ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第126話 気分転換のボウリング

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 休館日でもないのに結は厨房を追い出された。

 正確には追い出された
 というよりも強制的に外へ押し出された。

「はい、今日は終わり。
 包丁置いて靴履いて」

 京子は腕を組み結の前に立ちはだかっていた。
 結はまな板の前で固まったまま手に持った包丁を見つめる。

「でも、仕込みが……」

 奏がぼそっと
「終わってる。
 というか終わらせた。」


「結ちゃんあのままだと包丁と一体化してたからね。
 生物としてまずい」

 結は唇を尖らせた。

「私は別に――」

「別にじゃないの。
 顔が死人。
 目の下に海溝ができてる」

 京子は有無を言わさず
 結のエプロンの紐をほどいた。

 厨房の奥で奏は鍋を見つめたまま
 ちらりともこちらを見ない。

 だが、結が戸口に押し出される瞬間だけ小さく息を吐いた。

「行ってこい、みんなの気持ちを無下にするな」

 短い一言。
 それだけだった。

 結は振り返ったが奏はもう視線を戻していた。

 連れてこられた先は郊外のボウリング場だった。

 駐車場にはやたらとカラフルなネオン。
 自動ドアが開くと靴のゴムが床を擦る音
 ピンが倒れる乾いた音、子どもの笑い声が混ざって聞こえた。

「……なんで、ボウリングなんですか」

 結が呆然とつぶやく。

「気分転換は体を動かすのが一番。
 あと、結が一番下手そうだから」

 京子はにやりと笑った。
 舞はすでに受付で靴を借りている。

「ちなみに私学生時代に大会出てたから」

「えっ」

「優勝はしてないけどそこそこ強いよ」

 結は靴を受け取りながらそっとため息をついた。

 レーンに立つと床は油でつやつやしていた。
 ボールがずらりと並び指穴が黒く開いている。

 結はおそるおそるボールを持ち上げた。

 ずしりと腕に重みがのしかかる。

(重い……包丁とは全然違う)

 彼女は一歩踏み出しボールを振りかぶった。

――その瞬間。

 全身が無意識に料理の動きになった。

 肘はまっすぐ、手首は返り
 まるで包丁で硬い骨を断つときのようなフォーム。

「ちょっと待って」

 京子が手を上げる。

「結ちゃん今、完全に“骨付き肉を切り落とす人”の動きしてた」

 舞は吹き出した。

 結は赤くなりながらボールを投げた。

ごろごろごろ――。

 ボールは右に大きく逸れガ-タ-へと吸い込まれた。

 乾いた音だけが虚しく響く。

「……」

 結は固まった。

 京子は肩を震わせ舞はお腹を抱えて笑っている。

「今のは……その……床が悪いですね」

 結が苦しい言い訳をすると京子は即答した。

「床は悪くない。結ちゃんが悪い」

二投目。

 今度は慎重に構えた。
 肩の力を抜きボールをまっすぐに。

だが――力みすぎた。

 ボールは今度は左へ大きく曲がりまたしてもガ-タ-。

 結の顔がだんだん無表情になっていく。

「……もう一回」

三投目。

 フォームはきれいだった。
 だが、スピードが弱すぎた。
 ボールは途中で失速しピンの手前で止まりかけ
 それでもかろうじて一番端のピンを倒した。

たった一本。

 結はしばらくピンを見つめ深く息を吸った。

「……料理ならこんなことないのに」

 小さくつぶやいた声はボウリング場の喧騒に紛れて消えた。

 京子と舞は次々に投げる。

 京子は軽やかなフォームでストライク。
 舞もスペアを取る。

 結のスコアだけが惨憺たるものだった。

「ねえ、結ちゃん」

 舞が隣に座って結の手元を覗き込む。

「料理のときみたいに、
 全部コントロールしようとしてない?」

 結は少しだけ間を置いてうなずいた。

「……ボールの重さも、床の滑りも
 全部計算しようとしてる」

「だから失敗するんだよ」

 京子がストレッチをしながら言った。

「料理は精密でもいいけど、今は違う。
 考えすぎだよ」

 結は膝に手を置きレーンを見つめた。

 ピンは遠くまっすぐ並んでいる。
 狙うべき場所は頭ではわかっている。

――でも、体が固い。

 休憩を挟んだ後の最後のフレーム。

 結はボールを手に取り
 ふと、息を止めた。

(狙わないでみよう)

 奇妙な考えが浮かんだ。

 狙わない。
 計算しない。
 ただ、投げる。

 結は肩の力を抜いた。

 歩幅は自然に。
 腕は振り子のように。
 手首も無理に返さない。

 ボールが静かに転がり出る。

 ごろごろと低い音。

 途中、わずかに右へ流れ――。

カンッ。

 鋭い音とともに中央のピンに直撃。

 次の瞬間ピンが連鎖的に倒れた。

カラカラカラカラ――。

 全てのピンが床に転がる。

ストライク。

 一瞬、静寂が落ちた。



「ちょっと待って!!」

 京子が椅子から立ち上がった。

「今の何!?急にプロみたいになったんだけど!?」

 舞は拍手しながら笑っている。

 結は自分でも何が起きたのかわからず
 手のひらを見つめていた。

 心臓が少しだけ速く打っている。

 でも、怖くない。

 むしろ軽い。

 帰り道、三人はボウリング場の隣にある小さなラーメン屋に入った。

 白い暖簾。
 湯気。
 醤油ではなく
 塩の香り。

 結の前に置かれたのは
 透き通ったスープの塩ラーメンだった。

 細い麺、青ねぎ、メンマ、そしてシンプルなチャーシュー。

 結はレンゲでスープをすくった。

 熱い。
 でも、やさしい味。

 塩の角がなく鶏の旨味だけが静かに広がる。

(派手じゃない……でも、芯がある)

 麺をすするとするりと喉を通る。

 結は無言で食べ続けた。

 京子は餃子を頬張りながら言った。

「どう?気分転換になった?」

 結は少しだけ考えた。

「……わかりません。でも」

 レンゲを置き静かに続ける。

「“狙わないほうがうまくいく”って感覚が
 少しだけわかりました」

 舞が目を細めた。

「それ、料理に持って帰りなよ」

 結はうなずいた。

 ホテルに戻ると厨房はまだ明かりがついていた。

 結が裏口から入ると、奏が鍋の前に立っている。

 結に気づくとちらりと目だけ向けた。

「どうだった」

 短い問い。

 結はエプロンを掛けながら静かに答えた。

「たのし…えっと…ストライクが出ました」

 奏は一瞬だけ手を止めた。

 そして、ほんのわずかに口元を緩めた。

「そうか、良かった」

 結はまな板の前に立つ。
 包丁を握る手にさっきの重さはない。

 まっすぐ狙わなくてもいい。
 力まなくてもいい。

 刃が自然に食材へ落ちていく。

 その夜、結の動きは
 ほんの少しだけ軽かった。
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