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236.新婚旅行 六日目 惚れ直す
しおりを挟む「――いい、アーレさん?」
心のまま率直に返すなら、「少し待て」と言いたかった。
アーレは疲れていた。
だが、それと同時に、得も言われぬ興奮もしていた。
着飾るというのは初めてだった。
「なんだ」
ここはカリアの部屋である。
そしてアーレは、露出の多い下着姿そのままで、椅子に座っているところだ。
さっきまで、アーレ本人そっちのけでキャッキャ言いながら服をとっかえひっかえしていたカリアに目を向ける。
確かに集落では、髪型や装飾品、タタォ・キ (ボディペイント)などで飾る者は少なくないが、アーレとタタララは特に興味がない分野だった。
もしタタララが多少興味を抱いていたら、アーレも感化されたかもしれない。
だが、本当にどちらも、それらを必要としなかった。
髪型なんてどうでもいいし、装飾品は狩りの邪魔になることがある。
タタォ・キは顔料を作るのも面倒臭いし、いざ塗ってみて気に入らないから落としてまた塗る、などという無駄なことを繰り返すのはざらにある。おまけに顔料に負けて肌がかぶれることもある。
それらの身を飾る物や行為は、正直いいところが見つからない。
どれもこれも狩りの邪魔なだけ――だと思っていた。
意識が少し変わったのは、レインから結婚指輪を貰ってからだ。
狩りに必要ないものだ。
もしかしたら、もしもの時に邪魔になるかもしれない。
それでも手離せない、手離すことなど考えられない、大切な物になっている。
革紐がダメになるから風呂や水浴びの時は外すが、本当ならいつでも身に着けていたいくらいだ。
今度、蜘蛛族に、水にやられない紐を糸で作ってもらおうと思っているほどだ。
髪型もどうでもよかったが、レインに触られるのは好きになった。
そんなアーレの前に、十着を超える白い服が並んでいる。
そしてカリアと一緒になってキャッキャ言いながら着せたり脱がしたりしていたササンが、真剣な面持ちでドレスたちを睨んでいる。
あの服たちは、今し方、全部に袖を通したところである。
服自体も嫌なのに、こんなにも着替えるなんて……と思いつつも、着飾った自分を鏡で見て、言い知れぬ気持ちが沸き起こったのは事実だ。
悪くないじゃないか、と。
まるで戦士じゃない、普通の女のように見えてしまった。
それもこちら側の女のように。
こちらの結婚式では、女は皆、こういう白くてひらひらで実用的じゃない服を着るらしい。
聞いた時は何の意味があるのかと思ったが、着てみた今は、少し感想が変わった。
――着飾ったこの姿を旦那に見せてやりたい。
きっと、今一番綺麗で美しい女がおまえの嫁になるんだぞ、と。
言外に突き付けてやるためだろう。
大事にしろ、泣かせるな、この姿を憶えておけ、忘れるな。
そんな意味も込められているかもしれない。
「明日、レイン様とお出掛けしてくれない? そう言う風に話を通すから」
「お出掛け?」
今、旦那は雨の中を出掛けている。
怪我人が集まっているところに行く、と言っていた。
「指輪を作りたいんだが」
こうして結婚式の準備が始まった以上、指輪の完成は必須で、アーレが頑張らないと絶対に完成はしないのだ。
本当なら今も作業をしているはずだった。酒も呑まずにがんばっていたのだ。
なのに、「ドレスが来た」と呼ばれてきている。
無論、忙しくなると言われてもなお「結婚式がしたい」と言ったのはアーレだ。
これに関してはどこまでもやり遂げるつもりだ。
頑張って、レインに美しい自分を見てもらいたい。
そして惚れ直してほしい。
あるいはもっと惚れてほしい。
その未来を想像するだけでニヤニヤしそうになる。
「二人がいない間にやりたい準備もあるのよ。それに、アーレさんにも頼みがあるし」
「頼みだと? 悪いが我は難しいことはわからんぞ」
アーレも指輪作りがあるので暇ではないが、カリアからアーレがいない間にやりたいこともあると言われて、一緒に出掛けることにした。
「難しくないわ。あのドレスに似合いそうなアクセサリーを買ってもらってきて」
アクセサリー。
装飾品か。
「ドレスは持って帰れないでしょう? でも小さな小物くらいなら、旅行土産で持って帰れると思うんだけど」
確かにドレスは大きいし嵩張るし、何より持って帰ってもなんの役にも立たないだろう。
無論、持って帰って大切にしたいとは思うが……
だが、きっと向こうに持って行っても、汚してしまうだけな気がする。
ならば、思い出だけ持って帰るのが一番いいのかもしれない。
「わかった。レインに頼んでみる」
そう言う意味では、小さな装飾品くらいなら、旅行の土産に相応しいかもしれない。
――というのが、昨日の話だ。
嘘だろう。
無理だ。
というか、なんでこんなに……っ!
レインと手を繋ぎ、大通りを歩くアーレは、かなり精神的に余裕がない状態だった。
二人きりなんて珍しくもない。
手を繋ぐどころか、もっとすごいことを夜な夜なしてもいる。
そもそも番になって一年が経っている。
今更どうして、レインと二人きりで歩いて、こんなに緊張する理由があるのか。
自分のことなのに、まるで意味がわからない。
なんだか無性に恥ずかしくなってきた。
何がどうしてかはわからないが、今はとてもじゃないがレインと目を合わせることができない。
繋いだ手が熱い。
心臓が破裂しそうなほど大きく脈打っている。
「――店を見ながら一緒に探そうか」
「――うん……」
周囲の喧騒に負けないよう、何か話しかけるたびに耳元で囁くレインの声に、胸が騒いでいる。
内容なんて頭に入っていない。
生返事ばかりしている。
――こんな状態でレインに装飾品を買ってと言うのか?
――無理無理! 絶対に無理!
本当に、どうしてこんなにも落ち着かないのか。
隣にいるのは、己が産んだ子供の父親でさえある、この世で一番親しい男である。
にも関わらず、今は、まるで出会った時のような――いや。
アーレは、空いた手で首から下がった指輪に触れる。
――これを貰った時のような気持ちだ。
あの時の感情が蘇っているのだ。
なぜだ?
たぶん、きっと、場所のせいだろう。
向こうではアーレが仕切ることができた。
何をするにも自分が把握しているし、困ったことがあればすぐにでも手を差し伸べることができた。
だが、今は逆だ。
こちらのことを知らないアーレを、レインが仕切っている。
知らない文化で連れ回し、白蛇族最強の族長を女の子扱いして手を繋いでいる。
おまえなどこちらではただの女だ、と言わんばかりに。
要するに、今のレインは、始めて見るレインなのだ。
そんないつもと違う旦那の姿に、アーレは戸惑っている。
いや、惚れ直しているのである。
味のわからない食事をした。
どこかの店に入り、今食べているが、何を食べているかさえよくわからない。
どうしてだか酒は呑む気がせず……今だけは、その辺にいる普通の女に見られたかった。
実際は全然違うことなど、己が一番よくわかっているのに。
でも、レインはそれを受け止めてくれる。
戦士であるアーレも。
女であるアーレも。
そして今は、まるで生娘の少女のようなアーレも、そのまま受け入れてくれている。
毎日鮮血に塗れている血生臭い女を、なんの穢れも知らない少女でいることを、許してくれている。
集落では許されない姿である。
だが、今だけは。
それが堪らなく恥ずかしくて、心の底から嬉しくもある。
「はい、あーん」
「え?……いや、レイン、それは」
カッと顔が熱くなる。
まるで赤子に食わせていたそれを、アーレにしようとしている。
たまに赤子の分を横取りしていたが、こう人前でやられると、戸惑うばかりだ。
「――ね、見て」
「――可愛いね。初デートかな?」
「――いいなぁ彼氏がいて」
隣の席で食っている女三人が、こちらを見てひそひそ話している。
初デート。
レインが出掛ける時に言っていたデート。
――そうか、デートとはこういうものなのか。
「あれ? 食べない?」
「いや! ……食べる」
恥ずかしくて心臓がどうにかなりそうだが、引っ込められるのも癪だ。
結婚式で、ドレスを着て、惚れ直させるつもりだったのだ。
それが今己が旦那に惚れ直していてどうする。
――何より、嫁がこれ以上ないほど落ち着いていないのに、なぜ一人平然としているのか。おまえも惚れ直せ。
「あ、あーん」
意を決して、レインが差し出す何かを食べた。
やはり、何を食べたのか、全然わからなかった。
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