ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第149話 憧れの追いかけ方

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 その失敗は誰にも指示されていなかった。
 だからこそ千夏の中では「自分の選択」としての失敗だった。

 ランチ前の仕込み。

 結は別の台でいつものように淡々と手を動かしている。
 包丁のリズム。
 野菜の切り口。
 迷いのない配置。

 ――きれい。

 千夏は無意識にその動きを目で追っていた。

 今日の役割は副菜の下準備。

 いつもなら手順書どおりにやる。
 安全で確実で怒られない方法。

 でも。

 千夏は結の背中を見たまま思ってしまった。

 同じようにやれば近づけるんじゃないか。

 火入れを少し強めにする。
 切り方も結の真似をして細く。

 「……」

 一瞬良い香りが立った。

 ――いける。

 そう思ったその直後だった。

 鍋の底が焦げた。

 わずかだがはっきり分かる苦味。

 千夏は慌てて火を弱める。
 でも、もう戻らない。

 結が気づく。

 「千夏ちゃん」
 「……はい」

 鍋を覗きすぐに分かった。

 「これ」
 「私の真似したの?」

 千夏は答えられなかった。

 視線を落とす。

 「……すいません」
 「怒ってないよ」

 結の声は静かだった。

 でも、その静けさが逆に胸に刺さる。

 「ただ」
 「今のは千夏ちゃんの料理じゃない」

 千夏は唇を噛んだ。

 憧れて。
 近づきたくて。
 それだけだったのに。

 結はその場を離れた。

 少しだけ顔が硬い。

 厨房の隅。

 奏がその様子を見ていた。

 そして千夏を呼ぶ。

 「千夏」
 「はい……」

 奏は千夏の鍋を見て言った。

 「追いすぎたな」
 「……はい」

 「料理スタイルはな」
 「真似るもんじゃない」
 「“測る”もんだ」

 千夏は顔を上げた。

 「自分と相手の距離をな」
 「自分の心で測れ」
 「速さも、歩幅も」
 「同じじゃない」

 奏は少し間を置いて続ける。

 「追いつこうと走ると」
 「転ぶ」
 「でも」

 「見失わない距離で追いかけるんだ」

 その言葉は優しかった。

 慰めでも説教でもない。

 経験談だった。

 一方、結は洗い場で手を止めていた。

 胸の奥がざわつく。

 ――ああ。

 これが憧れられる怖さか。

 自分の背中が、
 誰かを無理に走らせてしまう。

 奏がそっと言う。

 「気づいたか」
 「……うん」

 結は短く答えた。

 「任せるって」
 「導くって」
 「思ってたより重い」

 「だから」
 「背中は遠すぎちゃいけない」

 奏はそれだけ言った。

 片付けの後。

 結は千夏に声をかけた。

 「今日の失敗」
 「覚えといて」
 「でも」

 一呼吸。

 「真似しなくていい」
 「千夏ちゃんの歩幅で来て」

 千夏は深く頭を下げた。

 「……はい」

 その夜。

 千夏はノートに書いた。

 「憧れは目印。ゴールじゃない」

 そして小さく付け足す。

 「走らないで歩く。」
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