ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第1章 宿り木ホテルと季節の人々

第65話 イライラと爆発と揚げピザと

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 付き合い始めて、数日。

 何も起きていない、それが、結にとって一番の問題だった。

 厨房では相変わらず隣に立つ。
 指示も的確、距離も必要以上に近づかない。

 どこにも連れて行かれない。

「……それが普通なんだ」

結は仕込み台で生地を捏ねながら、自分に言い聞かせるようにぼそっと呟いた。

 今日は揚げピザ。
 まかない用の試作だ。

 イタリア南部の屋台料理。
 ピザ生地をそのまま油で揚げる、豪快で雑で、でも妙に満たされる料理。

 奏が提案した。

「気分転換にいい」

 その言葉が、妙に引っかかっている。

(気分転換って何……?私と一緒にいるの、気分転換なの?)

 結は無意識に、生地を強く叩きつけた。

 バン!!!!!

 音が大きすぎて、快がびくっとする。

「……結さん、今日ちょっと怖いですよ」

「ごめん、ちょっと力が入っちゃった」

 即座に謝るが、苛立ちは引かない。

 誘われない。
 休館日も過ぎた。
 仕事終わりに「どこか行こうか」の一言すら、ない。

(忙しいのはわかってる。
 でも……一言くらい……)

 油の温度を測りながら、結はちらりと奏を見る。

 相変わらず落ち着いている。
 鍋を見つめる横顔は、仕事中の顔そのものだ。

「……奏さん」

「ん?」

 呼びかけても、視線は油から離れない。

「……いえ」

 言えない。
 言ったら負けな気がする。

 ピザ生地を伸ばし、トマトソースとチーズを包み込む。
 丁寧に閉じて、油へ落とす。

 じゅわっと、派手な音。

 油が弾き、表面が一気に膨らむ。
 中で空気とチーズが暴れているのがわかる。

(私も同じだ……)

 我慢して、閉じ込めて、
 そのうち爆発する。

 揚げ上がったピザを網に取ると、
 表面は黄金色で、触るとぱりっと硬い。

 でも、中はきっと熱い。

「……結」

 奏が声をかけた。

「油の温度少し高いな」

「……はい、すいません」

 短く答える。
 それだけなのに、胸がざわつく。

――その夜。

 片付けを終え、スタッフが帰り始める。
 結と奏だけが、厨房に残った。

 いつもなら、自然に並んで帰る時間。

 なのに奏は、まな板を洗いながら言った。

「今日はここまでにしようか」

 それだけ。

 結の中で「プツリ」と何かが切れた。

「……あの」

 奏が振り向く。

「んっなんだ?」

 結は一歩踏み出した。

「いつ、誘ってくれるんですか」

 空気が止まる。

「……何を?」

「デートです!!」

 言葉にした瞬間、胸の奥が熱くなる。

「付き合ってますよね、私たち!!」

 奏は、すぐに答えなかった。
 その沈黙が、結の苛立ちに油を注ぐ。

「忙しいのはわかります。
 でも、付き合って何日も経ってます」

 声が、震える。

「私、奏さんにとって……仕事の延長ですか?」

「違う」

 即答だった。

「じゃあ、なんで――」

「…結を…誘うタイミングを考えてた」

 結は一瞬驚き笑ってしまった。
 乾いた短い笑い。

「考えすぎです!!」

 奏は眉をひそめる。

「……結」

「私、待つの苦手なんですからね!!」

 本音が、止まらない。

「好きな人に、放置されるのも嫌です。
 優しさで距離置かれるのも、嫌です」

 言い切ったあと、結は俯いた。

 手が、震えている。

 奏はしばらく黙っていたが、
 やがて、静かに言った。

「……怖かったんだ」

 結は顔を上げる。

「失敗したくなかった。
 厨房での関係を壊すのがたまらなく怖かった」

 一歩、近づく。

「でも……結が我慢してるならそれはきっと違うと思う」

 奏は結の前に立ち、深く頭を下げた。

「悪かったな辛かったよな」

 結の目が見開かれる。

「明日、休みだろ」

「……はい」

「デートしよう」

 少し照れたように、付け足す。

「ちゃんとしたデート出来るか分からないが……」

 結の胸の奥で、
 揚げピザみたいに膨らんでいた気持ちがしぼんで冷静になれた。

「……最初から、そう言ってください」

「すまん、緊張してた」

「嘘ですね」

「本当だ」

 結は、思わず笑った。

 奏がそっと抱き寄せる。

「揚げピザ、うまかったよ」

「今この状況で言います?」

「中、熱くてジューシーなのに外はパリパリなところが」

「…私に例えてます…最悪の例えですね」

でも、結は抱き返した。

やっと、ちゃんと始まった気がした。

第66話「2人とデートとハンバーガーと」につづく
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