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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に
第134話 決勝当日 ~控室~
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会場の裏側は思っていたよりも静かだった。
厚いカーペットが足音を吸い
空調の低い唸りだけが一定のリズムで響いている。
長い廊下の両脇には無機質な扉がいくつも並び
そこに「決勝進出者 控室」と書かれた紙が貼られていた。
結はその前で一瞬だけ足を止めた。
自動ドアが開くと少しだけ温度の違う空気が流れ出てくる。
中には長机が三つ、壁際に簡易ソファ、そしてミネラルウォーターが並んだワゴン。
壁には大きなモニターが設置され会場のライブ映像が映し出されていた。
先に到着していた数名の料理人がすでに座っている。
緊張している者、やけに饒舌な者、目を閉じて動かない者
それぞれが自分の世界に沈んでいた。
結が入ると何人かの視線が一瞬だけ向けられた。
小さなざわめき。
それは敵意ではなくどこか値踏みするような静かな空気だった。
結は入口近くの席に腰を下ろす。
白衣の袖口を無意識に指でなぞった。
数秒の沈黙。
そのときドアが再び開いた。
「結」
低くよく通る声。
振り向くとBグループのメンバーが三人揃って入ってきた。
森崎はいつもの皮肉めいた笑みを浮かべているがその目だけは鋭い。
佐伯は落ち着いた様子でペットボトルを握りしめ、
里見はやや青白い顔で深く呼吸を繰り返していた。
結は立ち上がり軽く頭を下げた。
「おはようございます」
佐伯が小さく頷く。
里見はぎこちなく手を振った。
森崎だけが机に両手をついて結を見下ろすように言った。
「緊張してる顔じゃ~ないな」
結は一瞬言葉を探す。
「……してます。
多分、顔に出てないだけです」
森崎は鼻で笑う。
「それでいい。出す暇があったら考えなきゃな」
結は反論しなかった。
ただ、静かに息を整える。
四人は自然と同じテーブルに集まった。
モニターにはすでに会場の観客席が映っている。
満席に近い。
カメラ、照明、審査員席
すべてがこれまでとは明らかに違っていた。
里見が小さくつぶやく。
「……人、多いですね」
佐伯が頷く。
「三次とは別物だな。空気が違う」
森崎は腕を組み画面を睨んだ。
「見られてるんじゃない。
見せつける場だと思わなきゃやってらんないよな」
結は無意識に喉を鳴らした。
そのとき、控室のドアが静かに開く。
協会のスタッフが一人丁寧な動作で頭を下げた。
「間もなく順番の抽選を行います。
こちらにお集まりください」
四人は立ち上がる。
歩き出す直前佐伯が結にだけ聞こえる声で言った。
「自分のコース信じなきゃな」
結は一瞬だけ目を見開きそして小さく頷いた。
抽選用のホワイトボードの前に全員が並ぶ。
透明な箱の中で番号の書かれた玉がカラカラと音を立てて回っている。
スタッフが箱を振る。
最初の名前が呼ばれる。
一人また一人と引いていく。
そして
「ソラス・フォレストホテル――佐山結さん」
結の心臓が一度だけ大きく跳ねた。
前に出る。
箱に手を入れる。
ひんやりとした球体が指先に触れた。
掴む。
引き抜く。
白い玉に黒い数字。
「三」
会場のざわめきが遠くで波のように広がった気がした。
三番目。
悪くない。
良くも悪くも真ん中。
結が席に戻ると森崎が小さく頷いた。
「ちょうどいい。会場の空気が温まったところでの出番か」
里見は緊張で喉を鳴らし佐伯は静かに笑った。
抽選が終わると再び控室に戻る。
緊張が少しずつ密度を増していく。
結は椅子に腰を下ろし目を閉じた。
頭の中でコースを順に辿る。
――トマトのプリンと、バジルのムース。
――アサリとイカ墨の黒のボンゴレスープ。
――鯛の昆布締めソテー、海水ソース。
――蒸し豚肉のわら焼き、リンゴのピュレと干し柿。
――ローストヘーゼルナッツのデザート。
一皿ごとに、色、香り、温度、物語が立ち上がる。
そのとき控室のドアがノックされた。
入ってきたのは――奏だった。
協会スタッフの特別許可証を首から下げ静かに室内を見渡す。
周囲の料理人たちがわずかに緊張した空気を出す。
奏はまっすぐ結の前に来た。
「座っていいか」
結は無言で頷く。
二人の間に短い沈黙。
奏は手を組み低い声で言った。
「覚えてるか。
最初に言ったこと」
結はすぐに思い出した。
――コースは物語だ。
奏は続ける。
「技術はもう足りてる。
今日問われるのは、
お前が何を語るかだけだ」
結は唇を引き結ぶ。
「怖くないわけじゃありません」
「それでいい」
奏は即答した。
「怖さがない料理に重さは出ない」
結は小さく息を吸う。
「……勝ちたいです」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
奏は一瞬だけ目を細め
ほんのわずかに、口角を上げた。
「なら、勝ちにいけ」
アナウンスが響く。
《一番目の選手は、調理場へお入りください》
控室の空気が一段階引き締まる。
結は椅子から立ち上がった。
白衣の裾を整え名札に指を当てる。
森崎が横から短く言う。
「三番目だ。焦るな。見るな。迷うな」
佐伯は静かに頷く。
里見は拳を握りしめている。
結は深く一礼した。
そして――ドアの向こうへ歩き出す。
長い廊下。
遠くから聞こえる拍手とざわめき。
その先に決勝の厨房が待っている。
結は歩みを止めなかった。
厚いカーペットが足音を吸い
空調の低い唸りだけが一定のリズムで響いている。
長い廊下の両脇には無機質な扉がいくつも並び
そこに「決勝進出者 控室」と書かれた紙が貼られていた。
結はその前で一瞬だけ足を止めた。
自動ドアが開くと少しだけ温度の違う空気が流れ出てくる。
中には長机が三つ、壁際に簡易ソファ、そしてミネラルウォーターが並んだワゴン。
壁には大きなモニターが設置され会場のライブ映像が映し出されていた。
先に到着していた数名の料理人がすでに座っている。
緊張している者、やけに饒舌な者、目を閉じて動かない者
それぞれが自分の世界に沈んでいた。
結が入ると何人かの視線が一瞬だけ向けられた。
小さなざわめき。
それは敵意ではなくどこか値踏みするような静かな空気だった。
結は入口近くの席に腰を下ろす。
白衣の袖口を無意識に指でなぞった。
数秒の沈黙。
そのときドアが再び開いた。
「結」
低くよく通る声。
振り向くとBグループのメンバーが三人揃って入ってきた。
森崎はいつもの皮肉めいた笑みを浮かべているがその目だけは鋭い。
佐伯は落ち着いた様子でペットボトルを握りしめ、
里見はやや青白い顔で深く呼吸を繰り返していた。
結は立ち上がり軽く頭を下げた。
「おはようございます」
佐伯が小さく頷く。
里見はぎこちなく手を振った。
森崎だけが机に両手をついて結を見下ろすように言った。
「緊張してる顔じゃ~ないな」
結は一瞬言葉を探す。
「……してます。
多分、顔に出てないだけです」
森崎は鼻で笑う。
「それでいい。出す暇があったら考えなきゃな」
結は反論しなかった。
ただ、静かに息を整える。
四人は自然と同じテーブルに集まった。
モニターにはすでに会場の観客席が映っている。
満席に近い。
カメラ、照明、審査員席
すべてがこれまでとは明らかに違っていた。
里見が小さくつぶやく。
「……人、多いですね」
佐伯が頷く。
「三次とは別物だな。空気が違う」
森崎は腕を組み画面を睨んだ。
「見られてるんじゃない。
見せつける場だと思わなきゃやってらんないよな」
結は無意識に喉を鳴らした。
そのとき、控室のドアが静かに開く。
協会のスタッフが一人丁寧な動作で頭を下げた。
「間もなく順番の抽選を行います。
こちらにお集まりください」
四人は立ち上がる。
歩き出す直前佐伯が結にだけ聞こえる声で言った。
「自分のコース信じなきゃな」
結は一瞬だけ目を見開きそして小さく頷いた。
抽選用のホワイトボードの前に全員が並ぶ。
透明な箱の中で番号の書かれた玉がカラカラと音を立てて回っている。
スタッフが箱を振る。
最初の名前が呼ばれる。
一人また一人と引いていく。
そして
「ソラス・フォレストホテル――佐山結さん」
結の心臓が一度だけ大きく跳ねた。
前に出る。
箱に手を入れる。
ひんやりとした球体が指先に触れた。
掴む。
引き抜く。
白い玉に黒い数字。
「三」
会場のざわめきが遠くで波のように広がった気がした。
三番目。
悪くない。
良くも悪くも真ん中。
結が席に戻ると森崎が小さく頷いた。
「ちょうどいい。会場の空気が温まったところでの出番か」
里見は緊張で喉を鳴らし佐伯は静かに笑った。
抽選が終わると再び控室に戻る。
緊張が少しずつ密度を増していく。
結は椅子に腰を下ろし目を閉じた。
頭の中でコースを順に辿る。
――トマトのプリンと、バジルのムース。
――アサリとイカ墨の黒のボンゴレスープ。
――鯛の昆布締めソテー、海水ソース。
――蒸し豚肉のわら焼き、リンゴのピュレと干し柿。
――ローストヘーゼルナッツのデザート。
一皿ごとに、色、香り、温度、物語が立ち上がる。
そのとき控室のドアがノックされた。
入ってきたのは――奏だった。
協会スタッフの特別許可証を首から下げ静かに室内を見渡す。
周囲の料理人たちがわずかに緊張した空気を出す。
奏はまっすぐ結の前に来た。
「座っていいか」
結は無言で頷く。
二人の間に短い沈黙。
奏は手を組み低い声で言った。
「覚えてるか。
最初に言ったこと」
結はすぐに思い出した。
――コースは物語だ。
奏は続ける。
「技術はもう足りてる。
今日問われるのは、
お前が何を語るかだけだ」
結は唇を引き結ぶ。
「怖くないわけじゃありません」
「それでいい」
奏は即答した。
「怖さがない料理に重さは出ない」
結は小さく息を吸う。
「……勝ちたいです」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
奏は一瞬だけ目を細め
ほんのわずかに、口角を上げた。
「なら、勝ちにいけ」
アナウンスが響く。
《一番目の選手は、調理場へお入りください》
控室の空気が一段階引き締まる。
結は椅子から立ち上がった。
白衣の裾を整え名札に指を当てる。
森崎が横から短く言う。
「三番目だ。焦るな。見るな。迷うな」
佐伯は静かに頷く。
里見は拳を握りしめている。
結は深く一礼した。
そして――ドアの向こうへ歩き出す。
長い廊下。
遠くから聞こえる拍手とざわめき。
その先に決勝の厨房が待っている。
結は歩みを止めなかった。
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