ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第1章 宿り木ホテルと季節の人々

第49話 公と結と料理勝負と炊き込みご飯と

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 きっかけは、本当に些細なことだった。

 夕方、仕込みの時間。
 厨房の空気はいつも通りで、鍋の湯気が天井に溶けていく。

「……それ、順番逆じゃないですか」
 結の言葉に、公は手を止めた。

「は?」

「野菜、先に入れてますけど」
「肉からのほうが――」

「それ、前も聞きました」
 公は包丁を置かずに言った。
「でも、俺はこのやり方でやってきてる」

 結は一瞬、言葉に詰まる。

「……間違ってるなんて言ってないです」

「じゃあ、何ですか」
「俺のやり方、信用してないんですか」

 空気が、少しだけ硬くなる。

 京子が遠くで目を泳がせる。
(あ、これ……まずいやつ)

「信用してない、じゃなくて」
 結は、できるだけ冷静に言った。

「お客さんに出す料理だから――」

「それは俺だって同じです!」

 公の声が、少し大きくなった。

「結さんって」
「いつも“正解”で話しますよね」

 結の胸が、きゅっと鳴った。

「……正解じゃないと……」

「でも」
 公は、はっきり言った。
「正解だけじゃ、料理は楽しくない」

 その一言が、決定打だった。

「……楽しいかどうかは仕事には関係ないです」

 公の動きが、完全に止まる。

「……ああ、そうですか」

 それ以上、言葉は交わされなかった。

 その夜。

 まかない後の厨房に、二人きりになる時間があった。

 公が口を開いた。

「……さっきの俺は納得してません」

「……私もです」

 結は、まっすぐ公を見る。

「公さん!!最近、雑です!」

「……!」

「手は早いのは分かります。でも味を確認してない」

 公は、苦く笑った。

「結さんこそ」
「最近、細かすぎますよ」

「……」

「全部、“奏さん基準”じゃないですか」

 その名前が出た瞬間、
 結の表情が、わずかに揺れた。

「……奏さんは間違ったこと、言いません」

「でも」
 公は一歩踏み出す。
「結さん自身の味は、どこですか?」

 結は、何も言えなかった。

 沈黙が、重く落ちる。

 先に言ったのは、結だった。

「……料理で勝負しますか?」

 公が、目を見開く。

「……は?」

「言葉じゃ、通じないなら」
「料理で分かってもらいます!!」

 公は、一瞬だけ考え、
 そして、ゆっくり笑った。

「……いいですね望むところですよ」

 翌日。
 支配人の鶴の一声で、勝負は決まった。

「面白い!」
「じゃあ、今日のまかないは二人で勝負だ!」

「なんでそんな軽いんですか!!」
 京子が叫ぶ。

「若いのはぶつかったほうがいい!」
 支配人は楽しそうだった。

 奏は、何も言わず、ただ条件だけを提示した。

「同じ食材」
「同じ時間」

「料理は、自由」

 二人は、同時に頷いた。

 テーマは――“同じ一皿”。

 結が選んだのは、
 和風だし香る鶏の炊き込みご飯。

 公は、
 スパイスを効かせた鶏と野菜の混ぜご飯。

 同じ鶏肉、同じ米。
 方向性は、真逆だった。

 結の料理は、静かだった。

 だしを取る。
 米を研ぐ。
 鶏の脂を落としすぎず、旨味だけを残す。

(……丁寧にいつも通り)

 でも、心のどこかがざわつく。

(……私は)
(私の料理、作れてる?)

 一方、公。

 香辛料を炒め、
 香りを立たせる。

(……俺の料理だ)

 勢いがある。
 でも、途中で手が止まった。

(……雑、か?)

 結の言葉が、頭をよぎる。

 公は、深呼吸し、
 一度、鍋の中をじっと見た。

「……味、見るか」

 スプーンを口に運ぶ。

「……」

 少し、強すぎる。

 公は、塩を足す手を止めた。

 完成。

 並んだ二つの料理。

 結の炊き込みご飯は、
 湯気から、やさしい香りが立つ。

 公の混ぜご飯は、
 香ばしく、食欲を刺激する。

 試食。

 まずは、結の料理。

「……」
 京子が、目を細める。
「…美味しい…落ち着く味」

「……うん、うまい」
 支配人も頷く。

 次に、公。

「……おっ」
「これは……元気出るな」

「若いな!」
 支配人が笑う。

 評価は、割れた。

 沈黙の中、
 奏が、静かに言った。

「……どちらも」
「未完成だ」

 二人が、同時に顔を上げる。

「結の料理は自分がいない」

「公の料理は相手を見ていない」

 結の胸が、ぎゅっと締まる。

 公も、拳を握った。

「……勝負は」
 奏は言った。
「引き分けだ」

 その日の夜。

 厨房の片付け後。

「……ごめんなさい」

 先に言ったのは、結だった。

「私、正しさで、人を押してました」

 公は、首を振る。

「俺も勢いだけでした」

 少し、沈黙。

「……料理で」
 公が言う。
「話せて、よかったです」

 結は、微笑んだ。

 二人の間に、
 小さな火が、戻っていた。

 料理は、
 人を傷つけることもある。

 でも。

 向き合えば、
 ちゃんと、つなぎ直せる。

 ソラス・フォレストの厨房に、
 その夜、少しだけやさしい匂いが残った。

 朝の厨房は静かだった。

 翌朝

 神谷奏は、いつもの場所に立っていた。
 包丁を研ぎ、鍋の底を確認し、調味料の残量を見ただけで把握する。

 ――変わらない。

 だが、変わっているものが、二つあった。

「……おはようございます」

 結の声は、以前よりも低く、落ち着いていた。

「おはよう」

 奏はそれだけ返し、視線を鍋に戻す。

 少し遅れて、

「……おはようございます」

「おはよう」

 公が入ってくる。
 以前のような勢いはないが、足取りは迷っていない。

 仕込みが始まる。

 結は、今日のランチ用のだしを取っていた。
 だが、以前と違うのは――

 途中で、火を弱めたことだった。

(……香り出すぎてる)

 結は、静かに鍋を覗き、だしを味見する。
 そして、少しだけ水を足した。

 奏は、それを見ていたが、何も言わない。

(……“正解”じゃないが判断してるのはいい)

 一方、公。

 野菜を切る手は早い。
 だが、途中で止まり、切り口を見る。

「……」

 刃を入れ直し、角度を変える。

(……雑、だったな)

 包丁の音が、少しだけ静かになった。

 奏は、背中越しにそれを感じ取り、
 ただ、フライパンを温め続ける。

 昼前。

 結と公が並んで、盛り付けをしていた。

「……ここ、詰めすぎかな」

 公が言う。

「……少し、緩めた方が良いと思います」
 結が答える。

 言い方が、柔らかい。

「じゃあ、ちょっと入れてみるよ」

「うん」

 それだけで済む会話。

 奏は、鍋の中でソースを混ぜながら、
 ほんの一瞬、口元を緩めた。

(……ちゃんと)
(相手を、見てる)

 ランチが終わり、片付けの時間。

 結が、ふと奏に声をかけた。

「……奏さん」

「ん?」

「今日の、どうでしたか」

 ほんの少しだけ、緊張が混じる。

 奏は、タオルで手を拭きながら言った。

「……聞く理由はなんだ」

「……自信が、まだなくて」

 奏は、少しだけ考えた。

 そして――言わなかった。

「……悪くなかった」

 それだけ。

 結は、一瞬拍子抜けした顔をして、
 それから、静かに頷いた。

「……ありがとうございます」

 それ以上、何も聞かなかった。

 奏は、それが一番だと思った。

 夜。

 厨房には、二人だけが残っていた。

 公が、まかない用に簡単なスープを作っている。
 結は、それを手伝う。

「……この前の勝負」
 公が、ぽつりと言った。
「引き分け、でしたね」

「……はい」

「……悔しかったです」

 結は、少し考えてから答えた。

「……私も」

 沈黙。

 でも、重くない。

「でも」
 公が続ける。
「料理にちゃんと向き合えるようになった気がします」

「……私も」
「“正解”じゃなくて、“今”を見るようになりました」

 二人は、同時に笑った。

 その会話を、
 奏は、少し離れた場所で聞いていた。

(……それでいい)

 後片付けが終わり、
 結が先に帰り、公も出ていく。

 厨房に、一人残った奏。

 火を落とし、
 包丁を洗い、
 最後に、まな板を拭く。

 ふと、手が止まる。

(……156回)

 ペペロンチーノを作り直した日々。
 怒鳴られ、叩き直され、
 でも、誰も答えはくれなかった。

(…みんな…見てただけだ)

 自分も、そうだった。

 だから――

 奏は、結にも、公にも、
 “答え”を言わない。

 言えば、早い。
 正せば、楽だ。

 でも、それでは、
 料理は、血肉にならない。

(……ちゃんと自分で掴んでほしい

 それが、奏のやり方だった。

 翌朝。

 奏が厨房に入ると、
 すでに、結と公が仕込みを始めていた。

 二人とも、まだ気づいていない。

 奏は、何も言わず、
 いつもの場所に立つ。

 火を入れる。

 音と匂いと、
 人の成長が混ざる厨房。

 神谷奏は、
 今日もただ――

 黙って、見ている。

第50話 「第1回不味い物選手権とまったりコメディと」につづく
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