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脱走
元旦の動物園
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一月一日。
新年の始まり。
カイとアニタの不可思議な生活も気づけば三日目に突入している。
年始だと言うのに、カイにのんびり休む暇はなかった。
アニタが想像以上に貪欲なせいだ。とにかく家にいる間、ずっとテレビを見ていて…
しかも、黙って見ていてくれるならいいのだが、人間界のしきたりが面白いらしく、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。
しかも質問の内容が果てしなく素っ頓狂なのだ。
「あの方はなぜ頭に毛が生えていないのですか?」とか、
「人間の目が濡れるのはどうしてですか?」
といった具合。
目に映るもの、耳にするもののすべてを着実に吸収していく。
忙しくなり鬱陶しい反面、
カイはこの変化をそれなりに楽しんでいた。
「今日の午後、買い物に出かけようと思うんだけど」
君もいくよね?と言いかけてハッとする。
正規の魔法使用圏内が半径5メートル以内なだけであって、彼女は常に自分の5メートル以内にいるのか?
ひょっとして、アニタの自由意志でいつでもカイから離れられるのかもしれない…
おそるおそる質問してみる。
「ご主人様の側から離れたりはしません、わたくしは」
アニタが明るい様子で答える。
だがここでホッとしてはならない。
アニタは今「わたくしは」と付け加えた。
とってつけたように。
こういうとき、次にどんな台詞が続くのか。
カイは経験から来る予知能力が外れることを祈りながら、大人しく次の言葉を待った。
「ですが…離れること自体は自由にできます」
予想通り。
「わたくしは」主人から離れない、という表現は…
逆を返せば、主人から離れる護り部もいるということだ。
過去の人生の中で度々同じような場面に出くわしてきた。
相手の言わんとする意図を瞬間的に察知する能力、己の回転の速さと洞察力を何度呪ったことだろう。
その才能のおかげで、ぬか喜びすることなく、手酷いショックを受けずに回避してこれたのもまた事実だが。
「うん。そうだろうなと思ったよ」
静かにつぶやくカイ。
「わたくしは大丈夫でございます」
それを聞いて…カイはにっこりした。
信頼できる。
真実を隠さず告げた上で、それでも離れないとアニタは言った。
思いきって質問して良かったのかもしれない。
「どこが見たい?人間の…」
世界の、と続けようとしてハッと口をつぐむ。
この世界は人間だけのものではない。
動植物や昆虫、魚介類、様々な生態系があるのだ。
アニタが人間という生物だけに興味があると思いこむのは人間のおごりだ。知能が高いという理由だけで、
地球上で最高位に位置している生物は人だという、無意識の心理と傲慢。
アニタの故郷であるイマジェニスタにだって多種多様な生物がいておかしくないし、逆の立場なら自分だって「一種族」に限定せずに、その大まかな全体像を知りたいと思うはずだ。
「動物園に行こうか」
しばしの沈黙。
人が動物を管理する動物園そのものが人間のエゴだということも、それを選択した自分がいかに無神経かも分かっていたが、リアラル(パングもそうだったが、彼女はこの世界をそう呼ぶ)のメジャーな生き物をアニタに見せてあげるにはこれが一番てっとり早い。
「動物というと…うすぃがいる場所ですか?」
「うすぃ?」
なんだその聞き慣れない、へんてこな響きは。
「はい。うすぃです。人間はうすぃから色々な種類の食物を得ていると聞いたことがあります。発酵させた酸っぱい物や、熟成した塊などを」
「…………」
「……………」
「牛?」
「あっはい、それです。
うすぃではなく、ウシという名前が正式なのですね」
こうして二人の動物園行きが和やかに確定した。
新品のコートを着たカイが公園脇の側道で煙草をくゆらせる。
実際には新品ではないいつもの灰色のコートだが、アニタが補正の呪文をかけて新品同様に生まれ変わらせてくれた。
有料のサファリパークは年明けのために、どこも定休日。
致し方なく国営の市民公園の管轄下にある動物公園に来たのだ。
ここは年中無休な上に無料で開放しており、カイの家から近い。
私営に比べると品種が少なく、家庭で飼育可能なペットや家畜しか居ないが、とりあえずアニタが目当てにしている牛や馬は見せてあげられる。
目に映るもの全てが初めて遭遇する対象である彼女には、天然記念物のパンダやオカピもウサギやハムスターと大差ないだろう。
辺りは閑散としていて人の姿もまばら。
シャッターの閉まった出店の間を北風が吹き抜けていく。
元旦は、普通なら家族水入らずでゆったりとリビングで過ごすものだ。
カイには無縁の習慣だが。
ゆっくり時間をかけて肺に紫煙を送り込んだあと、さあ行こうか、と独り言をつぶやいて視線の先に鎮座している錆びた鉄製の回転扉に向かって歩いていく。
上から見ると円を九十度に四等分した回転扉がギイと重い音を立てて右回りにゆっくりと回る。
百八十度度回転したところで前方に視界が開けた。
動物園に入場したのだ。
カイはその場を動かず、後ろを向いて停止した回転扉を見つめている。
「おいでアニタ。僕がしたようにやってごらん」
五秒後、ゆっくりした速度で再び回転扉が動き出し、半周して止まった。
「うまくいきました」
弾んだ声が響く。
カイの体が…ふんわりと、温かい風に抱き込まれた。
何か熱を帯びたものに包まれたような。
が、すぐに冬の冷たい外気が頬に触れる。
「回転扉を通ってくるってことは…君は実体を持っているんだね。精霊というくらいだから、霊魂とか意識の塊みたいな実体のない存在を想像してたよ」
「難しい質問ですね。わたくしたちはみんなで一つであり、一つでみんななのです。同じ概念を宿していますが、お役目を頂いた精霊は実体とは違いますが霊体を得ます。
そうでないと物質的な攻撃からご主人様を護りづらいですから」
人っ子一人見当たらない中、
一度だけ、くすんだブルーの作業着を着た飼育員とすれ違った。
おそらく、動物園に勤務している関係者を除けば、敷地内を散策しているのはカイ一人かもしれない。
まさに好都合だ。人目を気にして小声になる必要なく、アニタとの会話を続けられる。
言葉を覚え自我に目覚め始めた三才児のように、質問を浴びせかけてくるアニタ。
カイは根気強く、分かり易い表現で答えていく。
「イマジェニスタに、コレと良く似た種族がいます。
彼らはとても知的で気位が高く、背中には羽が生えています」
木の柵に覆われた広めの敷地があり、その一角の前まで来たときアニタが言った。
「これは馬だよ。君のいっているイマジェニスタの馬に似た生き物は…ひょっとしてペガサスかい?」
「ペガサスをご存じなのですか?ご主人様」
アニタはひどく驚いた様子だ。
「見たことは一度もない。それどころか、実際に存在するなんて五秒前まで知らなかったよ。
ペガサスはね、空想上の生き物とされてる。
神話やお伽話の中でたびたび登場するよ」
「千二百年ほど前になりますが、ペガサスがリアラルに舞い降りたことがあります。
天馬王の六番目の末息子は手の着けられないやんちゃ坊主で、規律を破ってお忍びで観光に出かけてしまったんです。そのとき人類に姿を見られたのかもしれません」
観光旅行とは。
ニュアンスがなんとも人間臭い。
暇だし、ちょっと表の世界を見てくるぜ!といったノリなのだろうか。
だいたい、人間はイマジェニスタの存在すら知らないのに、イマジェニスタに住む不思議な生き物たちはリアラルを良く知っている。それ自体がフェアじゃないような。
…………
本当にそうだろうか。
人間の中に、一人くらいイマジェニスタにたどり着いた者がいた可能性は?
次元の壁に開いた穴から、人類が裏の世界に紛れ込んだっておかしくない。
過去に神隠しのごとく行方しれずになった人の中に、もしかしたら。
「逆はなかったの?今まで」
「逆といいますと?」
「人間がイマジェニスタにやってきたこと」
木製のベンチに腰掛け、前屈みの姿勢でつぶやくカイ。
「人間とストレーガが恋に落ちた話を聞いたことがあります」
「ストレーガ?」
「非常に人と良く似た姿形を持つ者たちです。彼らは知性が高く独自の文明を築きました。
そこはリアラルの人間と同じですね」
人にそっくりな容姿でありながら、ここではない不思議な世界で生まれ落ち、そこに暮らす生き物。
「パング」
無意識に言葉が漏れる。
そうだ、パングはきっとストレーガなのだ。
極度に大柄であることを除けば、どこからどう見ても普通の人間にしか見えないパング。
本人も言っていたはずだ、人間ではない…と。
考え込むカイを置き去りに、凛とした声が先を続ける。
「イマジェニスタには非常に知能の低い獣属性の種族も多く、他を圧倒する高い知性の存在なくして共存は難しいのです。
人間がリアラルを征し、家畜を飼い慣らすように…
ストレーガもまたイマジェニスタにおいて最高位に座しています」
「似ているのは容姿だけなの?
それと…知性と」
遠慮がちに最後の一言を付け加える。
「人間とは成り立ちがまるで違います。似て非なるものです。
ご主人様、これだけは決して忘れないでください。イマジェニスタの世界同様、ストレーガもまた、特別な者たちの手によって紡ぎ出された命の一つにすぎないことを。
人間が地球を傷つければ、イマジェニスタもまた、壊れていくのです」
カイが質問をしようと口を開きかけたときだった。
バシャーーー!!!
どこか後方から、弾け散るような、ざわついた音が。
水だ。
勢いよく蛇口をひねったとき、シンクを叩くあの音。
「ご主人様、あれは…」
「行ってみようアニタ」
二人は音のする方へ走り出した。アニタに足があるとするなら、の話だが。
飼育舎の向こうだ。
音はすぐ近くから聞こえている。
建物の脇を抜け、反対側に…
近づくにつれ水音が増し、その響きはやがて小さな滝の音ほどに。
「これは…」
呆然とするカイ。
建物の裏側には小さな池。
池と呼ぶにはおこがましい、噴水程度の大きさしかないその池の真ん中に、水柱が立っている。
水柱の高さは約5メートル。
そう大きくはないが、異常事態で在ることは間違いない。
中央から沸き上がるように溢れ出した水は、綺麗な円形を保ったまま、外側に広がって滴り落ちていた。鯨の潮吹きのように。
「気をつけてください、ご主人様。
なにか居ます」
いつになく張り詰めたアニタの声。
急いで周囲を見回すと、飼育舎の壁に、柄の長い清掃員用の熊手が立てかけてあるのが目に留まった。
干し草や動物の糞を片付けるときに使うのだろう、鼻を突くような嫌な匂いがしたが、迷っている暇はない。
熊手を手にして戻ってきたカイが、池の淵までゆっくりと歩を詰める。
少しずつ水柱が低く、小さくなっていく。
それと同時に、白く泡立つ水しぶきの中に見え隠れする、黒っぽい色。
どうやら凹凸があるように見える。
カイは思い切って、水柱の真ん中に勢いよく熊手を突き刺した。
「グウエエェ!!!」
低いくぐもった叫び声。
次の瞬間、消えかけた水柱の中から毛むくじゃらの腕が現れ、熊手の先端をグッと掴んだ。
なんて力だ。
カイが体重をかけて押しても引いても、熊手はびくともしない。
(まずい、手を離さないと引き込まれるぞ)
水柱が完全に消滅するのと、熊手を引っ張られたカイが池に落ちるのが同時だった。
浅い池の中で尻餅をつき、恐怖の表情を浮かべたカイの目の前に、見たことのない醜悪な生き物が立っていた。
とっさに武器を探すカイ。
さっきの熊手は、やつの後ろに落ちている。
しかしなんたること、ガムのように途中でぐにゃりと折れ曲がり、曲がった部分が変な角度で水面から飛び出している。
まさか、この鉄の棒を、目の前のこの醜い生き物が握りつぶしたのか?
カイは絶句した。
手を伸ばせば届く距離だ、捕まればひとたまりもない。
怒りに満ちた目を爛々と光らせてカイを見つめる化け物。
この怪力の化け物から身を守る術は万に一つも…
「ロシウユフ、クカタ、クカタ」
美しい詠唱とともにいびつに捻れた熊手が微かに震えた。
そして、動き出し…静かに浮上し始めた。
音を立てずにゆっくり、ゆっくりと。
熊手は完全に水面から脱し、浮き上がりなおも上昇していく。
1メートル…2メートル…
(気づくな、気づくな!)
うっかり顔を上げては危ない。
視線の先で悟られてしまう。
化け物から視線を離さず、息を詰めるカイ。
熊手は今どの高さまで浮上しただろう。
カイの視界からは完全に消失している。
その間、醜い化け物はぴくりとも動かず歯をむき出したまま固まっていた。
眠っているのか?
いやまさかそんなわけは…
次の瞬間。
熊手が、尖った側を下にして勢いよく落下してきた。
カイの頭に。
「いけない、危ない!!」
アニタの叫び声。
その瞬間!
まんじりとも身動きせずに固まっていた化け物が、突然、覆い被さるようにカイに襲いかかってきた。
(アニタの助けも間に合わなかったか…)
後ろ向きに倒れ込み、肩に強い衝撃が。
「どこを狙っている」
誰?この化け物が話しているのか?それにこの重みは…
恐る恐る目を開けると、自分の体の上にのしかかる形で、前のめりに突っ伏している化け物の姿があった。
カイと化け物は揃って、水の中ではなく、池のほとりに倒れ込んでいた。
「あなたに挨拶がわりのつもりが、少々手元が狂ってしまって」
アニタの嬉しそうな声。
「手荒い挨拶ですね。
それより、なんとかしてくれませんか?
私は一度こうなると…」
「これは失礼しました。
お手伝いしますね」
暖かいふわっとした空気が巻き起こり、化け物の体を起こす。
「私が助けなかったらこの方を殺すところでしたよ」
「ええ。危ないところでした」
しゃらっと爽やかに答えるアニタ。
なんだかよく分からないが、この化け物は僕を守ってくれたのか?
アニタと知り合い?
やけに親しげだ。
「ご主人様、あらためて紹介します。こちらはシトレウス生まれ、シトレウス育ちの若頭…」
「森人、ジルと申します」
擦りむいた額をさすりながら小鬼が答えた。
新年の始まり。
カイとアニタの不可思議な生活も気づけば三日目に突入している。
年始だと言うのに、カイにのんびり休む暇はなかった。
アニタが想像以上に貪欲なせいだ。とにかく家にいる間、ずっとテレビを見ていて…
しかも、黙って見ていてくれるならいいのだが、人間界のしきたりが面白いらしく、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。
しかも質問の内容が果てしなく素っ頓狂なのだ。
「あの方はなぜ頭に毛が生えていないのですか?」とか、
「人間の目が濡れるのはどうしてですか?」
といった具合。
目に映るもの、耳にするもののすべてを着実に吸収していく。
忙しくなり鬱陶しい反面、
カイはこの変化をそれなりに楽しんでいた。
「今日の午後、買い物に出かけようと思うんだけど」
君もいくよね?と言いかけてハッとする。
正規の魔法使用圏内が半径5メートル以内なだけであって、彼女は常に自分の5メートル以内にいるのか?
ひょっとして、アニタの自由意志でいつでもカイから離れられるのかもしれない…
おそるおそる質問してみる。
「ご主人様の側から離れたりはしません、わたくしは」
アニタが明るい様子で答える。
だがここでホッとしてはならない。
アニタは今「わたくしは」と付け加えた。
とってつけたように。
こういうとき、次にどんな台詞が続くのか。
カイは経験から来る予知能力が外れることを祈りながら、大人しく次の言葉を待った。
「ですが…離れること自体は自由にできます」
予想通り。
「わたくしは」主人から離れない、という表現は…
逆を返せば、主人から離れる護り部もいるということだ。
過去の人生の中で度々同じような場面に出くわしてきた。
相手の言わんとする意図を瞬間的に察知する能力、己の回転の速さと洞察力を何度呪ったことだろう。
その才能のおかげで、ぬか喜びすることなく、手酷いショックを受けずに回避してこれたのもまた事実だが。
「うん。そうだろうなと思ったよ」
静かにつぶやくカイ。
「わたくしは大丈夫でございます」
それを聞いて…カイはにっこりした。
信頼できる。
真実を隠さず告げた上で、それでも離れないとアニタは言った。
思いきって質問して良かったのかもしれない。
「どこが見たい?人間の…」
世界の、と続けようとしてハッと口をつぐむ。
この世界は人間だけのものではない。
動植物や昆虫、魚介類、様々な生態系があるのだ。
アニタが人間という生物だけに興味があると思いこむのは人間のおごりだ。知能が高いという理由だけで、
地球上で最高位に位置している生物は人だという、無意識の心理と傲慢。
アニタの故郷であるイマジェニスタにだって多種多様な生物がいておかしくないし、逆の立場なら自分だって「一種族」に限定せずに、その大まかな全体像を知りたいと思うはずだ。
「動物園に行こうか」
しばしの沈黙。
人が動物を管理する動物園そのものが人間のエゴだということも、それを選択した自分がいかに無神経かも分かっていたが、リアラル(パングもそうだったが、彼女はこの世界をそう呼ぶ)のメジャーな生き物をアニタに見せてあげるにはこれが一番てっとり早い。
「動物というと…うすぃがいる場所ですか?」
「うすぃ?」
なんだその聞き慣れない、へんてこな響きは。
「はい。うすぃです。人間はうすぃから色々な種類の食物を得ていると聞いたことがあります。発酵させた酸っぱい物や、熟成した塊などを」
「…………」
「……………」
「牛?」
「あっはい、それです。
うすぃではなく、ウシという名前が正式なのですね」
こうして二人の動物園行きが和やかに確定した。
新品のコートを着たカイが公園脇の側道で煙草をくゆらせる。
実際には新品ではないいつもの灰色のコートだが、アニタが補正の呪文をかけて新品同様に生まれ変わらせてくれた。
有料のサファリパークは年明けのために、どこも定休日。
致し方なく国営の市民公園の管轄下にある動物公園に来たのだ。
ここは年中無休な上に無料で開放しており、カイの家から近い。
私営に比べると品種が少なく、家庭で飼育可能なペットや家畜しか居ないが、とりあえずアニタが目当てにしている牛や馬は見せてあげられる。
目に映るもの全てが初めて遭遇する対象である彼女には、天然記念物のパンダやオカピもウサギやハムスターと大差ないだろう。
辺りは閑散としていて人の姿もまばら。
シャッターの閉まった出店の間を北風が吹き抜けていく。
元旦は、普通なら家族水入らずでゆったりとリビングで過ごすものだ。
カイには無縁の習慣だが。
ゆっくり時間をかけて肺に紫煙を送り込んだあと、さあ行こうか、と独り言をつぶやいて視線の先に鎮座している錆びた鉄製の回転扉に向かって歩いていく。
上から見ると円を九十度に四等分した回転扉がギイと重い音を立てて右回りにゆっくりと回る。
百八十度度回転したところで前方に視界が開けた。
動物園に入場したのだ。
カイはその場を動かず、後ろを向いて停止した回転扉を見つめている。
「おいでアニタ。僕がしたようにやってごらん」
五秒後、ゆっくりした速度で再び回転扉が動き出し、半周して止まった。
「うまくいきました」
弾んだ声が響く。
カイの体が…ふんわりと、温かい風に抱き込まれた。
何か熱を帯びたものに包まれたような。
が、すぐに冬の冷たい外気が頬に触れる。
「回転扉を通ってくるってことは…君は実体を持っているんだね。精霊というくらいだから、霊魂とか意識の塊みたいな実体のない存在を想像してたよ」
「難しい質問ですね。わたくしたちはみんなで一つであり、一つでみんななのです。同じ概念を宿していますが、お役目を頂いた精霊は実体とは違いますが霊体を得ます。
そうでないと物質的な攻撃からご主人様を護りづらいですから」
人っ子一人見当たらない中、
一度だけ、くすんだブルーの作業着を着た飼育員とすれ違った。
おそらく、動物園に勤務している関係者を除けば、敷地内を散策しているのはカイ一人かもしれない。
まさに好都合だ。人目を気にして小声になる必要なく、アニタとの会話を続けられる。
言葉を覚え自我に目覚め始めた三才児のように、質問を浴びせかけてくるアニタ。
カイは根気強く、分かり易い表現で答えていく。
「イマジェニスタに、コレと良く似た種族がいます。
彼らはとても知的で気位が高く、背中には羽が生えています」
木の柵に覆われた広めの敷地があり、その一角の前まで来たときアニタが言った。
「これは馬だよ。君のいっているイマジェニスタの馬に似た生き物は…ひょっとしてペガサスかい?」
「ペガサスをご存じなのですか?ご主人様」
アニタはひどく驚いた様子だ。
「見たことは一度もない。それどころか、実際に存在するなんて五秒前まで知らなかったよ。
ペガサスはね、空想上の生き物とされてる。
神話やお伽話の中でたびたび登場するよ」
「千二百年ほど前になりますが、ペガサスがリアラルに舞い降りたことがあります。
天馬王の六番目の末息子は手の着けられないやんちゃ坊主で、規律を破ってお忍びで観光に出かけてしまったんです。そのとき人類に姿を見られたのかもしれません」
観光旅行とは。
ニュアンスがなんとも人間臭い。
暇だし、ちょっと表の世界を見てくるぜ!といったノリなのだろうか。
だいたい、人間はイマジェニスタの存在すら知らないのに、イマジェニスタに住む不思議な生き物たちはリアラルを良く知っている。それ自体がフェアじゃないような。
…………
本当にそうだろうか。
人間の中に、一人くらいイマジェニスタにたどり着いた者がいた可能性は?
次元の壁に開いた穴から、人類が裏の世界に紛れ込んだっておかしくない。
過去に神隠しのごとく行方しれずになった人の中に、もしかしたら。
「逆はなかったの?今まで」
「逆といいますと?」
「人間がイマジェニスタにやってきたこと」
木製のベンチに腰掛け、前屈みの姿勢でつぶやくカイ。
「人間とストレーガが恋に落ちた話を聞いたことがあります」
「ストレーガ?」
「非常に人と良く似た姿形を持つ者たちです。彼らは知性が高く独自の文明を築きました。
そこはリアラルの人間と同じですね」
人にそっくりな容姿でありながら、ここではない不思議な世界で生まれ落ち、そこに暮らす生き物。
「パング」
無意識に言葉が漏れる。
そうだ、パングはきっとストレーガなのだ。
極度に大柄であることを除けば、どこからどう見ても普通の人間にしか見えないパング。
本人も言っていたはずだ、人間ではない…と。
考え込むカイを置き去りに、凛とした声が先を続ける。
「イマジェニスタには非常に知能の低い獣属性の種族も多く、他を圧倒する高い知性の存在なくして共存は難しいのです。
人間がリアラルを征し、家畜を飼い慣らすように…
ストレーガもまたイマジェニスタにおいて最高位に座しています」
「似ているのは容姿だけなの?
それと…知性と」
遠慮がちに最後の一言を付け加える。
「人間とは成り立ちがまるで違います。似て非なるものです。
ご主人様、これだけは決して忘れないでください。イマジェニスタの世界同様、ストレーガもまた、特別な者たちの手によって紡ぎ出された命の一つにすぎないことを。
人間が地球を傷つければ、イマジェニスタもまた、壊れていくのです」
カイが質問をしようと口を開きかけたときだった。
バシャーーー!!!
どこか後方から、弾け散るような、ざわついた音が。
水だ。
勢いよく蛇口をひねったとき、シンクを叩くあの音。
「ご主人様、あれは…」
「行ってみようアニタ」
二人は音のする方へ走り出した。アニタに足があるとするなら、の話だが。
飼育舎の向こうだ。
音はすぐ近くから聞こえている。
建物の脇を抜け、反対側に…
近づくにつれ水音が増し、その響きはやがて小さな滝の音ほどに。
「これは…」
呆然とするカイ。
建物の裏側には小さな池。
池と呼ぶにはおこがましい、噴水程度の大きさしかないその池の真ん中に、水柱が立っている。
水柱の高さは約5メートル。
そう大きくはないが、異常事態で在ることは間違いない。
中央から沸き上がるように溢れ出した水は、綺麗な円形を保ったまま、外側に広がって滴り落ちていた。鯨の潮吹きのように。
「気をつけてください、ご主人様。
なにか居ます」
いつになく張り詰めたアニタの声。
急いで周囲を見回すと、飼育舎の壁に、柄の長い清掃員用の熊手が立てかけてあるのが目に留まった。
干し草や動物の糞を片付けるときに使うのだろう、鼻を突くような嫌な匂いがしたが、迷っている暇はない。
熊手を手にして戻ってきたカイが、池の淵までゆっくりと歩を詰める。
少しずつ水柱が低く、小さくなっていく。
それと同時に、白く泡立つ水しぶきの中に見え隠れする、黒っぽい色。
どうやら凹凸があるように見える。
カイは思い切って、水柱の真ん中に勢いよく熊手を突き刺した。
「グウエエェ!!!」
低いくぐもった叫び声。
次の瞬間、消えかけた水柱の中から毛むくじゃらの腕が現れ、熊手の先端をグッと掴んだ。
なんて力だ。
カイが体重をかけて押しても引いても、熊手はびくともしない。
(まずい、手を離さないと引き込まれるぞ)
水柱が完全に消滅するのと、熊手を引っ張られたカイが池に落ちるのが同時だった。
浅い池の中で尻餅をつき、恐怖の表情を浮かべたカイの目の前に、見たことのない醜悪な生き物が立っていた。
とっさに武器を探すカイ。
さっきの熊手は、やつの後ろに落ちている。
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まさか、この鉄の棒を、目の前のこの醜い生き物が握りつぶしたのか?
カイは絶句した。
手を伸ばせば届く距離だ、捕まればひとたまりもない。
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そして、動き出し…静かに浮上し始めた。
音を立てずにゆっくり、ゆっくりと。
熊手は完全に水面から脱し、浮き上がりなおも上昇していく。
1メートル…2メートル…
(気づくな、気づくな!)
うっかり顔を上げては危ない。
視線の先で悟られてしまう。
化け物から視線を離さず、息を詰めるカイ。
熊手は今どの高さまで浮上しただろう。
カイの視界からは完全に消失している。
その間、醜い化け物はぴくりとも動かず歯をむき出したまま固まっていた。
眠っているのか?
いやまさかそんなわけは…
次の瞬間。
熊手が、尖った側を下にして勢いよく落下してきた。
カイの頭に。
「いけない、危ない!!」
アニタの叫び声。
その瞬間!
まんじりとも身動きせずに固まっていた化け物が、突然、覆い被さるようにカイに襲いかかってきた。
(アニタの助けも間に合わなかったか…)
後ろ向きに倒れ込み、肩に強い衝撃が。
「どこを狙っている」
誰?この化け物が話しているのか?それにこの重みは…
恐る恐る目を開けると、自分の体の上にのしかかる形で、前のめりに突っ伏している化け物の姿があった。
カイと化け物は揃って、水の中ではなく、池のほとりに倒れ込んでいた。
「あなたに挨拶がわりのつもりが、少々手元が狂ってしまって」
アニタの嬉しそうな声。
「手荒い挨拶ですね。
それより、なんとかしてくれませんか?
私は一度こうなると…」
「これは失礼しました。
お手伝いしますね」
暖かいふわっとした空気が巻き起こり、化け物の体を起こす。
「私が助けなかったらこの方を殺すところでしたよ」
「ええ。危ないところでした」
しゃらっと爽やかに答えるアニタ。
なんだかよく分からないが、この化け物は僕を守ってくれたのか?
アニタと知り合い?
やけに親しげだ。
「ご主人様、あらためて紹介します。こちらはシトレウス生まれ、シトレウス育ちの若頭…」
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よろしくお願いいたします。
私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。
石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!
こちらは他サイトにも掲載しています。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
児童書・童話
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
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王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
生まれたばかりですが、早速赤ちゃんセラピー?始めます!
mabu
児童書・童話
超ラッキーな環境での転生と思っていたのにママさんの体調が危ないんじゃぁないの?
ママさんが大好きそうなパパさんを闇落ちさせない様に赤ちゃんセラピーで頑張ります。
力を使って魔力を増やして大きくなったらチートになる!
ちょっと赤ちゃん系に挑戦してみたくてチャレンジしてみました。
読みにくいかもしれませんが宜しくお願いします。
誤字や意味がわからない時は皆様の感性で受け捉えてもらえると助かります。
流れでどうなるかは未定なので一応R15にしております。
現在投稿中の作品と共に地道にマイペースで進めていきますので宜しくお願いします🙇
此方でも感想やご指摘等への返答は致しませんので宜しくお願いします。
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