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358.知らない顔と知った顔と
しおりを挟む「他に言うべきことがあると思うが、まず、淑女の肌に触れたことを謝罪する。事前に話したら断られる可能性があった。――王命だ。私には逆らえない」
感情の見えない瞳で見下ろし、淡々と述べた王太子アーレスは――最後の「王命」というところで、横の兄ニールを見た。
――あ、兄がちょっと険しい顔してる。険しい顔でアーレスを見てる。
「それ、本当に陛下の伝言ですか?」
兄的にも引っかかるところが多かったらしい。もちろん私もだ。当事者として真剣に考えたくないくらいに引っかかっている。
「間違いなく。……私の身分で言うのも王族の恥でしかない気がするが、現国王がやるより私がやった方がまだ軽いとは思うが」
軽い、か。
まあ、ねぇ……
「王様がやったら、もはや正式な発言になりそうですからね」
さっきの伝言を王様が直接発していたら。
その場合、本当に王様の妾になるか王族の男に嫁ぐように、と。
そんな感じの意味合いで、正式な要請としてリストン家に話が回ってきそうなものである。そもそも周りが黙ってないだろうし。
だとすれば、王太子から受け取った方が、まだよかったのかもしれない。
それこそ言葉の「重み」が違う。
…………
王族に嫁ぐ、か。
リストン家としては悪い話ではないかもな。
空賊列島の件で、王様に多大な恩は売れた。
その返事がさっきのやつなら、縁談相手も、それ以外での褒美も望めるだろう。
それに、リストン家が忠節を尽くす相手が王家であるならば、私だってそれに倣うことに抵抗はない。
最初からこの身体はリストン家のものだし、リストン家が決めた結婚なら受け入れてもいいだろう。
私の人生ではなく、ニア・リストンの人生を歩む覚悟は、すでにしている。
だから名も思い出さなくていいし、そこまで前世に固執もしていないつもりだ。
ただ、私には武しかないから、これだけは手放せなかったが。
あまりにも人道的、道徳的な道を踏み外さないのであれば、いくらでも国のために、そして家のために尽くすつもりだ。
……戦争の道具になんて使おうとするなよ。そうなれば、私の拳の向けどころは確実に変わるからな。
「――本当に馬鹿よね、あなたの父親って。この時代、女の子の誰もが王族に憧れるわけじゃないのに」
王様の伝言のせいで微妙な空気になり、なんとなく沈黙がのしかかってきたこの場に、軽快なまでに渇いた風が吹いた。
呆れた顔をした、王太子妃ミューリヒのトゲだらけの言葉だった。
「国のためなら人の迷惑を考えないところ。大っ嫌いよ、あなたの父親」
きつい目元に相応しい性格なのか、なかなか強い発言である。
「君の義理の父親でもあるが」
「汚点よね。完全に」
…………
あれが次の国母か……うん、なかなか。うん、なかなかのタマである。
だがまあ、うん、できれば私たちが退室してからやってほしいかな。
間者でもあるまいし、聞きたくないこととか、聞いてはいけないこととか、こっちだってなんでもかんでも聞きたいわけではないからな。
「さすがに子供の前ではやめないか。見ろ、困惑しているじゃないか」
「それは汚点が残した汚物のようなおぞましい伝言のせいでしょ。アレと家族になるなんて褒美にならないわ。ただの終身刑でしょう」
…………
くそっ、アンゼル、無関係を装って笑ってるなよ。当事者は全然笑えないし面白くもないんだぞ。わりと怖いこと言われてるんだぞ。
「――ああ、ミューリヒのことは気にしないでくれ」
と、苦笑するアーレスが私たちに言う。
「陛下の性格から許されているんだ。公の場でない限りは何を言っても構わない、と。
あの方は世辞や甘言などの中身のない発言より、たとえ悪意や害意でも中身の伴う発言を好む。本当にあれくらい言われても笑い飛ばすからな」
うん、まあ、知ってる。
あの王様は、王様の仕事以外のことはどうでもよさそうだから。
「――ニア嬢」
困惑以外することがない私に、一転して穏やかになった表情の王太子妃ミューリヒが呼びかけてきた。
「初めまして。ミューリヒです」
さっきまでなかなかの毒を吐いていた女性とは思えないほど、穏やかで優しげな微笑みを浮かべる彼女は、なるほど国母に相応しい品と格を感じる。もちろん毒もすごそうだが。
「――初めまして、ミューリヒ殿下。ニア・リストンです」
最低限の名前や有力貴人家までは学んでいるが、まだ社交界デビューを果たしていない私の貴人界隈の知人や付き合いは、非常に狭い。
王太子夫妻に会うのも、これが初めてだ。
王太子は一本芯の通った優秀な為政者という感じはするが、王太子妃は正直、目の前で二面性を見せられた今、よくわからない人という印象になってしまった。
「これが英雄……やっと会えたわ」
ものすごく嬉しそうに笑いかけられた。
「英雄、ですか」
空賊列島の件か。
それともマーベリアでの御前試合か。
公に名前を出してやったのはその二つくらいだが、どの件を指してのアレだろうか。
「――ええ、あのヒュレンツ陛下を落とし穴に落とした英雄。しかも二回も」
あ、「落とし穴事件」の主犯としての英雄ね。
そっちで英雄呼ばわりか。まあいいけど。その。なんだ。
王様嫌われすぎじゃないか?
いや、これは逆に、ある意味嫌われているわけではないのか?
「あれは衝撃だったわ。間違いなく魔法映像界に刻まれた大いなる歴史ね。後世に語り継がれるわよ。
わたくしあの映像大好きよ。この先これ以上笑うことがないというくらい笑ったわ。腹筋が痛くなるまでね。少し気持ちが落ち込むことがあっても、あれを思い出すだけで奮い立つの」
そんなにお気に入りか。
まあ、楽しんでいただけたなら、何よりだが。
本当にいまいちよくわからない人だが――まあ、そうだよな。
弱い国母、弱い王妃では、国のトップの妻なんてやっていけないだろう。
権力の世界も厳しいからな。
これくらいのいい性格じゃないと、王妃は務まらないのだろう。
特にアルトワールの王族は、結構癖が強そうな者ばかりだ。
現王妃もかなりメンタルが強そうな方だったし。
ミューリヒ同様、旦那が落とし穴に落とされるのを見て大笑いしていたし。
「ミュー、邪魔をするようで悪いが、ゆっくり話すのは別の機会にしよう」
王太子夫妻は、これから到着予定のアルトワールの客人と挨拶をするため、今日は部屋で待機しているらしい。
自国から、誰が来ているのかを確認するために、セレモニーの前に顔合わせしておきたいそうだ。
要するに、私たちのように島にやってきて、私たちのように挨拶に来る者がいると。
そして長居すると後から来る者の邪魔になると。そういうことである。
その後、約束通り兄とレリアレッドとシルヴァー領の撮影班とともに、赤島を見て回った。
かつての住人だった奴隷たちは、一人もいなくなっていた。
どうやら故郷に送り返されたり、仕事を割り振られて周辺の浮島に行ったりと、次の人生を歩み始めているそうだ。
この赤島、アルトワール王国のものとして正式な名前が告げられるまでは一般人の立ち入りは禁止だそうで、今は関係者と大工しかいないのだとか。
もしかしたら、開局セレモニーが終われば、かつての奴隷たちが住人として戻ってきたりもするのかもしれない。
空賊たちが勝手をしていた痕跡もほぼなくなり、これからどんどん綺麗に、そして文化的に発展していくことだろう。
この郡島が二度と無法地帯にならないことを願うばかりだ。
「――ニア・リストン様」
ホテルに戻ると、意外な人物と遭遇した。
「あら……」
そのものが発光しているかのようにほのかに輝く銀髪に、不思議な深い色を宿した金色の瞳。
服装も、声も、その瞳以外はすべて見覚えがある。
ここで会うのか。
いや、案外、私に会うために来た面もあるのか。
何にしろ、面白いやつに再会した。
「私の髪と違って、本物の銀髪は輝きと美しさが違いますね」
「光栄です。あなたもそちらの色の方が自然だと思います――初めまして。聖王国アスターニャ位階第六位聖女、フィリアリオ・アスターニャと申します」
「初めまして、聖女様。ニア・リストンです」
奇しくも、この赤島で出会ったのは二度目ではあるが。
正式な身分では初対面なので、私たちは初対面の挨拶を交わすのだった。
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