パーティーから追放された賢者は王都で念願だったバーを開く

幻薬

　あれから、あっという間に一週間が経過した。

　俺はベッドですやすやと眠りにつくシエルを一瞥すると、静かにローブを羽織り、いつぞやの仮面を魔法収納アイテムボックスから取り出した。

「さて、行くか」

　俺は慎重な足取りで外へと繰り出した。
　いつぞやの黒いマスクを装着し、首から目の下まで全てを覆い尽くしていた。
　奴隷オークションで騒ぎを起こした時と同じ格好だが、今回はあえてこの格好で向かうことを決めた。
　というのも、俺こそがアレンとチャーリーが捜索している目的の人物なので、その方が話が円滑に進むと考えたからだ。

　時刻は夜半過ぎ。向かう先は冒険者ギルドだ。
　空は既に漆黒模様だったが、王都はまだまだ喧騒に満ちていた。

　黒のローブに黒のマスク、加えて髪の色まで黒いので、薄暗い夜の世界に上手く溶け込むことができる。
　おまけに今は極力まで気配を遮断して歩行しているので、並大抵の人間にバレることはない。

「……手こずることはなさそうだが、なるべく穏便に終わらせたいところだな」

　シエルには”旧友に会いに行く”と嘘をつき、丸々二日間はバーを閉めると伝えておいたので問題はない。
　しかし、なるべく早く今回の一件を終わらせないと、シエルに余計な心配をかけてしまう。

「はぁぁぁ」

　俺は小さくため息を吐く。
　暗い路地を進んでいき、最短ルートで冒険者ギルドを目指す。

　表面的には明るく栄えている王都とは裏腹に、路地裏には多くの者たちが倒れ伏している。
　怪しげな薬や酒瓶が転がる傍らで死んだように眠る彼らの姿には、異様なほどの悍ましさを覚えた。

　俺はかつて賢者だったからこそわかる。
　ここらに散乱している薬は正規品ではない。
　もちろん、市販の風邪薬でも漢方でも、単なる嗜好品でもない。

「……幻薬げんやくか」
　
　俺は足元に散らばる小さな錠剤を一つ手に取った。
　間近で確認するとすぐにその正体が分かった。

　幻薬とは、中毒性のある物質がふんだんに混ぜ込まれた違法薬物である。
　闇ルートでのみ取引されており、冒険者時代に何度か売買の話を持ちかけらたこともある。
　こいつを服用すると、肉体と精神の能力が飛躍的に向上し、視覚や聴覚などの感覚が研ぎ澄まされる。
　一見、最高の効果に思えるが、当たり前のように副作用が存在する。

「副作用は驚異的なまでの依存性の高さと離脱症状、加えて、使用後に襲いかかる肉体と精神への強烈な負荷……だったか」

　俺は錠剤と倒れ伏す者たちを交互に見ながら口にした。

　使用を繰り返すほど肉体と精神に大きなダメージが及び、やがては体が耐えきれずに死に至る。
　痩せ細り筋肉が衰え、心は荒んで悲観的になる。

　一時的な感情の昂りに快楽を覚えた中毒者の姿を何度か見たことがあるが、あまりに狂気的な光景だったのであまり思い出したくはない。

「——薬をぐれぇ！　頼むぅっ……あと少し、あと少しだけでいいからよぉ！？」

　嫌な記憶を思い出していると、中年の男が這い寄ってきた
　見窄らしい見た目で、奴隷のようなボロボロの布切れをその身に纏っている。

「……」

　俺はそんな中年の男には一瞥もくれることなく、その場から立ち去った。
　
　表裏一体な王都の現状を無視することは、ここに住む住民としてあまり良いことではない。だが、俺には欲に負けた中毒者を救うことはできない。

　幻薬には回復魔法も効かないので、徐々に薬を絶っていくような自然療法が主になる。
　軽度な中毒者であれば俺の手で完治に導くことも可能だが、彼らは流石に専門外だ。

「すまないな」

　俺の言葉は路地裏を吹き抜ける生暖かい風に流された。

　今は他にやるべきことがある。

　問題を先延ばしにするのは好ましくないので、まずはアレンの元へ向かうのが最優先だ。
　彼は受付嬢に話は通しておくと言っていたことだし、堂々とギルド内に立ち入るとしよう。