォレストの廊下には、早朝のパンの匂いと、かすかな木の香りが漂っていた。

 結は目をぱちりと開けた。


「……あれ、体が軽い……」

 昨夜の熱は嘘のように引いている。
 額に触れるともう火照りもない。

 隣の椅子には――丸めたタオルの山と、空になったマグカップ。
 そして、寝落ちしたらしい奏の上着が掛けられていた。

「……奏さん……?」

 部屋にはいない。

 だが、湯気の立つポットと、メモが残されていた。

『起きたら水分。厨房にいる。無理するな。――奏』

 字がやや乱れている。おそらく徹夜明けだ。

 結の胸の奥がじわりと温かくなる。

「……優しすぎる……」

  朝の厨房――

 結が顔を見せた瞬間、リトルフォレストのスタッフがざわっとした。

「結ちゃん! 熱は? 大丈夫なの?」
「無理しちゃだめよ! もう少し寝てていいよ!」

 その中でただ一人、奏だけが動きを止めた。

 彼は大鍋をかき混ぜながら、短く言った。

「……復活か」

「はい。あの……昨日は、本当にありがとうございました」

「礼なんかいい。治ったならそれでいい」

 そっけない。だが、スープをよそいながら目元だけが少し緩んでいる。

 すると、京子がにやにやと近寄ってきた。

「ねぇねぇ奏。昨日ずーっと結ちゃんの看病してたんですって?」

「は? 違う。普通に様子見てただけだ」

「様子見で徹夜? へぇ?」

「…………」

 奏は味見のフリをして黙る。

「……奏さん、すみません。迷惑かけて……」

「迷惑じゃない。お前倒れたら厨房が回らないからな」

「“厨房”? “私自身”は?」

「…………身体は大事にしろ」

「微妙に誤魔化した!」

 スタッフ一同、爆笑。

 結は恥ずかしさで頬を真っ赤にしながら、でも嬉しそうに笑った。

 食堂での“おじやリベンジ”

 朝食の落ち着いた時間、結は奏のまかないを受け取った。

「これ……おじや?」

「昨夜のより薄味にしてある。まだ本調子じゃねぇだろ」

 結はスプーンを口に運んだ。

「あ……優しい味……」

「当たり前だろ。病み上がりに刺激物出すわけないだろ」

「……あの、奏さん」

「なんだ」

「昨日……私になにか言いましたよね」

「……覚えていなかったならそれで良い」

「うれしかったです」

「……覚えていたのか」

 素直に言われて、奏は顔をそむけた。

「そんな真っ直ぐ言うな。」

「じゃあ……ほんのり甘く?」

「……知らん」

 その時、京子と舞が遠くからこそこそ見ていた。

「ねえ舞、あれほぼデートじゃない?」
「うん。甘味と塩味のバランスちょうどいいやつ」

 二人のひそひそ声が聞こえ、奏が不機嫌そうに振り向いた。

「仕事しろ!!」

「はーい!」

第17話 「大掃除と鬼と牛丼と」につづく
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