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第1章 宿り木ホテルと季節の人々
第60話 クリスマス準備とプレゼント探しとチキンの丸焼きと
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ソラス・フォレストの朝は、冬特有の張りつめた空気で始まった。
厨房の換気扇が回り、包丁がまな板に触れる乾いた音が響く。
まだ営業時間前だというのに、館内はどこか落ち着かない。
「……忙しくなるぞ」
支配人・木島五郎は、ロビー中央で腕を組み、低い声で言った。
五十代半ば。背は高くないが、立ち姿に無駄がない。
派手なことは言わないが、この男が動くと、ホテル全体が動く。
「本日から三日間で、クリスマスの最終準備を終わらせる」
「はい!」
スタッフの返事が揃う。
木島は一人ひとりを見渡し、最後に付け加えた。
「それから――プレゼント探しも業務に含める」
「え?」
結が思わず声を漏らす。
「お客様用だけじゃない。スタッフ同士もだ」
京子が眉を上げた。
「……それ、必要です?」
「必要だ」
木島は即答した。
「余裕のない職場に、良い接客は生まれない」
誰も反論できなかった。
ロビーにはツリーが運び込まれ、リースやオーナメントが箱から出される。
「これ、どこに掛けます?」
千夏が訊ねる。
「そこ、少し高めに」
木島は脚立を押さえながら指示を出す。
その横で、ぬくがオーナメントをくわえて走った。
「ぬく!!それ食べ物じゃない!!」
結が慌てる。
「……ああ、犬も戦力に入れておけ」
「入れないでください!」
京子と快は、なぜかツリーの飾り配置で言い合っていた。
「左右対称の方がきれいでしょ!」
「いや、あえて崩した方が温かみが出ます」
「何その美術館理論!!」
「二人とも、声が大きい」
木島の一言で、即座に静まる。
「……はい」
「……すみません」
だが、目が合った瞬間、二人は同時に笑った。
午後、スタッフは二班に分かれた。
一方はホテル残留、もう一方は街へ。
結は外出班になり、奏と並んで歩くことになる。
「……何を買えばいいんでしょう」
「相手の顔を思い浮かべる」
「それが一番難しいです」
奏は少し考えた。
「……実用的すぎないもの」
「奏さんが言うと説得力ありますね」
「褒めてないだろ」
小さな雑貨屋。
木製のスプーン、手編みのマフラー、香りの弱いキャンドル。
「これ、京子さんにどうですか?」
結が指差す。
「……毒にも薬にもならない」
「そこがいいんです」
奏は結の選んだものを、そっと棚に戻した。
「京子さんには、少し派手な色がいい」
「え!!」
「強い人ほど、柔らかい色を持つとバランスが取れる」
結は何も言えなくなった。
(……やっぱり、この人)
人を見る目が、料理と同じだ。
夕方。
厨房では、丸鶏が十羽、整然と並んでいた。
奏はエプロンを締め、静かに手を洗う。
「今日は、基本に忠実にいく」
皮と身の間に、指を滑り込ませる。
バター、塩、ハーブ。
「ローズマリー、タイム、セージ……」
結はメモを取りながら見つめる。
「詰め物は?」
「玉ねぎ、にんにく、レモン」
香りが混ざり合う。
「派手なことはしない。火入れがすべてだ」
オーブンに入れる前、奏は一羽一羽を撫でるように整えた。
「……祈ってるみたいですね」
「料理人はオーブンに入れるときはだいたい祈る」
オーブンが閉まり、低温でじっくり焼きが始まる。
皮が縮み、脂が溶け、滴る音が聞こえる。
「ここから一時間半」
「長いですね」
「待てない料理は、信用しない」
その頃、木島は一人で帳簿を確認していた。
予約状況、アレルギー情報、動線。
すべて頭に入っている。
そこへ、舞がコーヒーを置く。
「相変わらずですね」
「何がだ」
「全部、把握してるところ」
「支配人の仕事だ」
「……クリスマス、好きですか?」
木島は一瞬だけ考えた。
「嫌いじゃない」
「即答じゃないんですね」
「実は騒がしいのは苦手だ」
それでも、ロビーのツリーを見る目は、どこか柔らかかった。
オーブンが開いた瞬間、香りが爆発した。
皮は琥珀色。
表面は張り、触れればパリッと音がしそうだ。
「……すごい」
千夏が息を呑む。
奏はナイフを入れる。
皮が割れ、肉汁が溢れ出す。
「白い……」
「火が入りすぎてない証拠だ」
一口サイズに切り、結に渡す。
「味見」
結は噛みしめた。
皮は香ばしく、身は驚くほどしっとり。
レモンの酸味が、最後にふっと抜ける。
「……あ」
「どうだ」
「……クリスマス、って感じがします」
奏は何も言わなかったが、少しだけ口角が上がった。
営業後、ロビーに全員が集まる。
「形式ばらない。名前も伏せる」
木島の号令で、プレゼントが配られる。
結の手に来たのは、小さなキッチンタイマー。
裏に、手書きで一言。
「焦らなくていい」
胸が、きゅっとなった。
京子は派手なマフラーを広げ、笑った。
「誰よこれ!」
「似合ってます」
快が言うと、京子は照れたように鼻を鳴らした。
木島の前にも、小包が置かれている。
中身は、革のしおり。
「……」
木島はそれを手に取り、静かに言った。
「ありがとう」
それだけだったが、十分だった。
全員が帰り支度をする中、結はロビーに残っていた。
「お疲れ」
奏が声をかける。
「……楽しかったです」
「準備が?」
「全部です」
外では、雪が降り始めていた。
ツリーの灯りが、ガラスに映る。
ソラス・フォレストのクリスマスは、もう始まっている。
静かで、温かくて、
誰かのために用意された――そんな夜だった。
第61話「クリスマスと満室とクリスマス料理と」につづく
厨房の換気扇が回り、包丁がまな板に触れる乾いた音が響く。
まだ営業時間前だというのに、館内はどこか落ち着かない。
「……忙しくなるぞ」
支配人・木島五郎は、ロビー中央で腕を組み、低い声で言った。
五十代半ば。背は高くないが、立ち姿に無駄がない。
派手なことは言わないが、この男が動くと、ホテル全体が動く。
「本日から三日間で、クリスマスの最終準備を終わらせる」
「はい!」
スタッフの返事が揃う。
木島は一人ひとりを見渡し、最後に付け加えた。
「それから――プレゼント探しも業務に含める」
「え?」
結が思わず声を漏らす。
「お客様用だけじゃない。スタッフ同士もだ」
京子が眉を上げた。
「……それ、必要です?」
「必要だ」
木島は即答した。
「余裕のない職場に、良い接客は生まれない」
誰も反論できなかった。
ロビーにはツリーが運び込まれ、リースやオーナメントが箱から出される。
「これ、どこに掛けます?」
千夏が訊ねる。
「そこ、少し高めに」
木島は脚立を押さえながら指示を出す。
その横で、ぬくがオーナメントをくわえて走った。
「ぬく!!それ食べ物じゃない!!」
結が慌てる。
「……ああ、犬も戦力に入れておけ」
「入れないでください!」
京子と快は、なぜかツリーの飾り配置で言い合っていた。
「左右対称の方がきれいでしょ!」
「いや、あえて崩した方が温かみが出ます」
「何その美術館理論!!」
「二人とも、声が大きい」
木島の一言で、即座に静まる。
「……はい」
「……すみません」
だが、目が合った瞬間、二人は同時に笑った。
午後、スタッフは二班に分かれた。
一方はホテル残留、もう一方は街へ。
結は外出班になり、奏と並んで歩くことになる。
「……何を買えばいいんでしょう」
「相手の顔を思い浮かべる」
「それが一番難しいです」
奏は少し考えた。
「……実用的すぎないもの」
「奏さんが言うと説得力ありますね」
「褒めてないだろ」
小さな雑貨屋。
木製のスプーン、手編みのマフラー、香りの弱いキャンドル。
「これ、京子さんにどうですか?」
結が指差す。
「……毒にも薬にもならない」
「そこがいいんです」
奏は結の選んだものを、そっと棚に戻した。
「京子さんには、少し派手な色がいい」
「え!!」
「強い人ほど、柔らかい色を持つとバランスが取れる」
結は何も言えなくなった。
(……やっぱり、この人)
人を見る目が、料理と同じだ。
夕方。
厨房では、丸鶏が十羽、整然と並んでいた。
奏はエプロンを締め、静かに手を洗う。
「今日は、基本に忠実にいく」
皮と身の間に、指を滑り込ませる。
バター、塩、ハーブ。
「ローズマリー、タイム、セージ……」
結はメモを取りながら見つめる。
「詰め物は?」
「玉ねぎ、にんにく、レモン」
香りが混ざり合う。
「派手なことはしない。火入れがすべてだ」
オーブンに入れる前、奏は一羽一羽を撫でるように整えた。
「……祈ってるみたいですね」
「料理人はオーブンに入れるときはだいたい祈る」
オーブンが閉まり、低温でじっくり焼きが始まる。
皮が縮み、脂が溶け、滴る音が聞こえる。
「ここから一時間半」
「長いですね」
「待てない料理は、信用しない」
その頃、木島は一人で帳簿を確認していた。
予約状況、アレルギー情報、動線。
すべて頭に入っている。
そこへ、舞がコーヒーを置く。
「相変わらずですね」
「何がだ」
「全部、把握してるところ」
「支配人の仕事だ」
「……クリスマス、好きですか?」
木島は一瞬だけ考えた。
「嫌いじゃない」
「即答じゃないんですね」
「実は騒がしいのは苦手だ」
それでも、ロビーのツリーを見る目は、どこか柔らかかった。
オーブンが開いた瞬間、香りが爆発した。
皮は琥珀色。
表面は張り、触れればパリッと音がしそうだ。
「……すごい」
千夏が息を呑む。
奏はナイフを入れる。
皮が割れ、肉汁が溢れ出す。
「白い……」
「火が入りすぎてない証拠だ」
一口サイズに切り、結に渡す。
「味見」
結は噛みしめた。
皮は香ばしく、身は驚くほどしっとり。
レモンの酸味が、最後にふっと抜ける。
「……あ」
「どうだ」
「……クリスマス、って感じがします」
奏は何も言わなかったが、少しだけ口角が上がった。
営業後、ロビーに全員が集まる。
「形式ばらない。名前も伏せる」
木島の号令で、プレゼントが配られる。
結の手に来たのは、小さなキッチンタイマー。
裏に、手書きで一言。
「焦らなくていい」
胸が、きゅっとなった。
京子は派手なマフラーを広げ、笑った。
「誰よこれ!」
「似合ってます」
快が言うと、京子は照れたように鼻を鳴らした。
木島の前にも、小包が置かれている。
中身は、革のしおり。
「……」
木島はそれを手に取り、静かに言った。
「ありがとう」
それだけだったが、十分だった。
全員が帰り支度をする中、結はロビーに残っていた。
「お疲れ」
奏が声をかける。
「……楽しかったです」
「準備が?」
「全部です」
外では、雪が降り始めていた。
ツリーの灯りが、ガラスに映る。
ソラス・フォレストのクリスマスは、もう始まっている。
静かで、温かくて、
誰かのために用意された――そんな夜だった。
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