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272.応接間に残った二人
しおりを挟む――「あなた。奴隷解放のブレイン役として参加して」――
そんな無責任なのか無茶ぶりなのか何なのか、いきなりすぎて若干理解に苦しむ要請を出すと、ニア・リストンは侍女を伴い部屋を出て行った。
無言の時が流れる。
身じろぎ一つせず、ウーハイトンの使者二人は蝋人形のように動かない。
「失礼します――お部屋に案内します」
その間にやってきたマーベリアの侍女がドアを開けるが、
「――せっかく淹れてもらったお茶をいただきたいので、少し待ってもらえますか?」
その侍女に時間をくれるよう言い、一度追い返した。
――そして、重い溜息が出た。
「はあぁ…………あれはないですねぇ、老師」
脱力して、全身を預けるように椅子の背もたれに寄り掛かるリントン・オーロンの言葉に、隣の老人ウェイバァ・シェンも大きく息を吐く。
「いやはやまったく……ありゃ余裕でわしより強いぞい。侍女も強いが、それよりも……」
その先の言葉は、言わなくてもわかっている。
――それよりもニア・リストンだ。
かの少女は、冗談めかして「ウェイバァより千倍は強い」と豪語した。だが決して冗談なんかではない――少なくともこの二人は冗談だとは受け取っていない。
まさに真実だろう。
彼女は、ウーハイトン台国で王族の護衛さえ勤める国内トップクラスの強さを誇るウェイバァより、千倍は強い。
迎冬祭の御前試合でも観たし、何度も魔法映像で繰り返し試合の映像も観た。
――実際会ってみれば見た目通りだった、というところである。
いや、正直、もっと恐ろしい存在だった。
「老師」
「なんじゃ」
「怖かった……!」
外交官としての経験とプライドから表面上の平静さは保っていたが、リントンの背中は冷や汗でびっしょりだ。
なまじ「気」を習得しているだけに、彼我の力量差だけで圧し潰されそうになった。
「わしもじゃぁ……というかわしの方がよっぽど怖かったわい。あれに仕掛けるなぞ、大虎の尾を踏むより危険じゃろうて……」
同じく、ニア・リストンに仕掛けて反応を見る役を負っていたウェイバァは、すでに軽く修行をこなした後のように、汗がどばっと出ている。もちろん冷や汗だ。できれば掻きたくない嫌な汗だ。頭も汗でぴかりと光る。
侍女が止めてくれて助かった、とさえ思っている。
もしあのまま蹴りが入っていたら――反撃が来たのか、回避したのか、それとも当てた反動で足の骨を折られていたか。
何にせよ、事態が好転することは絶対なかっただろう。
しばらく動きたくない。
ニア・リストンらが出て行ってから動かなかったのも、まだ近くにいたからだ。
一度気を抜けば、しばらくは疲労で戻れないことがわかっていたから。
万が一にも戻ってきたら対応できない。
それほどまでに、あの短い対話だけで二人は疲労困憊だった。
「……してリンよ、これからどうするよ?」
「今はとにかく甘いものが食べたい」
「わしは火が吹けるほど強い酒がいいわい。一刻も早く酔って忘れたい……などと言ってられんじゃろ」
確かに言ってられない。
ニア・リストンは、想像以上に……いや想定を大きく上回って強いが、そんな彼女が手を貸せと言っていた。
空賊列島を潰したい、と。
だから協力しろ、と。
――ニア・リストンの強さを考えれば、一人でだって余裕で制圧できるだろう。だが彼女の目的は空賊ではなく、その島で取引されている奴隷の解放だという。
つまり、強いだけでは解決できない問題だから手伝え、と。
そういうことだ。
――これはチャンスでもある。
「ニア・リストンに恩を売る好機。あの方をウーハイトンに招く好機。外交使としては逃す手はありません」
マーベリアの王族たちの、ニア・リストンに対する信頼は言葉の端々から伝わっている。それも良い雰囲気と印象でだ。
ならばきっと、ニア・リストンはそれなりに人格者だ。
その強さをいたずらに振るい国を揺るがすような、最悪の害悪とも言うべき存在にはなり得ないはず。
そもそも協力を要請した内容も、奴隷の解放だ。
特に、女子供の奴隷をどうにかしたいと言っていた。
そんな彼女ならば――ウーハイトンに招聘しても、そこまで悪影響はないだろう。あの強さがあるなら余計に。
それと。
「少し考えてみます。空賊列島の地はウーハイトンとしても欲しいですし……ところで老師、やはりあの方は……?」
「あの年齢であの強さはないじゃろう――きっと英霊憑きじゃろうなぁ」
「やっぱり!」
英霊。
簡単に言えば、過去に存在した英雄の転生した存在である。
「ならば徒手空拳であの強さということは、もしや武神リュト・ビリアン……!?」
気が遠くなるほどの大昔、ウーハイトンに生きた「武術の祖」と言われるリュト・ビリアン。
やれ神とよくケンカしただの、大地を裂く者ヴィケランダを止めた者だのと、到底信じられない逸話が残る英雄だ。
生きた時代が古すぎるがゆえに、ほとんど記録には残っていないが――しかし確実に実在はした。
「可能性はある、のかのう……わしの師から聞いた話では、酒好きで女好きでケンカも好きな豪傑だったそうじゃが……」
――およそ二百年前、武神リュト・ビリアンはウーハイトンにいた。
英霊として。
その時に、かの英霊は帝王の拳――すなわち「気」を伝授したのである。
それまでにあった既存の武を、二段階も三段階も引き上げる技術。
これのおかげで、内乱の多かった武勇国ウーハイトンの地は、王族の下にまとまったのだ。
「たとえ子供でも男ならわかりやすかったかもしれんが、女児じゃったからのう……果たしてリュト・ビリアンかのう……」
いまいちはっきりしない。
たとえばニア・リストンが、リントンの艶めかしい悪女ボディを舐めるように見たなら可能性は高かったが、腕を組む一瞬「あっ胸でかっ」という驚いた顔をしたくらいのものだった。
あの反応からして、女好きという条件には当てはまらないのではないか。
しかし、ならばどの英霊だというのか。
「気」に精通しているのは間違いないし、素手での攻撃も堂に入っていた。どんなに師に恵まれようとも、十歳かそこらの子供が辿り着ける境地ではない。
――まだ判断できない、というのが正直なところだが。
だが、そこは問題ではないだろう。
「どうあれ、今一度ウーハイトンに招きたいのう」
老体ながら、ウェイバァとてまだまだ現役の武人のつもりである。強者に師事しまだまだ高みを目指したい気持ちはある。
もちろん、若い世代にもたくさんいるだろう――王族だってそうだ。
武神リュト・ビリアンであろうと、別人であろうと、ニア・リストンの強さは魅力的なのだ。
「わかりました。では、早めに会いに行きましょう」
「うむ」
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