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ハイジャックと空駆ける天馬
次元の歪み
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カイ。
カイ…
カイにしか聞こえない声が名前を呼んでいる。
「どうした、アニタ」
窓の外をご覧になってください、ご主人様。
身を乗り出して外を見るカイ。
「なんだ、あれは!」
はるか遠くに見える異質。
真っ白い視界の先に浮かぶ、何かの影。
目の錯覚だろうか。
目を凝らして何度も見つめる。
たしかに、飛行機の左前方にそれは在った。
気体が上下に揺れる。
異常な揺れに気づいた乗客たちが窓の外を指さしながら、口々に喚き始めた。
なにか黒いモヤのような渦が回転しながら蠢いている。
渦は急速に成長しているのか、初めは小さかった黒い影は次第に大きくなっているようだ。
縦に、横に、膨らみながら空中を漂う謎の浮遊物。
渦はあっという間に膨れ上がり、モヤの中にときおり稲妻のような閃光が走るのが肉眼でもはっきりと見てとれる。
それほど両者の距離は縮まっていた。
恐怖を感じた乗客たちが騒ぎだし、パニックのあまり泣き出す者、荷物から紙とペンを取り出し遺書をしたためる者、大声で怒鳴り散らす者など、まるで蜂の巣を突いたような有様となった。
気体が大きく左に傾ぐ。
吸い寄せられているのだ。
機体は空路を大きく反れ、ぐんぐんと渦との距離が狭まっていく…
「ご主人様!あれは歪みです。
次元に穴が開きかけています」
渦のど真ん中に漆黒の小さな点が見える。
あれが…
「爺さん!あれを…」
叫んで、まだ狐火が戻ってきていないことに気づく。
「チャンスです、ご主人様。
私一人の力で壁をこじ開けるなんて正直、心もとありませんでしたが、開きかけた穴を大きくすることは可能なはずです。
名を呼べぬ御方の助けも借りましょう」
「カイの半径五メートル以内で、狐火とともに魔法を使うのですね?でしたら私も!」
ジルが興奮した声を出した。
パニックを起こし騒然となった機内でジルの声に気づく余裕のある乗客は一人もいなかった。
「ラバトリーだ、爺さんのところへ急ごう」
グラグラと揺れる通路をよろめきながらも、人を押し分け押し分け、カイたちはラバトリーに向かって走った。
男が刃物を持った手を振りかざそうとしたちょうどそのとき、機体が激しく震え、その場にいた全員がすっ飛んで壁に叩きつけられた。
一瞬、高度を落とし、また浮上したのか。
「なんだこれは、機長の仕業か?」
取り落としたナイフを大急ぎで拾い上げながら、CAの猿ぐつわを解いて吠えるように詰問する。
「違うと思います、もしかしたらエアポケットに入ったのかも知れません」
不測の事態に慣れているのか日頃の教育の賜物なのか、大きく機体が揺れる中、CAは怯んだ様子もなく状況確認をしている。
「なんと素晴らしい、肝の座ったおなごじゃ」
狐火は感心した様子で呟いた。
「せっかくじゃからワシの嫁っこにならんかね」
「おい、そこの老いぼれ、こっちへ来い。お前の方が扱いが楽そうだ」
「はいはい、わかったからその物騒なものをしまうんじゃ。
貴様ごときに急かされんでも、こっちから出向いてやるというもんじゃ」
怖がる様子も見せず笑いながら歩み寄ってくる気の狂った老人の腕をひっつかむと、CAの背中をどんと押して遠ざける。
どうやら実行犯は二人しかおらず、人質を一人拘束するのでやっとこさっとこなのだろう。
(すぐ助けに来ますから)
目で合図をし、彼女はよろめきながら通路を出て行った。
と、そこへ黒髪の男が転がり込んできた。
長身の若い男だ。
ハイジャック犯たちに緊張が走る。
「おお、そんなに急いでどうしたんじゃ」
老人がのんびりした口調で若者に話しかけた。
「穴が開きかけているんだ、この揺れ」
「なんじゃと!それでこんなにゆーらゆーらと揺れてるわけじゃな」
「ゆらゆらなんてもんじゃありませんわ。酔ってしまいそうです」
どこからともなく女の声がしたので、ナイフの男がきょろきょろと辺りを見回す。
「これに乗じて、やってしまいましょう」
ジルが浮かれた調子で言い放つ。
「お前ら誰と話してる、俺たちを無視して話を続けるな!」
男の目に不安の色が浮かんだ。
引きつった表情で、拘束した小柄な老人を見下ろす。
この老いぼれはいったいなんなのだ。
人を苛つかせるなにか、いや嫌悪よりもっと強い感情を掻き立てるじゃねぇか。
まさか、恐怖?
ひょっとしたら…こいつが一番、厄介なのか?
それなりに場数を踏み、修羅場を潜り抜けてきた悪党には、悪党にしか身につけられない類いの嗅覚の鋭さがある。
もはや特技のようなものだ。
勘の良さ、そして悪運の強さを味方につけている。
男は衝動的にナイフを握りしめる手に力を込めた。
ギラつく切っ先を、得体の知れない年寄りに向ける。
そして。
深々と突き立てた。
人質であるはずの狐火の、曲がった背中に。
「爺さん!」
カイが叫び声をあげた。
まるで、一時停止した動画のように誰も動かない。
悪夢だ。頼みの綱の狐火が、肝心なときに暴漢に襲われるなんて。
「ふふ、ふふふふっ」
それがアニタの発した声だと気づくのに数秒を要した。
「なんじゃ、おぬし」
ドスのきいた低い声とともに、静止していた世界が動き出す。
腰をかがめた姿勢のまま、ゆっくりゆっくりと狐火が振り返る。
錆びた蝶番のように、ギシギシと骨の軋む音が聞こえてきそうな…まるでホラー映画さながら。
「正装用の衣装じゃぞ?弁償代はいくらになるじゃろうな。
あとできっちりと三倍返しで、払うもんを払ってもらわんと」
「ヒッ、化け物…」
背中から刃物の持ち手がニョッキりと突き出しているのに、表情ひとつ変えずに一歩、足を踏み出す。
「カイがこの場にいてくれて幸いじゃったわい。危ないところじゃ。
……へ、へ、へ…へっ!」
何が起きているのか状況が読めない。
ナイフを突き立てた男の血走った目が、恐怖でどんどん大きく見開かれていく。
「へっくしょい!」
カラン…
足元にナイフが落ちる。
刃先は、ゼリービーンズのように無惨に潰れていた。
というより完全にゼリービーンズだ。
ふいに、さっきまで金属だったその塊が、床を離れ、男の顔の高さまでふわっと浮かんだ。
視線を離せず後退しかけた男の口が見えない力で強引にこじ開けられていく。
「うが、が、が」
次の瞬間、半開きになった口の中に赤い固まりが飛び込んだ。
口からナイフの柄を突き出して倒れ込む男。呼吸が出来ず目を白黒させて必死に異物を取り出そうと転げまわっている。
「お気に召しませんか?苺味ではなくバナナのほうがよろしかったでしょうか?」
気遣わしげに声をかけるアニタ。
「気が利かなくて申し訳ありません。ついでにお仲間の方にも。
どうぞ召し上がれ」
少し離れた場所で腰を抜かしていたもう一人の男がコテンと横に倒れた。
「爺さん、怪我は?…ジル、出てきてくれ」
ジルがカイから離れて転がり出てくるなり、バランスを失ってひっくり返った。
「そんなもの、狐火にしてみたら蚊に刺されたようなものですよ。
それより早く仕事に取りかかりましょう、せっかくのチャンスを無駄にする道理はありません」
仰向けのまま、傾いた機体の中をズサーと横滑りしながらジルが言った。
「そうじゃった、して歪みは…」
揺れる通路をしゃんとした足取りで横切って、ラバトリーの個室に移動する狐火。
そこに小さな窓があった。
「あそこじゃな?」
「呪文はなにを?私は簡単な魔法しかつかえません。
アニタさんは」
通路の端から大声で質問するジル。起き上がるのは諦めたようだ。
「馬鹿かコワッパ!アニタを甘く見すぎじゃ。貫通の魔法じゃ、あれなら初級レベルのコワッパでもやれるじゃろ」
「でも貫通の魔法を放つなら、先に機体に穴が開いて空気が入り込むんじゃ…」
「そうですね、ご主人様。けれども、どの道このままでは墜落します。お早い判断を」
「この飛行機と乗客たちはどうなるの、僕たちが首尾よくイマジェニスタに行けたとして、そのあとは」
最も気になっていたことを口にする。
「穴が開いたあと、大量の空気がなだれ込み、ベルヌーイの定理で穴は瞬間的に閉じられるとわたくしは考えます、ご主人様。そのとき機体は圧から逃れ、大きく落下するのではないでしょうか」
「つまり、落下によって吸引力の及ぶ範囲の外へ抜けられる可能性があると…君は考えているのか」
「はい、上手く行けば…の話ではございますが」
アニタの言う通りだ。
それに迷っている暇はない。
機体は黒い渦の中心部に向かって刻一刻と吸い寄せられている。
「良いか!機体に穴が開いて外気が入り込めばワシらは空に投げ出される。全員が散り散りバラバラ、一巻の終わりじゃ。
そうならないためには、機体とほぼ同時に、あの渦のど真ん中に穴を開けなけりゃならん。3人の魔力を集めて一本の丈夫で長い矢にするんじゃ。
チャンスは一回こっきり。
スピードと硬度が命じゃ、心してかかれ!」
ジルが、通路を這いつくばって移動してきた。
ジルと狐火、そして見えないしもべを連れたカイが、狭いラバトリーの個室にぎゅう詰めになった。
窓辺に並んで外を見る。
「右手を。ここに全力で力を溜めて矢を作るんじゃ!」
三人が広げた手のひらを下にして重ねあう。
黄色い光が、手の周りを包んでいく。
「まだじゃ、もっと溜まるまで。集中、集中。まだじゃ、ワシが号令をかけるまで溜め続けるんじゃ!」
機体がビリビリと振動し、大きく傾いている。
なにかのぶつかる音、渦の中心を走る稲光り、乗客たちの泣き声や叫び声、それらが一体となって耳を攻撃する。
「よし、そろそろじゃ!
準備は良いかの?いくぞ。
………十」
声を張り上げてカウントダウンを始める狐火。
「九……八……」
またしても機体が揺れて、傾斜がきつくなった。
バランスを崩したジルの手が矢から離れかける。
ガシッ!
カイが両手で、ジルの大きな頭を両脇から抱き抱えた。
頭を持たれて、ぶら下げられた状態のジル。
「七…」
「手が届かない…それにカイの腕でなにも見えない!」
ジルが叫んだ。
ジルの極端に短い腕のせいだ。
手が完全に矢から離れている。
「くそっ!」
少しでも魔法の威力を高めて発動するためには、ジルを矢のところまで届かせなければ。
そのとき、機体がさらに大きく傾いた!
機体の右側面が下になり、窓が真上に。
「六……」
片手で窓枠の手すりにぶら下がりながら、狐火が冷静にカウントを続けている。
カイはというと。
真横になった便座の上に乗っかって踏ん張り、抱えたジルともども、なんとか落下を防いでいた。
ジタバタしないでくれ、落ちる!
腕が痺れる…
この小鬼、見た目より遥かに重い。
頼む、暴れるな!
「五……四……」
もう限界だ。
「三……」
「ジル、投げるぞ!」
「二……」
「狐火たちのところまで、飛び上がれ!」
「一」
懇親の力を振り絞って、重量級の小鬼を投げ上げる。
「零」
轟音と爆風、そして目も眩むような閃光。
真っ白に染め上げた視界でなにも見えないまま、その場にいた全員が機体の外へ吹き飛ばされ、大空に吸い込まれて行った。
カイ…
カイにしか聞こえない声が名前を呼んでいる。
「どうした、アニタ」
窓の外をご覧になってください、ご主人様。
身を乗り出して外を見るカイ。
「なんだ、あれは!」
はるか遠くに見える異質。
真っ白い視界の先に浮かぶ、何かの影。
目の錯覚だろうか。
目を凝らして何度も見つめる。
たしかに、飛行機の左前方にそれは在った。
気体が上下に揺れる。
異常な揺れに気づいた乗客たちが窓の外を指さしながら、口々に喚き始めた。
なにか黒いモヤのような渦が回転しながら蠢いている。
渦は急速に成長しているのか、初めは小さかった黒い影は次第に大きくなっているようだ。
縦に、横に、膨らみながら空中を漂う謎の浮遊物。
渦はあっという間に膨れ上がり、モヤの中にときおり稲妻のような閃光が走るのが肉眼でもはっきりと見てとれる。
それほど両者の距離は縮まっていた。
恐怖を感じた乗客たちが騒ぎだし、パニックのあまり泣き出す者、荷物から紙とペンを取り出し遺書をしたためる者、大声で怒鳴り散らす者など、まるで蜂の巣を突いたような有様となった。
気体が大きく左に傾ぐ。
吸い寄せられているのだ。
機体は空路を大きく反れ、ぐんぐんと渦との距離が狭まっていく…
「ご主人様!あれは歪みです。
次元に穴が開きかけています」
渦のど真ん中に漆黒の小さな点が見える。
あれが…
「爺さん!あれを…」
叫んで、まだ狐火が戻ってきていないことに気づく。
「チャンスです、ご主人様。
私一人の力で壁をこじ開けるなんて正直、心もとありませんでしたが、開きかけた穴を大きくすることは可能なはずです。
名を呼べぬ御方の助けも借りましょう」
「カイの半径五メートル以内で、狐火とともに魔法を使うのですね?でしたら私も!」
ジルが興奮した声を出した。
パニックを起こし騒然となった機内でジルの声に気づく余裕のある乗客は一人もいなかった。
「ラバトリーだ、爺さんのところへ急ごう」
グラグラと揺れる通路をよろめきながらも、人を押し分け押し分け、カイたちはラバトリーに向かって走った。
男が刃物を持った手を振りかざそうとしたちょうどそのとき、機体が激しく震え、その場にいた全員がすっ飛んで壁に叩きつけられた。
一瞬、高度を落とし、また浮上したのか。
「なんだこれは、機長の仕業か?」
取り落としたナイフを大急ぎで拾い上げながら、CAの猿ぐつわを解いて吠えるように詰問する。
「違うと思います、もしかしたらエアポケットに入ったのかも知れません」
不測の事態に慣れているのか日頃の教育の賜物なのか、大きく機体が揺れる中、CAは怯んだ様子もなく状況確認をしている。
「なんと素晴らしい、肝の座ったおなごじゃ」
狐火は感心した様子で呟いた。
「せっかくじゃからワシの嫁っこにならんかね」
「おい、そこの老いぼれ、こっちへ来い。お前の方が扱いが楽そうだ」
「はいはい、わかったからその物騒なものをしまうんじゃ。
貴様ごときに急かされんでも、こっちから出向いてやるというもんじゃ」
怖がる様子も見せず笑いながら歩み寄ってくる気の狂った老人の腕をひっつかむと、CAの背中をどんと押して遠ざける。
どうやら実行犯は二人しかおらず、人質を一人拘束するのでやっとこさっとこなのだろう。
(すぐ助けに来ますから)
目で合図をし、彼女はよろめきながら通路を出て行った。
と、そこへ黒髪の男が転がり込んできた。
長身の若い男だ。
ハイジャック犯たちに緊張が走る。
「おお、そんなに急いでどうしたんじゃ」
老人がのんびりした口調で若者に話しかけた。
「穴が開きかけているんだ、この揺れ」
「なんじゃと!それでこんなにゆーらゆーらと揺れてるわけじゃな」
「ゆらゆらなんてもんじゃありませんわ。酔ってしまいそうです」
どこからともなく女の声がしたので、ナイフの男がきょろきょろと辺りを見回す。
「これに乗じて、やってしまいましょう」
ジルが浮かれた調子で言い放つ。
「お前ら誰と話してる、俺たちを無視して話を続けるな!」
男の目に不安の色が浮かんだ。
引きつった表情で、拘束した小柄な老人を見下ろす。
この老いぼれはいったいなんなのだ。
人を苛つかせるなにか、いや嫌悪よりもっと強い感情を掻き立てるじゃねぇか。
まさか、恐怖?
ひょっとしたら…こいつが一番、厄介なのか?
それなりに場数を踏み、修羅場を潜り抜けてきた悪党には、悪党にしか身につけられない類いの嗅覚の鋭さがある。
もはや特技のようなものだ。
勘の良さ、そして悪運の強さを味方につけている。
男は衝動的にナイフを握りしめる手に力を込めた。
ギラつく切っ先を、得体の知れない年寄りに向ける。
そして。
深々と突き立てた。
人質であるはずの狐火の、曲がった背中に。
「爺さん!」
カイが叫び声をあげた。
まるで、一時停止した動画のように誰も動かない。
悪夢だ。頼みの綱の狐火が、肝心なときに暴漢に襲われるなんて。
「ふふ、ふふふふっ」
それがアニタの発した声だと気づくのに数秒を要した。
「なんじゃ、おぬし」
ドスのきいた低い声とともに、静止していた世界が動き出す。
腰をかがめた姿勢のまま、ゆっくりゆっくりと狐火が振り返る。
錆びた蝶番のように、ギシギシと骨の軋む音が聞こえてきそうな…まるでホラー映画さながら。
「正装用の衣装じゃぞ?弁償代はいくらになるじゃろうな。
あとできっちりと三倍返しで、払うもんを払ってもらわんと」
「ヒッ、化け物…」
背中から刃物の持ち手がニョッキりと突き出しているのに、表情ひとつ変えずに一歩、足を踏み出す。
「カイがこの場にいてくれて幸いじゃったわい。危ないところじゃ。
……へ、へ、へ…へっ!」
何が起きているのか状況が読めない。
ナイフを突き立てた男の血走った目が、恐怖でどんどん大きく見開かれていく。
「へっくしょい!」
カラン…
足元にナイフが落ちる。
刃先は、ゼリービーンズのように無惨に潰れていた。
というより完全にゼリービーンズだ。
ふいに、さっきまで金属だったその塊が、床を離れ、男の顔の高さまでふわっと浮かんだ。
視線を離せず後退しかけた男の口が見えない力で強引にこじ開けられていく。
「うが、が、が」
次の瞬間、半開きになった口の中に赤い固まりが飛び込んだ。
口からナイフの柄を突き出して倒れ込む男。呼吸が出来ず目を白黒させて必死に異物を取り出そうと転げまわっている。
「お気に召しませんか?苺味ではなくバナナのほうがよろしかったでしょうか?」
気遣わしげに声をかけるアニタ。
「気が利かなくて申し訳ありません。ついでにお仲間の方にも。
どうぞ召し上がれ」
少し離れた場所で腰を抜かしていたもう一人の男がコテンと横に倒れた。
「爺さん、怪我は?…ジル、出てきてくれ」
ジルがカイから離れて転がり出てくるなり、バランスを失ってひっくり返った。
「そんなもの、狐火にしてみたら蚊に刺されたようなものですよ。
それより早く仕事に取りかかりましょう、せっかくのチャンスを無駄にする道理はありません」
仰向けのまま、傾いた機体の中をズサーと横滑りしながらジルが言った。
「そうじゃった、して歪みは…」
揺れる通路をしゃんとした足取りで横切って、ラバトリーの個室に移動する狐火。
そこに小さな窓があった。
「あそこじゃな?」
「呪文はなにを?私は簡単な魔法しかつかえません。
アニタさんは」
通路の端から大声で質問するジル。起き上がるのは諦めたようだ。
「馬鹿かコワッパ!アニタを甘く見すぎじゃ。貫通の魔法じゃ、あれなら初級レベルのコワッパでもやれるじゃろ」
「でも貫通の魔法を放つなら、先に機体に穴が開いて空気が入り込むんじゃ…」
「そうですね、ご主人様。けれども、どの道このままでは墜落します。お早い判断を」
「この飛行機と乗客たちはどうなるの、僕たちが首尾よくイマジェニスタに行けたとして、そのあとは」
最も気になっていたことを口にする。
「穴が開いたあと、大量の空気がなだれ込み、ベルヌーイの定理で穴は瞬間的に閉じられるとわたくしは考えます、ご主人様。そのとき機体は圧から逃れ、大きく落下するのではないでしょうか」
「つまり、落下によって吸引力の及ぶ範囲の外へ抜けられる可能性があると…君は考えているのか」
「はい、上手く行けば…の話ではございますが」
アニタの言う通りだ。
それに迷っている暇はない。
機体は黒い渦の中心部に向かって刻一刻と吸い寄せられている。
「良いか!機体に穴が開いて外気が入り込めばワシらは空に投げ出される。全員が散り散りバラバラ、一巻の終わりじゃ。
そうならないためには、機体とほぼ同時に、あの渦のど真ん中に穴を開けなけりゃならん。3人の魔力を集めて一本の丈夫で長い矢にするんじゃ。
チャンスは一回こっきり。
スピードと硬度が命じゃ、心してかかれ!」
ジルが、通路を這いつくばって移動してきた。
ジルと狐火、そして見えないしもべを連れたカイが、狭いラバトリーの個室にぎゅう詰めになった。
窓辺に並んで外を見る。
「右手を。ここに全力で力を溜めて矢を作るんじゃ!」
三人が広げた手のひらを下にして重ねあう。
黄色い光が、手の周りを包んでいく。
「まだじゃ、もっと溜まるまで。集中、集中。まだじゃ、ワシが号令をかけるまで溜め続けるんじゃ!」
機体がビリビリと振動し、大きく傾いている。
なにかのぶつかる音、渦の中心を走る稲光り、乗客たちの泣き声や叫び声、それらが一体となって耳を攻撃する。
「よし、そろそろじゃ!
準備は良いかの?いくぞ。
………十」
声を張り上げてカウントダウンを始める狐火。
「九……八……」
またしても機体が揺れて、傾斜がきつくなった。
バランスを崩したジルの手が矢から離れかける。
ガシッ!
カイが両手で、ジルの大きな頭を両脇から抱き抱えた。
頭を持たれて、ぶら下げられた状態のジル。
「七…」
「手が届かない…それにカイの腕でなにも見えない!」
ジルが叫んだ。
ジルの極端に短い腕のせいだ。
手が完全に矢から離れている。
「くそっ!」
少しでも魔法の威力を高めて発動するためには、ジルを矢のところまで届かせなければ。
そのとき、機体がさらに大きく傾いた!
機体の右側面が下になり、窓が真上に。
「六……」
片手で窓枠の手すりにぶら下がりながら、狐火が冷静にカウントを続けている。
カイはというと。
真横になった便座の上に乗っかって踏ん張り、抱えたジルともども、なんとか落下を防いでいた。
ジタバタしないでくれ、落ちる!
腕が痺れる…
この小鬼、見た目より遥かに重い。
頼む、暴れるな!
「五……四……」
もう限界だ。
「三……」
「ジル、投げるぞ!」
「二……」
「狐火たちのところまで、飛び上がれ!」
「一」
懇親の力を振り絞って、重量級の小鬼を投げ上げる。
「零」
轟音と爆風、そして目も眩むような閃光。
真っ白に染め上げた視界でなにも見えないまま、その場にいた全員が機体の外へ吹き飛ばされ、大空に吸い込まれて行った。
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