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349.閑話 入学試験 後編
しおりを挟む「――そこまで!」
約束の一発が入ったので、試験はここまでだ。
校長イカンの声が上がると、しっかり口を閉じて見ていた周囲の子供たちが一斉に騒ぎ出した。
何をした。
何が起こった。
見えた奴はいるか。
言葉こそ違うが、言葉の意味だけ掬い取るなら、だいたいこの三つに分類される発言が多い。
そしてそれは、教師陣も怪しい。
――見えた?
――手許がぶれたのだけは見えた気がする。
――あの速度は、朱雀院の奥義より……
建物からこの場まで距離のある子供たちはともかく、間近で見ていたたけに教師たちには多少わかったようだ。
ここにいる教師たちも、「氣」を習得するに足るほどの修練は積んでいる。
だが、その一線こそ、独力ではなかなか越えられるものではない。
「氣」に対する理解が深まったミトから言えば、それは常人との境界線のように思える。
「ミト」
ざわめきの中、イカンが語り掛けてくる。
「特別免除枠での入学を認めよう」
やった。
やった!
ずっと欲しかった言葉を、ようやく効くことができた。
否応なく支配されていた緊張とプレッシャーの全てが喜びに変わる。
「やったよリノキスさん!」
「お、うん。おめでと」
思わず飛び上がってリノキスに抱き着くと、彼女は戸惑いながらも受け止めた。
――リノキスからすると予想通りでしかない結果だったので、ミトがここまで歓喜することが意外だった。合格しない可能性こそ存在しないだろうに。
「だが、少しいいか?」
校長は落ち着き払ってこう続けた。
「ミト。君の技はいささか高度過ぎるようだ。もう少し手加減をした上で、もう一度立ち合いをしてくれないだろうか」
「えっ」
あんなに手加減したのに、もっと?
「私には見えたよ。かわせるかどうかはわからないがね。――だが、周りの者にもわかるようにレベルを落としてくれるとありがたい。
これでは強すぎて強さが伝わらないのだよ。現に子供たちはおろか、教師たちもわかりかねている」
――そう言われると、喜びの分だけ不安がぶり返して来た。
そう、さっきイカンは「子供たちは審査員のようなもの」と言っていた。審査員に伝わっていない強さでは、逆に証明にならないのではないか。
「では、私がお手伝いしましょうか?」
名乗りを上げたのは、リノキスだった。
「弱く見せて力を示す、というのもいかがなものかと思います。私ならミトの強さをわかりやすく証明できますが」
「ああ、あなたも武客の関係者でしたね」
リノキスは、ニアと一緒に試験の手続きをしに来たことがあるので、イカンも顔を覚えていた。
「お願いできますか? 恐らく我らが出るよりあなたの方が慣れておられるでしょう」
「わかりました、立ち合いの代役をやらせていただきます。――ちなみに、どんな結果になろうと合格は取り消しにはなりませんよね?」
「当然です。方法はお任せするが、ぜひ武客の高み……その片鱗だけでもお見せいただきたい」
「――え?」
予想外の話の流れに固まるミトは、なぜか今度はリノキスを相手にすることになってしまった。
手合わせ自体は毎日のようにやっている。
ニアは実戦形式の修行を好むので、ミトも例外なく参加させられている。
そして、ニアは当然として、リノキスからでさえ一本取ったことがない。
それくらい実力差があるのだ。
「思いっきり来なさい」
そんなリノキスが、屋敷の庭先から月下寮の中庭へと舞台を変え、棍を構えて立っている。
――なぜこんなことに……
戸惑いはあるが。
というか戸惑いしかないが。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
ニアもリノキスも、自分にとって悪いようにする人たちではない。
それだけ理解して信じられれば、こんな状況なんて普通に受け入れてしまえる。
「――……行きます!」
周囲の子供たちはまだ騒がしいが、リノキスを相手に周囲を気にする余裕など、ミトにはない。
気合声に合わせ、ミトは大きく踏み込んだ。
ドン、という子供の足には重すぎる音にぴしりと硬質な音が混じったのは、誰の耳にも入らなかった。震脚により石畳にヒビが入ったのだ。
速い。
先程の突きも見えないほど速かったが、今度の「ただの踏み込み突き」も異常に速い。
それに、重い。
先の尖っていない棍でさえ、人体を貫通しそうなそれを――
「遅い」
コン、と軽くリノキスは受け流す。
――受けられることはわかっている。
必要なのは、この間合い。
「――ハァァァァ!!」
踏み込んだことで、そこは射程位置に入っている。
さっき教師ラゴンにほんの先の方を当てただけの「ただの突き」を、連続で放つ。
そう、そもそもこの「ただの突き」は、連打が容易にできることが特徴なのだ。
数匹の虫に囲まれたとしても、固い殻を持つ蟻でさえも、今のシィルレーンなら一瞬で粉々にしてしまう。
そこまでの境地にはまだ届かないが――それでも、ミトの高速連打もかなりのものだ。
残像を残す棍の軌跡は、傍目には何本にも見える。
「――」
そして、それを余裕の笑みを浮かべてかわし、受け、その場に留まり続けるリノキス。
いつの間にか周囲の声は止んでいた。
空を切る体の音と、ぶれているようにしか見えない二人の女を、ただただ見ているだけだった。
「――……くっ」
やはり当たらなかった。
このまま無駄に「氣」を消耗するわけにはいかず、一旦ミトは身を引き――リノキスはそれについてきた。
「今度は防御を見せなさい」
はっと息を飲んだ瞬間、ミトの目にも、リノキスがぶれて見えた。
回転。
横なぎが来る。
それを意識する前に、勝手に動いた身体が、横殴りに振られたリノキスの棍を、己の棍で受け止めていた。
「――受けは悪手」
更にリノキスが回る。
防御に合わせていた棍を押すように外し、もう一度同じ軌道で振ってくる。
「くっ」
今度は避けた、が――リノキスは止まらない。
流れに逆らわぬ高速で横回転しながら、何度も何度も棍で薙ぎ払ってくる。紛れもない独楽の動きだ。
ミトは必死になって防御を固める。
いや、もはや逃げ回っている。
それでも、その凶悪な独楽はミトに合わせて付いてくる。この速度からして、手加減は間違いなくしている。それはそうだ、リノキスはミトを倒すつもりではやっていない。
――ほんと強い……!
リノキスは武器を使わない。
昔は片手剣の類を握っていたらしいが、少なくとも棍や槍など、ほとんど振ったことさえないはずだ。
それなのに、これだ。
「最近、リノキスは修行に身が入ってない」とニアが言っていたが、それなのにこれだ。
強くなった分だけ、強さに理解が深まった。
そのはずだ。
なのになぜだろう。
武のことなど知らなかったあの頃より、今の方が、よっぽど先を歩くその背中が遠く感じてしまう。
――ミトはまた一つ理解を深めた。
――武の道の果てしなさを、知ってしまった。
新しい服が台無しになるほど汗を流し、ようやくリノキスとの手合わせが終わった。
時間にすれば短い方だった。
だが、ミトの体感では、かなり長い苦難の時間だった。
一発貰えば終わりそうなリノキスの猛攻は、ぎりぎり凌げるように調整してあった。
何度も何度も危機を感じたミトには、短いようで長い時間だった。早く終われと願ってしまうほどに。
――「「うおおおおおおおおお!!」」
「こんなものでいいでしょう」と呟きリノキスが構えを解くと、ようやくミトも終わったと解釈した。
互いに向き合って礼をする、と――静まり返っていた子供たちが雄叫びのような声を上げた。
苦労した甲斐があって、理解してもらえたようだ。
「すばらしい!」
「これは……なんという逸材……!」
「今度の交流会は月下の勝利ですな!」
教師陣も、少々次元の違う二人に拍手を送る。
「ありがとうございました。いいものを見せてもらいました」
終始厳しい顔をしていた校長イカンも、汗を掻いた甲斐がある程度には相貌を崩してリノキスに一礼した。
「ミトのこと、よろしくお願いします」
と、リノキスも頭を下げた。すっかり燃え尽きて疲れ果てていたミトも、慌てて揃って頭を下げた。
こうして、ミトは無事、下台の月下寮へと入学を果たしたのだった。
「あ、あの。校長先生。質問してもいいですか?」
周囲の異常な盛り上がりは、自分を歓迎してのものだ、ということくらいはミトもわかっている。
だが、聞かずにはいられない。
「なんだ? 教室の割り振りに希望でも?」
それに関してはシステムさえ知らないので、どうでもいい。
「君が学べることは少ないかもしれないが、君が望む教師を付けるよう善処しよう。棍……いや、君の本当の得物は槍だったかな? 槍の得意な教師もいるから」
どうやら槍を教えてくれそうな人もいるようだが、それも今はいい。
「これからの交流会が楽しみでならんな。ふっ、見てろよ富裕層どもが……」
若干私怨を感じる言葉が出た気がするが――それだ。まさにそれだ。
「――あの、上台の鳳凰学舎へ特待生で行けると聞いたんですが」
「――……えっ?」
この後、場所を移して教師陣に泣きながら「行かないで」とすがられることになるのだが、それはほんの少しだけ先の話である。
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