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第1章 宿り木ホテルと季節の人々
第51話 国民的俳優&歌手と週刊誌記者とチキンパイ
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その二人は、あまりにも普通に現れた。
午後三時。
チェックインの時間帯、ロビーには静かな空気が流れている。
「いらっしゃいませ。ソラス・フォレストへようこそ」
フロントに立つ三条京子は、いつものように笑顔で宿泊名簿を受け取った。
名前は――
鈴木 一郎
鈴木 花
(……はいはい、よくある偽名)
ここまでは、よかった。
だが。
顔を上げた瞬間、京子の心臓が一拍、遅れた。
(……え)
そこに立っていたのは――
テレビで見ない日はない、国民的歌手と、
その隣に並ぶ、国民的俳優。
(うそ……本物……?)
(いや待って、なんでここに……)
(しかも距離、近っ……)
京子は、完璧な接客用の笑顔を崩さなかった。
だが――
「(えっ、えっ、えっ、えっ、無理無理無理、無理なやつだ!!)」
心の声が、漏れた。
「……京子さん」
隣の江藤快が、肘で軽く突く。
「……あっ」
国民的歌手の方が、くすっと笑った。
「……今の、聞こえました?」
「す、すみません!!」
京子は即座に頭を下げた。
「当ホテル、たまに“音漏れ”が……!」
俳優の方が、穏やかに笑う。
「大丈夫です。
……気づかれたの、初めてじゃないので」
その言い方が、どこか疲れていて。
京子は、瞬時に理解した。
(この二人……休みに来たんだ)
スタッフルームでは、すでに緊急会議が始まっていた。
「え、今のって……」
「本人……?」
「いやいやいや、無理でしょ……」
結は、目を丸くしていた。
「で、でも……普通に接客するんですよね?」
「もちろんだよ」
支配人・木島五郎は、即答した。
「気づいても、気づいてないふり。それがうちの流儀」
奏は、少しだけ考えてから言った。
「……料理も、特別扱いしない」
結は、ほっと息を吐いた。
(よかった……奏さんが変に張り切らなくて)
だが――
その日の夕方、異変は起きた。
チェックインの客の中に、
明らかに“馴染まない男が一人。
落ち着きのない視線。
ロビーの配置を確認するような動き。
スマートフォンを、必要以上に触る。
「……あの人」
清掃係の山本静江が、いつの間にか隣に立っていた。
「“見る人”だね」
「見る……?」
「人ではなく、“情報”を見る人」
快が、静かに頷いた。
「週刊誌ですね」
「……やっぱり」
京子は、奥歯を噛みしめた。
(最悪……でも、気づかれてない……はず)
夕食。
国民的歌手と俳優は、レストランの奥の席に案内された。
周囲の客は、誰一人気づいていない。
奏が用意したのは、
チキンパイ。
サクサクのパイ生地の中に、
ハーブで香りをつけた鶏肉と、優しいクリーム。
派手さはない。
でも、優しくて美味しい一皿だった。
一口食べて、歌手が目を閉じた。
「……静かですね、この味」
結は、軽く頭を下げる。
「ありがとうございす、ゆっくりした時間を感じる料理になっております」
俳優が、笑った。
「今の僕らに、ちょうどいいね」
その頃、ロビーでは――
例の男が、不自然に席を移動していた。
「……あれ、完全に狙ってるわね」
京子が、低く言う。
「じゃあ、動きますか」
快が、静かに立ち上がった。
作戦は、シンプルだった。
気づかせない。
近づかせない。
普通の宿泊客として、守る。
田町舞は、わざと通路の照明を調整する。
「今、ここ暗いから写真は撮れないよ」
清掃カートが、さりげなく通路を塞ぐ。
誰が押しているかは誰も分からない。
支配人は、男に声をかけた。
「何かお困りですか?」
「い、いえ……どうしてですか?」
「キョロキョロされていましたので何かお困りかと思いまして」
「え!!と、特に何もありません……」
「それなら良かった、どうぞごゆっくり」
その笑顔は、一番怖い種類だった。
結は、キッチンから様子を見ていた。
(……みんな、すごい)
誰も騒がない。
誰も特別扱いしない。
ただ、当たり前の仕事をしているだけ。
食後、国民的歌手と俳優は何事もなかったかのように部屋へ戻った。
翌朝。
チェックアウト前、京子にだけ歌手が言った。
「……守ってくれて、ありがとう」
京子は、一瞬驚き笑顔で答えた。
「当ホテルではお客様の肩書きは、お荷物と一緒にお預かりしますので」
二人は、声を立てずに笑った。
週刊誌には、何も載らなかった。
代わりに、ホテルの評価に「好きな人とゆっくり出来る宿スタッフの凄さに感謝」
とシンプルだが実感のこもった感想がかかれた
そしてど週刊誌に書かれない素敵な思い出が、二人の中に残った。
チキンパイが、冷めなかった夜だった。
第52話 「缶詰め漫画家と編集者と鍋焼きうどんと」につづく
午後三時。
チェックインの時間帯、ロビーには静かな空気が流れている。
「いらっしゃいませ。ソラス・フォレストへようこそ」
フロントに立つ三条京子は、いつものように笑顔で宿泊名簿を受け取った。
名前は――
鈴木 一郎
鈴木 花
(……はいはい、よくある偽名)
ここまでは、よかった。
だが。
顔を上げた瞬間、京子の心臓が一拍、遅れた。
(……え)
そこに立っていたのは――
テレビで見ない日はない、国民的歌手と、
その隣に並ぶ、国民的俳優。
(うそ……本物……?)
(いや待って、なんでここに……)
(しかも距離、近っ……)
京子は、完璧な接客用の笑顔を崩さなかった。
だが――
「(えっ、えっ、えっ、えっ、無理無理無理、無理なやつだ!!)」
心の声が、漏れた。
「……京子さん」
隣の江藤快が、肘で軽く突く。
「……あっ」
国民的歌手の方が、くすっと笑った。
「……今の、聞こえました?」
「す、すみません!!」
京子は即座に頭を下げた。
「当ホテル、たまに“音漏れ”が……!」
俳優の方が、穏やかに笑う。
「大丈夫です。
……気づかれたの、初めてじゃないので」
その言い方が、どこか疲れていて。
京子は、瞬時に理解した。
(この二人……休みに来たんだ)
スタッフルームでは、すでに緊急会議が始まっていた。
「え、今のって……」
「本人……?」
「いやいやいや、無理でしょ……」
結は、目を丸くしていた。
「で、でも……普通に接客するんですよね?」
「もちろんだよ」
支配人・木島五郎は、即答した。
「気づいても、気づいてないふり。それがうちの流儀」
奏は、少しだけ考えてから言った。
「……料理も、特別扱いしない」
結は、ほっと息を吐いた。
(よかった……奏さんが変に張り切らなくて)
だが――
その日の夕方、異変は起きた。
チェックインの客の中に、
明らかに“馴染まない男が一人。
落ち着きのない視線。
ロビーの配置を確認するような動き。
スマートフォンを、必要以上に触る。
「……あの人」
清掃係の山本静江が、いつの間にか隣に立っていた。
「“見る人”だね」
「見る……?」
「人ではなく、“情報”を見る人」
快が、静かに頷いた。
「週刊誌ですね」
「……やっぱり」
京子は、奥歯を噛みしめた。
(最悪……でも、気づかれてない……はず)
夕食。
国民的歌手と俳優は、レストランの奥の席に案内された。
周囲の客は、誰一人気づいていない。
奏が用意したのは、
チキンパイ。
サクサクのパイ生地の中に、
ハーブで香りをつけた鶏肉と、優しいクリーム。
派手さはない。
でも、優しくて美味しい一皿だった。
一口食べて、歌手が目を閉じた。
「……静かですね、この味」
結は、軽く頭を下げる。
「ありがとうございす、ゆっくりした時間を感じる料理になっております」
俳優が、笑った。
「今の僕らに、ちょうどいいね」
その頃、ロビーでは――
例の男が、不自然に席を移動していた。
「……あれ、完全に狙ってるわね」
京子が、低く言う。
「じゃあ、動きますか」
快が、静かに立ち上がった。
作戦は、シンプルだった。
気づかせない。
近づかせない。
普通の宿泊客として、守る。
田町舞は、わざと通路の照明を調整する。
「今、ここ暗いから写真は撮れないよ」
清掃カートが、さりげなく通路を塞ぐ。
誰が押しているかは誰も分からない。
支配人は、男に声をかけた。
「何かお困りですか?」
「い、いえ……どうしてですか?」
「キョロキョロされていましたので何かお困りかと思いまして」
「え!!と、特に何もありません……」
「それなら良かった、どうぞごゆっくり」
その笑顔は、一番怖い種類だった。
結は、キッチンから様子を見ていた。
(……みんな、すごい)
誰も騒がない。
誰も特別扱いしない。
ただ、当たり前の仕事をしているだけ。
食後、国民的歌手と俳優は何事もなかったかのように部屋へ戻った。
翌朝。
チェックアウト前、京子にだけ歌手が言った。
「……守ってくれて、ありがとう」
京子は、一瞬驚き笑顔で答えた。
「当ホテルではお客様の肩書きは、お荷物と一緒にお預かりしますので」
二人は、声を立てずに笑った。
週刊誌には、何も載らなかった。
代わりに、ホテルの評価に「好きな人とゆっくり出来る宿スタッフの凄さに感謝」
とシンプルだが実感のこもった感想がかかれた
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