表と裏と狭間の世界

雫流 漣。

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動き出した運命

睨みあい

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店内は墨を流したような暗闇だった。
なんだかわからない強い匂いが鼻腔を刺激する。
自分の置かれた状況を見極めようと必死で目を凝らす。

ようやっと暗がりに目が慣れてきたと思った瞬間、カイはあっと声をあげそうになった。
目の前に鶏の足のようななにかがぶら下がっていたのだ。
いくらクリスマスだからといってこんなチキンはクソ食らえ!酷いジョークだ。

小さく舌打ちをし、呼吸を整えてから恐る恐る店内を見回す。

この店をまともな神経の人間が経営しているとは思えない。
足元に…割れた食器だろうか?…が何枚も積み上げられているようだ。
どこかで、蜂が羽を震わすような機械音がし、あちこちでカサカサと何かが動く気配がする。
転ばぬように反射的に手を伸ばすと…指先がヌメヌメとした物体に触れる。
なんて気味の悪い。

リックは変わり者と言っていたが、ドルバンは風変わりどころか狂人に違いなかった。
背筋が凍ったがこのまますごすごと手ぶらで帰るわけにはいかない。
意を決し、手探りで通路を進み始める。
何度かぐにゃりとした物を踏んづけたが下を見ないように頑張って、なんとか通路の突き当たりまでたどり着いた。

「こんにちは、ドルバンさん」
陽気な調子で声をかけてみる。

あそこに座っているのはドルバンか?
……人形か?

かなり大きな声を出したのにその塊はまんじりともしない。

リックは本当にこんな気味の悪い場所に足を踏み入れたのだろうか。
カイは信じられない思いだった。
大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせてから、
一歩、身を乗り出す。

「僕はあなたに聞きたいことがあってやってきたんです」

返事がない。

「こんにちは!」

もしかしたらこの理科室の標本のように見える物体は座ったまま死んでいるのかも……

カイは恐ろしくなった。

「ドルバンさん、床屋の名刺を置いていったガードナーを覚えていますか?」

その途端、ドルバンの眉毛がぴくっとした。

「いらっしゃいませ。お客様」
老人はぴょこんと立ち上がり、揉み手をして挨拶あいさつした。

たった今スイッチを入れた機械みたいだ、とカイは思った。

「どなたかをご存じかと、そうお尋ねになられましたか?」

相手が反応したので、ほっと胸を撫で下ろす。
「リック・ガードナーです。ソバカスの」

ドルバンがのそのそとカウンターから出てきた。 

「ええっと、ガードナー様、ガードナー様…
ああ、そのお客様ならよく記憶してございます。
確か…理髪店…でしたかな、そちらのチラシをいただきましたもので」

ドルバンの目が探るような光を帯びている。

(この声には聞き覚えがある…
それもつい最近…)

記憶力は良いほうなのに思い出せないのが不思議だったが、いまはそれどころではない。

「して…お客様はそのガードナー様とどのような関係がおありなので?」

どこから話そうか悩んだ末、リック・ガードナーは僕の友人です、と手短に告げる。

「それで、そのガードナー様がなにか?」
ドルバンが意地悪く目を細めている。

注意深く老人を見つめたまま、ポケットをまさぐって…金色の箱をとん、とカウンターの上の、ドルバンから最もよく見える位置に置く。

裸電球の下でもわかるほどあからさまに、ドルバンの顔色が変わった。

「おまえ、どこでそれを手に入れた!」

荒い呼吸で怒鳴りつけたかと思うと、射るような眼差しでカイを睨みつけている。

(目の前の老人の、この豹変ぶりはなんだ?)
カイは面食らった。

三白眼の目が、低い位置から上目遣いにカイを見上げているせいで、完全な白目に見える。
背筋に震えが走ったが、こんなことで簡単に引き下がるわけにはいかない。
カイは負けじとドルバンを睨み返した。

睨み合いをしていたドルバンが、急にへつらうような笑みに変わった。
「これは私がガードナー様にお売りした品にございます。連絡先も伺っております」

「中身について教えていただきたいんです。この箱をリックが買った日、中になにか入っていました。
僕も音を聞きましたから間違いないと思います」

ドルバンは親指と人差し指で小箱をつまみ上げて大げさな身振りで観察し始めた。
「はて?失礼ながらお客様、中は空のように思えますが」

「ええ。少なくとも今は、なにも音がしません」 

「でしたらガードナー様が蓋を開けて中身を取り出したのでございましょう」

「そうでしょうか」

「お客様。ご自分がなにをおっしゃっているかお分かりですか?ガードナー様が箱を開けなかったとします。しかし中身はない…答えは簡単。別などなたかがお開けになられたんでしょう」

「うまく言えないけれど…この箱はどこかおかしいんだ」
カイが低い声で言う。

「おかしいのはお客様のほうではありませんか?
ときどきいらっしゃるんですよ、支離滅裂な難癖をつけるお客様が」
ドルバンが鼻で笑った。

カイは言葉に詰まった。
ドルバンの言うことは最もだ。
筋が通っている。
正論では真実を探れない…
カイは矛先を変えた。

「あなたのおっしゃるとおりかもしれない。
では話を変えましょう。
ドルバンさん、あなたはこの箱を五ドル七十五セントでリックに売りましたよね?なぜですか?」

「その箱に五ドル七十五セントの価値しかないからですがなにか?」
そんなことは明白だと言わんばかり。

「本当にそうお考えですか?」

「もちろんでございます」

カイはにんまりした。
こんなこともあろうかと切り札を用意してきたのだ。
きっちり折りたたまれたデビー直筆の鑑定書をばさっと広げて、敵の鼻先に押し付ける。

ドルバンは紙を引ったくって素早く目を走らせ…

「えーなになに、鑑定書…ですとな。………おお……おお、なんと!」
芝居がかった調子で叫び続けている。

「知らなかったと…そういうんですね?」
カイは挑戦的に言った。

「これがそんなに高価な代物とわかっていたら、それ相応の値をつけたものを…おお…」
何度も頷いて大きなため息を吐くドルバン。

やはり不自然だ。
カイは眉をしかめる。

(ドルバンはやっぱりなにか隠している。
小箱やリックに関するなにかを…) 

むくむくと怒りが込み上げる。
この様子ではドルバンは決して腹を割らないだろう。
いくらやっても時間の無駄だ。

「あんたは相当の狸じじいだ」
カイはそう吐き捨てると、小箱をひっつかみ、つかつかと出入り口へ。
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