表と裏と狭間の世界

雫流 漣。

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弱虫ディッパー翁

棒人間

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意識が戻ったとき、最初に反応するのは身体的感覚、
中でも迅速なのが痛覚だ。
次いで、精神は遅れてやって来る。
身体中が痛い。
関節という関節が粗悪な油を注した自転車のようにキィキィと軋んでいる。

黄金色こがねいろに輝く湖のほとり。
水辺には背の高い雑草が生い茂っている。
緑のほかに赤や黄色、紫など一本一本違う色彩の葉。
湖は惜しげもなく淡い光を発して、おしゃべりをやめない小鳥のさえずりのように微細に震え、きらめき。
明るい陽の光を受けて、変化していく水面の濃淡が美しい。

浅い泥濘ぬかるみに上半身を投げ出して男が倒れていた。
形良くせり出した額に張りつく黒髪と長い手足。
痩躯そうくを包むコートはところどころ裂けて素肌が見えている。
生きているのか死んでいるのか。

と、ピクリとまつ毛が震える。
身体のどこも動かせないがまぶただけは自由になるようだ。
若い男はゆっくり瞳を開けた。

ぼやけた視界に真っ先に飛び込んできたのは動く影。
一つではない。
無数の生き物に取り囲まれている気配。
彼らはひしめき合って我先にと青年の顔を覗き込んでいるようだ。
次第にピントが整い、ぼやけた焦点が定まっていく。
次第に…輪郭がくっきりと…

!?

吐息がかかる至近距離にいた影の一人と目が合った。
青年はたった今スイッチが入ったロボットさながら、弾けるように上半身を起こした。

「誰!?」

口をついて出た質問はまったくの徒労に終わった。
目の前にいる生き物はおそらく言語を持たないだろう。
青年が突然、動いたので驚いたらしい。
一斉に飛び退いて、囲む輪が一回り大きくなった。
細長い直線的なフォルム。
ところどころ枯れ枝のように節が分かれ、鋭角に折れ曲がっている。
全長は五十センチにも満たない。
みな一様に真っ黒で、カクカクとぎこちない動きをしていた。

これと良く似た物を以前、見たことがある。
ごく幼い頃はクレヨンで落書き帳に、もう少し大きくなってからは退屈な授業の教科書に、幾度となく描いたあいつだ。

棒人間。

いや、棒動物だろうか。
若者は、遠い昔にノートの隅に描いたパラパラ漫画を思い出していた。
トランプをシャッフルする要領で素早くページを繰ると、描かれた棒人間が生きているかのようにジャンプしたり走り出したりする、あの遊び。
唯一、記憶と違っていたのは、ぎょろりとした目玉が二つ、くっついていること。
これまで生きてきた世界には実在しなかった生き物であるのは間違いない。

「ということは、ここはイマジェニスタなのか?」

刺激を与えないよう注意しつつ、観察していて分かったことがある。
棒人間たちは声を持たない。
音声を発する器官がついていないのだ。
身体を動かす際に、ページをめくるようなカサカサした音を立てる以外、無言のまま、一歩進んだり戻ったりを繰り返している。
どうやら、こちらに危害を加えるつもりはないようだ。
快・不快、好奇心・無関心、などの簡単な感情しか持たないのかもしれない。
自分たちのテリトリーに突如として降って湧いたカイに興味を示しているだけに思える。

しばらくその様子を不思議な気持ちで眺めていたカイだったが、いつまでもこうしてはいられない。
仲間たちの安否を確かめなくては。

ここでようやくカイは、夢から覚めたように正気を取り戻した。

「アニタ!」

返事はない。
彼女はどこへ行ってしまったのか。
はぐれてしまったのだろうか。
目に見える姿を持たないしもべを探すなんて不可能だ。

「爺さん!ジル!」

何度、叫んでも返事はない。
右も左も分からぬ未知の世界で独りぼっちになってしまうなんて。
途方に暮れて表情を曇らせるカイ。

と、そのとき。
なにか聞こえる…
耳を済ませると、その音はどんどん近づいているようだった。
耳に神経を集中させる。
聞き覚えのある音、これは元いた世界で馴染みのある音だ。
地面を蹴る、軽快なステップ。
特徴的な。
音のする方向へ顔を向けると、遠くから何かが駆けてくるのが見えた。

あれは…動物?
しんしんと降る雪のような…汚れひとつない、シルクの毛並み。
清潔で美しい…あれは…
馬!白馬だ。
優雅な身のこなしで湖に沿って走ってくる。
徐々に速度を落とし、やがてカイのすぐ側まできて止まった。
見慣れた姿。
さして珍しくもないサラブレッドだ。
背中に大きな羽根がついている点を除けば。

馬は黒目がちの目でじっとこちらを見ている。

ザザザザザザ…
ザザザザザザザザ!

乾いた音を立てて、棒人間たちが集まって、ひと塊になっていく。
直線的だった棒たちは寄り合わさって黒い大きな球体に変化していた。
球は、震えながら転がり、ジリジリと後退する。

こいつら、怖がっているんだ…

球は、カイの背後に隠れるようにゆるゆると移動した。


馬は静かにこちらを見つめている。
球を背に守る形で、両者の間に挟まれた格好だ。

(最後に)

頭の中に声が響く。
驚いて目を見開くカイ。
声は続いている。

(最後に…どんな結末になったか)

白馬から目が離せない。
何者かの意思が、僕の頭の中に直接メッセージを送っている?
誰?棒でないのは確かだ、
一体どこから。
まさか…この白馬?

結末?なんのことだろう。
僕が書いた小説のラストシーンだろうか。

(おまえが作り出したものの…結末を)

瞬きもせず、こちらを見つめ続ける馬。

僕が、作り出したなにか。
僕が。いったいなにを。

心無しか背中に熱を感じる。
恐怖のあまり球が熱を発しているのかもしれない。
温度の上昇とともに、カイの足元の影が巨大化していく。

(思い出せ…)

背後の球は、5メートルもある巨体に膨れ上がっていた。

(思い出せ)

地面が揺れた。
不意に、稲妻のように…
カイの脳裏をある情景がかすめた。
パラパラ漫画だ。
走って逃げる棒人間。
それを追いかける鉄球。
転がるほどに鉄球はどんどん大きくなり。
鉄球は、棒人間を
お、し、つ、ぶ、す…!!

(それでいい)

カイが振り返るのと、声が同時だった。
焼けた真っ赤な鉄球が、ゆっくりと動き出している。

「危ない!」

とっさの判断で、大きく脇にジャンプするカイ。
鉄球は、飛び退いた勢いで地面に倒れたカイの身体すれすれのところを通り過ぎ、加速して…
草木を燃やし、石を砕き、転がりに転がる。
そして。
湖に飛び込んだ球は、ジュウジュウと音をあげ、沈んでいった。
もうもうと湯気が立ち登る。

立ち込めていた湯気が消滅していくのを呆然と見つめるカイ。
あと少し気づくのが遅かったら、あのパラパラ漫画のようにぺしゃんこに潰されるところだった。
球の通ったあとは焼け焦げて真っ黒な一本の道が出来ている。
冷たいものが背筋を走り、身震いするカイ。

どのくらい経ったろうか。
辺りは静寂に包まれ、陽は傾いている。
ようやくカイは落ち着きを取り戻し、痛む体で立ち上がった。
その頃には、羽根の生えた白馬の姿は跡形もなく消えていた。
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