狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

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328.ウーハイトンでの日常の始まり

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「――お、お帰りなさいませ! ニア様!」

「――ただいま。そのまま続けなさい」

「――はい! 行ってきます!」

 屋敷の門の前で、大きなたらいを持った汗でびしょびしょのミトと擦れ違った。彼女は元気よく返事をし、元気よく走っていった。

 ふむ、まだ終わっていないと。

 マーベリアと同じく、ここでも風呂の準備はミトの仕事としている。
 彼女には下台――「龍の背中」を行き来しての水汲みを命じてある。もちろん修行の一環だ。

 人間とは、慣れる生き物である。
 そしてもう一つの特徴として、「楽をしたい」と思う生き物でもある。

 ミトは今、身体を限界まで使うことで「楽に長距離の階段を走る身体」を作らせている。
 楽をしたいと思う心理は、これまで以上に高度な「氣」の操作を必要とする。だからいずれ「楽をするために慣れる」はずだ。

 要するに「氣」の修行である。
 次のステップに進むために追い込んでいる最中なのだ。

 往復で、だいたい十回前後の行き来が必要になる。
 今はまだまだ難しいようだが、午前中……昼食前に余裕で終わるくらいにはなってほしいものだ。まあそれは今現在のリノキスレベルだが。

 リノキスか。
 アレもなぁ……もう少しやる気があれば、もっともっと伸びていてもいいはずなんだがなぁ……

 如何せん、今のリノキスより強い者さえなかなかいないだけに、あいつは危機感が足りないんだよな。
 怠けていたら追いつかれる、追い抜かれるという武人としての恥と屈辱、あるいは恐怖というのものがわかっていない。
 ただ追い抜かれるのとは意味が違うのに。

 …………

 まあ、そもそもあいつは武人ではないからな。
 あくまでも私の侍女でしかないと思っているから、意欲が低いのも仕方ないのかな。

 そんなことを思いながら門をくぐると――

「――しぇぁす! 武客ニア・リストン! 俺は永拳流グリゼンだ! 手合わせ願う!」

「――いや! この風蛇八禍拳のヒェルンと先にやっていただく!」

「――いや待て! 俺からだ!」

 おーおー、今日も来てるなぁ。

 訓練場所としてある開けた庭先に、血気盛んな男たちが三人ほど集まっている。
 もう三日前になるか……港で挑まれて以来、ちょくちょく武人たちに挑まれるようになってしまった。

 それ自体は別に構わない。
 武客という存在は、そういうものなのだと思うから。

 ただ、私が不在の時がまずい。

 己が家の前に、むくつけき、清潔感のない、一見するとただの山賊の親玉にしか見えないような連中がたむろする光景を想像してみてほしい。
 はっきり言って非常に迷惑だし、周辺住人にもいらない心配を掛けてしまう。武人だなんだを抜きにして、本当に迷惑でしかない。

 というわけで、門の外で待たせると悪目立ちするので、もう中で待ってもらうことにした。
 私が望んだ客ではないが、それでも私の客だから。

「誰からでもいいわ。着替えてくるから、順番を決めて署名しておいてね」

 ――ここウーハイトンには、有名な九門館を筆頭に、誰も知らないようなマイナーなものまで数えると、本当に数えきれないほどの流派や派閥があるそうだ。

 国民のほとんどが武術に関わると言われるだけあり、流派の総数は数百とも数千とも言われていて、中には人のいない山奥で、人知れず己が武を磨き続けているような狂人もいるとかいないとか。

 なので、ジンキョウの勧めで流派名の記録を残すことにした。

 王宮でも随時記録はしているらしいが、それでも追いつかないほど多い……というか人知れず誕生しているケースもあるので、とてもじゃないが把握しきれるものではないのだとか。ほら、自称で名乗り出したりする者もいるっぽいしね。

「――お嬢様、お帰りなさいませ」

 屋敷に入るとリノキスと会った。

「態度が悪い挑戦者がいたので、私が相手してお帰り願いました」

「うん」

 礼儀がなってない奴はぼっこぼこにして追い返していい、と言ってある。
 侍女としても私の護衛としても、正しい判断である。

 どうせなら全部相手してくれても私は構わないのだが……

 だがジンキョウ曰く「誉れある武客と直接戦いたいって武人の気持ちをわかってくれ」と諭された。

 これは私が心無いことを言ってしまったと後悔した。

 とんでもない強者がいると聞けば、たとえ戦う前から敵わないとわかっていても、直接相手してほしいと思うだろうから。
 逆の立場なら、私も思うだろう。

 それほどまでに、圧倒的強者とは、武人にとって興味と関心の対象となりうるのだ。 

「学校はどうでしたか?」

 そのまま部屋までついてきたリノキスが、着替えを手伝ってくれる。

「問題なかったわ」

 学長が言った通り、私と同じ立場の留学生が多いからか、教室の子供たちは親切にしてくれた。
 挑発的かつ好戦的でありつつ友好的でもある感じで。

 で、だ。

「とりあえず六年生のボスになったみたい。学年長っていうらしいけど」

 六歳から入学できるらしい鳳凰学舎では、私は六年生に位置する。

 この辺はアルトワールと同じである。
 そしてここからの進学も、似たようなものみたいだが。
 
 唯一違い、また納得できるのが、各学級の代表となる、学年一強い者がいるというシステムだ。

 その名も、学年長。

 学長が言っていた「私闘も頻繁に起きる」というのは、主にこの学年一強い者――学年長の席を争うために使われているそうだ。

 簡単にそんな説明をして、稽古着に着替えた。

「登校初日でボスになったんですか。楽しそうですね」

 楽しい……うーん……

「楽しくはなかったわね。子供たちが仲良く遊んでいるところに、無粋な大人が飛び込んで力ずくで蹂躙して全部台無しにした気分よ。気が引けるわ」

 今庭先で揉めている男たちを相手にする時でさえ、少しばかりそんな気分にもなってしまうくらいだ。

 なんというか、我ながら力量差がえげつないというか……真面目に修行してきた連中を軽く捻り潰しているみたいで。やはり気が引ける。

 …………

 まあ、武術なんて元から残酷なものだしな。気にしても仕方ないか。




 庭先の男たちを軽く捻り潰してお帰り願ったところで、ジンキョウがやってきた。
 そして何事もなかったかのように、今日も修行が始まる。

 こうして、ウーハイトンでの私の日常が始まった。




 ――この日の夜、夏休みに撮影したあの映像が、アルトワールで放送されたことも知らずに。



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