ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

文字の大きさ
53 / 152
第1章 宿り木ホテルと季節の人々

第51話  国民的俳優&歌手と週刊誌記者とチキンパイ

しおりを挟む
 その二人は、あまりにも普通に現れた。

 午後三時。
 チェックインの時間帯、ロビーには静かな空気が流れている。

「いらっしゃいませ。ソラス・フォレストへようこそ」

 フロントに立つ三条京子は、いつものように笑顔で宿泊名簿を受け取った。

 名前は――
 鈴木 一郎
 鈴木 花

(……はいはい、よくある偽名)

 ここまでは、よかった。

 だが。

 顔を上げた瞬間、京子の心臓が一拍、遅れた。

(……え)

 そこに立っていたのは――
 テレビで見ない日はない、国民的歌手と、
 その隣に並ぶ、国民的俳優。

(うそ……本物……?)
(いや待って、なんでここに……)
(しかも距離、近っ……)

 京子は、完璧な接客用の笑顔を崩さなかった。
 だが――

「(えっ、えっ、えっ、えっ、無理無理無理、無理なやつだ!!)」

 心の声が、漏れた。

「……京子さん」
 隣の江藤快が、肘で軽く突く。

「……あっ」

 国民的歌手の方が、くすっと笑った。

「……今の、聞こえました?」

「す、すみません!!」
 京子は即座に頭を下げた。
「当ホテル、たまに“音漏れ”が……!」

 俳優の方が、穏やかに笑う。

「大丈夫です。
 ……気づかれたの、初めてじゃないので」

 その言い方が、どこか疲れていて。
 京子は、瞬時に理解した。

(この二人……休みに来たんだ)

 スタッフルームでは、すでに緊急会議が始まっていた。

「え、今のって……」
「本人……?」
「いやいやいや、無理でしょ……」

 結は、目を丸くしていた。

「で、でも……普通に接客するんですよね?」

「もちろんだよ」

 支配人・木島五郎は、即答した。
「気づいても、気づいてないふり。それがうちの流儀」

 奏は、少しだけ考えてから言った。

「……料理も、特別扱いしない」

 結は、ほっと息を吐いた。

(よかった……奏さんが変に張り切らなくて)

 だが――
 その日の夕方、異変は起きた。

 チェックインの客の中に、
 明らかに“馴染まない男が一人。

 落ち着きのない視線。
 ロビーの配置を確認するような動き。
 スマートフォンを、必要以上に触る。

「……あの人」

 清掃係の山本静江が、いつの間にか隣に立っていた。

「“見る人”だね」

「見る……?」

「人ではなく、“情報”を見る人」

 快が、静かに頷いた。

「週刊誌ですね」

「……やっぱり」

 京子は、奥歯を噛みしめた。

(最悪……でも、気づかれてない……はず)

 夕食。

 国民的歌手と俳優は、レストランの奥の席に案内された。
 周囲の客は、誰一人気づいていない。

 奏が用意したのは、
 チキンパイ。

 サクサクのパイ生地の中に、
 ハーブで香りをつけた鶏肉と、優しいクリーム。

 派手さはない。
 でも、優しくて美味しい一皿だった。

 一口食べて、歌手が目を閉じた。

「……静かですね、この味」

 結は、軽く頭を下げる。

「ありがとうございす、ゆっくりした時間を感じる料理になっております」

 俳優が、笑った。

「今の僕らに、ちょうどいいね」

 その頃、ロビーでは――

 例の男が、不自然に席を移動していた。

「……あれ、完全に狙ってるわね」
 京子が、低く言う。

「じゃあ、動きますか」
 快が、静かに立ち上がった。

 作戦は、シンプルだった。

 気づかせない。
 近づかせない。
 普通の宿泊客として、守る。

 田町舞は、わざと通路の照明を調整する。
「今、ここ暗いから写真は撮れないよ」

 清掃カートが、さりげなく通路を塞ぐ。
 誰が押しているかは誰も分からない。

 支配人は、男に声をかけた。

「何かお困りですか?」

「い、いえ……どうしてですか?」

「キョロキョロされていましたので何かお困りかと思いまして」

「え!!と、特に何もありません……」

「それなら良かった、どうぞごゆっくり」

 その笑顔は、一番怖い種類だった。

 結は、キッチンから様子を見ていた。

(……みんな、すごい)

 誰も騒がない。
 誰も特別扱いしない。

 ただ、当たり前の仕事をしているだけ。

 食後、国民的歌手と俳優は何事もなかったかのように部屋へ戻った。


 翌朝。
 チェックアウト前、京子にだけ歌手が言った。

「……守ってくれて、ありがとう」

 京子は、一瞬驚き笑顔で答えた。

「当ホテルではお客様の肩書きは、お荷物と一緒にお預かりしますので」

 二人は、声を立てずに笑った。

 週刊誌には、何も載らなかった。

 代わりに、ホテルの評価に「好きな人とゆっくり出来る宿スタッフの凄さに感謝」
 とシンプルだが実感のこもった感想がかかれた
 そしてど週刊誌に書かれない素敵な思い出が、二人の中に残った。

 チキンパイが、冷めなかった夜だった。

第52話 「缶詰め漫画家と編集者と鍋焼きうどんと」につづく
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...