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衝撃吸収装置
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「あいたたた!足の小指をデスクの角にぶつけてしまった」
「相変わらず落ち着きがありませんね、I博士」
クールな笑みを浮かべて優しくたしなめるのは、助手兼秘書の若く美しい女性。
「ああ、痛くてたまらない。なにかこう、痛みを完全に消去できる方法があればいいのに」
積み上げられた書類の山が崩れ、辺りに散乱した紙を拾い集めながら、博士が悪態をついた。
「お気持ちは察しますが、病気の早期発見に少なからず痛覚が役立っている面がありますし、完全なる無痛というのは問題があるかと思われます」
「うむ、なるほど。君の言うとおりかもしれん。私の考えは浅はかだったようだ。では、そうだな…完全に痛みをなくすことは潔く諦めるが、痛みを軽減する装置はどうだろう?」
「ちっとも潔くありませんが、博士にしては良い妥協案ですね」
涼しい表情で顔色一つ変えずに辛辣な意見を述べる美人秘書。
対するI博士のほうも、率直な彼女の言動には慣れっこのようだ。
「痛みは痛みでも、打撃による痛みの軽減にのみ効果を発揮するタイプなら、病の早期発見の妨げにはならないしな、さっそく装置の開発に取りかかるとしよう」
サラッと流して話をまとめた。
麻酔薬の原理を応用し、いくらか修正を重ねただけで、比較的簡単に衝撃吸収装置は完成の日を迎えた。
「おめでとうございます、博士。装置のお披露目はいつになさいますか?一番早くて来週の金曜日ならスケジュール調整できそうですが」
「それでは、その日にしよう。金曜日までにスーツをクリーニングに出さなければいけないな」
「会場はスペシャルホテルの松の間でよろしいですか?
あそこなら立派な記者会見ができますわ」
当日。
美人秘書と数人のスタッフを連れ、予定時間の一時間前にI博士が会場に到着した。
「もう一度、細部の打ち合わせを確認してきます。博士はゆっくりお茶でも飲んでお寛ぎになられててください」
ピッとしたスーツに身を包んだ女性秘書が控え室を出て行く。
廊下をさっそうと歩き、エレベーターホールまでやってきた美人秘書がフロントに降りるため、脇のボタンに手を伸ばす。
と、同時にボタンを押そうとした誰かの手とぶつかる。
「あ、ごめんなさい。失礼しまし…」
言いかけて、あっ!と息をのむ美人秘書。
「き、君は…!」
相手の男もひどく驚いた声をあげる。
「なぜあなたがこんなところに」
青い顔をした美人秘書が唇を噛む。
「僕は仕事で。君こそ、ここでなにを?」
それには答えず、美人秘書はエレベーター脇の階段を駆け降りていく。
(なぜ、あの人とこんなところで…)
思いを振り切るように、てきぱきと打ち合わせをすませ、I博士の元へ戻る。
「今戻りました。準備は万全です。あとは本番のみですね、頑張ってください博士」
にこやかに伝達する姿をじっと見ていた博士が心配そうな瞳で、美人秘書を見つめる。
「なんだか君、元気がないようだが」
「そんなことありませんわ、なんでもありません。昔、私を傷つけて手ひどくフッた悪い男にバッタリそこで出会ってしまってトラウマが蘇り、過呼吸の一歩手前で今にも倒れそうなんてそんなことは口が裂けても言えませんわ」
そこまで言って、ハッとして両手で口をふさぐ美人秘書。
「そうだったのか、大丈夫かい?辛かったら、今日は帰って自宅で休んでいてもいいんだよ。優秀な君がいないのは不安だが、なあに!私だってやるときはやるさ。心配いらない」
それを聞いた美人秘書が、わっと泣き出す。ずいぶんと辛い恋をしたのだろう。泣きたいだけ泣きなさい、と告げ、美人秘書を抱きしめて背中をさするI博士。
「無茶、な、な、なさらないで。博士、ひ、膝が…震えて、ます。博士は、わ、わ、私が側っ、にいないとダメで」
嗚咽しながら言う美人秘書。
「ははは、いやはや…隠しても君にはお見通しだね、恥ずかしながら発表を控えて緊張してたまらないのだ。そこへきて君がいないとなると、やり遂げられる気がしないんだよ。でも、涙でぐしゃぐしゃの君を皆に見せたくはないんだ」
(弱ったな…)
美人秘書の頭を優しく撫でながら考えるI博士。
「は、は、博士、いいことを…ヒック…思いつきまし、た、そそそ、それ」
美人秘書が指さしたのは、本日の目玉、衝撃吸収装置。
「これかい?これをどうするんだね?」
「こ、ここ、に」
泣きながら両手で博士の右手を持って、自分の胸に乗せる美人秘書。
「君の心臓にあてろと言うのかい?胸の痛みが取れれば、涙も止まると?」
博士の言葉にうなづく美人秘書。
三時間後。
「今日は大成功でしたね、博士。無事に終わって本当に良かったです」
「いやいや、君が居てくれたおかげだよ。いつも本当にありがとう、感謝してもしたりないくらいだ」
それを聞いた美人秘書が顔を赤らめる。
「とんでもありません、それどころか今日はお恥ずかしいところをお見せしてしまって。装置のおかげで胸の痛みが取れてすっきりしました。今になってみると、なぜあんなくだらない男のために泣いたのかしらと思ってますわ」
「実はあれはね、物理的な衝撃しか吸収できない。騙して悪かったね」
「そう言えば、そうでしたわ、そのコンセプトで始動した実験だったのに私ったら…さっきは動転して忘れていました。でも、確かにあのとき。嘘のように胸の痛みがなくなって、安堵感と幸福感で胸がいっぱいに…」
目を丸くして驚く美人秘書。
ボサボサの頭を掻きながらI博士が照れくさそうに笑っている。
「私がずっと君を抱きしめていたから…ってことはないかな?」
美人秘書の大きな目が、いっそう大きく見開かれた。
「そう、なのかも…しれません、博士」
「君が一緒なら、私は幸せになれる自信がある。君は?」
頷く美人秘書の目に、みるみる涙がたまっていく。
「博士ったら、気の利いたこと一つ言えない野暮でムードのない方ですね。鳥の巣にそっくりの寝癖頭ですし、いつも白衣には食べ」
「食べこぼしが、だろう?」
美人秘書の言葉を遮り、少し強引に唇をふさぐI博士。
「もう、食べこぼさないよ。私の言っている意味がわかるかい?」
真っ赤になってうつむく美人秘書。
「仕方のない方ですね。わかりました。よろしくお願いします」
こうして二人は末永く幸せになりましたとさ。
「相変わらず落ち着きがありませんね、I博士」
クールな笑みを浮かべて優しくたしなめるのは、助手兼秘書の若く美しい女性。
「ああ、痛くてたまらない。なにかこう、痛みを完全に消去できる方法があればいいのに」
積み上げられた書類の山が崩れ、辺りに散乱した紙を拾い集めながら、博士が悪態をついた。
「お気持ちは察しますが、病気の早期発見に少なからず痛覚が役立っている面がありますし、完全なる無痛というのは問題があるかと思われます」
「うむ、なるほど。君の言うとおりかもしれん。私の考えは浅はかだったようだ。では、そうだな…完全に痛みをなくすことは潔く諦めるが、痛みを軽減する装置はどうだろう?」
「ちっとも潔くありませんが、博士にしては良い妥協案ですね」
涼しい表情で顔色一つ変えずに辛辣な意見を述べる美人秘書。
対するI博士のほうも、率直な彼女の言動には慣れっこのようだ。
「痛みは痛みでも、打撃による痛みの軽減にのみ効果を発揮するタイプなら、病の早期発見の妨げにはならないしな、さっそく装置の開発に取りかかるとしよう」
サラッと流して話をまとめた。
麻酔薬の原理を応用し、いくらか修正を重ねただけで、比較的簡単に衝撃吸収装置は完成の日を迎えた。
「おめでとうございます、博士。装置のお披露目はいつになさいますか?一番早くて来週の金曜日ならスケジュール調整できそうですが」
「それでは、その日にしよう。金曜日までにスーツをクリーニングに出さなければいけないな」
「会場はスペシャルホテルの松の間でよろしいですか?
あそこなら立派な記者会見ができますわ」
当日。
美人秘書と数人のスタッフを連れ、予定時間の一時間前にI博士が会場に到着した。
「もう一度、細部の打ち合わせを確認してきます。博士はゆっくりお茶でも飲んでお寛ぎになられててください」
ピッとしたスーツに身を包んだ女性秘書が控え室を出て行く。
廊下をさっそうと歩き、エレベーターホールまでやってきた美人秘書がフロントに降りるため、脇のボタンに手を伸ばす。
と、同時にボタンを押そうとした誰かの手とぶつかる。
「あ、ごめんなさい。失礼しまし…」
言いかけて、あっ!と息をのむ美人秘書。
「き、君は…!」
相手の男もひどく驚いた声をあげる。
「なぜあなたがこんなところに」
青い顔をした美人秘書が唇を噛む。
「僕は仕事で。君こそ、ここでなにを?」
それには答えず、美人秘書はエレベーター脇の階段を駆け降りていく。
(なぜ、あの人とこんなところで…)
思いを振り切るように、てきぱきと打ち合わせをすませ、I博士の元へ戻る。
「今戻りました。準備は万全です。あとは本番のみですね、頑張ってください博士」
にこやかに伝達する姿をじっと見ていた博士が心配そうな瞳で、美人秘書を見つめる。
「なんだか君、元気がないようだが」
「そんなことありませんわ、なんでもありません。昔、私を傷つけて手ひどくフッた悪い男にバッタリそこで出会ってしまってトラウマが蘇り、過呼吸の一歩手前で今にも倒れそうなんてそんなことは口が裂けても言えませんわ」
そこまで言って、ハッとして両手で口をふさぐ美人秘書。
「そうだったのか、大丈夫かい?辛かったら、今日は帰って自宅で休んでいてもいいんだよ。優秀な君がいないのは不安だが、なあに!私だってやるときはやるさ。心配いらない」
それを聞いた美人秘書が、わっと泣き出す。ずいぶんと辛い恋をしたのだろう。泣きたいだけ泣きなさい、と告げ、美人秘書を抱きしめて背中をさするI博士。
「無茶、な、な、なさらないで。博士、ひ、膝が…震えて、ます。博士は、わ、わ、私が側っ、にいないとダメで」
嗚咽しながら言う美人秘書。
「ははは、いやはや…隠しても君にはお見通しだね、恥ずかしながら発表を控えて緊張してたまらないのだ。そこへきて君がいないとなると、やり遂げられる気がしないんだよ。でも、涙でぐしゃぐしゃの君を皆に見せたくはないんだ」
(弱ったな…)
美人秘書の頭を優しく撫でながら考えるI博士。
「は、は、博士、いいことを…ヒック…思いつきまし、た、そそそ、それ」
美人秘書が指さしたのは、本日の目玉、衝撃吸収装置。
「これかい?これをどうするんだね?」
「こ、ここ、に」
泣きながら両手で博士の右手を持って、自分の胸に乗せる美人秘書。
「君の心臓にあてろと言うのかい?胸の痛みが取れれば、涙も止まると?」
博士の言葉にうなづく美人秘書。
三時間後。
「今日は大成功でしたね、博士。無事に終わって本当に良かったです」
「いやいや、君が居てくれたおかげだよ。いつも本当にありがとう、感謝してもしたりないくらいだ」
それを聞いた美人秘書が顔を赤らめる。
「とんでもありません、それどころか今日はお恥ずかしいところをお見せしてしまって。装置のおかげで胸の痛みが取れてすっきりしました。今になってみると、なぜあんなくだらない男のために泣いたのかしらと思ってますわ」
「実はあれはね、物理的な衝撃しか吸収できない。騙して悪かったね」
「そう言えば、そうでしたわ、そのコンセプトで始動した実験だったのに私ったら…さっきは動転して忘れていました。でも、確かにあのとき。嘘のように胸の痛みがなくなって、安堵感と幸福感で胸がいっぱいに…」
目を丸くして驚く美人秘書。
ボサボサの頭を掻きながらI博士が照れくさそうに笑っている。
「私がずっと君を抱きしめていたから…ってことはないかな?」
美人秘書の大きな目が、いっそう大きく見開かれた。
「そう、なのかも…しれません、博士」
「君が一緒なら、私は幸せになれる自信がある。君は?」
頷く美人秘書の目に、みるみる涙がたまっていく。
「博士ったら、気の利いたこと一つ言えない野暮でムードのない方ですね。鳥の巣にそっくりの寝癖頭ですし、いつも白衣には食べ」
「食べこぼしが、だろう?」
美人秘書の言葉を遮り、少し強引に唇をふさぐI博士。
「もう、食べこぼさないよ。私の言っている意味がわかるかい?」
真っ赤になってうつむく美人秘書。
「仕方のない方ですね。わかりました。よろしくお願いします」
こうして二人は末永く幸せになりましたとさ。
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読んでくださってありがとうございます。とても嬉しいです。
書いてる自分も、書きながらニヤニヤしてました(笑)
しのぶさんの作品、素敵なので時間のあるときにまとめて読ませていただきますね(﹡ˆ﹀ˆ﹡)b