ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第135話 決勝ステージ

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 ステージに足を踏み入れた瞬間空気が変わった。

 照明が一斉に落とされ調理台だけが白く浮かび上がる。
 観客席は暗くざわめきは膜一枚隔てた向こう側に押しやられていた。

 結は割り当てられた調理台の前に立つ。

 金属の天板に手のひらをそっと置く。
 冷たい。
 けれど嫌な冷たさではない。

アナウンスが響く。

《三番目の料理人、ホテル・ソラス・フォレスト所属、佐山結》

 拍手。
 だが、結の耳にはもう届いていなかった。

 目の前に並ぶ食材。
 トマト、貝、鯛、豚肉、ナッツ。

 これまで何度も見たはずの素材たちが今日は少し違って見える。
 それは“課題”ではなく“語るための単語”だった。

 結は深く息を吸い包丁を取る。

——始めよう。

 前菜

 トマトのプリンとバジルのムース

 最初に手を伸ばしたのは完熟トマト。

 湯むきをし種を取り果肉だけを丁寧に裏漉しする。
 火にかける温度は低く。

 トマトの酸味が角を失っていくのを匂いで確かめる。

「……いい」

 小さく呟く。

 卵液を合わせ静かに混ぜる。
 空気を入れない。
 泡立てない。

 蒸し器の蓋を閉じた瞬間、結は次に移る。

 バジル。
 葉脈を指でなぞり香りを確かめる。

 ミキサーにかけクリームと合わせ滑らかなムースに仕立てる。

 プリンが固まり始めるまでのわずかな時間。
 結は盛り付け用の器を並べる。

——この前菜は入口だ。

 強すぎない。
 だが、確実に“こちら側”へ引き込む。

 蒸し上がったプリンを取り出し粗熱を取る。
 スプーンで掬うと表面がわずかに震えた。

 皿の中央にプリン。
 横にバジルのムースを添える。

 色のコントラスト。
 赤と緑。
 最初からはっきりした色で語る。

 スープ

 アサリとイカ墨の黒のボンゴレスープ

 次に取り掛かるのは鍋。

 前夜から何度も試した貝の出汁。
 今日も手順は変えない。

 砂抜きしたアサリを鍋に入れ水は最小限。
 火にかけ殻が開く瞬間を逃さない。

 白ワインは使わない。
 香りを足さない。

 欲しいのは貝そのものの声だ。

 別鍋でイカ墨を温める。
 焦がさない。

 出汁と墨を合わせた瞬間鍋の中が深い黒に染まる。

 結は一度だけ味を見る。

——これでいい。

 スープは語りすぎない。
 前菜の色を受け止め次へ渡す“闇”だ。

魚料理

 鯛の昆布締めソテー 海水ソース

 鯛は前日から昆布で締めてある。

 包丁を入れた瞬間身がしっとりとした音を立てる。
 水分が保たれている証拠。

 フライパンを熱し油は最小限。

 皮目から焼く。
 音を聞く。
 焦らない。

 皮が縮み始めたところで火を落とし余熱に任せる。

 ソースは海水をイメージした塩水ベース。
 強くない。
 だが、確かに“海”だと分かる。

 盛り付け。

 黒のスープから白い身へ。
 色彩が静かに反転する。

 結はこの一皿で“光”を置く。

肉料理

 蒸し豚肉のわら焼き
 ~リンゴのピュレと干し柿を添えて~

 豚肉は蒸してから仕上げる。

 低温でじっくり。
 脂を閉じ込める。

 蒸し上がった肉をわらで一気に燻す。
 炎が立ち上がり香ばしい煙が広がる。

 観客席がわずかにざわついたのが分かった。

 結は気にしない。

 リンゴのピュレは酸味を残す。
 干し柿は細かく刻み甘さを点で置く。

 豚の旨味、果実の甘酸っぱさ、煙の香り。

デザート

 ローストヘーゼルナッツ
 温かいクリーム、塩
 庭を思わせるチョコレートと柑橘の皮

 最後は静かだ。

 ナッツをローストし香りを最大まで引き出す。
 クリームは温めるだけ。
 甘くしない。

 塩をほんの一つまみ。

 砕いたチョコレートを散らし柑橘の皮を削る。

 派手さはない。
 だが、終わりを告げるには十分だった。

 すべての皿を出し終えたとき。

 結は初めて顔を上げた。

 審査員たちが無言で皿を見ている。
 観客席も静まり返っている。

 拍手はまだない。

 それでいい。

 料理はもう結の手を離れている。

 結は一歩下がり深く頭を下げた。

——全て料理で語った。

 それだけで胸の奥が静かに満たされていた。
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