ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第85話 90パーセントの完成度

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 オーブンの中で、静かに音がしている。

 低く一定の熱。
 焦げる手前で止まる温度。

 結は腕を組んだままガラス越しにその様子を見つめていた。

 シカゴピザ生地。

 一次審査で提出したシチューを、
 水分を詰めやや固めに再構築したものを、
 生地の底にしっかりと敷き詰める。

 その上に
 ボイルした野菜を数種類。

 にんじん。
 カブ。
 ブロッコリー。
 ズッキーニ。

 すべて、
 “歯応えが残るぎりぎり”で止めた。

 さらにその上
 ラザニアシート。

 層を意図的に分断するための一枚。

 そして、
 ホワイトソース。

 牛乳の甘さを前に出しすぎず、
 シチューの余韻を邪魔しない濃度。

 最上段に、
 とろけるチーズ。

 オーブンに入れる前、
 結は一度、深く息を吸った。

「……おねがい」

 まるで人を送り出すように。

 焼き上がり

 取り出した瞬間
 厨房に広がる香りはもう“最高”だった。

 ナイフを入れる。

 ザクッとした生地。
 とろりと溶けるチーズ。
 白、緑、橙、茶色。
 層になった断面がゆっくり崩れ落ちる。

 一口。

 ……美味しい。

 間違いなく、美味しい。

 シチューの旨味は、
 閉じ込めたことで逆に輪郭を持ち、
 野菜がそれを受け止める。

 ラザニアシートがすべてを一度リセットし
 ホワイトソースが全体を包み直す。

「……九十点」

 結はぽつりと言った。

 自分で自分に点をつける。

 ――高い。
 ――でも足りない。

 皿を置き椅子に腰を下ろす。

「……なんだろ」

 美味しい。
 構造も明確。
 一次審査との繋がりも説明できる。

 なのに。

 胸に残らない。

 結は指先でエプロンを握った。

「……これ、
 “正解”ではあるけど……」

 誰の料理だ?

 問いが遅れて浮かぶ。

 技術は自分のもの。
 発想も自分で考えた。

 でも……

 この料理を食べた人が
 結という料理人を思い出すか?

「……」

 答えは出ない。

 結は立ち上がりもう一度皿を見た。

 層はきれいだ。
 狙い通り。

 でも、
 どこにも“余白”がない。

 完成されすぎている。

「……奏さんなら」

 ふと思う。

 彼ならここで一つ引き算をする。

 あるいは、
 意味の分からない余計な一手を入れる。

 理由を聞いても、
 きっとこう言う。

『食べる人が迷うから』

 結はハッとした。

「……迷うか」

 この料理は迷わせない。

 最初から最後まで、
 “こう食べてください”が決まっている。

 それが、
 二次審査の“罠”かもしれない。

 結はメモを取る。

 ・完成させすぎない
 ・食べる人の時間を入れる

 ペンが止まる。

「……あと、十パーセント」

 それは、
 調味料でも工程でもない。

 食べる瞬間の何か。

 結は、
 再びオーブンの前に立った。

 中は空っぽ。

 なのに、
 さっきまでの熱がまだ残っている。

「……明日、もう一回」

 今日は、ここまで。

 九割できているからこそ、
 焦らない。

 結は、
 料理を覆うラップを、そっとかけた。

「……大丈夫。
 嫌いになってない」

 そう言って、
 厨房の灯りを落とした。

 残り一割は、
 まだ、どこかにある。

 “味”じゃない場所に。
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