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19.平凡なる超えし者、不意に接触してしまう……
しおりを挟むラインラックからの招待状は、その日のことではなかったようだ。
恐らく数日中には、って感じだとは思うが、はっきりはわからない。
それらしい会話もないので、兄アクロと本アクロとメイドのレンの三人にはわかりきった情報だということになる。
ちょっと困ったことになってきた。
半日くらいなら、休みがてら窓枠待機くらい余裕でできると思うが、何分状況が悪い。
まず、気を抜くとレンに感づかれると思う。
前にアルカに気取られたおかげで、かなり気合を入れて偲んでいる最中だ。
おかげさまで今のところ気づかれてはいないが、長時間に及ぶとなると話が違ってくる。人間の集中力なんてそう長続きするものではないから。
何より、暇だ。
寝て待つと、どうしても気配絶ちは緩むし、何より私が熟睡できない。半端に覚醒しながら寝るなんて睡眠を舐めているとしか思えない。私はそんな眠りは認めないタイプだ。
ならば一度窓際から離れるのがいいのだが、そうすると三人の会話が聞けなくなる。アタッチメントだけ伸ばして聴覚を与える、みたいな盗聴作戦も考えたが、変に感覚を仕込むと気づかれそうな感じもするので、ちょっと控えたい。
アルカの時もそうだったけど、ある程度のレベルの察知能力となると、もう理屈じゃなくなっちゃうんだよね。視線を感じたとか、絶対気のせいくらいの感覚だよ。ただ精度と確率が違うだけでさ。
それに、今回は、アルカの時とはわけが違う。
兄アクロと本アクロの事情は、絶対に他言無用のトップシークレット扱いだろう。立場を考えたら公にできる問題じゃないだろうし。
少しでも不穏な気配を見せたら、この先どう転ぶかわからなくなる。
もしかしたら学校から去ることもあるかもしれない。
お兄ちゃんの目的は、フロントフロン家没落の回避だ。
だったら学校生活に強くこだわる理由は、ない。……かもしれない。さすがにほかのしがらみまで絡んでくると、私にもわからない。
……とりあえず、夜の間に何かあるってことはなさそうだから、いったん屋上に退避して一晩明かしてみた。
明け方には雨が止み、空はすっかり晴れた。
まだ彼方に雨雲は残っているが、昼には青空が広がることだろう。
お兄ちゃんたちが動き出した気配を察知し、窓際に移動する。
「――じゃあ行ってくる」
体操服姿の兄アクロと、これまた体操服姿のレンが、本アクロを置いて部屋を出て行く。ん? なんだ? どっか行くのか?
見るからに「今から運動しまーす」って格好だったし、寮から出るのかもしれない。
で、本アクロは留守番か。
だったらお兄ちゃんたちについていった方が、得るものは多いかな……? 何をするかも気になるし、ついていってみようかな?
二人が部屋から出ていくのを、本アクロと一緒に見送る。
「――……」
さて私も一緒にいこうかな、と思った矢先、テーブルに着いていた本アクロがこちらにやってきた。
「――……ふう」
窓を開ける。
窓際にある机に座り、頬杖をついて空を見上げる。
そして私は、窓枠の上部に潜むと。……おっと、さすがに居場所が目線の先すぎる。これ以上覗くと素人相手でもバレちゃうよ。
「――会えるわけないじゃない……」
そんなつぶやきが聴こえる。どうやら昨日のやり取りを思い悩んでいるようだ。
昨日直感した通り、やっぱりラインラックのことが好きみたいだね。
お兄ちゃんもわかっているみたいだったし、この本アクロの恋する少女っぷりを見ても間違いないな。
「――……ん?」
ん?
「――何かしら、これ……」
え?
……え?
「――…………」
…………
どうやら「ネズミの身であること」そのものに失念していたようだ。
身体はしっかり隠れていたはずだが。
シッポが、垂れていたらしい。
本アクロの視界の中に。
そして本アクロに掴まれ、宙吊りにされてしまった。
美しい人形のような子供の大きな灰色の目と、ネズミである私の目が合う。
「――きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
きゃーいやーん。
本アクロは悲鳴を上げ、衝動的に私を放り出した。
部屋の中に。
おい。
こんなにはっきり姿を見られた上に、存在さえ認識されたら私も困るんだぞ。こっそり動きづらくなるだけなんだから。
せめて部屋の外に投げてくれよ。
……はっきり見られてるもんなぁこれ。なんとか……なるのか?
本アクロは子供らしさを遺憾なく発揮し、「被害者です」と言わんばかりに震え上がりながら床にいる私を見ている。
なんだよ。
はっきり言わせてもらえるならこっちが被害者だよ。
乱暴に、力ずくで、私の意思を無視して部屋に引きずり込んだくせに。「急にネズミが目の前に現れた事案発生」みたいな顔して。
……まあ、アレだ。
見られたのが本アクロだけで、まだよかったんだろう。
事情や立ち位置がまだ不明だが、本アクロは大っぴらにいてはいけない人物であるのは間違いない。本人と偽物が入れ替わってるとか、そういう事情があるからね。
そういう意味では、私の存在を率先して広めることはできない人物だと言える。話せるにしても兄アクロとレンくらいだろう。
だとすれば、ここで本アクロを懐柔できれば、この「不意の接触」というミスは帳消しにできる。
いや、むしろ、長い目で見ればプラスに転じるかもしれない。
下手に動くとまた悲鳴を上げられそうだったので、床に投げ捨てられたまま腹を出して倒れている私を、ビビリまくって事案にしようとしている本アクロがしげしげと見詰める。
「――み、緑色のネズミって……カビ?」
おい。誰がカビ○ンルンだ。せめてコケと言いなさいよ。コケっていうのは水が綺麗な場所に生え……カビは細菌か。ある意味そっちでも間違いではないのか? ……いや、カビは個人的に嫌だわ。コケと言いなさいよ。……やっぱコケもちょっと嫌だわ。
「――ひいっ」
とりあえず起きた。
本当に生粋のお嬢様である本アクロは怯えっぱなしだが……そんなにネズミは嫌かね? ……嫌かもなぁ。人間からしたら不衛生な害獣でしかないだろうからなぁ。でもハムスター的に思ってくれてもいいよ? ……緑色だし無理か。
……あ、そうだ。
「――あ、ちょっ、やだっ」
窓際の机の上に移動しただけなのに、本アクロは部屋の反対側にまで逃げてしまった。
そんなに怯えなくてもいいんじゃないすかね?
一応キミが力ずくで部屋に引きずり込んだのは事実なんだからね。私の意思でここにいるわけじゃないんだからね。……覗いたり聞き耳は立ててたけど。
それより、そろそろ出て行った方がよさそうだ。
さっき本アクロが悲鳴を上げたせいで、誰かが来る気配がある。
「――……えっ」
本アクロは目を疑ったようだ。
それもそのはず、私がどこからともなく一輪の赤い薔薇を生み出したから。
そして私は薔薇を残し、お嬢様の部屋をクールに去るのだった。
少し思いついたのだ。
昨日森で経験した「植物のリンク」ができないか、と。
昨日、森の中で、私は確かに森の一部となり、また森の支配者として植物を統べた。
あれと同じことができないか、と。
環境が違いすぎる。
魔素も満ちていない。
何より、植物が少ない。
こんな状況では無理かもしれないが、しかし、自分の魔力で生み出した植物ならどうだ?
無関係な植物ではまだ感覚を繋げられないかもしれないが、自分で作り出した植物ならどうだろう?
――イメージできたら、きっとできる。
――まあ簡単に言えば「薔薇型の盗聴器を置いてきた」のだ。堂々と。
ちゃんとイメージ通り機能することに賭けて、あえて「普通のネズミじゃないこと」をしてみた。
あとは本アクロがどう解釈して、どう兄アクロとレンに話すのか。
それも賭けの一つである。
……それにしても、どう注意してもこういうやらかし事故は結構やるんだよなぁ。
さすが「中庸の星」、優秀なだけではいられないもんだわ。
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